21.消えない恨み

 ようやく出入り口が遠くからでもわかる位置までやって来れた。外に出られるんだと思い安堵したところで、ちりりんと淑やかな音が小さく響き渡る。聴き覚えのある音に辺りを見回すと、艶やかな黒髪の少女が姿を見せた。

「アスラ様……」

 現れやがったと言いたげに先ほどまで青かった顔を見る見る赤く怒りに歪ませ、イリアは少女――チトセに近付いた。真っ直ぐ、オブラートに包む事すらせず、煮え繰り返りそうなほどの嫌悪を彼女へ撃つように思い切りひと差し指で差す。可笑しいほどそのまま「現れやがったな!」と言うものなので、見兼ねたアンジュがぴしゃりと簡潔に荒い口調を指摘した。
 謝るなんてしたくないとぐぬぬと押し黙ったイリアを余所にチトセはすいっとルカへ身を寄せる。縋るように寄り添うその姿は先ほど記憶の映像で見たイナンナのようだ。

「お迎えに上がりましたの。私と共にマティウス様の元へおいでください。そして幸せになりましょう……」
「……僕はルカだよ。チトセさん」

 相変わらずチトセはルカの事しか目に入っていない様子だったが、彼は首を縦には振らず、それを静かに拒む。肩を優しく押され、密着していた体が離れてぽっかりとした穴が二人の間に生まれたように見えるほど、空虚が纏う。悲しげに下げられた眉と今にも泣きそうにくしゃりと歪んだ彼女の顔は誰かを彷彿とさせた。
(そうだ、わたし、知ってる)
 目の前の光景を見て、思い出した。こうして届かぬ想いを捨てることも出来ず懸命に生きた女神の存在を。
 リリヴァが自室からいつでも花が見れるようにと小さな花壇を作り毎日水をやってくれた、実ることのない愛を胸にいつも主に仕えていた女神が居たことを。美しく、優しく、哀しい花の女神――サクヤ。彼女の生まれ変わりがチトセなのだ。

「チトセさん、君は何も知らないの?」
「何の事を仰っておられるのですか……?」
「魔王が――マティウスが前世で創世力で天上界を滅ぼした。そのせいで地上は今滅びに向かっているんだよ、君の故郷が今まさに沈もうとしているのも、戦争だって……全部、全部あいつの!」
「ッ……違うわ!!」

 悲痛な叫びにも似た声が静かな海底で響く。王墓の周りの海水に波が生まれたのではと思う程、それは大きく、胸が裂けるような声だった。チトセの落ち着いた雰囲気からは考えられないほど、強く、それでいて苦しいもので。応えてくれない哀しみと、まだ真実に辿り付かない苛立ち。思い通りにいかないことに彼女は酷く落胆した。
 嘘を付いているようには見えない。チトセはルカの言葉が事実と違っていることを、天上界崩壊の真実を知っているのだろう。彼女しか知らないことがあるのなら、それを教えて貰えれば――そう思い、ミルファは問うた。どういうことなのか、何か知っているのかと。
 少しの間同じ牢に居たぐらいの間柄で特別仲が良い訳でもないが、それでも何か話してくれたなら……小さく淡い希望を抱き答えを待つが、届けられたのは思っていたものと違っていた。

「あなたも、まだ全て思い出せてないのね」
「チトセちゃん……?」
「どうしてなの……どうして……」

 今にも涙が零れそうな程、チトセは悲壮感に打ちひしがれているように見えた。しかし何がそうさせるのか分からないミルファは何も声を掛けてやることが出来ない。アスラの妹であるリリヴァをサクヤがとても甲斐甲斐しく世話をしてくれたりしたことも思い出した今、その生まれ変わりである彼女が何故マティウスに付き従うのか……皆目見当もつかない。この場に居る誰ひとり。

「全てを知れば貴女だってマティウス様を……」
「――お喋りが過ぎますよ、チトセ」

 言葉の続きを待っていたが、ひやりとした声が届き、場に緊迫を走らせた。その主が曲がり角から誰かがカツンカツンと靴を鳴らしてこちらへ近付いて来る。
 緑色の瞳に、真紅の髪。背の高いすらりとした体。――ついさっき見たその姿をミルファが見間違える訳がない。

「感情で動き過ぎです。マティウス様のお言葉を忘れないようになさってください」
「ハルクス……! あなた、今までどこに居たの」
「貴女がさっさと行ってしまうから探してたんですよ。見つけたと思ったら……全く」

