キャッチ・ア・ブレイク
暗闇の端っこが青ざめてきた、私が夢から抜け出したのはそんな時間だった。横で眠る彼はすうすう寝息を立てていて、そのままもう一度目を閉じてもよかったけれど、眠るにしてはすこし気になるくらい喉が渇いていた。
キッチンの床はつめたいから、裸足で向かったら彼に叱られてしまう。ベッドの横に転がっているスリッパを適当にひっかけてぺたぺた歩き出す。これ片方わたしのじゃないな。
冷蔵庫を開いてミネラルウォーターを取り出す。庫内灯が自分の姿を照らして、目に映ったスリッパのサイズの違いに笑いそうになる。どうりで歩きづらいわけだ。
喉を潤して帰ってきたら、ぱすぱすとわたしの抜け殻を探しているクリスがいた。起こしちゃったかな、と近寄るけど、目は閉じられたままで、まだ眠ってるみたい。無意識なんだろうか、可愛い。同居を申し込まれた時、もう君がいないと眠れないんだよって手の甲にキスしながら上目遣いをしてみせる彼にそんなことないでしょって笑ったことを思い出す。本当に気付いちゃうんだ、すごいな。それなら、このまま私が居ないって気づいたらどうなるんだろう。観察していたら、彼の形のいい眉が悩ましげに寄せられていって、んん、と声が漏れ始める。いけない、起きちゃう。
彼が起きてしまう前に、ちょっとした悪戯心で窓辺に置いてあったテディベアをそっと腕の中に置いてみた。去年の誕生日に、テディベアにネックレスの小箱を持たせて贈ってくれたもの。こういう気障な真似をさらっとやってしまうから、やっぱり王子様なんだなあと思う。噂通り、完璧なひと。
そしてなぜか、遠目で見ているだけでもまぶしいひとを、最前で見ることをゆるされてしまった。おつきあいを始めてそれなりに経つけれど、未だに夢なんじゃないかと思う。なのに彼はこんな一般職員にご執心で、本当に私でいいのかって何度も聞いたけれど、時に君じゃないと意味がないと自身ありげに、時に俺を君の一番にしてと切なげに懇願されると何も言えなくなってしまう。
ストイックで、努力家で、とてつもなく内面が格好いい人だけれど、外見も信じられないほど上質なのだから手に負えない。
そしてそれを踏まえて思う、ふわふわのくまのぬいぐるみを腕枕しているクリス・プリンス、なかなか見れない絵面だ。
「んう、ナマエ?」
「ここにいるよ」
「ん……、縮んだ?」
「ふふっ」
セーターじゃないんだから縮まないよ。腕に重みが返ってきて安心したのか、ぎゅう、とテディベアを抱きしめているクリスが可愛い。写真を撮りたいけど、暗くて見えないしフラッシュ焚いたら起こしてしまう。しょうがないからしっかり目に焼きつけて、サイズ感の違いにナマエじゃない……?と大きな目を開けようとしている彼の隣に帰ることにする。
「わたしはこっちだよ」
「んん、ナマエがふたり……?」
「ふふ、そうだよ。増えたの」
「そっかあ……。ふたりとも、起きるにはまだはやいよ……」
おれのプリンセスが増えた……とふにゃふにゃ笑ってるクリスが可愛くて、わたしを招きいれる彼の腕の中にくまとふたりですっぽりと収まる。寝ぼけてるクリス、初めて見た。この人ってこんな柔らかい顔をするのよ、みんな知らないでしょ。喋り方だっていつものはきはきしたものじゃなくて、外では絶対に見せない気の抜けた姿で。
何につけてもはっきりしたひとだから、こういうゆるゆるした笑顔を見れるのは彼女の特権だなあ、と思う。できれば、こんなかわいい姿を見るのはわたしだけでありますように。鍛えられた腕の中で心地のいいまどろみに浸っていると、じきに彼も私もゆっくりと長い呼吸に戻っていった。
翌朝、気がついたらくまを抱きしめていた私を見て「なんでこの子は俺を差し置いてナマエに抱きしめられてるんだ?」と嫉妬しているクリスに思わず吹き出してしまったのは仕方がないと思う。