16.教祖の手下は犬

 鍾乳洞にもう用事はないということで今度こそ来た道を戻る。肌寒さに慣れることはなかったので、未だに肌に小さく針が刺さるような感覚は残ったままだ。早く少しでも温かい場所に戻りたい。出来ることなら陽の光を浴びたい。うう、と寒気にぶるりと震え、耐えるようにミルファは身を縮める。
 冷やかな洞窟内にぼんやりと温い風が漂う。出入口の空洞から地下道の空気が流れ込んでいるのだろう。出口が近い。そう思うと少し足取りも軽くなる。タッと少しリズミカルに歩幅を大きくして踏み込んだ。
 刹那──突然黒い影がミルファ目掛けて飛び掛かって来た。

「危ねェ!」
「ひゃ……ッ!?」

 スパーダがミルファを引き寄せ、黒い影の突撃を素早く抜いた剣で防ぐ。ガキン!と音がし、恐る恐る見ると、彼の刃に黒い毛色の犬が噛み付いており、獰猛な牙と刃がギチギチと音を立てている。

「い、犬……!?」
「……くっ!」
「ひ、ひゃあああ犬ぅう!」
「アンジュ、犬苦手なの……?」

 魔物かと思い戦闘態勢に入ったというのに、ただの犬だった。否、家庭で愛玩目的として飼われているような犬ではなく戦闘に慣れている変わった犬だが。
 剣を弾き、スパーダはミルファを背にしながら犬と距離を取る。すると、近くに居た仲間の方から何かを突き飛ばすような音がし、ギャン! と犬の悲鳴が反響した。リカルドがライフルを棒のように振り、黒犬を弾き落としたのだ。つまり犬は二匹居たということになる。見たところ野生的ではあるものの、知性が僅かながらに感じられるので野良ではなさそうだ。どこかに飼い主がいるのだろう。
 ミルファがスパーダの背中から黒犬たちを見詰めるしか出来ずにいると、彼らは嬉々として尻尾を振り始めた。ますますどういうことかわからない。何がどうなっているんだと困惑していると、岩陰の方からぺたぺたと裸足で地を踏む音が洞窟内に鈍く響く。

「忘れもしないよ。この気配はヴリトラだね」

 その足音の主が姿を現す。太陽の下でよく焼けた褐色の肌に短く黒い癖毛を持ち、ボロボロに廃れ汚れたスカーフを身に着けている少年が。
 ヴリトラ、と言われ自分のことだと思ったエルマーナはじっと少年を見据えた。どこかで会った覚えもない。それでも、知らないと突き放すには妙な感覚が付き纏う。まさか、わからないのか? と少年は不快そうに顔を歪ませるが、エルマーナのはっとした表情に喜悦の色を浮かべ口元を緩ませる。

「あんた、創世力の番人──ケルベロス!」

 創世力の番人と呼ばれていたケルベロスは、その名の通りの存在だ。力を求める者を見定める為の守番。獣の顔を三つ持つ、恐ろしい神だとされていた。……本当の顔はひとつひとつどれも愛らしいものであったが、噂というのはどの時代においても他の存在により着色され変わっていくものだから本物との印象の差に驚く者が絶えず居たほどだ。
 手をぽんと叩き、霧が晴れた様にすっきりした面持ちでエルマーナが笑うと、少年は現世での名を名乗った。現世での名前はシアンというようだ。そして、犬達は家族だという。ケルとベロという名を呼ぶと、二匹は呼応するように嬉しそうに吠えた。

「無駄話はここまでだ。さ、ヴリトラ。創世力のありかを教えろ」
「なんでウチぃ? あんたの方が詳しいやろ。逆になんで知らんの?」
「お前は天上崩壊を見届けた。だからどこにあるかも知ってる筈だ! ボクに教えろよ!」

