分岐点
辻新之助

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あかりは狙撃手用訓練場に空いた穴をじっと見ていた。
これは先日、新入隊員のオリエンテーションでちょっとしたトラブルで空いてしまったものだ。

ボーダー基地の壁はトリオンでできている。
トリオンさえあれば直るので、
土木工事みたいな作業は必要がない。
トリオンを流し込むだけでいい。
仮想フィールドと違ってスイッチ一つですぐに直るわけではないので多少時間は掛かる。
それでもこれくらいの穴なら一日あれば十分だ。
あかりは一人ぽつんとその穴を眺めている姿をちらっと見れば黄昏ているように見えるが、
別にそんなんじゃない。
寧ろ異常かもしれない。
眼鏡を外しトリオンで修復される壁を見ながら、
何やら紙に書き殴っていた。
修復のルーチンは知っているがあらためて視れば新しい発見があるかもしれないとこうして小一時間穴が塞がっていく過程を視ていた。
あの星海あかりが奇行な事をし始めたと、久しぶりに隊員内で囁かれた程度だ。
それに実際はあかりは一人で穴を視つめているわけではない。
チビレプリカが傍にいた。
独りであれこれ悩むのではなく、
チビレプリカと話しながらなのであかりとしてはいつもの解析作業よりは楽しく、実になる時間を過ごしていたが、
傍から見るとチビレプリカの姿は確認できないため、
あかりがぶつぶつ独り言を言っているようにしか見えなかった。

「やっぱりルーチン違うよね」

あかりは呟いた。
因みにあかりが何と比較しているのかといえば先日遊真が自身の身体を治す時の事だ。
遊真の身体はトリオン体だ。
トリオンでしか治せない。
使い捨ての戦闘体であるトリオン体とは違って治るトリオン体。
それは黒トリガーの効果だと言ってしまえばその通りなのだが、
本当にそれだけで片づけていいものかと考えたが故の行動だった。
こうやって比較してみれば何か分かるかもしれないと思ってチビレプリカと模索していた。


「星海あかりが何か変な事をし始めたらしいぞ」

それは瞬く間に広がった。
首を傾げたのは彼女の事を何も知らない訓練生だけだ。
正隊員達は久し振りのあかりの奇怪な行動に、
エンジニア達は何をしようとしているのかと若干疑惑を持っていた。
皆のサポート役として大活躍な彼等もそうだが、
エンジニアはふとした時、頭のネジが外れる事がある。
その外れた時が物凄く性質が悪いのだ。
エンジニア業務が絡んでいる場合、
緊急事態が発生しない限りエンジニア達は彼女を止めない。
では、そうではない通常時は誰が彼女を止めるのか……。
学校なら同学年の時枝、烏丸、佐鳥(はあまり止められた試しがない)辺りが対処に回るが、
嵐山隊は広報の仕事で本部にいる事が少ないし、
烏丸は玉狛支部にいる事が多い。
…となると、その辺の正隊員が止めるしかない。

「お、お前らいいところに!
あかりを回収してくれねぇ?」

狙撃訓練室の近くを通りかかった出水、辻をそう言って呼び止めたのは当真だった。
丁度人出が二人欲しかった当真が言うよりも先にあかりの名前を聞いた辻は反射的に逃げ出そうとしたが、
当真に腕を掴まれ失敗に終わった。
女性耐性がない辻には少し酷な事かもしれない。
話を聞くところによると、
訓練室が修繕されたので今から合同訓練に入るところなのだが、
何やらあかりにスイッチが入ったらしい。
いつものように紙を広げていろいろ書き殴って、睨めっこしながら構想して……を繰り返しているらしい。
声が聞こえないくらい集中している彼女をその場から退かすには、
誰かがあかりを引きずり、もう一人があかりの書き殴った紙を運んで欲しいらしい。
エンジニア的には後者の紙は研究に必要になるから死守しないといけない……だから二人、人出がいるという事だった。

