過去と現在
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街を歩くといろんな声が聞こえてくる。
子供たちが楽しく遊ぶ声が聞こえる。
いつもと変わらない日常。
親しい人と交わす言葉。
平穏がそこにはあった。
街を歩くといろんなものが視えてくる。
人々の悲鳴を上げる姿、逃げ惑う光景が視える。
ボーダー隊員達の疲労した姿が視える。
嘆きと悲しみと怒りに包まれた戦場がそこにはあった。
「なんでアンタがここにいるのよ」
桜花が玉狛支部を訪ねてきたのは理由があった。
最近不調気味のトリオン体をちゃんとエンジニアに診て貰おうと思ったのだ。
ここに来る前に本部のエンジニアに相談したが、
特に問題点は見つからず、
操縦時差を感じるのは気のせいではないかとまで言われてしまった。
…だとしても、トリオン体に見られる左腕の痺れを説明できるものはなく、
桜花自身も納得できなかった。
そういえば玉狛にいるエンジニアは近界民だという事を思い出し、
念のためにそこで診て貰おうとした。
しかし残念なことに、エンジニアは出張中らしい。
今回は諦めるしかないと思ったところ、
折角だからとリビングを通され、
そこで寛いでいる人物に遭遇した。
「久しぶりだな桜花。約一カ月か?」
何事もなかったかのように普通に挨拶してきたのは、雨取麟児。
千佳の兄であり、先日の遠征で救出され、こちら側に戻ってきた人間だ。
しかし本当のところは近界に密航した人間であるため、
ボーダーとしては要注意人物として危険視されている。
そういう事もあり、
こちら側に戻ってきても麟児はまだ救出された事になっていない。
つまり雨取麟児はこの世界にはいないという事だった。
だから堂々と出歩く事も出来ず辿りついたのは、
妹が所属する玉狛支部に居座るという事だった。
監視されているはずなのに普通に寛いでいる麟児に、
桜花の眉間に皴が寄る。
目的が達成できなかったから余計にイライラ度が増したのだろう。
本当にボーダーはこういう人間に対して監視の目が甘いのではないかと、桜花は思った。
「それでどうしてここにアンタがいるの?」
「俺の処遇が決まっていないからな。
それまでは玉狛に身を預ける事になった。
…と聞いていないのか?」
「聞いてないわよ」
堂々と返事をする桜花。
それを見て鵜呑みにせず、
本当は聞いたが興味がなかったのか、
あるいは関心を持ちたくないから覚えていないだけだろうと麟児は思った。
「それで、桜花がここに来た理由は?」
「なんでアンタにいちいちそんな事言わなきゃいけないの?」
「暇潰しだ。俺をこちら側に連れ戻したんだから、
付き合うくらいしてもいいんじゃないか?」
「私が好きでアンタ連れてきたみたいに言うの止めてくれない?
寧ろ事故でしょ事故」
「あれ、桜花さん何でいるの?」
言い合いが激化していく最中、間に入ってきたのは遊真をはじめとする三雲隊だった。
「私がいちゃ悪いの」
「そんな事ないですよ。こら空閑」
「気にするな修。
俺だけじゃなく皆気になっているという事だろう」
まさかの麟児のフォローに、
自分たちがここに来るまでにそういう話をしていた事を修は知った。
「二人は仲がいいのか?」
「悪いわよ」
「いいぞ」
「…二人とも本当の事言っているな」
正反対の返事をする桜花と麟児だが、
遊真のサイドエフェクトが反応しなかったため、
つまりどういう事なのかと遊真は首を傾げた。
「わたしは二人が仲がいいと嬉しいです」
「――だそうだ」
「妹使うの止めなさいよ」
仲良くつるんで自分の方にも目を向けられるのは嫌だと桜花は言う。
折角、いろいろ結果を残して信用して貰っているのだ。
余計な事をしないで欲しいと安易に伝えた。
それに聊か苦笑したのは修と千佳だ。
年下に何悟られているんだという話だが、
そんなもの桜花は知った事ではなかった。
「桜花さんがここにいると言う事は、悪巧みか?」
「違うわよ!
