現在と未来
仲間のかけら

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「あの……」

桜花を呼び止めたのは見知らぬ顔の職員のはずだ。
特定の戦闘員しか顔見知りではない桜花は頑張って思い出そうとするがやはり思い出せない。そんな桜花の様子が分かったのか職員は笑う。
「初対面だよ」
表情、そして声色から特に気にした様子もないようだ。まぁ、初対面ならば気にするはずもないかと桜花は思い直しもう一度職員の男の顔を見る。
「何か用?」
「特別になにかあるわけじゃないけど――」
言うと男は桜花にトリガーを手渡した。
「これは……」
「護身用のトリガーだよ。ボーダーの規定規則にもあるだろ?
ボーダーに所属している者は非戦闘員であろうとも本部内にいる限りは緊急時に備え必ず護身用トリガーを所持するように。
謹慎されているとはいえ仮にも君は戦闘員だ。護身用も渡されないのはどうかと思ってね」
「なーんだ、戦闘用じゃないのね」
「流石に、ね」
「アンタが申し訳なさそうな顔しても仕方ないでしょ。悪いのはいつまで経っても渡してくれない上の方だし」
「はは……元気なのもいいけどほどほどに」
未だに戦闘用トリガーを返してくれないのは不満でしかない。隠すこともなく大っぴらに言っていることではあるが……桜花はじっと男の反応を見る。どうやら今の言葉は聞き流してくれるらしい。
「じゃあ念のために貰っておくわ」
「ああ、そうしてもらうと助かる。何かあってからじゃ遅いからな」
「それには同意だわ」
言うと桜花は男が差し出したトリガーを手にし、懐にしまった。
「じめじめするわね」
「もう夏だからね」
「そうね」

