15.記憶の導き
重く引き摺るような音が入口の方からする。マンホールの蓋が開かれ、細く光が差し込む。あまり音を立てず慎重に動かした音だったのでリカルドかと思い二人が目を向けるとまさにその通りで、今まさに器用に手すりだけを使って滑るように地下に下りて来た。
「リカルドさん、無事だったんですね! 良かったです」
「ああ、問題ない」
身を隠して行動するのはガラムのやり方として身に付いているからなとほくそ笑むリカルドだが、その戦法に四苦八苦させられた身としては笑うに笑えない。
むかつきを思い出すイリアと苦笑するミルファの後ろから、リカルドが戻ったことに気付いた仲間たちが部屋から次々と出てきた。
なんとか誰一人欠けることなく再び集まれたことに胸を撫で下ろすが、これからのことを話し合わなければならない。今外に出るのは愚策だが、何もしないのもどうしたものかと考えていると。
「暇してんやったら、ちょっとウチの話聞いてみぃひん?」
エルマーナがぴょんとジャンプしてニコニコと笑いリカルドの前まで行き軽く自己紹介を済ませ合う。幼いが礼儀はしっかりしているようだ。リカルドも感心している。……背を見上げて、「もやしやけどデカイ」と呟いたのも子供だからと彼は許した。
部屋に居た間にでも出来ただろうに、わざわざ全員が戻るのを待って話したい事とはなんだ? 全員が顔を見合わせていると、エルマーナがニンマリ笑う。
「取引しようや」
エルマーナの言う取引はこうだ。孤児として町のあちこちで働いているので様々な情報を集めやすいのでルカ達に必要なそれを提供する。その代わり──地下道の奥の奥にある隠された鍾乳洞に在る長寿の霊薬であるキノコを採って来て欲しいというものだ。
霊薬とまで呼ばれるそれは大変希少価値の在るもので、物凄く高値で買い取って貰える代物だと働き先の商人が口にしていたのだとか。それがあれば、エルマーナも共に暮らしている他の孤児達ももう少し楽な暮らしができるようになる。自分達で採りに行こうにも鍾乳洞には魔物が出るので武器もない戦えない子供では無謀の極みだ。故に、兵士ではない戦える大人に頼みたかったとのこと。
そんな事情を聞かされて引き受けないという選択は出来ない。特にアンジュとミルファは協力する気が満々だったが、リカルドは危険を承知で雇い主を行かせるのは……と苦言を漏らす。しかしアンジュに「あなたが守ってくださるから大丈夫でしょう?」と華やかな笑みで当たり前のように言われ一本取られてしまい、結局全員賛同という形で取引に応じることとなった。
「けど、こんなとこに鍾乳洞なんかあったか?」
「わたし、全然気付かなかったや……」
「めっちゃ奥の方にあんねん。めーっちゃ奥な」
エルマーナを先頭に、この場所によく訪れていたスパーダとミルファですら気付かなかった未開の地に足を踏み入れる。
少々土や泥で濁った色をした鍾乳洞は、一目見た印象として静かで綺麗な場所だと感じられた。人々の生活で淀んだ水が流れ、それに削られ形作られていった、まるで雪国にある洞窟──とまではいかないが、白い石灰岩の世界。地下で日が差し込まない上に水が流れ込んでいるせいか、肌寒い。先程までは日陰に居る程度の暖かさはあったが、今はもうない。
初めて訪れるこの地に対して思うことのないはずの感情を身体中が感じ、不思議としか言いようのない感覚に支配される。
──懐かしい。転生者である者はそう感じていた。まだ自分の前世の記憶について明確な情報がないミルファですら、ぼんやりとそう感じるのだ。もしかすると、この場所は前世に関係する何かがあるのかもしれない。
創世力なら万々歳であるが、そういった大きな力の気配は感じられない。そもそも、創世力から何か力が発せられているのかどうかも分からない程の情報しか持ち合わせていない為、全て憶測でしかないのだが。