皆して一体何なのよ」
「それだけ貴様が不審な行動を取っているという事だろう」
傍観に徹すると思われたヒュースがまさかの追撃を仕掛けてきた。
もしかしなくてもここに桜花の味方はいなかった。
「明星さんはエンジニアに用があったらしいぞ」
烏丸の言葉になんだか追いつめられた気分に桜花はなった。
何せ桜花とエンジニアに接点なんて何もないからだ。
しかも本部のエンジニアではなくわざわざ玉狛に来ているくらいだ。
怪しまれるのは分かっていた。
その相手をするのが正直面倒だったから言わなかっただけなのだが、
疑心の籠った目で見られてしまえば、
逆に言わない方が分が悪くなってしまう。
桜花はため息をついて正直に白状するしかなかった。
「最近トリオン体の調子が悪いから診て貰おうと思っただけよ」
「だったら本部のエンジニアに診て貰えばいいんじゃないの?」
「診て貰ったわよ。
操縦するのにタイムラグがある気がするって言ったら、
トリオン体は正常。気のせいだろと言われたわ。
寧ろ太刀川に負け続けている理由にするんじゃないって理不尽に言われたくらいよ。
こっちは真剣なのに腹が立つわ…!」
物凄く私怨が混じっていた。
確かにそんな理由ならそう言われて終わってしまっても仕方ないだろう。
だが遊真はそれを全て本当の事だとは受け取らなかった。
嘘、ではないけれど何か隠しているような気がしたのだ。
「玉狛のエンジニアは近界民だって聞いたから、こっちの方がいいと思ったのよ。
これで満足?」
「じゃあ、結局原因は分からないという事ですか?」
「ま、そうね」
修に心配されてしまい、桜花は呆気にとられてしまった。
これはこれで調子が狂うものだ。
「本当にちゃんとした理由があったんですね」
「えっと…とりまる?だっけ。
冷静な顔してそんな事思ってたの」
「明星さんここに来る時、
大体迅さんに呼ばれて来るので」
「そうだった?」
「はい。最近迅さん動きまわっているみたいだし、何かあると考えるでしょ」
桜花は思い返してみる。
玉狛に来た時にやっている事といえば、
ご飯を食べたくらいの記憶しかない。
…太刀川もそうだが玉狛にも悪巧みしていると思われているという事は、
気をつけないと動く度にそう思われるわけだ。
それはそれで今後の動きに支障をきたしそうでなんだか嫌だ。
桜花は純粋にそう思った。
(…というか迅の日頃の行いが悪いせいなんじゃないの!?
私完全に巻き込まれているだけじゃない!)
隠しもしない苛立つ桜花の雰囲気を感じるのは簡単だった。
「私より迅の方が怪しいだけじゃない。
そういうのは迅に直接聞きなさいよ」
ガチャ…
「あれ、オレもしかしてタイミング間違えた?」
読み違えたかなーと笑いながら入ってきたのは噂の迅だった。
「ほら、本人来たから聞きなさいよ」
「え、どういう展開?」
いまいち要領を得ていないという事は、
迅は未来視で上手く視えていなかったようだ。
玉狛メンバーをけしかけ桜花は自分に集まっていた目を迅に集める事にした。
それが上手くいき、静かに一息つく桜花。
…だが、ただ一人。
麟児だけはそうはならなかった。
自分から他者に視線を逸らす方法は麟児自身もやるからだ。
「それで、お前の不調って奴は操縦のラグだけなのか?」
「……」
桜花は麟児を睨んだ。
どうしてそんなにこの話題に食いつこうとしているのか怪しいが、
今の彼はこの世界で何の力もない一般市民。
しかもこちら側にはいない存在である。
言えないわけではないが知られたくないと思うのは、
自分の弱点を他者に知らせることになるからだと根本的な部分で考えているからだろう。
特に相手が麟児だと抵抗があった。
「それを言って私に何の得があるの?」
「少なくてもお前が帰ってからエンジニアに症状を伝える事はできるだろう。
時間の節約だ」
「尤もらしい事言うわね」
桜花は口を開いたのは、
麟児の言い分に納得したというわけではなかった。
何か探りを入れられている。
それが分かったうえで、
どう反応するか知りたかっただけだ。
「最近になってトリオン兵を斬った時、たまに痺れる事がある。
あと首の締めつけ」
「それは…」
言っている最中に、麟児は迅がこちらを見ている事に気付いた。
勿論、隣にいた桜花もだ。
寧ろ彼女からしてみれば視線はずっと玉狛メンバーにあったので、
気づかない筈がなかった。
こちらの動向を探るかのような視線の中、
麟児とこのまま会話する気は桜花はなかった。
「これ以上長居しても意味なさそうね、出直すわ。
麟児、本当にその気があるなら返事寄越しなさいよ」
「なんだ、期待しているのか」
「あまりしてない」
「お前の駄目なところは変に正直なところだな」
「五月蠅いわね。アンタに今更取り繕っても仕方ないでしょ」
「確かにそうだな」
話はここで終わりだと、桜花は歩き出した。
「桜花、もう帰るの?」
