戦いと日常
私はだあれ

しおりを挟む


近界民とは
近界と呼ばれる世界にいる人間。
その世界に生まれた者。
その世界に住んでいる者。
その世界に属する者。
では違う世界から連れてこられた人間は?
…それは近界民と言えるのであろうか。

近界にとって桜花の存在は捕虜以外の何者でもない。
どんなに信用と信頼を得ても彼女が捕虜だった事実は消えず、
近界の住人ではないことは変わりようがない事実だ。
彼等は彼女を駒として見、それ以上でもそれ以下でもなかった。

こちら側の世界が定義する近界民も同じだ。
近界にいた者。それだけだ。
近界からきた遊真は近界民として定義されているし、
捕虜となったヒュースも間違いなく近界民である。
では桜花は?
元々はこちら側の人間だけど近界民に攫われた人間だ。
ただ攫われただけじゃない。
近界で生きる術を身につけて育っている。
その者は近界民か、それともこちら側の人間か――…。

少なくても桜花は、
近界では散々玄界の人間と扱われていたから、
自分を近界民だと認識はしていない。
あくまでも玄界の人間だと思っている。
どんなに近界の環境に慣れても自分は近界民と同じだとは思ってはいなかった。
だが、本人の意志と反してそう思わない人間だっている。

「お前も近界民と変わらないな」

目の前にいる少年三輪は最初会った時に比べて眼光が鋭くなっていた。
どうして桜花が三輪にこんな事を言われたのか。
事は数十分前に遡る。


桜花がC級ブースでポイント稼ぎをしている時だ。
遊真と対戦したことが訓練生の間で広まったらしい。
あの白い悪魔と互角の戦いをした女ということで、
皆怯えているのか、
桜花に試合を申し込む者はいなかった。
待機スペースに入れば、対戦待ちしているのが誰なのか名前は表示されないかわりに、
メイン武器と現在のポイントが表示される。
孤月をメインに使っている訓練生で、
ポイントが3000以上あれば、
彼女の噂を知っていれば誰もがその孤月使いは明星桜花だと想像するだろう。
待っていても挑戦してくれる者がいなければ、
こちらから対戦を申し込むしかない。
手当たり次第にコンタクトをとるが、半分以上断られるという始末…
なかなかポイントがたまらない。
戦争慣れしていないここ日本で遊真との試合は刺激が強すぎたようだ。
ある程度敬遠されるかとは思っていたが予想以上だった。
派手にやりすぎたとかなり後悔した。
稽古用に手加減して…と考えてやってはいるが、
意外とその加減調整が難しい。
手を抜いたら訓練にならないのは百も承知だが、
それで相手が折れて試合をしてくれないことの方が今の桜花は困る。
基本的に相手をたてるのは苦手ではあるが仕方がない。
瞬殺はしないように、準備運動のつもりで何度か剣を交え倒させてもらう。
そういう面倒な作業を数回繰り返した。
おかげで桜花はストレスたまりまくりである。
これなら本気でぶつかって負ける方がまだマシだ。
…言い過ぎた。
悔しくなるので負けてやらないと桜花は自分に言い直した。

そんな感じで、神経が敏感になっていた。
アイツが噂の…と、指を指されて見られるのとは違う視線を感じる。
殺気ではない。そうであれば桜花はもっと早く気付く。
なんというか観察…監視に近いのかもしれない。
そう考えたらなんだか納得してしまった。
今日は誰が自分を監視しているのだろうかと見渡してみれば、
1人の少年と目が合った。
その瞬間、相手の目に動揺が走ったのを見逃さなかった。
学ランを着ているところを見るとまだ学生なのだろう。
まだまだ甘いなと思うが、
こちらの世界で軍事教育は義務化されていないのだからしょうがないかと桜花は思い直す。
今の反応を見た通り、
この少年が桜花を監視しているのは間違いなかった。

「お仕事ご苦労様」

桜花はわざと声を掛ける。
本当は憂さ晴らしにお手合わせでも…と言いたいところだが、
暫くはC級ブースで訓練生以外との試合は現状に拍車をかけるだけなので、
止めておくことにした。

声を掛けられると予想していなかった少年の目は少し鋭くなったが、
桜花に嫌悪感があるわけではないらしい。
戸惑いが浮き彫りになるくらいの幼さはみられた。
その原因は近界民に攫われた人間だから同情なのかと桜花は思ったが、
彼の中にあるのはそれだけではないことを知るはずがない。

