現在と未来
想いのかけら

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――これは誰かの記憶だった。


再び戦うことを選んだのは自分より年下の女の子。
強いなと思った。凄いなと思った。私も……とは思わなかった。
私が欲しかったのは戦わなくてもいい日々で安寧でありとても穏やかな平凡な日常。
軽蔑してくれてもいい。何を言われてもいい。命を懸けて戦うのは怖い。誰かが死ぬのは怖い。……私には剣は重すぎる。
だから私は――。

穏やかな生活が欲しい。

否定されるかと思った。また戦うことを強要されるかと思った。それは諦めに近かったのかもしれない。正直あまり期待していなかった。
だけど彼等から返ってきたのは自分の想像とは全く違うもの。
「すまない」
何が起こったのか分からなかった。驚いて彼等を見やれば彼等の顔はなんだか哀しそうだった。
「戦わないことを選んだならちゃんと掴み取りなさいよ」
誰かが言う。
私はその言葉に何故か知らないけど涙が零れた――……。


――そう、これは誰かの記憶だった。
誰かの想いであり、願いであり、そして魂からの叫びであった。
彼女の言葉は彼女だけのものではない。
水面に一滴落ちれば広がる波紋のように誰かの心を揺さぶる。
波紋は新たな波紋を作り出す。
それに呼応したのは誰だったのか――。
この時はまだ誰も気付かなかったのだ。


◇◆◇


そろそろ時間だった。

桜花が向かったのはある小さな共有スペース。――といってもしっかりしたものではなく自販機が一台。その隣に休めるように簡素なベンチがあるだけだ。
ベンチに腰を下ろす人間が全くいないわけではないがラウンジや休憩専用の広々とした共有スペースがあるためそこに長く留まる人間は珍しい部類に入る。
動くのも面倒なくらい余程疲れているのか待ち合わせに待っているのかのどちらかだ。既に座っている白衣を着た男……エンジニアは仕事の合間ににここにくることはよくあることだ。
そして桜花はその男に見覚えがある。ここで鉢合わせるのは初めてではないため桜花は不思議に思うことなくそのままお金を入れるとどれにするか悩む素振りを見せた。
「今日、決行する」
聞こえてきた言葉に桜花は勢いよく振り向く。
男は苦笑した。
「相変わらず素直だね」
感情のまま動く桜花に向けて言われた言葉は決して褒め言葉ではない。
分かっている桜花は「仕方ないでしょ」と小声で反論した。
「はは、まぁ腕は信用してるさ」
彼女を宥めるように告げられた言葉。二人の立場や関係がこの短い会話に収縮される。
久々に交わされるこの手の雰囲気に桜花の身体は反応する。
「合図はすぐに分かる」
それだけを言うと男は何事もなかったかのように背伸びをした。
「戻るか」
「エンジニアも大変ね。暴れてみたらスッキリするんじゃない?」
「それは僕の領分ではないよ」
「それもそうね」
「仕事仕事」と言いながら研究室へ戻っていく男を見送って桜花もいつも通りの日常へと戻る。
……といっても大したものではない。ただランク戦ブースに顔を出すだけだ。
なんというかここまでくるのに面倒で退屈で仕方がなかった。
いやこの手の悪巧みに参加してから考えると掛かった時間は短い方なのだろうがそれは性格の問題だ。
事が起こることが分かっている桜花は腹ごしらえにとラウンジに向かう。

