戦いと日常
日常になる風景

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「桜花、明日暇だよね」

桜花は迅に捕まった。
暇も何も、こちら側でやることなんて限られている。
逆にスケジュールをぎっしりにする方が難しいこの状況で、
此奴は何を言っているんだと桜花は思った。
つまり、暇かどうかに対する答えは一つしかなく…

「じゃあ、ちょっと出掛けるから」


当日、桜花は迅に指定された通りの待ち合わせ場所に来ていた。
監視対象者を一人で出掛けさせていいのかと言いたいところではあったが、
昨日…つまりは迅に誘われた後で丁度ポイントがたまり、訓練生から正隊員に昇格した。
それにあわせて緩和されたらしい。
元々そのタイミングで日頃の行い等を見て判断する予定だったそうで、
結果、悪くなかったということだ。
訓練難易度の調整の手伝いや戦闘データの提供等で、
ボーダーにとっても使える駒だと判断されたのだろう。
こうして一人で外出する権利を手に入れたわけだ。
…とはいうものの、いきなり手放しにするはずがないので、
秘密裏に誰か監視しているのではないかと桜花は考えている。
別に大暴れするつもりはないが、
もう暫くは大人しくしておこうと決めていた。

そんなこんなで暇人な桜花は基地から歩いて待ち合わせ場所に来ていた。
迅は夜まで防衛任務らしい。
かわりに嵐山を迎えに行って欲しいと頼まれた時は、普通逆じゃないかと突っ込んだ。
元こちら側の住人とはいえ、
流石に四年半離れていたのだ。
地理に詳しいわけがない。
桜花の言い分は正論だが、
嵐山を単独にするとよくないことが起こるからと言われれば従うしかなかった。
まるで初めてのおつかいのように、
通行人を呼び止め道を尋ねて、ようやく辿りついた。
給料前なのでカフェに入ったりするのは止め、
ひたすら校門前で時間を潰していた。
時間指定されていたし、
待っていればそのうち出てくるはずだ。
そう、待ち合わせ場所は嵐山が通う大学前だった。

「桜花!」
桜花が呼び止めるよりも早く嵐山が反応する。
爽やかな笑顔で駆け寄ってくる。
あぁ、嵐山の笑顔とか行動はこれがデフォルトか…と、
桜花は自分に向けられているそれを他人事のように見て思った。
嵐山と言う人物をあまり知らない桜花より、
彼の行動に驚いたのは先程までその隣にいた学友だ。
正確に言えばそれだけではない。
この辺りにいる生徒が凝視していた。
…因みに大半は女性だ。
嵐山の行動よりも寧ろ、
そちらの方が気になってしまい、
つまりどういう状況なのかと桜花は考えはじめていた。
「嵐山ーやっと彼女でもできたのか?」
茶化すわけではない。
真面目な雰囲気で言っている。
それは分かるが何を意図するのか分からない。
「違うぞ。桜花は友達だ」
きっぱりと言い笑顔で答えた嵐山の言葉に周囲の反応は様々だ。
女性は安堵し、男性は呆れた…感じだ。
中には「まだ作らないのか―」と嘆いている者もいた。
目の前の学友も嵐山の言葉は想像通りだったらしい。
やっぱりそうかと項垂れ、桜花に憐れみの視線を向ける。
なんでそんな目で見られないといけないのか…。
桜花の意見は尤もだ。
彼女の心境を知らない嵐山は、
友達だよなーと返事を求めてきたので仕方なく桜花は答えた。
「違うでしょ、仕事仲間。…嵐山が先輩で私が後輩」
捕虜でしたーというところを伏せればそういう話になるはずだ。
しかし嵐山は友達じゃない発言にショックを受けたらしい。
桜花の言葉にしゅん…とする。
その仕草に母性本能を刺激されたのか…周囲の女生徒から
悲鳴が上がった。
それを見て桜花もだんだん分かってきた。
大学で嵐山はモテている。
先程の男性の嘆きは、ほとんどの女性が嵐山を好意を寄せている事に対してのもので、
まだ続くのかという意味だったらしい。
なにこれ面倒くさいと桜花は思った。

