過去と現在
一滴の波紋

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「桜花!」

部屋を出てすぐに桜花を呼び止めたのは嵐山だった。
「何か用?」
「さっきの話なんだが……桜花に言っていなかった事があって」
まだ、なにかあるのかと桜花は溜息をつく。
同じことを何度繰り返し議論しても、桜花の意見は変わることはない。
蒸し返さないでと言おうとして、
予想外の言葉が桜花の思考を停止させた。
「ありがとう」
「は?」
桜花と嵐山の意見は対立していたはずだ。
何故、お礼を言われるのか分からなかった。
「助けてもらったのにお礼を言っていなかった」
「ああ……」
桜花が人型を排除することで結果的に嵐山達を助けたことになった。
事実ではあるが――先程の会議の後、このタイミングでお礼を言うか?
苛立っていた桜花も、今ので毒気が抜かれてしまった。
「別にお礼を言うことでもないんじゃない?
だって、アンタは私がしたこと許せないんでしょ?」
「ああ、他にもっと方法はなかったのかと今でも思う。
相手が捕虜かもしれないなら尚更、今のままじゃいけないし、
俺は桜花のやり方は賛成できない。
だけど、アレを招いたのは俺だ」
桜花のやり方以上に自分に力がなかったことの方が嵐山は許せないらしい。
あの場は人型対策のための会議であり、
自分の感情を持ち込むことができなかった。
嵐山の心中は複雑であったのだろう。
だが、彼は自分の役割をしっかりと分かっている。
ボーダーの顔と言われている嵐山は、ボーダー内でも三門市民寄りに立っていなければならない。
皆が近界民と戦うことに注力するなら、嵐山は只管、市民を守ることを徹底する。
本人も三門市を守るためにボーダーに入隊しているため、それに異論はない。
桜花と立っている場所が違うため、背負っているもの、戦う理由も違うのだ。
意見の対立は避けようがない。
嵐山が言いたいことも分かるが、
桜花としては緊急時までそれを優先しなくてはいけないことなのか――。
疑問でしかない。
他人を優先した結果、自分が痛い目を見ていたら割りに合わない。
誰かを助けるために自分の命を失くした者がいることを桜花は知っている。
自分の命を助けられない奴が人様の心配をするなというのが桜花の持論だ。
無論、強要するつもりは全くない。
ただ何故そこまで頑ななのか聞いてみたいとは思う。
今まで聞きたくても聞けなかった。
桜花が聞きたい相手はもうこの世にはいない。
だからなのだろう。
今、目の前に生きている人間がいる。
意見を聞くには丁度いい機会なのかもしれないと気が向いたのは。
「熱くなって、なんで……家族、友人、仲間でもない。
赤の他人になんでそこまで熱くなれるの。
助けたいと思えるのよ?」
「俺はただ、助けたいと思ったから助けるだけだ」
「何それ、人助けが趣味?そういうの巻き込まないで欲しいんだけど」
「趣味じゃない。ただ、自分のためなんだ。
第一次大規模侵攻の時俺は何もできなかったから」

今から約5年前、三門市で起こった近界民による第一次大規模侵攻。
桜花が近界民に攫われた時だ。
あの時の桜花が覚えていることといったら、
襲われる時の恐怖と結局は誰も助けてくれなかったということだけだ。
ただ一人。
なんの力を持っていない少年が助けようとしていたことは薄っすらと覚えている。
攫われた当初は誰も助けてくれなかったという想いが強いせいか、
あの少年はどうなったのだろうかと思い出しては繰り返し考える。
戻ってきてくれたのだろうか。
自分を置いて逃げてしまったのだろうか。
それとも途中で自分と同じように世界から消えてしまったのだろうか。
心配という感情とは全く違うものが自分の中で渦巻いていた。
しかしそれも、兵士としての訓練が始まってからはなくなった。
訓練が厳しかったから考える暇がなくなった。
戦争中はそんなことを考える余裕さえなかったのだ。
自分が生き残るためには強くならないといけなかった。
生き残るために考えなくてはいけなかった。
繰り返し相手を倒し、仲間を失い、生き残る方法を学び、知ったのだ。
あれは仕方がないことだった。
皆自分が可愛い。
自分の命を守るのは生き物として最優先事項だ。
誰も助けてくれなかったのではない。
誰もが自分の命を守るのに必死だったのだ。
皆自分を助けるために逃げていた。
少なくても皆、生きることを諦めていなかった。
力がないからこそ、生き残るために逃げる戦い方しか選べなかったのだと、
戦うことを覚え、力を身につけていくことで桜花は知ったのだ。
力がない人間が嘆いても現実は変わらない。
嘆く暇があるなら力をつける努力をした方が健全的だ。
桜花にとって第一次大規模侵攻はたまに夢に出てくるくらいの終わってしまった過去だ。
弱気になった時、迷った時はあの時の何もできなかった自分を思い出し鼓舞する。
一つのスイッチみたいなものだった。
こういうのは被害者側……攫われた人間、遺族が覚えているものだと思っていたが、
目の前の嵐山は当事者というだけなのにまだ覚えていた。
あの時はボーダーなんてものはなかったし、嵐山もただの中学生だったはずだ。
何もできないのは当然で仕方がないことだ。
なのに気にする理由が分からない。
そう考えて、嵐山は自分と違って真面目だということを桜花は思い出した。
真面目な人間の理想論を聞くのが得意ではない桜花は、
話半分で聞き流そうとしていた。

