11.空の下
どくんどくんと心臓が早鐘を打つ。逃げ延びられるビジョンすら掻き消される程の威圧感。今一歩たりとも動けば命が刈り取られるだろう。空想ですら敵の筋書に味方し、死の予感がじくじくと肌を刺す。
ニヤリと口元を歪めた男が一歩二歩と距離を縮めるが、身体中の細胞が奴を近付けるなと警告を発している。彼らはじりじりと後退り出口から遠退く。
「地上の為に死に逝く者共の土産に名前くらいは教えてやろう。……我が名はガードル」
「どういうことよ。あたし達が地上に何かしたって言いたいワケ?」
男からの言葉はない。が、その通りだと難じるように喉の奥でクツクツと笑む。
完全に言い掛かりだ。身に覚えのないことで黙って殺されてしまうのは真っ平御免である。だが根拠を聞こうにも、もう語らいの時は終幕を迎えた。
「──来るぞ!」
スパーダが殺気の揺らめきを察知し、仲間に警告を叫んだ瞬間、ガードルはまるで低空飛行で風を切るかのように一瞬で間合いを詰める。
「! 速……っ!!」
「ルカくん危ないっ!」
ミルファの声とほぼ同時にルカは身を翻し何とかその場を離れる。突撃は対象を逸れ、無機質な床にぶち当たる。そして、崩壊したその場を中心に通路は抉れ、壁にまで被害が及ぶ。もし直撃していたらと悪い想像が働き血の気が失せて顔が青ざめていくようだ。
ガードルはすぐさま方向転換し、武器を横に薙ぐようにして衝撃波を飛ばす!
「ちょ、バケモンなんじゃないのあいつ!」
「失礼ながら、わたしもそう思っちゃうわ。──フォトン!」
光の初級術により現れた光の帯が衝撃波を包み込み相殺した。反発したことで小さな爆発を引き起こし、一瞬視界を奪われる。……が、この異人の男はそれをもろともせず突進して来ていた。
このままではアンジュが危険だ。術の詠唱直後で身動きが取れないでいる。
イリアとリカルドがガードルの両端から銃を向ける。ダンッ! とイリアが狭い基地の中で跳ね、そして二つの発砲音が轟く。これで逃げられない! チェックメイトを迎える──筈だった。
「ウソでしょ……マジ?」
銃弾は男の身体に埋まらない。それどころか、ガキンガキン! とこれ見よがしに弾かれていく。多対一にも関わらず、一であるガードルが優勢であると思われたが、天術と銃弾に気を取られ過ぎた。ガードルはミルファが天術の詠唱を終えていることに気が付かなかったのだ。
「来て、炎の剣!──フレイムランス!」
とにかく少しでも隙が生まれればいい。そう思いミルファが術の名を叫ぶと基地内の天井に魔法陣が描かれ炎の術で出来た大剣が姿を現した。重量に引かれたかのように素早く重く突き刺しに落ちたそれは男の身体を掠る。燃ゆる痛みに怯んだその隙を、彼らは逃さない。
「余裕かましてンじゃねェぞ、おっさん」
──もう遅い。ルカとスパーダが懐に潜り込んでいることに気付いたガードルは瞠目し、これから起こることを受け入れるしか出来ない。
二人はアイコンタクトを取りタイミングを合わせ、攻撃を繰り出す──!
「剛・魔神剣!」
「風迅剣!!」
ルカが剣を上に払って赤い剣圧に変わった魔神剣を、スパーダが剣に風の力を溜めて突風が起こるような突きを繰り出した。
攻撃をまともに受けたガードルは外に押しやられるように吹っ飛ぶ。傷付き血を流しながら、苛立ち、怒り──それらの憤怨を宿した瞳孔を開き、猛り、一行を一瞬で身震いさせる。そのあまりの迫力に怯んでしまいミルファは誰よりも早く膝から崩れそうになった。
「こんなもので、止められると思ったか!!」
そしてガードルは綻び掛けた隙を突くようにミルファへと間合いを詰め、武器を振り上げた。咄嗟のことに避けることも出来ず、何とか振り下ろされるそれを細い腕で、細いレイピアで受け止め──切れる筈もなく、華奢な身体は壁に向かって吹き飛ばされる。
(あ、まずい。これ、絶対痛いだろうなあ……)
少しでも痛くないようにと強く強く目を瞑ってやって来るそれを待つが、衝撃はやって来ない。どうして? と不思議に思い恐る恐る目を開けると、目の前にさらさらと揺れる翡翠の髪が広がる。
スパーダが駆け寄り、ミルファを抱き留め壁にぶつかるのを阻止したのだ。
守ってくれたんだと分かりホッと安心を覚えたが、ミルファはそんな自分の不甲斐ない弱さに悔しくなり、じわりと涙が溢れそうになったが押し留めた。
(いけない、わたし。……しっかりしようって決めたじゃない!)
