現在と未来
時の反逆者

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迅にとって彼女の存在は特別だった。

桜花の存在を知ったのは遠征チームが戻ってくるほんの少し前のこと。
ボーダー本部で隊員とすれ違う時に見えた遠征チームが捕虜を連れ帰ってきたという未来。その捕虜の顔が見えるということは……考えられることは限られてくる。
近界へ行った時にたまたますれ違ったのかそれともこちら側で会ったことがあるのか。
冷静に考える自分がまるで機械のようだ。
仕事に私情は挟まない。
それは実力派エリートを謳うなら尚更必要なことだ。自分が描く仕事ができる人間はそういうことができる人間だ。
約束したのだ、自分自身に。誰に恨まれても構わないと覚悟も決めたのだ。
何時から口癖になったのか分からない言の葉を繰り返す。何度も何度も繰り返す。自分に言い聞かせるように紡がれた言葉は確かに自分に返ってきた。
予定していた通りの自分。ちゃんと力をつけていった自分に安堵した……のに、どういうことだろう。
捕虜となった彼女を初めて見た時に見えた未来に少しばかりではあるが太刀川を恨んでしまった。
恐らく迅はこちら側で彼女を一度見捨てている。その人物が今日という日まで生きていたのは不幸中の幸いなのか嬉しいことではあったがこちら側の世界で殺されてしまうなら正直こちら側に連れて帰ってきて欲しくなかった。
見捨てたはずの人間が目の前で死ぬところを見なくてはいけないなんて……まるで彼女は恨み言を言うために迅の目の前に現れたようだ。
できることなら助けてあげたい。そうは思いつつも迅はどこかで彼女の死を受け入れていた。
それが尋問を数度繰り返すうちに変化が表れる。
厳密にいえば太刀川が勝手に会いに行った時だろうか。
彼女の未来が動いたのだ。
そこからは面白いくらいに彼女の未来に繋がる分岐点が増えていく。
誰かと接する度に、なにか問題を起こす度に増えていくそれは決していいものばかりではなかった。途中で死亡してしまう分岐だって存在した。だけど迅の予想以上に桜花は生を諦めなかった。死亡フラグをへし折って再び迅と再会した時に見えた彼女の笑う未来を見て迅は覚悟した。
桜花がちゃんと生きていける道筋を整えるのも見捨てた人間の仕事だと。だから彼女を仲間として受け入れたのだ。
なのに桜花は人の覚悟を台無しにするのが得意らしい。割と安全な道を用意したのに自分から危険な目に遭いに行くのだ。本人は自覚していないだろうが何度も何度も死にかけて……なんで生きているのか不思議なくらいだ。
生きて戻ってくる彼女の逞しさに感服を通り越して呆れてしまう。同時に迅に持ち帰ってきたのは安堵と信頼だ。
そうして彼女はこの地点……現在という未来まで辿り着いてきた。
ずっと見てきた迅からすればそれはとても長くて濃い時間だった。だから余計にあの時初めて見た桜花が幸せそうに笑う未来が脳裏にちらつく。
今まで一緒にいるが迅はまだその未来を自分の目で見ていない。
近い未来なのか遠い未来なのか分からない。ただ分かるのはその顔は自分に向けられたものではないということだ。
それでも別に良かった。
迅にとって大切なことは彼女が生き残ったその先の未来――それが見たいだけなのだから。
だから自分がどう思われようが関係ないし桜花の中で何か心境に変化があってもそれはそれで良かったのだ。
そう桜花に特別な人ができるまでは――。



「もう駄目……」

机に突っ伏す桜花の姿を見て迅は溜息をつきそうになった。
「一応聞いてみるけど……どうしたの?」
迅の言葉に反応はするが桜花は答えようとしない。見えていた未来の通りだ。確かこのまま彼女が動くのを待っていても何も変わらなかったはずだ。
何かないものかと思案しながら桜花の隣でぼりぼりとぼんち揚げを食べる。
ラウンジやランク戦ブースなど人がたくさんいるところであれば別に気になることもなかっただろう。
だが今いるのは訓練室に常設されているオペレータルームだ。
そしてここには桜花と迅しかいない。
静寂な空間にぼんち揚げを食べる音が響いて嫌でも耳に入ってしまう。
彼女が迅に苛立ちをぶつけるのは誰でも想像ができることだろう。
「迅、五月蠅い」
案の定反応してくれた桜花に迅は表には出さないものの内心ほっと一息ついた。
「アンタ真面目に仕事しなさいよ」
「それ桜花に言われたくないかな」
「いや、アンタには負けるわ」
桜花はふくれっ面でオペレータールームから下の訓練室を見下ろす。白い隊服を身に纏った訓練生達と混じる赤い隊服の男を見てまた机に突っ伏した。
現在ボーダーでは新入隊員の入隊式及びオリエンテーションが行われていた。
桜花と迅は攻撃手、銃手達が訓練室に入って仮想トリオン兵を出すためにボタンを押し、何かあったら止めに入るだけの監視業務だ。誰にも見られていないことをいいことに各々好き勝手にしているが第三者から見ればどちらも変わらない。

