戦いと日常
○周目の人生開始

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桜花が元の世界に辿り着いて早数日。
捕虜になったり、
近界民に攻められ逃げたり戦ったり…と、
忙しい日々を過ごしたうえで、
今、彼女の処遇が決められた。

明星桜花は、
ボーダー隊員として入隊し、ボーダーに貢献してもらう。

ボーダー隊員というのは…こちら側の世界でいうトリガー使いになるということ。
それで最低限の生活、権利は守るということだった。
最低限守ってくれるならそれでいい。
ボーダーと桜花の間で契約が行われた。
自由もある程度は保証してくれるらしいが、
そのためには幾つか決まり事にがあった。

一つ、第一次侵攻で攫われた人間だと公にしない。
一つ、訓練生からのスタートとする。
一つ、この度ボーダー隊員として復帰した事にする。

他にいくつも条件はあったが、簡単に言うと、
明星桜花は元々ボーダー隊員だったが、
数年前の戦いで負傷し、療養するために休暇を取っていた。
それも先日完治し、リハビリのため訓練生からのスタートする。
そういう設定で過ごせということだった。

まどろっこしいがそれには理由がある。
先ずは世間一般…どころか一部のボーダー隊員は、
既にボーダーが近界への遠征を数度行っていたことを知らなかった。
それが先日の記者会見で今から近界へ行くという設定で話し、
隊員、スポンサーを募集したのだ。
辻褄をあわせるためにも必要な設定だ。
彼女の本当の事情を知っているのはA級隊員と一部の隊員のみだ。
きちんと彼女の事情を把握している人間がいるのは、桜花を監視するためだ。
最初から信用されるとは思っていなかったので、
ボーダーの提案を桜花はすんなりと受け入れた。
訓練生からのスタートもこちら側のトリガーを知るために必要だと説明を受けたが、
それだけではないのだろう。
訓練期間中に桜花が本当に信用できる人間なのかを見定めるのではないかと、
桜花は思っているが、大体あっているだろう。
ボーダーとしては彼女が素直に全てを聞き入れるとは思っていなかったので少し拍子抜けしていた。
桜花にとって内心、笑える話なのだが、
笑うと自分の心証がが悪くなることが分かっていたので、
今だけだ…と桜花は大人しくすることにした。
何はともあれ、桜花は無事にボーダーへの入隊が決定した。
住む場所もないので、暫くはボーダー基地本部で過ごすことになる。
ちゃんと稼げるようになるまでの温情であった。
そしてトリガー以外の私物も返してもらった。
特に高価なものを持っていたわけではないが、今までなんとなく持っていたものだ。
返してもらえるなら…と、素直に貰っておくことにした。
ボーダーの対応は桜花が想像していたよりも割と優しく、とても有難いことだったのだが、
困ったことが一つだけあった。
訓練生はお金が入らない。
正隊員…B級クラスになって、歩合制。
更にその上、上位クラスと呼ばれるA級になれば月給プラス歩合制になるのだ。
訓練生からのスタートということは当面の間収入がなく、
今まさに桜花は絶対的ピンチを迎えていた。
ボーダーも無一文で暫く過ごせという程鬼ではない。
今回は特別に、大規模侵攻戦の戦功として報酬が渡された。
日用品等はここから使うことになる。
つまり手持ちがなくなる前にさっさと稼げるようにならなくてはいけない。
緊急性が増しているのは左程変わらない。
現実は厳しいのである。


「明星。行くぞ」

風間の言葉に従って訓練室に入る。
桜花の監視役は尋問も担当した風間が大半を受け持つことになったようだった。
自分よりも身長が低く童顔だったので、
てっきり年下かと思ったが、年齢は21歳で自分よりも年上だということが発覚した。
…道理で落ち着きがあるはずだと桜花が無理矢理納得したのはつい最近だ。
なんだかんだで捕虜の時からの顔見知りということもあり、
風間は桜花に容赦なかった。
おかげでボーダー組織のことやこちら側のトリガーの仕組みは理解した。

風間が斬りかかってくる。
それを捌き、間合いを縮めたところで一振りする予定だった。
桜花が剣を下ろすよりも早く、
地面から刃が伸びて、桜花の腕を斬り落とした。

ーーヤバい。殺られる!!

思ったら早かった。
即、桜花は自らの意思でベイルアウトした。
緊急脱出…ベイルアウト。
これは正隊員のトリガーにしかつけられていない機能で、
訓練生のトリガーにはない。
訓練生としてスタートした桜花が使用しているトリガーは無論訓練生用のものだ。
なのに何故使えるのかというと、
先日の大規模侵攻の影響だ。
最悪の事態を防ぐためのベイルアウト。
緊急時、その場から脱出するための機能を自分の意志で使いこなす人間は意外にも少ない。
大多数が戦闘体が活動限界を迎え自動的にベイルアウトする者がほとんどだ。
今まではそれで良かった。
だが、今回はラービットの出現や、
近界民がトリガー使いをトリオンキューブ化していた事で、
今までのままではいけない事が分かった。
もっと危機管理能力を身につけなくてはいけない。
…その一環で実験的にではあるが、
訓練室等の仮想空間では自分の意志でベイルアウトできる機能をつけたのだった。
危機管理を持つための機能が桜花を追いつめる要因になったのは、
それだけボーダーが実装した機能の性能がいいからなのだろう。
「あの人、またベイルアウトした…これで何度目?
何のために風間さんが時間割いてると思ってんの」
「菊地原、落ち着けって」
「落ち着いてるよ。
本当なら、俺達に訓練つけてくれる予定だったのにー…」
外野でそんな事を言われているとは知らず、
桜花は再びフィールドに転送された。
身体慣らしだと告げていたのにもかかわらず、
本気で殺しにかかってくる風間のおかげで、
何度か死にそうだと感じてしまう度に
今のようにベイルアウトを発動させてしまっていた。
恐怖や、死に対して桜花は素直だった。