「あれ、桜花さんと遅くなる弾を撃つ人」
「…!」
「遊真…と米屋だっけ?」
遊真が言う"遅くなる弾を撃つ人"は間違いなくこの少年だ。
「……三輪だ」
「ミワ先輩が桜花さんといるなんて意外ですな」
「今日、秀次がそうなんだっけか」
「陽介」
三輪は余計なことを言うなと米屋を制止する。
しかし米屋は気にする素振りはみせない。
それどころか2人が一緒にいることから既に桜花は判っているものと思っている。
しかもそれはあながち外れていない。
米屋に対してか遊真に対してか三輪は舌打ちをする。
「それより明星さん、暇なら俺たちと一戦しねぇ?」
「無理。私、ランク上がるまではアンタ達としないことにしてるから」
「えー」
「遊真のせいで捕まらないのよ」
「それはそれは…心中お察しします」
「…上がったらまずアンタをぶった斬る」
「おい」
盛り上がっているところに三輪が遊真に声を掛ける。
なんか珍しいなーと隣で米屋は傍観することにしたらしい。
逆に三輪はバツが悪そうな顔をして、
遊真の手に黒い小さい何かを渡す。
「!」
びっくりして遊真は三輪を見る。
そのモノに対してか、三輪の行動に対してかは桜花には分からない。
口を挟む気は毛頭なかったが、
米屋と同じく2人のやり取りを見つめる。
「ミワ先輩がずっと持っているなんて驚きだな。
近界民は嫌いなんじゃなかったのか?」
「近界民は嫌いだ。だからこれは返す。それだけだ」
「そうか…ミワ先輩、ありがとな」
「ちっ」
本来ならここで立ち去りたいところだが、
桜花のせいで立ち去れないらしい。
よく分からない展開に置いてけぼりくらっている桜花と米屋。
それ以上に三輪が近界民を嫌いなんて情報も知らない桜花は、
自分達が蚊帳の外にいることをいいことに、米屋に聞く。
「三輪?…は近界民嫌いなの?
家が壊されたとか身内が捕まったりとかしたの?」
「捕まっては…ないな。秀次の姉ちゃん殺されてるんだよ近界民に」
「へー」
興味なさそうに桜花は返事をする。
どうやら三輪の姉が近界民に殺されていることはほとんどの者が知っている話らしい。
「連れて行かれなくて良かったわね」
この時桜花は軽率だったと言われるのだろう。
実際、本人は何も考えていなかった。
この言葉はとらえ方によっては死んだ方が良かったと言っているのと変わらないからだ。
少なくても三輪はそう捉えたらしい。
先程まで遊真と話していたんじゃなかったのかと思わせるくらいに、
反応は早かった。
「なんて言った貴様」
「あ、聞いてたの。
連れて行かれなくて良かったわねって」
「ふざけるな!」
三輪の殺意に、ようやく自分が彼の地雷を踏んだことに気付く。
確かに身内が殺されたら怒る。
考えれば分かるはずだ。
それが戦争に慣れていた桜花はすっかり忘れていた。
殺すことも殺されることも当たり前の世界で、
仲間が殺されたら怒る、悲しむ、一時の感情は勿論あるが、
それをずっと引きずるようなことはなかった。
引きずっていたら次に命を落とすのは自分だということを知っていたからだ。
先日遊真に忠告されたばかりだ。
それがこういうことなのかと分かった時には既に遅かった。
三輪の怒りを鎮める術を知るはずもない桜花はどうすればいいのかと考えるが、
…ダメだ。
今から取り繕う言葉を言っても三輪には無意味だ。
だから開き直る事にした。
「殺された方が良かったと言いたいのか!?」
「そんなにお姉さん好きだったの」
「……」
三輪の怒りを露わにした顔を見ていると、
ますます連れて行かれなくて良かったとしか言いようがない。
近界民は敵。
別にそれでもかまわない。
今、自分たちは戦争をしている。
そのことさえ解かっていればそれでいい。
「死んだ方が良かったとは言わないけど…」

――三輪にとってはその方が良かったのかもしれないわね。

口には出さない。
だが、雰囲気的に三輪は感じ取ったらしい。
桜花は近界民に攫われた可哀想な人間。
そういう認識だったが三輪の中で変わる。
「近界で生きた人間は近界に染まるらしい。
…お前も近界民と変わらないな」

