近界と玄界
戦果を持ってくる男

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近界民大規模侵攻、三門市防衛戦はこれにて終結した。
戦績及び被害状況の報告が今回報道する内容だった。
そして…世間一般どころかボーダー内部でも公開していない情報があった。

第一次侵攻で行方不明となっていた人間が戻ってきた。
正確には連れて帰ってきた…というところなのだが、ややこしくなるため戻ってきたということになっている。

最初は皆、騒ぎに紛れて捕虜が脱走したと思っていた。
それを迅が捕え(しかも今回攻めてきた近界民も捕虜にしている)本部に戻ってきたところで、
迅から彼女が近界民ではないことが告げられた。
近界の兵士を連れ帰ったのに、何を言いだすのかとざわついたが、
桜花があっさりとトリオン兵に捕まり、連れて行かれた先で兵士として生きてきたことを明かした。
虚偽の発言がないか確認するために、
最近、嘘発見器となりつつある遊真が桜花の発言を聞き、嘘ではないことを証明。
因みに捕まった人間はその国によるが、大体は大事に扱われれ、
桜花の言う通り兵士になることも例外ではないことが伝えられる。
更には嵐山までもがその真実性を後押しした。
彼女が口走った「コウモリマンション」は今から七年前に小学生の間で流行っていた言葉だ。
それはとある事件が原因で、皆、口々に言うのを止めてしまった。
その世代しかしらない、かなり限定された身内ネタだった。
だから彼女がこちら側の人間で間違いないと言う嵐山の隣で、
時枝が冷静に訓練生の保護、トリオン兵撃破への貢献…彼女の功績を報告した。
彼等の報告や意見を踏まえて再び風間による尋問で、
何故答えなかったのかと桜花に問えば「聞かれなかったから」と返ってきた。
彼女自身、監禁されている間、
この世界が自分の故郷だと知らなかったわけだからしょうがない。
彼女の発言を迅や遊真は見ていたが、遊真のサイドエフェクトは反応しなかったことで、
本当のことだと判断された。
結論、桜花は近界民ではなく元はこちら側の人間だということが確定された。
太刀川が連れて帰って良かったでしょと主張し、
ある人物から蹴りを入れられたのは全く別の話だ。
そこから彼女の名前や状況を聞き、行方不明者リストに検索を掛けて調べ始めた。

第一次侵攻行方不明者リスト


明星桜花
年齢:15
性別:女
職業:三門市立第一中学校3年生




データベースから見つかった情報だ。
桜花が言っていた情報に相違はない。
向こうでずっと戦争ばかりで時間間隔がないという彼女のために、
あちら側にいってから既に四年の月日が流れていることを伝えると、
桜花は自分は19歳なのだと知った。

行方不明者が戻ってきた。
それは世間を揺るがす大ニュースではあったが、
公にするには些か問題があった。
今度行われる記者会見で問われる事への対応。
アフトクラトルを捕虜にした対応。
あげれば色々出てくるが、
一番の問題は明星桜花の存在自体だった。
生きるためとはいえ桜花は近界で兵士をしていた。
攫われる者はトリオン量が多い者だ。
そこは既に分かっている。が、
彼女の場合、戦えるという点が危険視された。
何せ訓練用トリガーで新型のラービットを倒す腕前だ。
素直にボーダーに所属すれば良し。というところだが、
正直な話、上層部は桜花を信用していない。
尋問中の素行にも難癖つけた者もいたが、他にも懸念点があるようで、
近界民に洗脳されてないか、スパイではないか…と疑いだしたらきりがないような内容がたくさん出てくる。
仮に大丈夫だとしても、
こちらの日常生活に本当に戻れるのか、戻しても問題はないのかと危惧された。
前例がないからこそ、慎重だった。
ボーダーはこれ以上株を下げる要因を作るわけにはいかなかった。
完全に大人の事情だ。
結論が出るまではこの部屋にいろと言われ、監禁生活に戻ることになった桜花。
前と違うところは尋問されないことだろう。
こうなることを想像していなかったわけではないが、
未来視できる男が便利を図ってくれるのではないかと桜花は思っていた。
しかし、彼女は知らない。
その男は信用はされているが、
近界民が絡むと信頼が極端に低くなる微妙な立ち位置にあることに。
また、上層部…いや、ボーダーの大半が、近界民に恨みを持っていることも知らなかった。
近界では当たり前の事がこちら側ではそうではない。
考えればすぐに分かりそうなことが、
考え至らなかった。
近界の生活に慣れないと生きていけなかった桜花は、
適応するために考え方も近界と同じように染まっている。
太刀川が自分を捕虜にしたのも、
この国の兵士、もしくはトリオン貯蔵するための何かに取り込まれると考えていた。
近界ではそれが普通であり、所謂常識というやつだった。
だからこのままでは自分の命が危ないかもしれないと、
逃げる機会を伺っていた。
こちら側の世界では近界民の捕虜は初めてで、
彼等の待遇をどうするかは決まってるようで全く決まっていない。

