現在と未来
動揺のかけら

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戦争が終わっていろんなことがあった。
そう一言で片づけるのは簡単だった。だが現実は全く簡単ではない。とても難しいと桜花は思った。
今まで都合が悪くなれば逃げれば良かった。
聞こえは悪いが逃げることは別に悪いことではないと桜花は思っている。何せ逃げるのはそれなりに覚悟と行動力が必要なのだ。
逃げ癖がついていると指摘されても構わない。今までは生き延びるために必要なことだった。だが今回は少し違う。自分でこの場に残ることを選択した。あとは只管進み続けるだけ……なのだが、それが意外に難しい。
何が難しいのか。それは今まで親交があった人間との距離とでもいうのだろうか。
嫌われているなら話は簡単で諦めるかまたは改善するように努力するしかない。
しかし相手が自分に向けているのは信頼。今までと変わらない。なのに何故困惑してしまうのか……答えは一つ。
桜花の中で何かが変わったのだ。
はっきりと口にできる何かではない。だからこそどうすればいいのか分からず考えてしまう。
今まで自分はどうやって接してきたのか思い出そうとするが特に何も考えていなかったので参考にならず余計に桜花の頭を悩ませることになる。
桜花の悩み……それは嵐山准との距離である。

勿論距離とは物理的なものではなく精神的なもの。桜花は今まで戦ってきた中で仲間との間に戦友と呼べる程の絆を持ったことがあった。
日常生活において友達と呼べるような人間関係だって築いてきた。その中で助け助けられという出来事は普通に経験してきたがどれも今のように相手との距離に悩むことはなかった。
今回悩む原因として考えられるのは唯一つ。桜花が近界民に攫われる前に嵐山と逢っていることだ。しかも一度手を引いて一緒に逃げてくれている。何の力を持たないただの子供がだ。
下手をしたら殺されるかもしれない状況。大の大人だって我が身可愛さに自分を守るのに必死で逃げていたのに子供だった嵐山が見知らぬ他人を助けた。
それがどれだけ凄いのか桜花に分からないわけではなかった。
結局自分は近界民に攫われ、どうして自分がこんな目に遭うのかと自分のことしか考えられなくなっていた。
助けようとしてくれた人間がいたことを忘れ、助けて欲しい時に誰も助けてくれないと自分勝手な感情で今まで生き延びた。勿論その考えが間違っていないわけではないと今でも思っている。いざという時自分で何とかする力がないといけないのは向こうの世界で嫌という程味わった。それでも忘れてはいけない大切なことを、目を逸らしてはいけない宝物がそこにはあった。
それは忘れてはいけないことだった。