 さすがに看過出来る言葉ではない。ヴリトラの死を何とも思わず考えもしないその言い草に、生まれ変わりであるエルマーナはヴリトラのときの記憶を思い出し、哀しみに顔を曇らせた。
 自分よりも先に亡くなってしまったアスラや仲間を思い、寂しく孤独に城で佇んでいる姿を鮮明に思い出す。アンジュがそっと彼女を抱き締めると、大丈夫だと気丈に振る舞い笑顔を見せた。きっと、自身の嘆きを口にできる環境に居らず、甘えることになれていないのだ。途端に切なくなり、アンジュは再びエルマーナを優しく抱き締めた。
 戦う力をまだ持たないエルマーナに手を出しかねないと思い、各々が臨戦態勢を取る。だが、こんな子供が一人で作戦を考えて、こんな行動を取るだろうか。相変わらずのお人好しが発動し、ミルファはそれを確かめるために何故創世力が欲しいのかを少年に訊ねようと口を開いた。真っ直ぐにシアンを見ると、瞳に映った少年は瞠目し、逆にまじまじと見詰め返している。

「え、あ、あの……?」
「ケルとベロが懐いてる、ってことは……」

 たじろぎ思わず後退るミルファに構うことなく腕を掴み、ぐいっと彼女を自分の方へと引き戻すシアン。突然彼の男の子らしさとあどけなさがまだまだ残る顔が目の前に近付き驚いてしまい動けずにいると、くんくん、と匂いを嗅がれた。動物が警戒から匂いで安全かどうかを確かめるように。

「……ふぅん。お前がマティウス様が言ってた奴だな。確かに、懐かしい……アイツの匂いがするよ」
「マティウスさん……?」
「おいテメェ! ミルファに触んな!」

 ミルファとシアンの間に怒鳴りながら入ったスパーダは不機嫌そうに少年を睨み付ける。シアンも負けじと睨み返しているため一向に収まる様子はない。二人の間に火花さえ見えるようだ。
 話をすることが出来るなら無益な喧嘩や戦いは避けるに越したことはない。だからせめて話を聞いてからでもとミルファは考える。今度は自分が間に割って入らなければと思ったが、遅かった。完全に喧嘩腰のスパーダがシアンの片言隻句を捕らえて攻め立てる。

「お前アルカ教団のやつだな? 創世力を狙ってるのはあの野郎の差し金だろ」
「失礼な口を利くな! マティウス様は理想郷を築く救世主になられるんだぞ!」
「……ふん。理想郷を築こうという先導者がこんな権威主義な方法を取るものか」

 なんとも浅慮なことだと溜息を漏らすリカルドを見やり、ぱちぱちと瞬きを繰り返して言われた言葉を噛み意味を考えるシアンだったが、意味がわからなかったので自分が馬鹿にされたと思い憤怒で顔を赤くする。
 再びぎゃいぎゃいと衝突するスパーダとシアンに挟まれどうしようと慌てるしかないミルファに助け舟を出すどころか火に油を注ぐ形になってしまい、アンジュに言葉をもう少し和らげるようにと諭され、リカルドはミルファに申し訳ないと謝った。心の中で。

「とにかく!」
「わ……!?」

 話は終わりだというように一際大きな声を出したかと思うと、シアンはミルファを素早く小脇に抱え、仲間から離れた位置まで下がり、立ち塞がった。

「マティウス様はこの紫髪のチビ女にご用があるらしい……だからヴリトラと一緒にコイツもボクらが預る!」
「あーもう! 何でアンタはそう無防備なの! 簡単に捕まってんじゃないわよ!」
「ご、ごめん〜!」
「──ンなことさせるかよ、このクソガキ!!」

 少し離れた岩陰に降ろされた彼女の前にケルとベロが張り番の如く立つ。近付くに近付けない状態にやきもきと心配で怒るイリアの言葉にミルファはただただ謝るしかない。仰る通りですと俯くばかり。西の戦場でもここでも、この有様だ。
 シアンは、動くなよと言いジロリと目線でミルファを制した。次の狙いはエルマーナだが、それを遂行するには周りが邪魔だ。戦う他ない。
 姿勢を低くし、地に這うように構えを取る。轟く唸りはまるで狂猛な野獣。何せ前世は創世力の番していた者だ。今まで戦った転生者とは違い一筋縄ではいかないだろう。迎撃するためにルカ達は武器を構える。
 だが、本当に良いのだろうか。マティウスの目的も分かっていないままマリオネットのように使われているだけであろう少年を、襲い来るとはいえ戦って良いのだろうか。この少年は騙されている可能性が高い。
(大きな傷を負わせたくない。傷付け合う必要がないかもしれないなら──止めなくちゃ!)
 二匹を振り切り、戦いが始まる前に間に割って入ろうとして──。