しかし、足が進めば進むほど、この先に何かあると感覚が教えてくる。期待と不安で体が震えてくるほどだ。
「はぁ〜。肌寒いし薄気味悪いし、早く出たいわこんなトコ……」
「ん……? あれ、なんだろう。祭壇?」
「まあ、本当だわ」
「え〜。そんなんどうでもエエやん。キノコ探そうやぁ」
乗り気でないエルマーナの制止を聞かず、不自然に祭壇らしき造りのものが見え、一行は壇上に近付いた。アンジュはどういった宗派のものかなど興味があったのかその建造物に手を触れて確かめている。全く興味のないエルマーナとコーダのキノコ探索派の二人は手遊びを始めた。
石盤には古の天上界で使われていた文字が刻まれている。天上界が滅んだ後は地上でも使われていたが、時代が進むにつれ文字が変化したとされているので、恐らくこの地に居たのは堕ちた天上界の住民だったのだろう。
アンジュが内容を紐解き、天から地に落ちた天上人が天に戻してくれと祈る言葉であることがわかる。かなり大きな規模の原始的宗教の中心地だったようだが、こんな人の来ない場所に祭壇があることから現在ではすっかり廃れていることが見て取れた。その経緯を知るには教団史書と呼ばれる歴史書五冊分の説明が必要だとアンジュは目を輝かせる。
「簡単に言うと、教会のお偉い様方が他の流派を認めなくて、圧力を掛けて潰した所から信者を奪ったのよね。それで主流派が基盤となっていった……というところかしら」
このままでは勉学の時間を迎えそうだ。それは勘弁願いたい。自分達だけでも逃れようとスパーダとイリアは興味がないので全てルカに押し付けようとする。ルカは少し興味はあるもののここでは遠慮したい旨を申し訳なさそうにおずおずと零す。
アンジュが嬉しそうに顔を綻ばせ、その内一緒に勉強会をしようと提案した。普段ならここでミルファが知識欲に駆られて意欲的な発言をするのだが──。
「おい、どうした? ミルファ」
「……え? なぁに?」
話を聞いていなかった様子のミルファに、スパーダは違和感を覚えた。こんな至近距離で仲間の話が聞こえていない筈がない。
調子が悪いのだろうか。また倒れるのではと危惧したが、苦しそうな様子はない。
「大丈夫かよ?」
「……誰かに呼ばれた、んだけど」
ぼんやりと呟いたミルファは、自分でも可笑しなことを言っていると分かっているので何とも言えない、困った顔をする。
微かにだが、確かに、名前を呼ばれたのだ。しかし、声のした方を見るも誰も居ない。仲間ではないことは分かった。では、誰が?
……気のせいなのだろうか。幻聴が聞こえる程疲れているのかもしれない。宿を取れる状況になったらしっかり休もうと考えていると、再びそれは聞こえた。
──こっち。こっちよ、ミルファ。
(やっぱり聞こえる! どこから?)
身体の自由が利きにくいことにも気付かず、声に導かれるようにしてミルファの体はふらふらと動く。声の主に誘導されているかのような状態だ。
祭壇に集う仲間達から離れて奥地に足を踏み入れると、光の渦巻く美しい結晶があった。その青白く光を放つその美しさに惹かれるようにミルファは一歩また一歩と近付いていく。当たり前だが、目的のキノコでもない。人が踏み入らない地にあるものだから危険かもしれないしむしろその可能性の方が大きいというのに。
「ミルファ、待てって!」
スパーダが行かせまいと手首を掴もうと手を伸ばしたが、叶わず宙を掻く。
用心深い訳でもないが浅慮な訳でもない彼女が自ら進んで不明確なものに飛び込もうとしている。やっぱりおかしい。そう思ったスパーダはもう一度手をやり、今度はしっかと彼女の細い腕を捉えた。後ろから、強く腕を引っぱられたミルファは体制を崩し引っ掴んだ彼に受け止められる。足を踏み入れずに済んだかと思ったが、つま先が少し輝きに触れていた。