「帰るわよ私、夜から任務だから」
「じゃあおれも途中まで一緒に行こうかな」
「あれ、迅さんは今帰って来たばかりじゃ…」
「おれもこの後、本部で会議に参加するからな。
その前にぼんち揚げなくなったから取りに来ただけだよ」
迅の言葉は本当らしい。
遊真のサイドエフェクトが反応しなかったのは良かったのか悪かったのか微妙なところだが…。
「迅さん、やっぱり明星さんと一緒に悪巧みっすか?」
「うむ、とりまる先輩。どうやらその線が濃厚ですな」
「え、何の話?」
「アンタの日頃の行いの悪さが私にまで影響してるって言う話」
「なにそれ」
「それは私が聞きたいわよ」
寄るなと言って桜花は迅の足を蹴ってから足早に立ち去る。
部屋を出ようとする迅は皆に一言言ってから出ようとする。
その時、もう一度迅と麟児は目があった。
それから何事もなかったかのように、迅は桜花を追いかけた。
(迅悠一…未来予知のサイドエフェクトだったか――…)
麟児はこの一年で近界民の技術や国の事情、そしてサイドエフェクトについて知った。
自分の妹の千佳がトリオン兵を引き寄せる理由も知ったし、
妹、そしてここにいる玉狛の隊員がサイドエフェクトを持っている事も…知った。
その中でも厄介なのは遊真の嘘を見破るサイドエフェクトと、
迅の未来が視えるサイドエフェクトだ。
本人達からしたら使い勝手は悪いし、あまりよくないだろうが、
使う側としてはそうではない。
…仲間であるうちは純粋に心強い。が、
麟児は迅がこちらを見ていた事を思い出す。
恐らくあれは何か視えたのだろう。
それがどういったものかは分からないが、特に何かしようとしているわけではないのに非常に厄介だと思った。
(今の俺には関係ないか…)
「麟児さん」
呼ばれて麟児はいつもの何食わぬ顔で返事をした。
修、千佳、そして鳥丸と話し始めた彼とは少し離れて、
遊真とヒュースは世間話でもするような雰囲気で話していた。
「嘘は見当たらなかったぞ。ヒュース、心当たりあるか?」
「あれだけで何か分かるか」
二人の会話は麟児と桜花が話していた内容だ。
ちゃっかり一部始終聞いていたのだ。
不具合でもないのにトリオン体の操縦が上手くできないのは初心者にはまあまあある事だ。
しかし桜花程の実力者で違和感を感じるという事は、
何かあると思った方が懸命だ。
「あの女、また勝手に何かしているんじゃないか」
「それは聞いてみないと分からんな。
今度おれもランク戦してみるか」
歩いているといろんな人に出会う。
その数だけの未来が視えてくる。
未来は変わらないものもあれば、少しずつ変わっているものもある。
「千佳ちゃんのお兄さんと何話したの?」
急に話しかけられたと思えば…
なんだ、その事かと桜花は思った。
「ただの世間話だけど、なんでそんな事わざわざ聞くの」
いつもなら笑って誤魔化すが、迅はそうはしなかった。
それだけで何かあると勘づくのは容易い。
最近桜花は太刀川や、烏丸、遊真達に言われたばかりなため、
考えるなというのが無理な話だった。
「この後、会議だったわよね。それに関係するって事?」
「ああ」
「それってボーダーの事…というよりは麟児の事?
それとも私?」
「……」
返事はない。それが答えだった。
既に覚悟を決めていたからか桜花は動揺しなかった。
寧ろ、あの時に自分がどうするか決めていて良かったとさえ思っている。
あの時のランク戦がここに繋がっているなんて…。
きっと目の前の迅は知らないだろう。
この件について、関わるのは止めた方がいいと思ったのは桜花なりの思いやりだった。
桜花は歩みを止めず、先に進もうとしたところで、
迅に右腕を掴まれた。
何だと桜花が口を開くよりも先に迅が口を開く。
「その先へ進むのは止めた方がいい」
迅の目が真っ直ぐ向けられる。
それは桜花が決めた選択についてだろう。
この後迅は、ボーダーが今後の事を決めるために視えたものを伝えなくてはいけない。
アフトクラトルが攻めてきた時も、
一番最善の選択を選んだのにもかかわらず、
後輩達に被害を与えた事に落ち込んでいたと話に聞いていた。
恐らく迅の事を考えて選んだとしても結果は同じだ。
ならば、桜花は自分の事を考えて、
自分のために選んで動くしかなかった。
「私は今まで自分で決めてなんとかしてきたの。
周りにとやかく言われたくないわ」
桜花は迅の腕を振り払った。
「進むかどうかは私が決める」
「…桜花ならそう言うと思ったよ」
読み外すことは許されない未来。
読み外したくない未来。
この場所を守るために、
どの未来を選ぶか決めなくてはいけない。
この場所を守るために、
どの未来を捨てるか決めなくてはいけない。
なのに、
欲しい未来はまだ視えていない…。
20160804
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