「みんな、待っ……うひゃあ!?」
「う、うわぁあ!? な、なに……っ」

 岩山ほどではないが、そこそこ地面の凹凸のある場所だ。……おっちょこちょいのミルファが何も起こさない訳がない。すってんころりん。少し飛び出た尖りに足を取られ、お見事と言いたくなるほど盛大に転んでしまった。
(こ、こけちゃった……恥ずかしいよぉお)
 屋敷の中ですらつんのめくことはあったが、人前だったとしても使用人の前くらいだった。こんな大勢の前で転ぶことなどなかったので物凄く恥ずかしくなり、穴があったら入りたいとはまさにこの状況だとミルファは顔から火が出るほどの羞恥に襲われる。しかしそんな場合ではない。急いで身体を起こして仲間に訴えかける。

「あ、あのっ、戦わずにもう少し話を……! ……あれ、シアンくんは?」
「ミルファ姉ちゃん、下や下」

 エルマーナがミルファの下を指差す。突然居なくなったと思われたシアンは突然背後から繰り出された勢いの良いタックルを喰らい下敷きになってしまっている。ミルファがごめんねと謝り急いで飛び退くと、シアンは顔を赤らめていた。年頃の少年が自分とは違う異性の感触を味わったのだから仕方のないことだ。しかしその初な反応を勘違いして受け取ったミルファは自分の重さで苦しませてしまったと思い、重ねて何度も謝った。苦しかったよねと聞くと、そうじゃないと言いそっぽを向いてミルファの目を見ようとしない。見れないというのが正解だが。
 シアンの様子から事情を察したエルマーナがにまにまとした満面の笑みで少年を見詰め、照れていると指摘する。可愛い所もあると知り、自分と近しい年齢だと認識して親近感が湧いたのか警戒心はすっかり消え失せたようだ。パーソナルスペースが元々広い彼女は気にすることなくぴょんと飛び跳ねてシアンに近寄ったが、彼はさらに顔を真っ赤にさせ、距離が狭まった分よりも物凄い勢いで後ろに大きく退がる。
 どうしようもなくなったシアンはもう逃げるしかなかった。

「きょ、今日のところはこれで帰る! 今度は絶対マティウス様のところへ連れて行くからな!」

 見事なまでの負け台詞である。シアンは二匹を呼ぶとそのまま鍾乳洞の外へと走った。あ、と待って貰うようにお願いしようとミルファが手を伸ばしたが遅かった。もう姿が見えない。
(聞きたかったのに。マティウスさんがわたしを求めてるってどういうことなのか……)
 ミルファはマティウスと会ったことがないし、親から知られた可能性も無さそうだった。家は教会と関係を結んでは居なかった筈だから。それなのに、何故あの教祖はミルファを求めているのか──思考の海を泳ぐが、何も見えはしない。ただ、似たことをつい最近何処かで聞いたような。何処でだろうと考えていると、はた、と思い出す。そう。シアンの言っていたことは、先刻出会った執事の発言と似つかしい。言った方が良いのかと思い唇を開きかけて、やめた。
 闇に蠢く者の影が何一つ晴れていない。それどころか増えていく。
(まだ何も分かっていない。憶測で皆を振り回すことはしたくない。もっと、色々なことが分かったら話そう)
 また後で話す事柄が増えてしまった。しかし混乱を招くよりは良いとミルファは自らの選択を肯定する。
 マティウスが教団に属する人間を手駒にして創世力を探していることやミルファを手に入れようとしていることが判明したが、引っかかる。ミルファを狙う理由は勿論、“理想郷を築こうとしている者が世界を破滅させる力を求める意図”が掴めない。
 センサスもラティオも何故創世力を求めたのか。アスラは創世力を手にして天上統一を願った訳ではなく、むしろ、創世力を手に入れる為も兼ねて天上統一を果たしたような発言をしていた。野望の一つを果たしたのにわざわざ滅ぼす理由がない。偉業を成せたことを夢物語かと疑ってしまう程に喜んでいたのだ。あの時の言葉や態度が嘘ではないと全員が確信を持てるほどにその感情が伝わった。世界を壊すなどと自分の意志でしたとは到底思えない。
 バラバラに散らばる記憶のパズルピースを集め嵌めようとするが、まだまだ足りない。彼らの思い出した記憶に穴が多いことを実感させられる。