仲間達が懸命にガードルへ向かう姿を目にし、ミルファは畏懼する脚に力を入れて立ち上がる。
戦うことに縁遠いまま甘えていてはいけない。足手纏いになりたくない。仲間と共に行動する道を選び望んだのなら、立ち向かうんだ、ミルファ。と自分を奮い立たせ、レイピアを握り直す。
「スパーダ……ありがとう! 大丈夫、次はちゃんとするから……!!」
「ああ! じゃ、頼むぜェ、ミルファ!」
「うん!」
長年の付き合いで彼女のことはよく見ている。そのため、スパーダにはミルファが無理をしているのはお見通しだった。戦いに慣れていないのだから恐怖を抱くのも震えて動けなくなるのもある程度は仕方ない。だが、彼女は戦うことを選び前を向いている。……ならば、自分は。スパーダはミルファの決意と意志の力に呼応し、駆ける。
狭いこの場で何人も前衛に立ち戦うのは逆に難しく、上手く立ち回れないだろう。ミルファはロザリオで祈るようにレイピアを胸の前で縦に構えサポートの体制に入った。今度こそ、役に立ってみせる。
(お願い、力を貸して! まだ名前もわからない前世のわたし!)
刃や弾、術の閃光が張り巡る中、それをバリケードにしてスパーダはルカと共に再びガードルの懐を目指す。実力差がはっきりとしている以上、長期戦はゲームオーバーを意味する。二番煎じは通用しないだろうが、それでも──やるしかない。
(大丈夫、今度こそ!)
刃と刃がぶつかり反目し合う。ルカの身体にそぐわぬ大きな剣がガードルを押し始める。踏ん張りが足りず、ずず、と後ろにやられるガードルが、ついに命を刈り取る形をした鎌のような槍のようなそれを弾く! そして、ガラ空きになったその躰を大きく斬り上げ、勢いで浮かんだ奴をさらに斬り付け──ミルファが放った天術により生まれた魔法陣が対象を捉えて逃がさない。次いで、陣目掛けて星の光の鉄槌が落ちると同時にスパーダがとどめとばかりに勢い良く斬り下ろし地に叩き付ける!
幼馴染二人の連携技が見事に決まり、ガードルは床に縫い付けられたように動かない。
(や、やった……の?)
覚悟を決めて死なない為に戦ったとはいえ、あまりの傷付き具合にミルファは少し申し訳なく感じた。こういうところが甘いのだ。その証拠に傭兵であるリカルドは戦場に立つべきではない娘だと哀れむような目線を彼女に向けている。
刹那、その瞳が再び鋭いものへと変わったかと思うと、頼むからもう立ち上がらないでくれという全員の思いに背き、ガードルがゆらりと立ち上がった。傷だらけでありながら、射竦めるような瞳の強さはそのまま損なわれていない。
いつまで続ければいいんだ! と不満を叫びたくなる状態だったが、ガードルはこちらを睨みながら一歩、また一歩と後退して行く。追って来るなと目で動きを制するように。
また襲われてはたまったものではないのでこの場で終わりにするべきだが、こちらも満身創痍のため追いかけるのは自殺行為。黙って逃げ失せる様を見つめるしかない。その様を違う感情を秘めて見詰める者が、ひとり。
「リカルドさん……?」
リカルドの瞳には何か懐かしさに焦がれるような何かが宿っていた。ミルファが名前を呼んだことでハッと我に返りその色はすっかり失われてしまったが。横目に見ていたミルファは前世で何か関わりがあったのかもしれないと考えたが、声を出すよりも先に体力の限界や恐怖を押し殺していた反動が訪れてガクリと力が抜けて膝を付いてしまう。仲間たちも切り抜けた安堵から長い長い息を吐き、もうこりごりだと助かった解放感を噛み締めた。
このままここに居れば奥に在る兵器が動き出したり、王都兵が戻ってきたり、何かしら良くないことが起こるかもしれない。また散々な目に遭う前に一行はさっさとすぐそこにある出口へ足を伸ばし室外へ出た。
「わあ、お日様だ!」
「やぁっと外に出れた〜!」
外は薄暗い基地の中とは打って変わって晴天。数時間ぶりの眩しい日差しを浴び、体が喜んでいるのを感じる。
とりあえず一旦体を休めるべきだ。アンジュが居る今、ナーオスの町に戻るのはかなり危険ではあるが、匿って貰える当てがあることを知っているルカとイリアとスパーダは安心するように仲間たちに言う。にしし、と嬉しそうに笑うので事情の知らない三人は顔を見合わせて首を傾げつつその当てを信じることにした。