「近界民の襲撃で途中まで女の子と一緒に避難していたんだ。
でも、俺は家族が心配で途中でその子と別れた。
見つけたらここに戻ってくる。一緒に逃げようって約束して――……」

身体が凍り付いたように動けなくなった。
聞き流そうと思っていたのに聞き流せない。
状況が似ているだけで全く違うかもしれない。
嵐山の言葉を聞いて桜花は思わず自分が攫われた時を思い出した。
妙な既視感のせいか……桜花はその話を自分が知っている話と重ねてしまった。
もう終わってしまった世界の話。
それが今、嵐山の口から語られているのはどういうことなのだろうか――。
「副と佐補を見つけて戻ったけど、
その子、いなくなってた……俺は何もできなかったと知ったんだ」
「……なにも、できなかったって……その子いなかったんでしょ?
助けられたんじゃないの?それとも自分一人で逃げたとか」
「違うと思う。
あの時、実は俺達ボーダーに助けられて……ボーダーが言ったんだ。
ここには誰もいなかった。君たちは避難するんだって」
この時初めて世間に姿を見せたボーダー。
自分達とは違い守る力を持っている彼等の言葉を聞いて、
少女は嵐山達が来る前に誰かに保護されて避難したのだと信じた。
そして嵐山は実感した。
自分の無力さを、そして力を持つ人間ができることを。
だからボーダーに入隊して……嵐山は力をつけ、近界民の目的を知り、
本当の意味で実感したのだ。
あの時のボーダーの言葉は嘘ではないけど真実ではない。
あの少女の姿を誰も見ていないのは既に少女が近界民に捕まってしまったからだ。
少女と一緒に行動していれば、自分が離れなければ、
もしかしたら違う未来があったのかもしれない。
「逃げてるだけじゃ何も守れない。
俺は家族を守る力が欲しいって思った。目の前の人間を守る力が欲しい。
だから俺はボーダーに入隊した。
桜花が言うことは分かるし、それが一番現実的だということも分かる。
だけど俺は目の前に助けを求めている人がいるなら助けたい」
「今日みたいに罠だったらどうするのよ」
「それでも助けるよ。
俺は守るために最期まで戦うと決めたんだ」
(ああ、嵐山には罠とか関係ないんだわ)
誰もが罠だったらどうしようと自分に害が及ぶことを考えるのに、
人命に関していえば嵐山にはそれがない。
桜花は初めて嵐山と会った時のことを思い出す。
アフトクラトルが攻めてきた中、
少年を抱えた桜花がボーダーの人間ではないと知りながら真っ先に近づき、
安全だと分かってから自分の隊員を近づけ、少年を保護した。
今日だってそうだ。
助けを求めた少女に真っ先に近づいたのは嵐山だった。
彼が守りたい対象は市民だけでなく仲間もなのだろう。
それらの行動から嵐山が罠である可能性を考えていないわけではないことを知る。
それよりも助けられる可能性を信じて動いているのだと知る。
嵐山の答えはシンプルであって、とても難しい。
口で言うのは簡単だけど実践するのは難しい……というより無茶に近い。
無茶だけど嵐山には実行する度胸と実行できる技術を持っている。
(こいつ、真っ先に死ぬタイプの人間じゃない!)
はっきり言って質が悪いと桜花は思ったし、もう呆れるしかなかった。
人は自分が信じ、選んだ道を進むだけだ。
解り合えないなら仕方がない。
――だったら勝手にすればいい!
何も考えずに口にして、歩みを止めずこの場を立ち去る。
今までそうしてきたように……しようとしたのに、桜花はそれができなかった。
足が縫いつけられたかのように動かなかった。
喉が詰まったかのように言葉が発せられなかった。
それは何故なのか……桜花はこの話に出てくる少女が誰なのか分かったからだ。
まさかそれだけでこんな風になるなんて思ってもいなかったが。
「わ、たし――」
ようやく出てきた言葉。
しかし何を言おうとしているのか分からない。
なんとなく口にしてはいけないと思ったし、
口にしなくてはいけないとも思った。
勝手に動く唇を噛む。拳を握り、ぐっと堪えた。
一度冷静になろうと静かに深呼吸する。
「アンタの信念は分かったわ。
でも巻き込まれるこっちはいい迷惑よ。
大体、第一次大規模侵攻の女の子のこといつまで覚えてるつもり?
その子が生きているかどうか分からないんだから忘れたらどう?」
口にして桜花は失敗したと思った。
話題転換しようとしたのに、話を引きずっている。
全然冷静になれていなかった。
しかも余計なことを口にして……意外にも自分は動揺していることを知る。
「忘れないよ」
「え」
「俺は忘れない。
その子、まだ生きてるかもしれないだろう?
だったら助けたいし諦めない」
「なんで生きてるかもしれないなんて考えられるのよ」
ボーダーは攫われた人間を助けるためのプロジェクトを掲げているため大きな声では言えないが、
上層部は攫われた人間が死んでいる可能性についても考えている。
その考えは当然だと桜花は思う。
そして攫われたらもうダメだと思ってしまうのは一般的な意見だというのも知っている。
「だって桜花は生きてただろう?」
「――――っ!」
「だから諦めちゃいけないんだ」
嵐山の言葉に胸が締めつけられる。
空気を上手く吸えない。
口元が震える。
なのに何かを告げようとしている自分がいる。
「だったら……」
「邪魔だ」