桜花の扱いが捕虜から保護に変わって、
一つ…いや二つ程困った事があった。

一つは堂々と勧誘できると意気込んだ来客の相手だ。
兵士になれ、そうすれば命は保証する。
そう言ってくれれば割り切って楽なのに…それができなくて桜花は鬱陶しく感じていた。
「そんだけ強かったらやっぱお前ボーダー入った方がいいって」
顔は飄々としているが声は真剣だ。
今日は太刀川が桜花の話し相手もとい、ボーダー勧誘をしていた。
「っていうかお前19歳なんだってな。
俺の1つ下じゃん」
太刀川の発言に1つだけ年上という事実に複雑な気持ちになった。
迅も彼女が同い年だと知ると、さん呼びから呼び捨てに変わった。
彼等はそんなに暇なのかと桜花が思うのもしょうがないだろう。
それよりもさっさとこの状況を何とかしてほしいと迅に抗議すれば、
彼は堂々と笑ってごまかした。
迅が捕虜にした少年を玉狛が担当することになったことから、
若干、派閥問題が出てきているらしい。
連れ帰ったのが太刀川だということと、
今後、攫われた人を救助した時のためのテストケースとして。
また、上手く利用できるならメディア展開してボーダーの株上げに直結させるという企みもあり、
最初にあげていたリスクとは別にリターンも考えていた。
…結局桜花は大人の事情に振り回されているだけである。
派閥問題までは流石に桜花の想像範囲外なので、正直大人しくしているしかない。
その間、こちらの暇潰しに付き合うために来訪してくるのかもしれないが、
ちょっと桜花は疲れていた。
恐らく尋問されていた方が気が楽だったに違いない。
膠着状態が続くが、それでもここにいなければいけないというあからさまな理由がある。
それに若干救われているのも事実だった。

逃げ出す必要がないからできた暇な時間。
時間があるとつい考えてしまう。

――解放されてどうする?

以前暮らしていたような日常に戻る。
それは昔、望んでいた夢だった。
しかし、帰ることを諦め、
昔見た夢を忘れるために戦い続けた自分がその夢を想像した時に無理だなと思ってしまった。
戦争は好きではない。
だけど自分が武器を捨てるなんてありえないと思った。
それ以上に武器を手放すことが凄く怖い。
生死を分ける戦いは嫌いだが、
武器を持たない=死を待つだけという考え方を持つようになった桜花はもう戦いの中でしか生きていけない。
そう結論が出てしまった。
だからといって目の前の太刀川に返事をするのはなんだか癪だった。
人間は面倒な生物だ。
…と軽く現実逃避をしていた。
桜花はため息をついた。
「お、何?身体動かせなくて退屈か?」
「…そうね」
「大丈夫だって。忍田さん頑張ってくれてるし、もうすぐ出れるんじゃね?」
「…そうね」
「お前、人の話聞いてる?」
「…そうね、聞いてないわ」
「おい」
太刀川は少し困ったような素振りを見せる。
大体、太刀川とのやり取りはこんな感じだった。
これはまだ良かったのかもしれない…と桜花は思う。
彼女の困り事のもう一つは迅が連れてきた男にあった。


扉が開く。
桜花はその姿を見て枕を投げつけた。
勿論今回も迅にダメージはなかった。
「桜花、日本の挨拶忘れてる?おれ、教えてあげるよ」
「白々しいわね、ダメ男。
まだここにいないといけないんでしょ?何しに来たの?」
「いやー状況の呑み込み早くて助かるよ。
まだお偉いさんが悩んじゃってるみたいでさー」
桜花は迅を睨みつける。
これもいつものやり取りと化していた。
「今日は桜花に会いたいって奴がいてさ」
「物好きね。誰」
言うと入ってきたのは迅と同じくらいの背格好で黒髪の青年だ。
此奴、戦争中に会ったな…と桜花はぼんやり思った。
「迅から話を聞いた」
言うと青年は桜花の手をとり、ぶんぶん振りながら、
今まで大変だったなと労いの言葉を掛けてきた。
戦場では爽やかな感じだったから戦争とは無縁な人間だと想像していたが、
それ以上に勢いというか…熱意が凄かった。
「嵐山ー桜花引いてる引いてる。
まず自己紹介しなよ」
「お、それもそうだな。
俺は嵐山准。迅と同じ19歳だ」
背格好、年齢も同じでこうも中身が違うのかと、
桜花は迅と嵐山を見比べた。
それに気づいていない嵐山と気づかないふりをする迅はそれだけでも対照的だった。
とりあえず自分も自己紹介をする。
それでなんで此奴を連れてきたのと迅を睨む。
「直接お礼が言いたいんだってさ」
「お礼?なんの?」
言うと嵐山は直ぐに反応する。
「隊員と民間人を護ってくれただろう?」
桜花は首を傾げた。