 横目でちらりとチトセが勝手な行動を起こした原因であるルカやその仲間を見やるが、冷たかった緑の目は涼しげなものから穏やかな物へと変わった。談笑するが如くにこりとしてこちらに向き直ると、見惚れるような所作で腰を折り頭を下げる。お初にお目に掛かりますと挨拶をされ、アンジュはつい同じように頭を下げてしまい、リカルドが雇い主の緊張感のなさに盛大に溜息を吐いた。

「またお会いしましたね、ミルファ様。……いえ、リリヴァ様」

 やっぱり知っていた。はぐらかされていた答えを今ハルクス自身が答えた。あなたも転生者なのかどうかという答え。ミルファの直感は当たっていたのだ。
 先程の口振りや態度からして、チトセもミルファの前世を既に知っているだろう。アルカ信者――つまり、教祖の下に居る人は多くの記憶を思い出しているということになるのか。それでもまだマティウスの手に創世力が渡っていないことから察するに、多くとは言えどそれに関するものはこの世界のまだ誰も思い出していないと言える。
 荷物用の荷袋に隠れていたコーダがひょっこりと顔を出しハルクスを見て「あ。さっきの奴だぞ」と指を差すようにだらりとした袖を向けたので、彼はご無沙汰しておりますと笑みを向けた。

「ミルファ様は良いご友人に恵まれたようで……私は嬉しいです」
「……ケッ、相変わらず胡散臭ェな」
「……スパーダ様も変わらずお元気そうで何よりです」

 チリリと空気がひりつく。ハルクスの笑顔に一度だって騙されたことのないスパーダは、彼のどんな振る舞いにも油断しない。優しい仮面が剥がれて来たが、その下にあるものが肌だとは限らない。素顔ではなく、また虚なものかもしれない。それでも、スパーダが常々感じていたこの男の冷たさは本物なのだろう。
 ジロリと見る灰色の瞳は射殺すように鋭く、敵は容赦しない覚悟も強さも宿している。それから――。
 ミルファを脅威から守るように前に立つスパーダの瞳に込められている感情を全て察し、ハルクスは喉の奥で小さく笑った。……それを彼が喜ぶ反応ではないと分かっていながら。
 燃え滾るようにスパーダの瞳の中に炎が宿ったかと思うと、バキ、と小さく指の骨が鳴る。喧嘩上等。拳を作り、彼の唇は挑発的に歪んだ弧を描く。

「……ハルクス。テメェも転生者だったとはな……のこのこと顔出したこと後悔させてやろうか。あァ?」
「スパーダ、お、落ち着いて……戦わないならそれに越したことないよ」

 まだそんな甘い事を。振り向いたスパーダの目がそう言っている。
(確かに甘いかもしれないけれど、もうだめかもしれないけれど……)
 ここで争う理由はない。相対する目的の元に行動するのだから早々に片付けるのも必要だろうが、彼らはこちらの知らない真実を知っているのだ。それを聞いてみて――否、それこそ甘えだろう。でも、……でも。戦ったら、もう、本当に。戻れなくなる。哀れに縋る自分に嘲笑を向けたくなるが、ミルファはまだ捨て切れないのだ。騙されていたことも、もう交わらない道に居るのも分かっている。それでも。支えの一つだったものを、優しいと思い仲良くしたいと思っていた執事の全てをなかったことに出来るほど、まだ強くなれない。

「本当にお優しいですね。まだ私の事を見限らないなんて」
「! ハ、ハルクス……」
「ふざけんな! お前そうやって、まだコイツのこと傷付け続けンのかよ!!」

 今にも掴みかからんとする勢いで叫ぶスパーダにミルファは泣きそうになった。申し訳なくて、自分の弱さが嫌で、こんなにも自分を思ってくれて見放さない彼の優しい思いを蔑ろにしてはいけないと、強く、強く、思った。
 ――もうすぐだろう。彼女の甘いばかりの優しさが変わるのは。

「……前世での事とはいえ、私にとって大切な人が居ます。争うことは本意ではありません」
「……あ、あの……?」

 ルカにちらと視線を向けるが、何故自分が見られるのか分からない彼は困惑した表情を浮かべる。絶やさぬ微笑みの中、僅かに悲しみの色が差したかと思われたが、すぐに元通りになった。
 ですが。と、釘を刺すように語気をやんわりと強めた後、顎に手をやり思案するように見せると、妖笑を乗せて言葉を更に続ける。──許せない人が居るのもまた事実なのだと。

「赤髪のお嬢さんには申し訳ないのですが、私もチトセも、イナンナを許せない」
「なんですって……」
「……そんなの決まってるじゃない。天上が滅んだのは、イナンナのせいだからよ」

