現在と未来
始まりのかけら

しおりを挟む


人の目が多いところが好きではない影浦雅人のボーダー本部にいる時の行動範囲は割と限られている。
自分の隊の作戦室そしてランク戦ブースだ。
他の隊員のようにラウンジに行って他の隊員と食事をしたり雑談をすることはほぼなかった。
影浦が彼女と出会うのは確率論でいえば偶然というには可能性が高く必然というには運命性は感じられない。そういったものだった。

「げっ」
「あ?」

思わず声を出してしまったことに影浦は後悔する。
それだけ自分は目の前の彼女のことが気に入らないらしい。苦手。気色悪い。否、はっきり言ってしまえば嫌いの部類に入る。
彼女明星桜花はボーダー本部に住んでいるため自室、食堂とどこの部屋も我が物顔で歩いて利用しているが利用頻度が多いのはランク戦ブースだ。
特に今は謹慎中のため彼女はやることはないらしく一日の大半をこの空間で過ごしている。
学生ではないので勉強をすることはなくまた職についているわけではないため仕事もしない。
所謂無職というやつだ。
就職先を探せばいいのに彼女はどこかに就職する気はないらしい。
暇を持て余している状態になるのは仕方がないだろう。
ボーダーだけで生計を立てるのは個人の自由だ。誰もそこに口出しはしない。
防衛隊員であるならせめて訓練でもすればいいのだろうが残念なことにトリガーを上層部に取り上げられているため何もできない。
トリガーがあって初めて防衛隊員としての役割を果たせることになるのに没収とはかなりの痛手だ。
過去にトリガーを取り上げられなかった者がいないわけではないが、トリガーの没収=ボーダーの除隊を意味する。
それから考えると除隊されているわけではない桜花はかなり厳しめの謹慎を受けていることになる。
そもそも何故彼女が謹慎処分を受けることになったのか――原因は先日あった大規模侵攻にて彼女が大暴れしたからだ。
結果良ければ全て良しとならなかったのは仲間の命がかかっていたからかそれとも彼女の人間性の問題なのか……彼女の功績を称える人間は正直いなかった。
どちらかというと影浦も周囲に怪訝されやるい部類の人間なので周囲にどういう視線が集まるのかは察しはしていた。
だけどそれを同情したりはしない。
ベイルアウト機能が使えない状態で迎えた大規模侵攻。
桜花の手により自分のチームメイトである北添のトリオン体が破壊された。
その事実がどういうことなのか……トリガー使い及びボーダーに務めている職員も意味が解っている。
だからこそ彼女の行動に批判的な人間が多数存在している。影浦もその中に一人であった。
弱い人間が悪い。確かにそうだろう。だからといって割り切ることは難しい。
人は感情をもって行動できるからこそ人なのだ。
運良く助かったから問題ない。結果良ければ全て良し。そんな言葉で片づけられる者達の気が知れない。
周囲の者と恐らく同じ理由で影浦は桜花のことが気に入らなかった。
もともと自分に素直な影浦だ。
嫌いな人間が目の前にいれば感情に従って声の一つや二つ漏らしたりする。
いきなり手を出さなかっただけでも感謝して欲しいくらいだ。
彼女の立場が分かっても許すつもりないし仲良くするつもりもない影浦はここから立ち去ることを選択する。

