13.再会は嘘の色

 近年、テノスとレグヌムを繋ぐ蒸気機関車の走る線が出来たというのに戦争が長引いたことでお互いの国へ行くことは出来ない。その影響か町中の人混みに比べると人通りは極僅か。このご時世、旅行に行くなど酔狂なことをする民はいない筈だ。となれば、買い物や出勤など必要最低限の利用しかされていないだろうというのは想像に難くない。
 せっかく他国と繋がっている線なのに勿体ないな、とミルファはがらりとした駅構内を見て思う。早く戦争が終われば、世の中が良くなれば、色んな国へ自由に行けるようになるのに。それに自分は当て嵌まらないのかもしれないけれど、それでもそう願ってやまないのだ。

「…………おい。……おい、ミルファ」
「えっ、な、なに? どうしたのスパーダ」
「そろそろ情報集めやんねーと、と思ったんだけどよォ……どうかしたのか?」

 声を掛けられているのにも気付かずぐるぐると思考を巡らせていたミルファにスパーダは手を伸ばして額に触れた。
 熱でもあるのか? と言われたが、それどころではない。ミルファの脳裏に基地での熱が瞬く間に蘇りまた心臓がバクバクと騒ぎ立て始めて音に自分が掻き消されそうな感覚に襲われる。
(だ、だめだめだめ! なんで!? なんでこんなに恥ずかしくなるの)
 じっと赤を見詰める灰に呑まれるようで、治まるどころかますます音は激しくなり──ふい、と思わず逃げるように顔を逸らしていた。

「え……ええっと、大丈夫だから! わたしあっち側の人達に聞き込みしてくるね!」

 そそくさとスパーダの元から離れ、ちらほらと佇んでいる人達に聞き込みを始める。しかしやはりと言うべきか異能者は適応法でほぼ連れられていて未だに隠れている者の噂はおろか創世力の話なんて欠片もなく、なかなか情報を集められない。
 どうしたものかと思いミルファが少し離れたスパーダの方を見ると、彼の方もたまたま同じように視線を彼女に向けており、ばちりと目が合う。たったそれだけだというのに、また目を逸らしてしまった。大袈裟だと言われるほど、体ごとぐるりと背を向けて。そのまま気まずい思いから少し距離を取ろうと小走りでその場を離れて話を聞けそうな人を探す。
(わたし、どうしちゃったんだろう。いつもどうしてたっけ……どうやって目を見て話せてたっけ……?
 知らない感情のせいでいつも通りに振舞えないことに頭を悩ませるが、どうしても見れないのだ。スパーダの真っ直ぐな瞳を。
 ──ああ、また。その瞳を思い出すだけで、体の中心から熱が吹き返す。なんで? どうしたらいいの? もう助けて貰いたいほどにミルファは自分自身の感情が、状態が、わからない。無知というのもなかなか罪なものだ。
 お手上げだという気持ちや走り疲れから漏れたはあっという息がコンクリートに被り、気付く。

「あ、あれ……いつの間にこんなところまで……」

 周りを見ずにひた走ったせいか、気が付くと工業地区と商店街の境目辺りまで来ていた。町中とはいえ絶対安全ではない上に転生者にとっては危険な場所だから二人一組で行動しているというのに、何をやっているのか。
 自分本位な行動を反省し、迷惑をかけるような事態になる前にスパーダの元に戻らなければと半ば急ぎ気味に踵を返そうと脚を来た道へ向けたとき。

「ミルファ様……?」

 後ろから遠慮がちに、馴染みのある声に名前を呼ばれる。……聞き間違う筈がない。毎日聞いていたその声を。
 どうしてこのタイミングなんだろう。いつも買い出しになんて行かないのに、家に届いた選別された物しか使わないと親が言っているのに、と怒られた子供のような居たたまれない気持ちを抱きながら、恐る恐る振り返る。聞かなかったことにして逃げるという考えに及ばないところがまだまだ甘い彼女らしい。
 赤、緑……色とりどりの食材や調味料のビンなどが入っている紙袋からそれらが溢れて地面に散らばっている。その中に、ハルクスが佇んでいた。
 眼前に在る少女が真実なのかと目を見張っている。そして、間違う筈がないのは彼も一緒だった。四六時中共に居て仕えていた娘だと確信し、あまりの衝撃に覚束ない足を動かしてミルファに近付く。