手頃なものを適当に買った桜花は空いている席を見つけて座り食べ始めた。
「は――……」
「どうしたんだ?」
思いっきり溜息をつけばたまたま通りかかった遊真が声を掛けてきた。
無言で睨みつければ仲が良くない大抵の人間は避けるものなのだが、彼女のこの手の行動に慣れている遊真がそんな行動をするわけがなく手にしていたランチプレートを桜花の目の前に置いて座った。
「で、どうしたんだ?」
桜花の言葉が来る前に自分から話し掛けそしてマイペースにも食べ始める。
何を言われてももう動く気はないと遊真は主張していた。
それを見て桜花はもう一度溜息をついた。
無論遊真に向けた……所謂嫌味である。
「いつまで謹慎しておかなくちゃいけないのよ……」
苛立ちを通り越して諦めに似た感情で桜花は呟いた。
それに対して返事をできるのは一緒にいる遊真だけだ。事情を知っている分、遊真は割とまともな返事をする。
「キドさんがいいと思うまでじゃないか?」
「それが何時なのかってことよ。はっきり言ってもう無理。私が危険な目に遭ったらどうしてくれるのかしら」
城戸達に呼び出されて軽く一週間は経つ。その間イレギュラー門が開くようになり市民だけでなく隊員達の間で緊張が走っていた。
桜花が言う危険な目というのはまさにイレギュラー門に遭遇したらという話であり既に一度遭遇した経験がある。これを機にいい加減戦闘用トリガーを渡せと毎日のように叫んでは軽くあしらわれるという結果を収めていた。
渡せない理由は唯一つ彼女が謹慎という意味を分かっていないからだ。「反省しろと幼くもない子供に言うこちらの身にもなってくれ」とお小言まで頂戴しているのはある意味凄いのかもしれない。
桜花の怖いもの知らずのやりたい放題っていうここ最近ボーダー内のホットな話題であった。
苛立ちが先行しているが今か今かと待ち続ける桜花とは反対に遊真は冷静だ。
(キドさんも待っているんだろうけどな)
食いちぎるようにハンバーガーを食べる桜花の隣で遊真は呑気のストローでジュースを飲んでいた。
「ま、謹慎でも自由に動けるだけいいんじゃないか?」
「自由?どこが??私は剣を振りたいんだけど」
ぐちぐち言ったり駄々を捏ねているのを隠しもしない桜花の行動は十九歳というには少し……いやかなり幼稚に見える。
同じボーダー隊員である迅、嵐山達を見習ってほしいものだと誰かが呟いていたがあれらが大人過ぎて比べるの間違っていると答えたのは無論桜花であった。
目的があるならまだしも顔も知らない仲良くもない不特定多数のために大人になって行動するなんてこと桜花はできないしやる気もない。何も問題がない限りは自分がやりたいことをやり、自分の害にならない限りは関わらず放置していくタイプだ。
「一層のことグーデターを起こすか近界に亡命するか」
「……割と本気で言っているのが桜花さんらしいな」
「そんなわけないじゃない、冗談よ冗談」
「つまらない嘘つくよね」
「実際思っていてもできないでしょう。対抗するにもトリガーないし亡命に関しては厳しくなっているし」
「桜花さん」
「はいはい」
遊真の言葉に桜花はそれ以上何も言わなかった。
一部の者にしか知られてはいないが約一年前に近界民の世界へ密航されている。情報が漏れることのないようにされているとはいえ迂闊に言葉にするには危ぶまれる。桜花がそれを口にする意図が分からないわけでもないがなかなか際どいと遊真でさえ思う。まあ知られたところで巻き込むか排除するかどちらかを選択すればいいだけなのだが……と物騒なことを考える辺り遊真も同類であった。
桜花としても実際亡命するにはボーダーのトップチームとの対決は避けられないことを考えると遠慮したいところだ。とくに隠密行動に優れている風間隊に追われるなど……考えるだけでぞっとする。密航した鳩原未来や雨取麟児をある意味尊敬したくらいだ。冗談は言うが本気で亡命を実行する気は今のところない。
第三者から聞いたら冗談には聞こえない冗談を言い合いながら桜花はふと視線を逸らす。
視線の先にいるのは最近言い争いが絶えない影浦だ。
桜花は本人は悪友感覚でいるが影浦からしてみればとんでもない。止めろてめぇ殺すぞという奴だった。影浦の口が悪いのは今更なので気にしない。何せ桜花は倍にしてやり返している。
例えば影浦に対して意識を飛ばしてみたり……今回は<遊真と一緒にご飯食べているの羨ましいでしょ>といった感じの優越感だったり相手を少し乏しめるような何か。
影浦のサイドエフェクトが桜花の意識をキャッチすればなんでもいいのだ。凄くくだらないことを飛ばして遊ぶさまは幼稚というしかない。
こんな風に意図的にされることはあまりない影浦にとってその感情が悪意でないとしても不愉快でしかない。
桜花の意識をキャッチしたのか呆れたような顔つきになったので桜花は別の意識を放り込む。
それを受信した瞬間影浦が舌打ちをしたように見えた。
彼の一連の行動を目視していた桜花は笑いながら手を振ってやる。
「遊真、影浦来たわよ」
「む、本当か?」
「かげうら先輩凄く嫌がっているように見えるけど」
「いつもと同じでしょ」
「そうか?」
「そうよ。まぁ何か言われたら今日で止めるわって言っておいて」
「了解した」
「じゃあ邪魔者は退散するわ」
残りのハンバーガーを口に放り込み頬張りながら桜花は席を立った。
せめて全部食べ終わって一息ついてからすればいいのにと遊真は思わなくもなかったがそこはスルーすることにした。
「おい空閑」
背後から呼ばれた声に遊真は振り向かない。勿論食べるのに必死だからというのもあるが……よく知る声の主がこの席に座ってくれるのを遊真は想像していた。
だから別にいいかな――と思ったわけである。
「あの女なんとかならないのかよ」
何を指しているのか察しがついている遊真は具体的に聞く。
「かげうら先輩も大変だな。今日は何を飛ばされたんだ?」
「知らねーよ」
言うと影浦は遊真の予想通りどかっと席に座った。
「……最後に鋭い奴飛んできた」
影浦が言うと遊真は思い出したように言う。
「そう言えば桜花さん今日で止めるわって言ってたな」
「そーかよ」
「うん、一応キドさん達にも伝えておくか」
二人の間に沈黙が落ちる。
暫く経ってから口を開いたのは影浦だった。
「お前よく落ち着いているな」
「そうか?」
「そーだろ。ま、空閑なら分からなくもない……か」
「?」
影浦の言葉に意味が分からないと遊真は首を傾げる。
こういうところは年相応な反応だなと影浦は思う。


ブーブー

何の前触れもなくボーダー本部にサイレンが鳴り響く。
聞き覚えのあるオペレーターの声に隊員達は反射的に耳を傾けた。

『緊急事態発生。緊急事態発生。
ボーダー本部内にて門発生を感知。発生場所は個人ランク戦ブース。繰り返します。ボーダー本部内に門発生――』

「来たか」
「ああ」

言うと既に換装済みの二人は現場へ直行した。


20171123


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