ホッと息吐くことは許されず、足元の煌めきは光を増し、辺り一面を呑み込んだ。
◇
雲がごうごうと流れる。今日という特別な日を祝い喜んでいるかのようだ。
城のテラスの下、センサス軍の神達による嵐のような歓声が沸き上がっている。戦の神、アスラとその望みを信じ、ラティオを屠らんと粉骨砕身で戦い続けた日々が報われる事が約束されているようなものだ。嬉しくない訳がない。
一向に止む気配のない轟き。その中で戦神が何も漂う事のない空をぼんやり見上げる。天上界統一を果たしたとは思えないなんとも締まりのない姿に、傍らに立つ女神がくすりと笑みを零した。その美しい声に目を覚ましたのか、瞬きを繰り返して自身の臣下達を見やり、まるで夢のようだと呟く。
「俺は、本当に……」
「まだ信じられぬのか? アスラよ」
くつくつと愉快そうに大きな身体をアスラに絡み付かせるようにしながら白き龍が笑う。古の時代より天上界を守ってきた龍の神──ヴリトラ。アスラを見守るその瞳は慈愛に溢れている。それもそうだ。この龍は戦神を拾い育てた親のようなものなのだから。
そんなに笑う事はないだろう。息子のアスラが少し不機嫌そうに顔を歪めるので、悪い悪いと言いながら大きく鋭い爪のある前足で優しく赤子に触れるように銀の髪を撫でる。
「ほれ。愛しい妹も祝いにやって来たぞ」
くい、と鼻先をテラスの入口に向けると、妹と呼ばれた女神が今まさにやって来た。アスラ達の姿を目にし、ぱぁっと花を咲かせたように微笑むと跳ねるような足取りで駆け寄って行く。
カツン、カツン、とヒールを鳴らして女神はアスラの前に立った。ぶわっと強く風が吹き、白い鈴の花のようなドレスと銀の髪が舞う。ぱちりとした紅の瞳は輝き、喜びに満ち溢れている。
「リリヴァ、もう体は良いのか?無理をしては……」
だと云うのに、兄のアスラは眉を下げて体の心配をしている。
今日は本当に調子が良く、身体も軽い。本当に無理などしていないのだ。せっかくのめでたい日だからと、優しい祝福の神がそうしてくれたのだろう。そう思い祝いに来たというのに。相変わらずの兄の過保護振りにリリヴァは少しむくれて頬を膨らませた。
妹の拗ねた様子に慌てながらも、来てくれて嬉しいと伝えると見る見る内に笑顔になり機嫌を良くした。灯の女神は兄の前ではただの子供になってしまうのだ。
「ふふ、お兄様……みんな、本当におめでとう。ついに天上統一を果たしたのよね」
「ああ、これで創世力を手に入れ──我らの兄妹の望む世界を創れるのだ」
妹の手を取り強く頷いて見せた兄の瞳は必ず野望を果たすと語っている。リリヴァは喜びを感じて涙を滲ませた。
ああ、これで、世界は──。
◇
ぶつり、と流れ込んできた映像が途切れる。僅かな差で一番遅く目を覚ましたミルファはきょろきょろと周りを見渡すと、その場に居た全員が物思いに耽ったように口を閉ざしており、しんと静まり返っている。恐らく今の光景を頭の中で纏めているのだろう。
「今の光景は、天上統一を果たしたときの……」
「アスラが、創世力を使うって言ってたけど……」
──そう。アスラが天上統一を果たした時の記憶。各々が夢の中で見る物とは違い、全員が同じものを見ていた。リカルドの前世のヒュプノスに至っては、その時には死んでいたというのに。
この結晶には天上界の記憶が留められている。それに触れたから脳に記憶が映像として流れ込んできたのだろう。アンジュが転生者として覚醒したのは教会の地下にあったこれと同じ物に触れてしまったからだというので確かだ。
しかし、ただ一人。皆とは違う記憶を見た者が居た。
(あれを、みんなは見ていないの?)