「はぁ……」
桜花の溜息は重い。
何も知らない者からすれば何事かと思うだろう。だけど彼女のその兆しを見ていた迅には彼女が何について考えているのか分かっている。
あの桜花が恋の病に侵されているなんて……笑いたくても笑えない。しかも相手は世の中の老若男女が認めるイケメンの嵐山だ。
少し闇を抱えている少女が全てを包み込むような男に恋するファンタジーなんてベタにも程がある。
そして極めつけに桜花は自分の恋心を認めようとしない否、受け入れようとしないのだ。理由は迅には分からない。だが唯一つはっきり言えるのはどう考えてもこれは笑えない話だということだ。
「そこまで拒絶しなくても受け入れちゃえばいいのに」
「……見えたの?」
「サイドエフェクト使わなくても見ていれば分かるでしょ」
「……」
迅の言葉に桜花は一瞬目を丸くしたかと思うとすぐに気難しそうな表情を作る。声には出ていないが「そんなに分かりやすいのか?」と聞かれている気がして迅は答える。
「分かりやすいよ」
後に続く「少なくてもおれからしてみれば」という言葉は外に発することなく迅の内の中で消化される。
「いつも思ったままに行動するのに今回は素直じゃないね」
「これは違うわよ!もう何も言わないでくれる?迅が言うと確定しちゃうでしょ」
「桜花。その発言自体が既に確定しているんだけど」
嵐山に対して抱いている感情を肯定する。
迅の言葉に桜花は頭を抱えた。
「素直になればいいのに」
迅は思ったことをそのまま口にする。
素直に受け入れれば楽になれる。
分かっているだろうに何が何でもそれに抗おうとする桜花を見て迅は苦笑した。
「男のおれが言うのもなんだけど嵐山良い奴だよ」
「そんなの知ってるわよ」
「じゃあ何が問題なの?」
「……いい人なとこ」
嵐山の存在自体を否定するかのような言葉に迅は絶句するしかなかった。
女性が嵐山を好きになる理由は沢山思い浮かぶ。その中の一つが受け入れられない理由だなんて誰が想像しただろうか。
……いや例外はあるかと迅は思い直す。
好きになれば対象の者への欲は強くなる。
例えば自分だけに優しくして欲しい。他の人と楽しく話してほしくない。願う本人も無理なことを言っているのは分かっている。だけどそれを望んでしまうのが恋という不思議なもので……良くも悪くも皆に平等な嵐山はそう思われることが多い。
相手を求めれば求める程生まれてくる欲。自分にだけ向けて欲しいと願うのは恋しているからこそのもので誰もが持ち得るものだ。
その自分の欲に耐えられないと嘆く者はいるが桜花の態度を見ても少しそういう感じではないように思う。
やはり自分の気持ちを受け入れていないからだろうか。
近くで見ている迅からしてみれば既に桜花は嵐山に恋しているのに――。

迅は彼女の姿を見る。
見えてきた未来を整理しながらどれが最善なのかと考える。
(うわー凄いな……)
今の状況をなんとかしようにも未来は変わらない。周りの介入でも動かないなんて……本当に本人の意思というものはそれだけ強固なのだと思い知る。
――だとしても何もしなければずっとこのままなのだろう。
それを見ているのは正直我慢できそうにない。
もう呆れるしかなかった。
弱っているところに付け入ろうなんて少しでも考えている自分に反吐が出る。
だから警告が必要だった。