嵐山は覚えていた。自分が助けられなかった少女のことを。
そして今も諦めず彼女が生きていることを信じ助けようとしている。

桜花はその事実に震えが止まらなかった。
赤の他人にずっと信じて貰っているなんて誰が想像できるだろうか。
ずっと心の奥底に閉じ込めていた少女の時の気持ちが嬉しさで叫び出しそうになっている。
私はここにいる。帰ってきた。もう大丈夫。ありがとう。
いろんな言葉が思い浮かんできては伝えてどうする気なのか自問自答する。結局分からず桜花は自分の胸で燻る気持ちに慌てて蓋をした。自分の胸が締め付けられて苦しい。
こんなことは初めてだった。
冷静に考えれば嬉しかったその気持ちを押し殺さなくても良かったはずなのにその場の状況か自分の意地が邪魔をする。
一度塞いでしまえばどうやって再び開ければいいのか分からなくなった。
今更嵐山の記憶にある少女が自分で、もうこちらの世界に戻ってきているなんて告げるのは遅すぎる。
完全にタイミングを逃していた。
ならば開き直ってあの少女を助けたいと願っているなら精々頑張れと他人事のように振る舞ってしまえばいい。なのに割り切ってしまえないのは少なからず罪悪感を感じているのか。
それとも告げなければ嵐山はずっとその少女のことを考えてくれる。その事実が嬉しいのか。そうだとしたら随分歪んでいるなと思う。
未だに分かっていない自分の気持ち。だからこそ動けず悩んで立ち止まってしまっている。今までの自分はどうしていたのだろうか。何度も何度も考えるくらいに桜花は相当悩んでいた。
「……らしくないわよね」
「何がだ?」
突然返ってきた言葉に桜花は驚いて反射的に殴ろうとした。
しかし踏みとどまったのは無理に動けば後から痛みが襲ってくることへの心配。同時に目の前にいる人物……噂の
嵐山が攻撃対象ではないと身体が反応したからだ。
流石に何の理由もなくボーダーの顔を殴るわけにはいかない。よく持ちこたえたと自分を褒めてやりたいくらいだ。
「びっくりさせないでよ。危うく殴るところだったじゃない!」
「そんなつもりはなかったんだが」
しゅんとまるで捨てられた子犬のような顔をする嵐山に調子を狂わされて桜花は掻く。
「……私割と理不尽なこと言ってるんだけど」
「ああ、分かってる。桜花らしいよな」
「なにそれ、私ただの自分勝手な人間じゃない!」
「はは」
「……」
桜花は絶句した。コロコロと変わる無邪気な表情に何故自分がこんなにも振り回されないといけないのだろうか。
しかも嵐山は桜花を自分勝手な人間だと思っていることを知り……その通りなのだが複雑な気持ちになってしまった。桜花は余計に自分は何をしたいのか理解できず混乱するばかりである。
自分の心情を悟られないようにする。
それがせめてもの抵抗であった。
「で、何か用なの?」
「特に何もないが」
声を掛けてきたのだから何かあるかと思ったがどうやらそういうわけではないらしい。
だったら声を掛けなければいいのにと桜花は思った。
まだ自分の中で整理がついていない。そんな状況で接触されても困るだけだった。
嵐山は桜花の気持ちを知らずに言葉を続ける。
「ただ元気がないなと思ってな」
「元気がない?私が?」
先日、上層部に呼び出され事を荒げるなと説教を喰らったばかりだ。そして風間にも怪我人は怪我人らしくできないのかと言われた……どう考えても元気の塊である。そんな自分が元気がないとは……嵐山の目に自分がどう映っているのか不安になってくる。
「ああ、どちらかというと悩んでいる……いや追いつめているように見えたから」
益々聞き捨てならない。自分が何を好き好んで追いつめる必要があるのか。全く理解できず桜花は嵐山を見つめ返した。
「桜花も自分で背負い込む節があるからな」
「……そんな面倒なこと私がするわけないでしょ?」
「そうか?」
桜花の言葉に嵐山は少し考える素振りを見せた。恐らく桜花の言葉に納得していないのだろう。別に納得して貰わなくてもいいか……と考えて桜花はすぐに考えを改める。
もしかして嵐山の中で桜花はなんでも引き受ける便利屋だとでも思っているのだろうか。
確かに面倒事はよく舞い込んでいるような気がするが別に好き好んで引き寄せているわけではない。
しかもその面倒事を持ってくるのはボーダーで目の前の男もその一人である。こんな振り方をされてしまうともしかして何か押し付けようとしているのではないかと勘ぐってしまう。
「言っておくけど私面倒なこと嫌いなの。絶対巻き込まないでよ!」
「ああ」
桜花の必死な形相が可笑しかったのか嵐山は笑いながら桜花の頭を撫でた。そうすることが当たり前かのようにさらりとやってのけた一連の流れに桜花の口から間抜けな声が出た。
「なん、で……」
口に出掛けた文句の言葉は嵐山と目が合った時に消えてしまった。
(この目は……)
同じ年だと感じない真っ直ぐで透き通るような目。純粋と評することができるそれから嵐山の本心を探ることが桜花にはできない。
(知っていたはずでしょう!嵐山が真っ直ぐなことは!)
理想を現実にできてしまう真っ直ぐな青年。揺らぐことがない瞳には下心も打算的な考えも何もない。仲間として純粋に桜花を心配している。それ以外に考えられないくらい嵐山の目は今まで桜花が対峙してきたような人間が持っていたそれを感じさせない。
自分が優しいと思ってもらいたい。いい人だと思われたい。仕事として接している……なんでももいいから誰もが持つ下心や建前があれば良かった。そういう人間の相手をするのは気が楽だ。桜花はそれに合わせて行動するだけでいい。なのに――……
(何よそれ、狡いじゃない!!)
見返りを求めない人を今まで見たことがあっただろうか。
少なくても桜花はない。自分が今所属しているボーダーだって桜花に利用価値を見出しているからこそ置いてくれている。自分もそれが分かっているからこそボーダーに応えている。
普通はそういうものだと桜花は思っている。だから思った。
嵐山を目の前にすると混乱するのは今まで自分がそういった類のものと接してこなかったからだ。未知なるものに不安を感じるのは致し方ない。だから自分が嵐山に感じている何かはそれが原因なのだと結論付けた。
そう。そうでないと困るのだ。
でないと原因不明の何かに捕らわれて抜け出せなくなるのだから――。
いい人に免疫のない自分は心からの善意にどう接すればいいのか分からない。
ならば耐性をつけるしかない。解決方法はまだ見当がつかないためこればかりは時間が経つのを待つしかないのだろう。
心の奥底から厄介だと思った。