第三者の介入で空気が変わる。
束縛が解けたかのように急に動くようになった身体。
頭も自然と切り替わる。
助かったと桜花は安堵した。
まさか二宮に救われることになるとは思ってもいなかったが、それはそれだ。
「悪かったわね。
……今から休むから、何かあったら呼んでちょうだい」
「ふん、誰が貴様を呼ぶか」
「その方が助かるわ」
言うと桜花は真っ直ぐ向かう予定だった自分の部屋に足を向けた。
「桜花!」
「何?」
「さっきの話なんだが……」
「私もう寝たいから今度にしてくれない?」
「ああ」
言うと足早に去っていく桜花の背中を見ながら嵐山は呟く。
「桜花何を言おうとしてたんですかね?」
「知らん」
きょとんとしている嵐山を見て二宮は溜息をついた。


自分の部屋に入り、ようやく一人になったところで、
桜花は息を吐いた。
落ち着ける空間。身体を休められる空間。
考え、情報を整理するのに都合がいい空間。
「自室があるのは最高ね」
言葉通りの意味だった。
この数時間でいろんなことが起こったがやるべきことは変わらないはずだ。
落ち着けと自分に言い聞かせる。
そして考えろと自分の頭を働かせる。
先程のことは既に終わったことだ。
そう、あれは夢の話だ。
なのに頭から離れない。
自分はこんなにも切り替えが下手だっただろうか。

……知らなかった。
少年が約束通り戻ってきていたことを桜花は知らなかった。

桜花は自分の首に触れ、力を込めた。
浮かび上がる首輪を見て現実を見る。
「あと1日――…」
桜花にはもう時間がない。
常に生き残ることしか考えていなかったから、
その方法にこだわりなんてものはなかった。
他人に全てを委ねるのは危ないのを知っていたから、
いつも自分がとれる最善の手だけを選んでいた。
だからあれは狡いと桜花は思った。

だったら……助けて。

なんて、今の桜花には口が裂けても言えない言葉を、
嵐山は言わせようとしたのだから――。


珍しく桜花はベッドに飛び込み、顔を枕に沈める。
もう一度あの夢が見たい。
今ならその先にある違う終わりが見えるかもしれない。
せめて夢の中だけは……そう思ったのは初めてだった。


20170430


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