対する学友は目を丸くしていた。
今までは嵐山に好意を寄せて近づいてきた者達が、
彼の友達発言に胸を痛めるというのが常であった。
鈍感にも程がある。
大学生にもなってそれはどうよと言いたいことは沢山ある。
しかし、それでも好意を寄せる女性の数は減る事はない。
恐らくこれは嵐山自身が持つ徳の部分であろう。
ただ、今回はその恒例とは違った。
嵐山はいつも通り相手を友達だと思っている。
けど、桜花の方は友達だとは思ってはおらず仕事仲間だと認識しているということだ。
嵐山の片思い(友達)にこういうこともあるのだと逆に感心してしまった。
普段から人の好意に慣れている嵐山にとっても新鮮だったに違いない。
…と学友は勝手に思っているわけだが真偽のほどは定かではない。
「時間と場所を指定してくれたら出直すわよ」
こんな茶番に付き合いたくない桜花はこの場から離れることにしたらしい。
地理に疎い人間の言葉だ。
流石に気を遣わせてしまったなと思うには十分だ。
「今行く。じゃあ、あとでLI○Eで」
「ああ」

学友たちに見送られる形で2人は大学を出た。
「嵐山って結構モテるのね」
「ん?そんなことないぞ??」
もう呆れるしかない。
とりあえず、これで目的地に行けるはずだ。

気を取り直して―――

「ひったくりー!」

どうやら茶番劇はまだ続くらしい。


「誰か捕まえてー!!」
声がする方を見れば、鞄を抱えて逃げる男と追いかける女性が、
こっちに向かってくる。
同時に、視界の端で黒い羽根みたいな嵐山の髪が動くのが見えた。
その動きは流れるようで綺麗だった。
桜花が間に入る間もなくひったくり犯の動きを止め、
女性の鞄を取り返した。
まるでドラマのワンシーンだ。
嵐山の戦争には不向きな性格を見て戦闘は強いのか若干不安になっていたが、
今の動きを見るとできるのだろう、多分。
嵐山が女性に鞄を渡す際に、相手の頬が赤く染まっていた。
別にそこは桜花にとってどうでもよかった。
「嵐山さん…!ありがとうございます!」
あれ、名前を知っている。なんで?
実はこの人と知り合いだったとかそういうオチなのだろうか。
傍から見てそんなことを思っていると今度は周囲がざわつき始める。
「ボーダーの嵐山さんよ」
「ひったくり犯捕まえたって」
「すげぇ」
瞬く間に広がっていく言葉。
この男の人気は大学だけに収まらなかったらしい。
嵐山と被害者を中心に盛り上がりつつある中、
自分と同じように蚊帳の外に何故かなっているひったくり犯が逃げ出そうとしたので、
桜花は鳩尾を喰らわせてから気絶させる。
この肉の感触……やはり夢じゃないらしい。
倒れる男を見て、これはこの男を突き出すまでは終わらないのだろうかと考える。
周囲の人の判断は迅速で…いや、
騒ぎを嗅ぎつけて警察が駆けつけてくれたに違いない。
「嵐山隊の嵐山君かー助かるよ!」
警察にまで知れ渡っていると誰が想像しただろうか。
玄界に戻って来たばかりの桜花にはこちら側の最新情報を知るわけがない。
一体爽やかなこの男は何をしたのだと訝しむ。
警察にそのままひったくり犯を渡し、
女性のしつこいと言ってやりたいぐらいの感謝も受け、この場から離れる事に成功する。