皆、そこまで酷くはないとはいえ、打ち身や斬り傷を負っているので少し動きが鈍い。先ほどの戦いで魔力も切れてしまっている為、なるべく戦わずに済むように魔物を避けて町へ向かう。
「……あ〜〜早くベッドで寝たい……」
「お腹空いたんだな〜、しかし」
「なんだこのネズミは……?」
わいわいと他愛ない会話をしながら進む中、ミルファとスパーダは何となくいつも通り隣同士になったもののどことなくぎこちなさが付き纏いあまり会話が弾まない。本人達は分かっていないが原因は明らかだ。基地の中で思い切り密着したことである。
嫌だとかそういう訳ではなかったが、感じたことのない気持ちに襲われ、熱を思い出してしまうので近付けないのだ、お互いに。
話していないのにじっと顔を見る訳にもいかず、野に咲く淡い色の小さな花たちに目を向けたり、スパーダを見たり……を繰り返すミルファ。きょろきょろと落ち着きのない様子の中で、ふと何度目かスパーダを見た時、スパーダが徐ろに自分の右手の甲を見詰め、「あ、血ィ出てら」と呟いた。
その言葉を理解するより先に、まるで極自然で当たり前なことのように彼の赤い舌がそこに這おうとしているのを見て、ミルファは思わず、ずいっ! と彼に近付いて手をぎゅっと握っていた。手の甲を見ると、線を引いたように一筋の線から赤い粒が膨れるように溢れ出そうとしていたので、ガードルの攻撃に当たって皮膚が少し切れてしまったんだとわかる。
「スパーダ、舐めようとしたでしょ。だめだよ?」
ミルファの指摘が図星だったのでスパーダは何も言い返せない。しかし今まで大きな怪我以外はまともに消毒して来なかったスパーダにとってこの程度の傷は何でもないし、見た通り擦り傷というものだった。
「大丈夫だって、舐めときゃ治──」
「だぁめ。ね、お願い。じっとしてて?」
異論は受け付けません! と言うように、ミルファは返事も聞かずにポーチから柔らかな白いレースのハンカチを取り出しそっと優しく巻いていく。
スパーダの赤いグローブと白いレースのハンカチ。妙に合わない色の組み合わせに違和感しかないが、不思議と嫌ではないとスパーダは思った。白に少し赤が滲んでしまったので洗って返すと言ったが、ミルファは大丈夫だよと彼を見上げて微笑みを向ける。
明らかに遅いが、そこで気付く。彼の手当てに集中していて気付かず内にとても距離を詰め過ぎていたことに。さっき助けて貰ったときのことがぽわぽわと頭に浮かんだものだから、スパーダの手を包んでいたミルファの手がバッと勢いよく離れた。
「ごっ、ごめんね……!」
「や、えっと……む、むしろサンキュ」
「う、うん……」
再びぎこちない時間が戻ってきた。最後尾を歩く二人はちぐはぐな歩幅で先導する仲間にふらふらと付いて行く。思い出した熱から顔を赤らめるミルファを今度はスパーダが横目に見ていた。きょろきょろではなく割とまじまじとではあるが。
幼馴染の挙動不審さに、スパーダは自分が何かしてしまったかと行動を振り返ってみるが特に思い当たらない。何かあるなら言ってくれればいいのにと思いつつ、触れたり話しかけようとはしてくれたりするのは分かるので嫌われた訳ではないようだからそこには安心してはいる。
だったらなんでだ? と隣の彼女を見ながら思っていると──ふと彼女の首筋に目がいった。今朝出発前に眠るミルファの包帯をそっと取り換えたが、もう薄らではあったがあの殺人鬼の襲った痕が歯型に浮き出た内出血の証として残っていたのを思い出す。そろそろ包帯を取っても大丈夫だろう。転生者の力に目覚め、今まで人の怪我を治すことに天術を使ってきたアンジュも居る。傷が消えるのは時間の問題だ。良い事だ。でも──。
(傷は消えても、ミルファの中から恐怖が消えることはないんだろうな。……それって、なんか)
苦しい気持ちや恐怖心というのは脳や心に刻まれやすいのだ。ミルファは良いものも悪いものも受け取れば捨てられない。だからこれからもずっと恐れを憶えたままということだ。だがそれは、ミルファの心にあの気味の悪い道化師が住み着いているようで。
「……すっげェ、ムカつくな」
腹の底から漏れ出た自覚のない声は誰に聞かれるでもなく青い空に吸い込まれて消えた。