ざわざわと周囲がざわめく。
「ほら大規模侵攻の時の……」
「あー近界民に……」
複数の声が聞こえてくる。共有スペースで行われる隊員達のいつもの雑談だ。特に気にする必要もないと周囲に興味がない影浦は原因を探ろうとしない。
一秒でも早く立ち去りたいというのが本音だ……なのに空気を読む気がないのか桜花は影浦に話し掛けた。
「人の顔を見てその反応はないんじゃない?」
言葉は至って普通。だが影浦の身体が受け取ったのは鈍器で殴ったかのような痛み。
恐らく苛立っているのだろうが影浦は彼女に苛立ちを向けられる覚えはない。
――となると、考えられるのは八つ当たりだ。
周囲の視線が気に入らないのか未だ謹慎が解けられないことが不満なのかは分からないが、ずっとその感情を向けられるのは止めて欲しい。
思わず影浦は彼女に掴み掛かっていた。
「テメェ、ふざけんなよ」
「ふざけてないわよ」
とぼけるどことなく受け答えをするということはや自覚している否、わざとらしい。
不愉快な感情を影浦にぶつければ必ず絡んでくると思ってのことなら成功だ。
影浦はしっかりと桜花に対して不愉快の感情を全面的に出して接触してきている。だが影浦に絡まれるて桜花に何のメリットがあるというのか。
桜花は影浦が予想通りの行動をしてくれたことに安堵したのか先程まで向けていた感情を簡単に消し去った。
一体何をやりたいのか分からなさ過ぎて逆に気持ち悪い。
影浦は舌打ちすると桜花の胸倉から手を放した。
その行動が予想外だったのか桜花に一瞬驚愕の表情が浮かぶ。
影浦の身体に感じるこの痛みはどの部類だろうか……柄にもなく考えてしまうくらいに彼女から向けられる感情は不自然だった。
考えられるものは何もないが敢えて言うならば――
「喧嘩売ってるのか」
「買ってくれると有難いわ」
挑発的な発言も目の前の彼女には特に効果はなかったようだ。
逆に待ってましたと言わんばかりの返答に桜花はそういう人種なのかと認識される。
「同じ組織の人間で隠すことなんて何もないし、アンタはいい訓練になりそうなのよね。
っていうかこの前倒せなかったから倒したいんだけど」
それを言えば影浦も同じだ。桜花に逃げられたおかげで仲間を失いかけた身である。
一度ケリをつけるという意味なら彼女の提案は賛成だ。
ただ彼女の言い方は気に入らない。
訓練になりそうということは桜花は影浦をただの通過点にしか考えていないのだ。
確かに影浦の上にも強者はいるが……苛立ちを感じるのはやはり彼女が気に入らないからだろう。
この前倒せなかったから倒したい?上等だ。
寧ろこちらが倒してやる――というのが影浦の本音である。
言葉での言い争いや暴力よりもランク戦で勝負する方がいろんな面倒事がなく手っ取り早い。
「上等だ、来いよ。ゾエの借りをかえさせてもらう」
「今は無理よ。私トリガーないもの」
「……」
桜花がトリガーを今は所持していないことを知っていた。挑発に乗ってもどうすることもできないことを解っているはずなのに……おかげで桜花に今はできないと断られてしまいそれまで昂っていた桜花打倒は見事に折られてしまった。これを狙ってのことならまんまとやられたということだ。
本当に何をしたいのか分からない。
影浦は本気で桜花をぶん殴ってもいいのではないかと思った。
否、殴ろう。
この際ポイントが減らされても構わない。
拳を握りしめる影浦の次の行動を読んでなのか背後から何の気配もなく近づいてきた者のせいでその機会を失った。
「かげうら先輩と桜花さん。珍しい組み合わせだなー実は二人とも仲が良いのか?」
「んなわけねーだろ。俺はコイツが嫌いなんだよ」
「そう?私は結構アンタのこと好きだけど」
「……今度は何を企んでる」
「別に企んでなんかいないわよ。純粋に仲間想いでそこは好感が持てるって言ってるだけじゃない」
「言ってねーよ」
「そうだった?でも私のこと気に入らないのってそういうことでしょ?」
「うん、確かにかげうら先輩は優しいぞ。この前お好み焼き奢って貰ったしお菓子も貰ったな」
「あー後輩に優しいタイプ?見た目と評判だけで判断できないものね」
「空閑余計なこと言うな。テメェは黙ってろ」
「おれは事実を言っただけだぞ?」
「そうね私も思ったことを言っているだけよ」
影浦は頭を掻いた。桜花一人ならまだしも流石に可愛がっている後輩である遊真の目の前で暴力沙汰は遠慮したい。
苛立ちも通り越して呆れるしかなくなった。影浦は盛大な溜息を吐き心を落ち着かせることにした。
「いろいろと都合がいいし復帰の第一戦目は影浦とするわ。リハビリに丁度良さそう」
「……このクソ女」
影浦は舌打ちをした。
「付き合ってられるか。空閑もこいつに用がねぇなら早く立ち去るんだな」
「うん、そうする」
遊真は影浦の言葉に素直に頷いた。
その顔を見る限り遊真は桜花に対して特別に向けている感情はないらしい。
普段から読みにくいところはあったが敵とみなした相手を見る時の目つきを知っている影浦からすればそうなのかどうかが全てだ。
加えて名前で呼ぶところを見ると仲はいい方なのだろう。
遊真の人付き合いに口を出す気はない影浦はそれ以上口を挟まずかわりにこの場から離れることを選択する。
先程からブースの出入り口辺りから向けられている視線にそろそろ相手をするべきかと影浦は振り返る。
目に入ったのはおさげの少女。影浦の記憶では今まで何も接点がなかったはずだ。……とすれば相手が一方的に影浦に何かあるのだろう。
少女ということを考えると自分に畏怖を感じているのが最もそうな理由だサイドエフェクトが受信したものはそういった類のものではない。ならばわざわざ相手にする必要もない。影浦が桜花から少し離れると同時にサイドエフェクトが少女から受信したのは安堵だった。
なんとなく分かりそうで分からない。
少女のことを考えるのが面倒だった影浦は全ては桜花のせいだと思うことにして片づけた。