逃げなきゃ死ぬ。
ここにいたくない。

彼女が思うとトリガーはその意志を汲み取り、
ベイルアウトしてしまうのだ。
これは桜花自身が加減を覚えないといけないところであった。
なんだかんだで戦う方法よりも緊急脱出するかどうかのコントロールの方が難しいようだ。
風間も彼女が捕虜の時…よりも前に近界で剣を交えている。
てっきり彼女は太刀川のような好戦的な人間だと思っていた。
それが実はここにいたくないという”逃げ”に対する意識が強いことが分かり、
考えなしに突っ込みに行く人間ではなく、
逃げの考えを持ちつつ、自分がどのように行動するのか選択して動く人間なのだと評価をした。
明星桜花は…いや、近界で過ごした者は、
こちら側の世界に戻ることができるのかという…上層部から言い渡された任務に、
風間はその場の感情に流されることなく、冷静に判断していた。
太刀川や迅が彼女の監視役として任命されなかったのはこういうところにあった。
勿論、大学や防衛任務等でスケジュールがあいていない時は他の者がつくが、
折り合いが悪いらしい。
結果、主な彼女の監視や日頃の行いについての判断は風間が行う事になっていた。

訓練用トリガーが使える武器は一つしかない。
何度か武器を試してみて、
最初に触った孤月が一番しっくりきた桜花は、
とりあえず訓練生の間はこれ一本でいくことにした。
「風間…さん。私、早く稼げるようになりたいんだけど」
早く正隊員になりたいと告げればランク戦の話を聞いた。
そちらの方がお前は早いだろうなというお墨付きだ。
「だがその前に、逃げ癖をなんとかしろ。
技術はあってもベイルアウトばかりしてたら負けるぞ」
「こっちのトリガーが性能良すぎなのよ。
…というか、風間さんみたいに殺す気で勝負してくる奴いるの?」
いたら間違いなくポイント減って正隊員への道が遠ざかるなと桜花はぼんやり思った。
「……そうだな、それはお前の目で確かめろ」
今の間はなんだ。
桜花は風間の目を見る。
何を考えているのか全く分からない。
じっと見ても風間はそのことについては触れようとしないので諦めた。
「風間さん終わりですか?」
「待っていたのか?
今日は相手できないぞ」
「えーまだコイツに付き合うんですかー」
「風間さん、此奴ら誰?」
「覚えてないとか、アンタ頭悪いよね」
部屋から出た瞬間、声を掛けられた。
かと思えば、いきなり喧嘩をふっかけられる。
反射的に睨んでしまった桜花を見て、
何故か隣にいた青年が謝る。
あぁ、此奴…苦労しているんだと想像するのは難しくなかった。
「正隊員になればチームを組めることは言っただろう。
此奴らは俺の隊員だ」
「歌川です。こっちが菊地原です」
「勝手に自己紹介しないでよ」
「……」
菊地原の言葉に風間は特に咎めることはしない。
かわりに歌川が咎めるが聞く耳持たない感じだ。
どうやらこれが菊地原の通常運転らしい。
いちいち反応するのは面倒なので、とりあえず名前を名乗っておく。
風間と同じ隊ということは桜花の事情を知っていて、しかもあの時、
近界に来ていたということだ。
切羽詰まっていたので、剣を交えた人間しか覚えてないが、
そういえば一人…腹に一発。
蹴りを入れたことを思い出した。
「あぁ、あの時の。
えっとー…歌川?蹴りを入れて悪かったわね」
「いえ、あの時はしょうがないかとー…」
「歌川のことは覚えてて僕のことは覚えてないとか」
何があっても菊地原はいちゃもんをつけたいらしい。
どういう教育をしているんだと風間を見れば、
気にするなと言われている気がした。

「とりあえずランク戦の説明をする。
ブースに行くぞ」

ブースに入れば今、隊員達が模擬戦を行っていた。
風間隊と知らない女が一緒にいるということで、訓練生から要らぬ注目を浴びたが、
この後更なる注目を浴びることになった。

ランク戦開始。
身体が転送されて即、勝敗を決めた。
瞬殺だった。
彼女からすると転送された瞬間が一番油断しているので狙いやすいというだけだった。
先の大規模侵攻戦しか体験していない訓練生には生憎、分かるはずがないものだ。
それは観戦していた訓練生にも分かるはずがなく、
正隊員からして見れば、容赦ないなー…と若干引き攣っていた。
「やっぱり経験の差が大きいですね」
歌川の言葉に風間は頷く。
「この間の近界民のチビだってそうだったし、あれが普通なんじゃない」
「空閑か。そういえばアイツもこちら側のトリガーを使い始めて日が浅かったよな」
「まぁ、いい機会なんじゃない。
遅かれ早かれどうせ戦うんだし」
まるで風間の考えが分かっているかのように会話する歌川と菊地原に、
この二人との付き合いの長さをあらためて実感する風間だった。


20150509


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