嵐山の話はボーダー基地から始まる。
角付きが基地を襲撃した時、
捕虜という身でありながら非戦闘員を逃し、角付きを諏訪隊の前まで誘導した事。
外に出てトリオン兵を倒し、訓練生を保護し、市街地への被害を抑えた事。
それらに対して直接お礼が言いたかったらしい。
確かにそれらは桜花の行動により事実になったものだ。
しかし真実というものは事実とは違う。
基地に角付きが侵入した時は、これを機に脱出しようとしただけだ。
たまたま遭遇した角付きから身を守る為には武器が必要で、
戦っても生存率が下がるだけなのが分かっているから逃げた。
その先にボーダー隊員がいただけだ。
訓練生を助けたのだって、
戦闘慣れしていないのは動きを見て明らかだったので、
武器となるトリガーを奪えるのではないかと邪な考えがあったからだ。
…少しくらい、見捨てるのは後味が悪いと思ったのも事実ではあるが、
桜花の考えとは不一致だ。
トリオン兵を倒し回ったのだって、
この世界が自分の故郷だと知ったうえで、
自分に害を与える者を排除するという考えと迅の伝言の利害が一致した。
理由はいくらでもあげられるが、
本当は戸惑う自分をどうすればいいのか分からなかったから、
目の前の敵を斬ったにすぎない。
自分が生き残るためにはどうすればいいのか本能に従っただけだ。
助けるつもりは毛頭なかった。
別に勘違いされるのはいい。
その方が桜花にとって好都合だ。
だけどわざわざお礼を言いにくる嵐山に桜花は理解できなかった。
「嵐山が言いにくる必要性を感じないんだけど」
「はは。木虎にもそんなこと言われたなー」
新しい人間の名前が出てきた。
木虎って誰だ。
桜花の顔にそう書いてあるのか、
迅が嵐山のチームメイトだとフォローする。
「でも伝えたいことがあったんだ」
「何」
「桜花が保護してくれたC級隊員だが、
新型を相手に実体で接触したということだったから検査したんだ」
その言葉を聞いて桜花は動きを止めた。
実体での接触なら自分も無関係ではいられない。
自然と桜花の聞く態度が変わる。
「外傷もなく、トリオン器官の損傷もない。無事だった。
それを伝えたかったんだ」
嵐山の前振りに何か異常があったのかと思ってしまった分、
彼が問題なければ自分も問題はないだろう。
報告を聞いて桜花はほっと胸を撫で下ろした。
気絶した本人はその時の記憶が曖昧らしく、新型との相対で気絶したと思っているらしい。
その方が自分には都合がいいので、真実を言う必要はないと桜花は判断した。
桜花を見て、嵐山は彼女がC級隊員を心配していたと勘違いしたらしい。

今思えばこれが桜花の失敗だった。

安堵するまでのこの一連の流れが、
素っ気ない態度を取っているが、他人を助ける思いやりを持ついい人と嵐山は認識してしまった。
自分の隊にいるツンデレ少女も若干その気があるので同じような感じで見えるのだろう。
そうなるとは思っていなかった桜花は、
目に見えて分かる変化にどうすればいいのか戸惑ってしまう…いや、ドン引きした。
ちらっと迅を見ればこの男。
笑い声は出すまいと堪えてはいるものの、憎いくらいのいい顔で笑っている。
こうなる事が分かってて連れてきたのだと確信した。


「はぁぁ」

桜花はため息をついた。
いや、もうつくしかない状態だ。

安らげる場所が欲しい。

それは常々思っていたことではあるが、
いざ手に入れられるところまでくると素直に選べない自分がいた事に気づいた。
気づくとは思ってもいなかった。
今まで通りの暮らしに戻りたい。
そんな願いは元の世界に帰ってきておかげで無理だという事が分かってしまった。
それはそうだ。自分は成長した。
戦いを知った自分が元通りになんてできるはずがない。
時間は戻らない。
当たり前のことだった。
元の世界に帰りたい、元の生活に戻りたいという願いを捨てるかわりに、
そのまま進み続けるしかなかった。

扉が開く。
「処遇が決まった。出ろ」
風間に言われて桜花は素直に従った。
ここからまた、桜花の戦いが始まるのである。


20150505


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