「先輩なんだから後輩の面倒くらいみろよ」
「当真先輩こそ」
「俺は今から合同訓練。
あかり運ぶより、撃ってる方が楽しいし」

つまり面倒事は押し付けたいという事だった。
ボーダーの先輩達だけというわけではないが、
この組織はアクが強い人間が多い。
だからなのか、サポートできる人間は重宝される。
こういった雑用業務は特にだ。
難色を示していた辻も先輩命令には従うらしい。
かなり不本意なので早く終わらせようと目が言っていた。

「っていうか辻、あかりもダメなんだな」

出水が思い出したように言う。
女性耐性のない辻は女の子と目を合わせてまともに会話ができない残念なイケメンだ。
本人も克服しようと頑張ってはいるが、
目の前にすると上がってしまってどうする事もできないらしい。
そこに持ち前のポーカーフェイスが災いし、
何も知らない女性達から辻はクールでかっこいいと思われている。
本当に残念だ。人生損している。
出水からしたらあかりよりも、二宮隊の冷見の方が女の子らしいと思うのだが……。

「星海さんは真っ直ぐ見てくるから」

事故でも視線がかち合ったらベイルアウトしたいと言う辻は既に当真と出水を盾にして歩いている。重症だ。
訓練室に入ると、既に構築段階なのか眼鏡を掛けて何やら作業しているあかりに当真が声を掛けるが返事はない。
仕方ないとあかりの目の前に出水を立たせ……この段階で出水は嫌な予感しかしなかった。
酷い事に、当真が遠慮なく彼女の眼鏡を取り上げた。

「い、やああぁぁぁぁぁあぁぁ!!」

いきなり現れた発光物にあかりは悲鳴をあげた。
このお決まりな行動に慣れているとはいえ、
何かいけないことをしたような気持ちになるのは何故だろうか。
そして、若干傷つくのは何故なのか。

「出水先輩、酷い…!」
「俺は悪くないぞ」
「よし、あかりが現実に戻ってきたし、
あとはよろしく頼むぜ〜」

言うと当真は出水にあかり、辻に彼女の眼鏡といろいろ書かれている紙を渡した。
当真の行為に辻は一瞬だけビクついた。

「せんぱ…眼鏡を返してくださいっ!!」
「辻ちゃんいるからなー、開発室まで連行して貰え」
「だって出水先輩が目に痛すぎて」
「……」
「出水、頑張って」

辻に裏切られた瞬間だった。

いろいろ諦めた出水はあかりを引き摺っていく事にした。
当の本人は視界にトリオン情報が入り込まないように手で目を塞いでいる。
その後を辻があかりの視界に入らないベストポジションでついていく。
なんとも奇妙な光景だった。

「予測通り凄いことになってるな」

道中出くわした迅に声を掛けられた一行は、
彼の言葉を聞いて分かっていたら何とかしてくれと切に思った。
しかし、迅にも用事がある。
一個人よりもボーダー優先に動く彼に会議に参加してたんだよねと言われてしまえば、
何も言い返せなかった。

「あかりちゃん借りていってもいい?」
「いいですけど、何するつもりなんですか?」
「次の防衛戦の打ち合わせ」

出水は迅にあかりを渡す。
手持ち無沙汰になったところ、辻がすかさずあかりの私物を出水に渡し、彼の後ろに隠れた。
眼鏡を掛けたあかりがほっと一息ついたところで、
紙を彼女に渡した。

「これ、辻から」
「ありがとうございます、辻先輩」

出水の後ろにいる辻を真っ直ぐ見て、ぺこり。
確かに真っ直ぐ見ている。
それに本来持っている辻の律儀で丁寧な性格から気まずさを感じたのか……辻は無言で会釈をする。
辻の精一杯だった。
それを見てからあかりは出水にもお礼の言葉を言うと迅のあとをトコトコついていく。
彼らがいなくなってから辻は一仕事終えましたという顔でしれっと出水の隣に立つ。
それもいつもの事なのだが、
もう少し何とかならないものかと出水は本気で思った。


20160208


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