影浦が離れたタイミングで遊真は桜花に声を掛ける。
「かげうら先輩はそんな露骨にしなくてもランク戦してくれるぞ?」
「ただランク戦するより敵意を持った人間とやった方がいいでしょう?」
「相手の雰囲気に呑まれないとかいう奴か?今更桜花さんにその訓練が必要なのか?」
「平和ボケしたくないじゃない」
「ふーん」
遊真は会話の内容に左程興味がないのか適当に返事をした。
周囲の注目が集まっているのを感じながら遊真は言う。
「おれ達はもう帰るから騒ぎを起こす必要はないぞ」
「そんな面倒なこと私がする必要ないでしょ」
「戦うことを決めたのはアオバだからな。そこまで面倒をみる必要はないと思うけど……それよりかげうら先輩のサイドエフェクト肌に刺さる感じで痛いらしい。
あまり振り回すのは止めてほしい」
「あ、そうなの?悪いことしたのね……でも振り回すには都合が良いのよね」
「桜花さんは少し建前を使うことを覚えた方がいいんじゃないか?」
「アンタを目の前に建前を使っても意味ないからよ」
「確かに。でもおれは他人の悪意を全て肩代わりするのは不可能だと思うぞ」
「そんなつもりはないわよ。ただ邪魔する奴がムカつくのよ」
桜花の言葉に遊真も解るところがあったのか肯定も否定もしなかった。
自分も友達でありチームメイトである三雲修や雨取千佳に敵意を向ける者がいれば容赦はしない。
桜花にとってそれが春川青葉になるってだけだった。

少し前のランク戦ブース。
ランク戦を終えて部屋から出てきた青葉。彼等は攫われた人間が戻ってきたことに興味があった。戻ってきた人間が自分の命のために先の大規模侵攻で敵として立ちはだかったことにどうしようもない感情を持て余していた。青葉に向けられたものは悪意と同情。それが全体に広まる前に桜花と影浦の言い争いが目立ったため周囲の目はそちらに向いた。
巻き込まれた影浦はただの被害者だ。
「桜花さんほどほどに、な」
「まぁやれるようにやるわよ」
遊真は返事を聞くととことこ千佳に夏目出穂、そして青葉がいる方へ向かって歩いて行く。
その後ろ姿を追うように桜花は遊真の向かう先を見て再びランク戦ブースを映し出すモニターに目を向けた、


20171013


<< 前 | | 次 >>