「……嵐山は普段、何してるのよ」
「突然どうしたんだ?
普通に大学行って、ボーダーの任務に…あとは犬の散歩して、
非番な日は妹と弟を――」
「普通に過ごして街中の人が知っているのはあり得ないと思うのだけど」
「ああ。俺の隊、広報の仕事もしているからそれで皆知ってるんじゃないかな」
「広報?」
「そう。丁度流れてるな」
言って嵐山はビルの大画面に流れている映像を指さす。
それは近界民に関するニュースだったらしい。
嵐山隊が写っている…だけで終わらず、インタビューとかも受けている。
「見られるのはちょっと恥ずかしいな」
「照れられても困るのだけど…」
ボーダーの表の顔としてこうやって顔出ししているらしい。
確かに向こうでも英雄を作り上げて、
民衆の支持を得ることはやっていたし、
それと同じで軍事金を得るのと、ボーダーへの理解を求めるにはこの方が効率がいいのだろう。
一応納得した。

「あ、おばあさん!荷物持ちますよ」

今度は歩道橋前に重そうな荷物を持ったご老人を見つけたらしい。
こういう動作も支持を得るためかとも思ったが、
嵐山はそんな厭らしさを感じない。
これはこの男の素なのだと思うと広報の仕事は適任だ。
歩道橋を渡り終えて、ご老人と別れ、
次に待っていたのは猫だった。

順番に言えば女の子が泣いていたのを見つけた嵐山が、
お兄ちゃんオーラー全開でどうしたのか理由を聞いたのだ。
どうやら買っている猫のルナがどこかへ行ってしまったらしい。
猫なんだからそりゃどこか行くだろうと思ったが、
本人にしてみればそうじゃないらしい。
家の中から出たことなかった子が外に出て行ってしまった。
帰ってこなかったら…と不安になってしまうのもしょうがないだろう。
「もう大丈夫だから、な?」
女の子の頭を撫でる嵐山を見て、
何か胸の中に引っ掛かりを覚える。
なんだろうか――と考えようとしたところで嵐山の一言で桜花は現実に戻った。
「お兄ちゃんたちが探すの手伝うからな!」
「え」
「本当?」
「ああ、本当だ!な、桜花!」
嵐山と女の子の二つの視線に怯んでしまった。
桜花は戦闘しかできない。
そういうことが絡まない日常…つまりはこういった事が基本ダメなのだ。
「……そうね」
もう桜花が折れるしかなかった。

そして捜し歩くこと数十分。
外の世界に初めて飛び出した猫は意外と近くにいた。
近所の塀の上でのんびりお昼寝している。
人の気も知らないで…
とりあえず捕まえようとすれば、
その気配に猫も危険を察知したらしい。
起き上がり、桜花をかなり警戒し、睨みつけている。
女の子が気づいて猫の名前を呼ぶが、全く下りてくる気配はなかった。
正直お手上げだ。
因みに猫はまだ桜花を睨んでいる。
「見つけたのか!」
駆け寄ってくる嵐山に女の子が下りて来てくれないと訴える。
家族の為に下りてやれよと思うが、
猫の警戒対象が自分にあると自覚している桜花にはどうすることもできない。
動物に嫌われる特技はなかったはずなんだけど…
と、ちょっとだけ凹んでいた。
事情が分かった嵐山がどうしようか考えて無難に名前を呼ぶことにしたようだ。
「おいでールナ」
それで下りてくれば苦労はしない。
口出ししようとした時だ。
「にゃあ〜」
猫が返事をした。
そして次の瞬間、嵐山目掛けて飛んだ。
無論、嵐山はちゃんと抱きとめた。
この猫、雌だ。
更に面食い…
本能に正直すぎるのではないだろうか。
こちらにも聞こえてくるくらいゴロゴロ喉を鳴らしている。
家族泣かせにも程がある。
しかし、相手は子供だ。
お兄ちゃん凄い!の一言で終わった。
女の子に猫を渡し、手を振って別れる。
これで終わったと思いきや、隣の嵐山から鼻をすする音。
顔を見れば涙ぐんでいるではないか。
「え、なに」
「お兄ちゃん凄いって…昔はよく副と佐補に言われたのを思い出して…」
「副と佐補は俺の双子の弟と妹で――」
「ねぇ、嵐山」
「なんだ?」
「話長くなる?」
「長くないぞ」
そこから小一時間話は続いた。
嵐山がどれだけ弟妹を大切にしていて、
大好きなのかは分かった。
まだまだ話したりないと言っていたが勘弁してほしい。
もう二度と弟妹の話は聞いてやらないと桜花は誓う。