「桜花も嵐山も結構隙があるからなー」
「は?私のどこに隙があるって言うの!?」

自覚がないというのは恐ろしい。
桜花の反応に笑ってしまう。
迅の反応に不快を覚えたのか桜花の機嫌が悪くなる。それに尻込みしないのはサイドエフェクトとは関係なく慣れたから。そう思うと胸の中にじわりと何かが広がった。だけどそれを知られたくなくて迅はぼんち揚げを食べながら答える。
「今」
桜花の顔は相変わらず険しい。
「仲間の前でも常に張ってたら疲れるわ。それに皮肉にもそういう雰囲気なんとなく分かるし」
「そういうことじゃないんだけど」
「じゃあ何なのよ」
「うーん……」

――そうやっておれの前で女の子しているとこ。

好意を寄せている人間の前だけに留めておけばいいのにと思うけどそもそも桜花は本人の前でそれらしいことをしていない。
ただでさえ相手は人の厚意に慣れている男だ。彼女が少しくらい優しくしたところでそれを好意だと判別するのは難しいだろう。
迅だってこうして直で見ているから分かるのだから。
好きな人のことを考えて悩む桜花の姿は戦いの中に身を置いている者とは思えないくらい普通の女の子だ。それが十九歳よりも少し幼く見えるのは今まで彼女が恋愛面の経験を積んできていないからだろう。
止まっていた何かが着実に動いている。それは凄く喜ばしいことなのに素直に口にできないのは告げてしまえば凄まじい勢いで抗議する彼女の未来が見えたからだと言い訳する。
そうしないと自分の気持ちに決着がつきそうにないのだ。
自分は誰よりも桜花のいろんな顔を見ているのに、一緒に過ごす時間が嵐山よりも多いのに、今の桜花は自分を選んでくれないのだから。
正直、嵐山が羨ましくて仕方がない。

『二人ともありがとうな』

突如入ってきた通信に桜花は弾けるように顔を迅から逸らしオペレータールームの窓から訓練室を見下ろした。
こちらの中が見えているのか分からないが手を振ってくる嵐山を見て「馬鹿みたい……」と呟いた桜花に「そうだねー」と力なく答えた。
「五月蠅い」
迅の意図が伝わったのか桜花は反論するが怖くはない。寧ろ可愛らしいものだ。
「オリエンテーションも無事に終了したみたいだけど、どうする?」
「……私充分仕事したからここまでよ」
「最後まで付き合うといいことあるけど」
「その手には乗らないわよ!っていうかこの前アンタに使ったじゃない」
桜花の言葉に意表をつかれ確かにそういうこともあったと思い直す。勿論あの時の言葉は嘘ではないしどちらかというと今へと繋がる言葉ではあったのだが桜花は自分でそれを使い切ったからもうないものだと片付けてしまっている。なんというか非常に勿体ないことをしている。だけどどこか桜花の言葉を聞いて顔が綻びそうになるのに気付き迅は慌てて取り繕う。
「もう無理、我慢の限界!めちゃくちゃ溜まったから発散してくる!……ということであとは任せるわ」
相変わらず逃げ足は速い。
彼女の姿を見送って迅は座っている椅子の背もたれにそのまま寄りかかる。

「はは、……おれかっこ悪いな」

迅は力なく呟いた。
「覚悟はしていたんだけどな――」
自分のことをどう思われてもいいと昔から持っていた覚悟。だがそれも今目の辺りにしていることでこんなにも揺らぐものだとは思ってもいなかった。
何も思われていないというのはこんなにもショックを受けるものなのだと誰が想像するだろうか。
友達や仲間。それ以上に特別な誰かを作る予定はなかった。いや作っても相手に同じものを求めるつもりは最初からなかった。
誰かの特別になりたい。
そんな我儘を抱く日がくるなんて――不思議なことに今まで思ってもいなかった。でもよく考えればそんなことはありえないのだ。
なぜならば未来で笑う彼女の姿を見て迅はその未来が見たいと願ったのだ。ボーダーのことを優先にしつつ、少しでも彼女が過ごしやすくなればいいな尽くして――ああ、そうか。
そこで迅は気づく。
自分は未来の彼女に恋をしたのだと。
分かってしまうとなんだか自分が滑稽だった。しかしもう手遅れだ。幾つも存在する未来の中に彼女が迅を選んだものは見当たらなかった。
それが答えなのだと迅は自分に言い聞かせる。
「だからさー嵐山。あまりうかうかしないでよ」
部屋の中で自分の言葉が反響する。
意外にも自分は強欲なのだと思い知る。だけどそれも悪くない。そう想える人に出逢えたのはきっと――……。

時は動く。
だけど未来はまだ確定などしていないのだ。


20171224


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