「嵐山」
「なんだ?」
「こういうの無暗にしない方がいいと思うわ」

桜花は自分の頭に乗せられている嵐山の手を払いのけて言い放つ。
対する嵐山はどうしてなのか意味が分かっていないのか瞬きをする。どうしてなのか――と問われても困るので桜花は先手を打つ。
「私には不要よ」
善意だけはいらない。なら何ならいいのか――自分でも分かっていないものを人に言うのはどうかと思うが別にいい。
今はまだ分からない何かに胸の中を掻き回され続けるつもりはない。だけどせめて自分の気持ちに整理がつくまで何もしないで欲しいだけなのだ。
桜花は勢いよく歩き出した。目的地は……特に決めていないので適当に進もう。そう決めて足早に前へ進んでいく。


◇◆◇


「桜花ちゃんいつからそんなことになってたの?」

嵐山から少し離れたところで桜花は呼び止められた。無視しても良かったのだろうがそうすると後々面倒なことになるので立ち止まった。
「加古さん見てたの?」
悪趣味だとぼそりと呟いた桜花に対して「そんな素敵な趣味はしていないわよ」と加古望は優雅に笑って見せた。
「それより……」
にこりと微笑んでいるだけなのに背中に悪寒が走る。
加古はとんでもないことを考えている。桜花にはそうとしか思えなかった。何せこの顔は例えて言うならば好奇心満点炒飯のレシピを思いついた時によく似ている。
「知らなかったわ、桜花ちゃんが嵐山くんを好きだったなんて」
「……は?」
加古の爆弾発言に桜花の思考は停止する。

誰が誰を好きだって?

脳内で再生されるが思い至らない。桜花の反応を見て加古はダメ押しにもう一度言う。
「だから桜花ちゃんが嵐山くんのこと好きってことよ」
「………………は??」
加古が言っている好きの意味は理解した。しかし自分が嵐山に対して恋愛感情を持っているなんてどこをどう見たらそう捉えられるのか理解できない。
「何を根拠に」
「まさか無自覚なの?あなたも可愛い所あるのね」
言うと加古は先程嵐山がしたように桜花の頭を撫でる。
「嵐山くんにこうされていた時のあなた顔が赤かったわよ」
「嘘――」
「じゃないわよ。現に私がしても赤くならないしこの行為に慣れていないとかそういうわけではないんでしょう?」
言い訳なんて許さないわよと言われているような気がして桜花は黙るしかなかった。
こんなことになるなら後々面倒になったとしても無視して通り過ぎればよかったのだと後悔した。
「これは……そんなのじゃない……」
「じゃあどういうことなのかしら?」
逃げようと加古の手を振り払い後退りする桜花を逃すまいと加古が気持ちいいくらいの笑顔で歩み寄ってくる。
「さあ、詳しい話を聞かせてもらうわよ」
「話すことなんて何もないわよ」
「私にはあるのよ。さあ行きましょう」
「ちょっと!!」
加古は桜花の手を掴み歩きだす。桜花は抵抗するが相手はトリオン体。力で勝つことなどできるわけなく引き摺られていく。

この後、加古隊の作戦室でガールズトークという名の激しい攻防が行われることなど誰も想像はしていなかった。


20171030


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