厳密にいえば、ミルファは“皆が見た記憶の後の記憶も見ていた”のだ。
天上を統一したアスラがそれを宣言し、創生力を使うと語ったという点は同じだが、ミルファだけが見た記憶は、その一連の流れの後も含まれていた。
(どういうことなんだろう。でも……知りたいことをひとつ、やっと知れた。わたしの前世──)
ここへ導いた声の主。いつも夢に現れていた寝たきりの女神。センサスの将と近しい特徴を持つ妹。透き通るような銀髪の髪と朱の瞳を持つ灯の女神。ミルファは灯の女神、リリヴァの生まれ変わりなのだ。
仲間の様子を見るに、何故か誰もリリヴァのことは知らないようだったが、それでも一歩前進はできた。ただでさえ困惑している状況でさらにその種を投げ込むわけにはいかない。しばらくは口にしない方が良いのかもしれないと考え、落ち着いたころを見計らって話そうとミルファは決めた。
よし、と意気込んだところに、ぽんと背中を押される。誰だろうと思い振り向いて、やっと気付く。自分の手を引いてくれたスパーダに。
「ありがとうスパーダ。あの……ごめんね、引き留めようとしてくれてたのに」
「謝んなよ。……それより、気付いてたんだな」
「うん、ぼんやりとだけど」
意識を奪われていたとまではいかないが、手を引かれて誘導されていたようなものだ。だが、スパーダに手首をグッと握られたとき、ミルファの白濁とした意識はクリアなものとなっていた。無理に引き戻されたような、要らないと捨てられたような感覚ではなく、優しく支配権を手渡されたかのように。
「とにかく、情報をまとめる必要がある。もっと落ち着いて話せる場所に移動すべきだろうな」
「今見た記憶、もっと見れたりするんかなぁ?」
「ええ、きっとね。恐らく他にもこういった場所がある筈だし……」
ん? と、空気が固まった。……ミルファの隣に居るエルマーナが、転生者の会話に普通に交じっている。どういうことだ? と考えるが、答えは一つしかないだろう。つまり。
「……エルちゃんも、今の見たの?」
「うん! ウチな、ヴリトラやってんで」
首を傾げて訊ねるミルファにニカッと笑いながら爆弾発言をするエルマーナに皆目を丸くさせた。そんな片鱗は見せなかった筈だが、恐らく……否、確実に記憶の場の影響と云える。
あの大きな神龍ヴリトラの生まれ変わりがこの幼き少女だなんてにわかには信じがたいが──。何にも物怖じしない堂々たる振る舞いに飄々とした風体はどことなくヴリトラを彷彿とさせる。
呆気に取られる一行を余所に、エルマーナはアスラ探しを始めた。誰がアスラの生まれ変わりなのか、わくわくと男性陣の周りをぐるぐると回って見定めているようだ。体がしっかりとしているスパーダを指定したが、ハズレだ。
こいつだよ、とルカがエルマーナの眼前に付き出される。つり目がちの大きな瞳が意外だと云いぱちぱち瞬きを繰り返したかと思うと、彼の銀の頭のてっぺんからまあまあ大きいブラウンのブーツの足の先までじろじろと見やる。そしてがしりと腰を掴んで一言。ほっそ! と驚嘆の声を上げた。女性陣は賛同するように黙ってこくりと頷く。
ルカの腰付きは女性としては羨ましい以外の何物でもない。イリアのようにスレンダーでスタイルの良い娘ならともかく、女性らしい体型のアンジュやミルファは腰を取り替えて欲しいと強請りたいほどなのだ。だが実際、ミルファの場合は肥満体質ではないし細い。肉付きの良い部分が一部に集中した結果体重が適正よりも少々上回ってしまっているだけだ。……アンジュについてはノーコメントとさせて貰おう。
細い細いと褒められるが、男らしくなりたいルカは素直に喜べずに口元を引き攣らせた。わいわいと女子談義の中心から抜け出せないルカがスパーダとリカルドに助けを求めるように視線を送る。涙目の少年を放っておくことも出来ず、二人は顔を見合わせ、仕方ないと頷き合った。
お楽しみのところ悪いが、と話を切り出したリカルドに皆の視線が集中する。
「例のキノコ、コーダが食っているぞ」
しれっと、さも当然のことのように告げられた事実に驚き、集まっていた視線は今度はコーダへと注がれた。言葉通り、長寿の霊薬のキノコはコーダが少し齧ってしまっていた。記憶の場に夢中になり目を放していた隙に見つけていたのだ。お手柄と言えばお手柄だが、食べてしまったのは頂けない。
美味しくない。と残った部分をいらないとコーダはエルマーナに差し出す。過ぎてしまったことは仕方がないが、値打ちが少し下がることにエルマーナは落胆し深く肩を落とした。