三輪の剣幕に流石に周囲の人間も目に付いた。
あそこは何を揉めているのだと野次馬が集まる。

「このメンバーに秀次がいるなんて珍しいな」

野次馬をものともせずやってきたのは迅だ。
「あれ、秀次と桜花喧嘩中?」
言わなくても分かるだろうに…
迅は敢えて言っている。
「これ、迅さんのサイドエフェクトで分からなかったの?」
「いやー毎回視えるわけじゃないし万能じゃないよ。
折角だし、ぼんち揚げ食う?」
「誰が食うか!
迅!貴様は何故母親を殺されても近界民を保護する!?」
今度は迅に火の粉が散ったらしい。
「そうだけど、近界民にもいいやつはいる。
俺はそれを知っているからな」
言って迅は遊真の頭を撫でる。
「未来が見えているお前ならなんとかできたんじゃないのか!?」
これは三輪の八つ当たりだ。
それを分かっていても迅は動揺することはない。
恐らく、この場に来た時になんと言われるか見えていたのだろう。
用意された言葉を淡々と言う。
「あの時俺は無力だったからなー…お前と同じだよ」
「…ち」
それはどうすることもできなかったことだ。
体験している三輪には痛い程分かる話だ。
雨の中、姉が倒れる姿を忘れない。
そこにこの男がいたことを三輪は忘れない。
やはりそうだと三輪は思う。
迅は自分を苛つかせる。
前ほど裏切り者だと感じなくなったのは、
迅が自分と同じ過去を辿ったとことを知っているからだろう。
それなら何故この気持ちを持たずにいられるのか、
三輪には分からない。

「見えた…どこまで?」

桜花の声が冷たい。
何かを探るような目だ。
桜花にそんなことされるとは心外だと迅は笑う。
「やーだなー、実力派エリートだって無力な子供の時はあったんだぞー。
ま、力はつけられる時につけておこうなっていう話」
これ以上は話すことは何もない。
無理矢理迅は話を終わらせる。
「それより桜花借りて行っていい?
城戸司令林藤支部長のとこに用事があるんだよね」
「ふん。勝手にその女連れて行けばいいだろ。
迅、そいつを生かしたのはお前だ。
精々上手く利用するんだな!」
三輪は言い捨ててこの場から離れる。
迅のおかげでいくらか和らいだが、
それでも若干気まずい。
「よーすけ先輩、ミワ先輩のと行かなくても大丈夫か?」
「うちの隊長を舐めるなよ。
あれくらいなら大丈夫だ」
「ふむ。そうか?」
「はは。二人とも悪いな。桜花はもう少し子供には優しくするように教えとくから」
「どこ触ってるの!」
この流れでお尻を触ってくる迅の足を思いっきり踏む。
ヒールじゃないのが幸いだ。
目の前から見てても凄く痛そうだった。
「行くわよ」
「はいはい。じゃあ二人ともまた今度な」
二人が出て行くのを見て思わず米屋が迅さんは意外と尻に敷かれるタイプだよなと呟いた。


「桜花って強いけどちょっと残念だよね。主に頭が」

迅の言葉に桜花は否定しなかった。
それは自分でも分かっていることだった。
「アンタはもう少し馬鹿になった方がいいと思うわよ」
それは何を指しているのだろうか。
何がと問えば桜花は言う。
「アンタの笑顔は胡散臭いっていう話」
「それって酷くない?」
「風間さんに聞いたけど、
今回の戦争で自分のとこの隊員を危険な目にあわせたんだって?
最悪な未来は回避できたって話だしそれで良かったと思えばいいじゃない」
今の桜花の情報源は風間だ。
アフトクラトルとの戦争だってどういう形で終わったのかだって聞いている。
それが迅が見た未来の中でもいい形だったとも聞いた。
桜花は迅のサイドエフェクトは単純に見た者の少し先の未来が見えるとしか思っていなかった。
だが、少し先どころか、
その可能性…つまり分岐する未来が幾つも見えるなら話は少し違う。
未来が分かるなんて便利だとかつまらないとかそんなレベルではないはずだ。
幾つもの可能性を未来として見る。
それは体験すると同義ではないのか……。
「体験しなくてもいいことを体験するなんて……」
同じ19年でも違うはずだ。
桜花は思った。
経験がものをいう戦争の中で、
迅のそれは普通の人間が経験する倍のものを得ているはずだ。
純粋に凄いと言えないものではあるが――。

「そういえば秀次に近界民と変わらないって言われたんだって?」
「…そうだけど何?」
「いやーどう思ったのかなって。意外とショックだった?」
「割と……」

――どこにいても自分は変わらない……余所者なんだって知ったわ。


20150606


<< 前 | | 次 >>