「お、予測通りだな」

目的地に着いた時は日は既に沈んでいた。
元気溌剌な嵐山に比べて、
桜花はどこか疲れた顔をしていた。
体力的にではない。
精神的に、だ。
「お疲れ」
「迅、ありがとう」
言うと嵐山は迅から缶コーヒーを受け取る。
「ほら、桜花も」
「……どうも」
こうなることが視えていたのではないかと言いたいところだったが、
もう言うのも面倒だ。
桜花も差し出されたそれを受け取る。
どうやらこちらはココアだったようだ。
「桜花も受け取ったことだし…」
迅と嵐山が二人で目配せする。

「「正隊員おめでとう」」

持っていたそれぞれの缶ジュースで乾杯する。
「……え」
「どっきり成功だな、迅」
「そうだなー計画した甲斐があったよね」
口をぽかーんと開けている桜花の顔を見て二人は笑う。
一瞬、思考が停止した。
正隊員になることは桜花にとって当たり前の事だった。
ならないと生活できないので昇格することは絶対だった。
悪いがわざわざお祝いすることではないんじゃないかと桜花は思ってしまう。
それが分かっているのか迅が桜花が口を開くより先に言う。
「お祝いしようと企画したの嵐山だよ。
桜花のことだからいちいちお祝いするなとか言うよって教えたんだけど」
それは迅が見たどこかの未来の桜花の言葉だ。
「身を持って知ったと思うけど、
嵐山弟妹や自分の隊の人間とか好きだからお祝いしないという選択はないんだよね」
「桜花は友達なんだし、当たり前だろ?」
確かに、自分の弟妹の話をする時の嬉々とした顔を見ると納得はできる。
小さな事でも皆と一緒に喜べる人なんだろう。
自分の大切なものをちゃんと大切にできるのは純粋に凄いと思う。
「本当はお酒で乾杯したかったんだけどさ」
「俺たちはまだ未成年だからな!」
「あと2か月で俺は飲めるようになるけどね」
「迅はいつも先にいってズルいよなー。
でも、桜花が今年戻ってきてよかったよ」
「なんで?」
「だって、今年は俺達成人するだろ?
折角だし、皆で行きたいじゃないか!」
「迅は言わないと参加しないだろうし」
「それを言ったら桜花だって。
寧ろ引っ張って連れて行かないと絶対参加しないタイプ」
「成人式だけじゃないぞ?
これからずっと一緒にいるんだから、他にもいっぱい――」
お花見、誕生日、クリスマスに年を越して新年を迎え…。
ひとつひとつ上げていく嵐山に迅が補足する。
「嵐山はやるって言ったらやるから。
桜花のおかげで俺への負担が少し減ったよ」
迅が苦笑する。
しかし、本心から嫌がっているわけではないのだろう。
多分…迅も嵐山に振り回され、彼のそういうところに救われている人間だ。

とても穏やかな話だ。

いつ死んでもおかしくない。
今を生きるのに必死だった自分が、
まさかこんな穏やかな話をする日がくるとは思ってもいなかった。

「あ、始まるぞ」

噴水の水が小さくなり辺りは静まり返る。
急に噴水がライトアップされ、水が跳ね上がる。
どうやら特定の時間になると噴水のパフォーマンスが行われるらしい。
流れている曲に合わせて水が跳ね上がったり落ち着いたり水の形を魅せてくれる。
そして曲が終わるのと同時に、
今までで一番高い位置まで水が跳ぶ。
思わず見上げてしまう。
「あ」
時間が過ぎたため噴水はいつものただの噴水に戻っている。
ライトも消えているからか、
先程まで気にならなかった星に目がとまる。
「今日の星はいつもよりきれいだな」
「…そうね」
こんな穏やかな気持ちで星を見るのはいつぶりだろうか。
チラリと二人の顔を盗み見てからもう一度空を見上げる。

これが日常になる。

久々に見た夜空は凄く綺麗に見えた気がした。


20150613


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