そう、季節はすっかり夏になっていた――。


◇◆◇


蝉の鳴声が木霊する。その辺のコンビニで買ったアイスを食べながら桜花は三門市を歩いていた。
「鬱陶しいわね」
それは蝉の鳴声に対してであり、暑さに対してであり、滴る汗に対してであった。
長袖長ズボンで出歩いているのだから暑いに決まっているだろうと突っ込まれそうだが、一応夏物なので季節感を間違えた服装ではない。ただ只管暑いのだ。腕まくりしないのは桜花にはしたくてもやりたくない理由があるからだった。
傷だらけの自分の身体を桜花は見たいとは思えないのだ。
自分が思わないのだから周囲はもっと思わないだろう。
ならば暑くても我慢するしかない……のだが、心なしか体力がどんどん奪われているような気がする。
悪足掻きだといわんばかりに水分補給とアイスを食べて自分の体温を下げるのに忙しい。
そんな中、事件は起きた。
三門市のど真ん中にトリオン兵が現れたのだ。
(ついていないわね)
先程まで暑くて考えることも放棄していたくらいやる気がなかった桜花だが目の前の出来事に頭はどんどん冷静になった。
トリオン兵が立ち入り禁止区域以外に出現するのは稀だ。戦闘用トリガーを持っていないため速攻することもできない。一応ボーダー隊員である自分がやらなくてはいけないこと。そして自分ができることを考えてみたがあまりない。
さてどうしたものか……。
そんな桜花の考えとは逆に市民達の反応は俊敏だった。「近界民だ」という叫び声と共に慌ただしく逃げていく。混乱していないわけではないのだろうが逃げていく先、他の住人への声掛けを見る限りよく訓練しているのだろう。以前自分が体験した時に比べると段違いの動きに少し驚く。流石は近界民が出現する町として有名な三門市だ。いい判断だと思う。
感心している桜花に向かって我先にと逃げている市民のうちの一人がぶつかる。その反動で桜花の手元からアイスが落ちた。
逃げている市民に非はない。分かっている。人にぶつかっておきながら誤りがないのもこの非常事態だから仕方がない。分かっている。
「……本当についていないわね」
桜花は落ちたアイスを見ながら自分が持っているトリガーに手を伸ばした。未だ謹慎が解かれていない桜花が所持しているトリガーは非戦闘員に配布されている護身用トリガーだ。トリオン体に換装はできるがそれだけで護身用の武器等装備されていない。殺されたとしてもトリオン体が破壊されるだけで生身に戻る……一度だけなら身の危険を回避することができるものだ。
本来なら市民を避難させるために誘導するのが今桜花ができるボーダーの仕事だろう。だがそれは自分の役割ではない。これが嵐山隊のように顔が知られているのなら、あるいは換装した桜花のトリオン体が私服ではなくボーダーの隊服であれば効果的だったのだろうが生憎桜花が換装したトリオン体は私服だ。世間に知られていない自分が避難誘導する効果を考えるとそれよりもトリオン兵を引きつけることの方がいい気がした。
幸いなことに出現したのは汎用トリオン兵のバムスター一体とモールモッド二体。特別仕様でなければ時間稼ぎくらいできるはずだ。
一度攫われた経験がある桜花のトリオン量はその辺の市民よりは多いだろう。バムスターは優先的に桜花に狙いを定めるはずだ。そして攻撃専門のモールモッドの注意をこちらに向けるには標的を自分に設定してもらえばいいだけだ。目の前で背中を見せるのではなく攻撃する。目の前にいる人間はただのトリオン供給源ではなく排除しなくてはいけない敵と認識させるために……。
トリオン兵が出現したことでできた石ころサイズの瓦礫の一部を桜花はモールモッドにぶつける。自分を攻撃して何者かを敵だと認識したモールモッドは桜花を追従する。それを確認して桜花は逃げるだけだ。
護身用トリガーとはいえトリオン体であることには違いない。武器を携えていないだけで力も速度もある。トリオン体を操縦するのに長けている者なら機動力だけで云えば戦闘用トリガーと同様に動かすことができるのだ。
「面倒ね」
何が面倒なのか?無論相手を倒す事ができないのがだ。トリオン体はトリオンでしかダメージを与えることができない以上桜花がトリオン兵を倒すことはできない。トリオン兵が自分を追いかけてきてくれているのを確認しながら逃げるのは割と神経を使うのだ。
とりあえず立ち入り禁止区域に誘導すればいいかとモールモッドの攻撃ををかわしながら町を駆けて行く桜花の上空を黒い影が飛んだ。
想像より早い対応なのだろうが逃げることしかできない桜花にとってはこの一言に尽きる。
「遅い」
桜花の声と共にバムスターが真っ二つになる。それと同時に聞こえる呑気な声はこの非常事態にはそぐわない。
「これでも急いで来たんだけど」
黒い隊服に身を包んだ太刀川慶は声と裏腹に目は真剣そのもの。モールモッドは太刀川の目の前とビルを伝い側面上方にいる。太刀川は踏み込み目の前のモールモッド目掛けて突進しながら斬り込む。バムスターと同じく真っ二つになる予定だったモールモッドの身体は分かれることなく逆に太刀川の孤月を弾き飛ばした。それに太刀川は驚きの声を上げた。
「お、意外と装甲硬いな」
若干嬉しそうな声色が入っていたのはこの際言及しないでおこう。弾かれた孤月が自分の手元から離れ上空で舞うのに構うことなく太刀川は帯刀しているもう一本の孤月を抜いた。太刀川の目の前のモールモッドは今度は予定通り真っ二つになる。続いて太刀川の頭上から攻撃を仕掛けてこようとしているモールモッドに気付きながらも太刀川は背後から駆けてくる音を聞いて動こうとはしなかった。足音は消える。それは本人が地面を蹴り飛んだからだ。上空に舞う孤月を手にしたのは桜花だ。
桜花は宙で身体を捻りそのまま太刀川を狙うモールモッドを斬った。斬られたモールモッドの機能は停止する。そのまま落下するモールモッドの身体は側面をトリオンキューブに攻撃され落下方向に修正が入った。落ちたトリオンの塊は太刀川を避けるように落ちていった。
「ちょっと何遊んでるのよ」
「思った以上に硬かったんだよ。本当だぞ?」
太刀川の言葉は先程弾き飛ばされた孤月のことを言っている。その言葉は本心なのだろうがだからといってあれくらいで孤月を手放す様な鍛え方を太刀川はしていないはずだ。
「太刀川さんこの非常事態に遊ぶのは止めて下さいよ。桜花さんも今は戦えないんですからちゃんと逃げてください」
太刀川のチームメイトである出水が二人の近くに着地する。言わずもがな、先程のトリオンキューブで攻撃したのは出水だ。
チームメイトである出水が言う通りあの孤月は太刀川がわざと弾かれてみせたのだ。何のためなのか理由は説明するまでもない。
「今は非常事態でしょ?少しでも早く敵を倒した方がいいじゃない」
「そうそう。腕は鈍ってないみたいだな」
「汎用型相手に後れを取るわけないでしょ」
剣を握る感覚がとても懐かしく心地よい。
戦争は好きではないと言う桜花だが戦うこと自体は嫌いではない。戦いが日常の一部と化しているため好き嫌いの感情は存在しない。だがこうやって剣を持つことに安心してしまうのは……いや考えるのは止めておこう。
武器があるなら桜花がやることは決まっている。
ベイルアウトできない恐怖なんてものはない。
ただ目の前の敵を排除するだけだ。
桜花の目つきを見て彼女が何をしようとしているのか察しがついたのか太刀川は嬉しそうにそして出水は諦めの表情を見せた。