「あのガキが言っていた理想郷というのもいまいちリアリティに欠けるからな。そんなことが可能かどうかも──」
「……ケッ、犬ガキの言う事なんざアテに出来ねェっつーの」
「もう。シアンくんは犬じゃないよ?」
「……ああ!そういうことかいな」

 頭の後ろで手を組みながら不機嫌そうにしているスパーダを見てエルマーナが何かに気付いたように声を上げる。悪戯っ子のように笑ってご機嫌な様子でステップを踏んで彼に近寄ると、そっと耳打ちした。男の嫉妬は醜いで、と。

「……は?」
「羨ましいんやったらそう言わなあかんよ〜?」

 自分でも自覚していなかった感情を指摘されて固まるスパーダ。
 嫉妬? 誰が? ついさっき遭遇しただけの子供をミルファが庇うのも、その子供がミルファに近付くのも、事故も含めて触れたことも、気に食わないと感じたのは確か。それが嫉妬だなどと考えもしなかったが突然降って来た答えに釈然としてしまい、遅く自覚した図星から目を背けるように違うと口にした。

「わッ……訳のわかんねェこと言うなっ!」
「何照れてんよ、スパーダ兄ちゃ〜ん」

 ケラケラと笑うエルマーナの頭をぐりぐりしてやろうとにじり寄るが、サッと素早く逃げられてしまう。
 ミルファに友愛の気持ちを伝えられた時に掴み掛けた何かがまた現れた気がしたが、スパーダは目を逸らした。
 幼馴染絡みで嫉妬などちゃんちゃらおかしい筈なのに否定し切れない自分が居て、最近の自分は子供に戻ってしまったのかと思うほど感情のコントロールが出来て居ないと痛感する。

「二人とも、もう行こうよ」
「ふふ、仲良しさんだね」

 もう何度目の号令になるだろう。追いかけっこを辞めないスパーダとエルマーナに、ルカが鍾乳洞から出ようと促す。その彼の隣ではミルファが仲睦まじいのは良いことだと言うように柔らかく微笑んでいる。
 もう本当に、本当に今度こそ出口だ。もう地上にあるレグヌムの町の兵士による警備も元に戻りつつある頃だろう。

「外に出たら宿屋行きましょうよ〜、もう絶対お風呂入って綺麗にするんだから!」
「わたしもお風呂入りたいな〜」

 あまりに長い間地下に居たせいか、肌もすっかり冷えているし髪や肌、服も薄汚れているようだ。せっかくだから一緒に入ろうかとイリアとミルファは約束を交わす。
 話してる内に地下道まで戻り少しは肌寒さが軽減されたように感じ、やっと一息つけた。ミルファは思わず気を抜いてしまいそうになる。それも仕方ないだろう。ここは彼女にとって唯一安心出来る場所だったのだから。
(でも、行かなくちゃ。世界を消させないために)
 分からないことはまだまだある。それどころか知れば知るほど迷宮のど真ん中に居るような感覚にすらなる。もっともっと知るべきことがある。この先も前世の謎が待ち受けているのだろう。
 次の手掛かりを目指し、ミルファは強く一歩を踏み出した。創世力を手に入れてこの地上を守るために。

第一章終了 王都レグヌム〜鍾乳洞
 2020/07/05

hitsujitohana