「今までどちらにいらっしゃられたのですか……!?」
「ハ、ハルクス……」
「突然居なくなられて、とても心配していたのですよ。さあ、お嬢様」

 スッと屋敷に居た頃と同じように柔らかく手を差し延べるハルクスを、ミルファはただ見つめるしかできない。彼女はその手を取るわけにはいかないからだ。
 転生者だから。適応法があるから。仲間たちと一緒に居て、力になりたいから。創世力を見つけて争いの種を無くさなくてはいけないから。それに、帰るのはまだ怖い。だから、このまま連れ戻される訳にはいかない。

「ごめんなさい、ハルクス……わたし、お屋敷に戻る訳にはいかないの」
「ミルファお嬢様……?」

 眉を下げ悲哀の表情を見せるハルクスに、ミルファは胸を痛める。
 きちんと説明しなければならないが、転生者だと言う訳にもいかない。でも、嘘を付きたくない。どう伝えればいいんだろうと思案し言葉を探していると、ハルクスは憂色を濃くし、コツンと道に転がる荷物を靴に当てて一歩距離を詰めた。
(…………えっ?)
 ……おかしい。単純に、簡潔に、ミルファの本能はそう感じ一歩後退った。
 ハルクスは優しくて慈悲深く、倫理観のある人間だ。人も物も大切にする、そういう人の筈なのに。今彼は、自分の買った物達を気に留めることもなく、挙句、靴に当たっても拾う事もしなかった。
 知らない一面と言えばそれまでではあるが、その言葉で片付けられないほどの違いに、ミルファは困惑して浮かび掛けていた言葉すら失い立ち竦むしかない。
(もう一度謝って、それで、逃げて、あの場所まで走らなきゃ──)
 このままこの場にいることに怖気づいてしまい、本能が逃げろと命令しているようだった。それは悟っていたのだろう。これ以上知らない何かを知ってしまったら、後戻りは出来ない、知らない振りが出来なくなると。

「貴女が帰るのは、あの屋敷ではありません。マティウス様の元です」

 今までを壊したくない彼女に無慈悲な言葉が降り注ぐ。
 耳を、疑った。何故その人物の名を知っているのか、尊敬の念を込めて呼ぶのか。一体どういうことなのか一向に理解が出来ない。
 待って欲しい。言葉の意味を考える時間が欲しい。彼女の頭の中にあるのは意味のない疑問の声しかない。え? 何を言っているの? どういうこと? そんな言葉しか。
 うぅん、と形の良いシャープな自身の顎に手を掛け考え込む仕草をするハルクスはいつもの様子と何ら変わりないというのに、もう違う人物としか思えない。この人は誰なんだと言いたいほどに。

「本当は先日呼んだ兵士にアルカ教団まで送り届けて貰うつもりだったのですが……逃れられたようですね」
「……ハルクス……?」

 やっと出た声は震えていて、彼に届くか届かないかの微々たる声量だった。
 考えられない、わからない。否……そうじゃない。ミルファはもう分かっている。しかし、受け入れたくないのだ。
 彼の言葉は、ミルファが適応法で連れていかれた日に家の前まで来ていた兵士はハルクスが呼んだということを意味している。アルカ教団の教祖、マティウスの元へ送るために。他の誰でもない、いつも優しく接してくれていた彼が。

「ご安心ください、ミルファお嬢様」

 ハルクスがそう言葉を放った瞬間、ミルファの目の前にあるはずのない世界が広がる。遥か昔の世界のような──夢でよく見るものとそっくりで、意識も感覚も全て丸呑みされたように吸い込まれた。





「あら、今日は会いに行かないの?」

 女は自らが眠る傍らに立つ男に声を掛ける。
 男は視線だけをこちらに寄越し、事務的な態度を崩さない。……なんて余所余所しく、そして、冷たいのだろう。
 こういう時の彼は、色んな事が上手くいってなくて八つ当たりするしかない程に余裕がない状態だということを女は分かっていた。しかし、まだまだ幼くて仕方のない子だと思うと愛しくて仕方がなく、くすりと笑みが漏れる。

「ご安心ください。私にそのような暇はありませんから」

 ツン、と顎を上げて顔を逸らしつつそう告げた男は、続けて「アスラ様より貴女様のことを見ているよう命じられましたので」と言い放った。
 やはり拗ねているのか。女はそう理解し、笑みを一層深めたばかりか、ふっと吹き出してしまう。その態度が気に障った男はもう一度ぐるりとこちらに目線を向ける。恨めしいと言いたげな顔だ。
 上げた笑いがだんだん収まってきた女は、ああおかしい、と言うようにクスクスと笑い、ふうっ……と終わりの合図の如く息を深くわざとらしく吐く。そして、男の考えていることを口にする。