◇◆◇


『二宮さん、今そちらに太刀川隊が行きます』

二宮匡貴がオペレーターの氷見亜紀から聞いたのは援軍の知らせだった。
相手はただの汎用型トリオン兵。特に特質したところは見当たらず数もそんなに多くはない。倒すだけでいうなら増援なんて必要なかった。ましてや来るのが太刀川なら尚のこと「いらん」の一言で片づけてしまいたいところだ。だがそうしなかったのはここが三門市で市民がいるからだ。市民の安全を考えるのならば自分の私情は捨てるしかない。
『国近先輩からいつも以上に大暴れする予定なので市民避難誘導をお任せしたいとのことです』
「太刀川さん乗ってるんだ?」
「そうですね」
「ちっ」
続く氷見の言葉に共に任務に出ている犬飼は呑気に相変わらずだなと呟いた。それに辻も同意するが反対に二宮は思わず舌打ちをしていた。
住民の避難誘導、安全確保は大事な仕事だ。それをあの男は忘れているのではないかと二宮を苛つかせる。
国近が事前に告知するということは本日の太刀川のテンションは異様に高いのだろう。別に彼が住民の避難誘導ができないわけではないのを知っているが自分のテンションの良しあしだけで周りの配置を決めてしまうのは太刀川を甘やかすだけなのではないかと思ってしまうが今更だ。ここまできているのならば二宮隊が支援する方が上手く回る。
『来ます』
氷見の言葉と共に現れた門。そこから降り立つ三体の近界民に二宮が対処するまでもなくそのうち一体は現れた太刀川により無残にも斬って捨てられた。
続く二体は次に現れた桜花によって斬り捨てられる。
「……」
二宮の思考は一時停止した。
自分の記憶が確かなら桜花は戦闘用トリガーを所持していないはずだ。なのに彼女の右手には孤月が握られて左手には盾代わりにトリオン兵の装甲を持っていた。
「……どういうことだ出水」
「おれには無理っすよ。あの人達をどうにかするのは骨が折れます」
二人に遅れてやってきた出水は生温かい目で太刀川と桜花を見つめていた。
「戦闘ジャンキーは相変わらずだね」
その場の雰囲気を和ませるためにか飄々としながら犬飼が言うが場は和むどころか凍り付くばかり。辻が指示を仰ぐために二宮達に合流するが彼等から避難してきたことはバレバレだった。
「馬鹿が」
それは誰に対して呟かれたものか問うのは愚問だろう。
「アイツラは後回しだ。犬飼と辻は避難に遅れた者がいないか周囲の確認をしろ。出水もそれでいいな?」
「了解です」
「散れ」
それを合図に三人は散開する為に各々の方向へと地を蹴った。

「なんだーもう終わりか?」
「準備運動にもならないじゃない」

任務を忘れているのか。その場にそぐわない声に二宮は深い溜息をついた。


20171105


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