「……貴方が見ていたいのは別の子なのに、あの人も意地悪ね」
「っ……別に、そんなことは」

 誰が見ても分かるほど動揺し、視線を彷徨わせる。そんな可愛らしい姿についお節介を掛けたくなるのはもはやどうしようもないことだ。
 行って来ていいのに。と彼女は言うが、命令には背けませんからと返されてしまった。
 本当に素直じゃないと思うが、それでも放っておくことは出来ない。かと言って、この彼に出来る事も限られている……だから下手に力になるとも言えない。もどかしいことだ、と女は歯痒さを噛み締めてそれ以上は何も言わなかった。





 女と男の光景を見た。
 女はいつもの彼女──ベッドの上で動けずに寝ている人で、傍らに立つ男はいつも見る男とは違っていた。そして、この男がきっと“そう”なんだと、ミルファの直感は告げている。
 それでも聞かずにはいられない。彼から……彼の口から出る言葉をこんな状況でも求めてしまうミルファは自分自身にどうしようもないなと嘲笑せずにはいられない。

「ハルクス、あなたは……転生者、なの?」
「……もうじき貴女も」
「え?」
「貴女も真実を知れば、私と同じ世界に立つことになりますよ」
「どういう……意味なの……?」

 ハルクスの言葉は霞掛かっていて真実が何なのか分からない。信じたくても、第一前提である彼本人すら白い霧の中に居るようで見えない。何も。恐る恐る言葉に込められた真意を確かめるように聞いてみるも、やはり彼は答えてくれない。
 さあっと風が吹き、紅と菫がさらさらと揺らされる。それが止まったのが合図かのように、ハルクスがゆっくりとミルファの方へと再び手を伸ばした。
 拒否するべきなのか、受け入れるべきなのか。それすらも霞に囚われ、ぎゅっと目を瞑り、届くであろう手の感覚を待つしか出来ない。
 ──途端、パシッという渇いた音が響く。何の音なのか考える間も無くミルファの体は強い力に引き寄せられ、迫り来るものから離れていた。

「気安く触んな!」
「……スパーダ様」

 走って来たのだろう。ハアッハアッと息を切らし、額に汗を滲ませている。そんなスパーダはハルクスから庇うようにミルファを強く抱き寄せている。
 それ以上近寄るな。そう目線でハルクスをその場から動けないように灰の瞳が射抜く。しかし、その彼の姿を見ても怯むどころか伸ばした手をはたかれたというのに目の前の執事はクスクスと静かに笑みを溢した。スパーダは既に押されている筈の怒りのスイッチをカチンとまたひとつ押されたのかというほどに激情を露わにした。

「何笑ってんだテメェ!!」
「これは失礼しました。……ご立派な番犬だと思いましてね」
「っこの……!」

 昔から、否、初めて出逢った時から感じていたが、どこまでも反りが合わない。……が、そう思っているのは向こうもだろうとスパーダは思った。
 カッと灼熱した感情のままに突っ走って胸倉を掴んでやろうとしたが、自分は何の為に今こうしているのか、自らの腕の中にいる彼女を助けるためだろうが! と自身に叱咤し、昂った熱を振り払う。そして、意志をしっかりと再認識したと同時に一層ミルファの肩を抱く手の力を強めた。

「……行くぞ、ミルファ」

 紅の執事から目を逸らさずにスパーダはミルファの手を引いて男の横を足早に横切る。バチリ、と一瞬。二人の間に小さく火花が弾けるがそれ以上は何もない。“今は見逃しておいてやる” ──そうお互いの眼は語っていた。
 スパーダの広い背中を見詰めながら、ぼんやりと、彼はこんなに力強かったかなとミルファは考えていた。ずっと一緒だったのに──否、一緒だったからこそ気付かなかったのだ。自分を支えてくれる背中が、繋いでいる手が、全部大きいということに。
(昔とは、違うんだ。スパーダも、ハルクスも……たぶん、わたしも……)
 悪い夢の中の住民のようなハルクスを思い出し、ミルファは目尻に哀しみを滲ませる。
 優しいあの執事の姿も、あのささやかで賑やかな日々も、嘘だったのだろうか。彼の言っていたことが本当なら、ミルファは裏切られていたことになる。いつからかは判らないが。
 嘘だと思いたいが、きっと本当のことなのだろう。冗談なんかでこんなにも酷いことが出来る人ではないと、それだけは信じたかった。

hitsujitohana