 記憶の場を二つも訪れ記憶を覗き見た一行ですら知らない真実を当たり前のように口にされ、愕然とする。驚倒してしまいそうな程だ。イリアは極寒の地に飛ばされたかの如く震え上がり、膝から崩れる一歩手前である。
 そんな訳がない。彼らが認めたくない思いから口にするが、異議を申し立てるだけの材料がないのも真実で。他でもないイリア本人すら、何も言えずにいた。
 イナンナに対して好感的な印象を元々持っていなかった上、疑心を抱いていた彼女は腑に落ち掛けている。花の女神が戦神を恋慕っているのを知って横取るような、女の嫌なところを浮き彫りにしたような、それでいて美しい女神。羨ましいようで嫌いだった前世の自分。彼女は創世力を使うことを嫌がっていた。だから、自分の望む物を全て手に入れたがるあいつなら――。きっとこの男と女が言う事は正しいのだろうと。
 項垂れるイリアをこれでもかとギッと睨み付け、ハルクスの半歩後ろに居たチトセが前に踏み出た。その目には恨み、悲しみ、妬み――全てが宿っており、涙さえ滲んでいる。

「お前はアスラ様では飽き足らず、天上も、このアシハラまでも私から奪おうとしている! 生まれ変わった私はもう奪われたままでいたりしないわ。アスラ様を……アスラ様を渡すものかッ!」

 懐から短刀を取り出したチトセはイリアに飛び掛かるが、刃が首元に掛かるすんでのところで二人の間にルカが体を割り込ませた。アスラを傷付けてしまうと判断したチトセは刀身を血で濡らす直前でぴたりと手の動きを止め、塗炭の苦しみを味わったような表情をし後ろに大きく飛び退いた。
 何故その女を庇うのかと、受け入れられず叫ぶ。その瞳は本気で嘘などひとつもなく、声はどうしようもなく悲痛なものだった。

「この女に裏切られた事を思い出して、アスラ様! お願いです、そいつから離れて……!」

 前世でずっとアスラを文字通り影ながら慕っていたサクヤの想いを強く今世でも引き継がれている。彼女に取ってアスラが全てなのだ。その愛はこちらまで強く伝わるのは確かだが空しいものだと痛感させられ、ミルファは切なさに胸を痛める。
 なぜなら、どれだけ焦がれと、思い慕おうと、もうアスラは居ないからだ。チトセの前に居るのはルカという少年なのだから。それがわからないほどに彼女はアスラという存在を盲信しているようだった。
 真っ直ぐにチトセを見据えながら、ルカはアスラの思いを思い返す。
 アスラは、サクヤが自分に向ける恋情を理解していた。大事な有能な部下の想いは嬉しくあったが、自分の愛する女はこの女神ではない。そうしてイナンナを選んだのだ。
(ごめん、チトセさん)
 チトセの優しさも、頬にキスを贈られたときも、嫌ではなかった。女の子と関わって来なかった自分が変われたようで嬉しかった。でも、どこかで分かっていたのだ。彼女が見ているのは自分ではないことを。そして今世の自分も彼女の気持ちには応えられないということも。

「……僕は決めたんだ。イリアを守るって」
「アスラ、様……」

 天術の力に酔いしれていた時も、頼りなく嘆いた時も、イリアは叱咤激励して傍に居てくれた。手を引いて世界へ連れ出して
くれたイリアが居たから友達と呼びたい仲間と出会えたのだ。そのお蔭で、見ようともしておらずただ悲観していた自分にも見えた。両親や町の友達もまた、自分を思ってくれていたのだということを。
 ただひとつの決意を胸に、それを掴むように、胸前でぐっと拳を作った。そして、もうずっと疑うこともなくそうしてきた真っ直ぐで純粋な思いを口にした。

「イナンナだからとかそんなの関係ない。僕は、イリアを信じるよ。これから先、どんなときだって!」
「……ッ!」

 もう自分では説得できないと悟り涙を一筋伝わせる。抑えきれない激情を弄ぶことも出来ず、ただ身を引く辺り散らすしかなくなったチトセはグッと短刀を握る力を強めて強行手段に走ろうとしたが、腕を彼女の前にやりハルクスが制した。
 何故止めるのとハルクスを睨み付けるチトセだが、彼は何食わぬ涼しい顔で冷静になれと諭す。その指摘は当たり前だ。ルカ達は七人。チトセがこの人数相手に勝てる筈がない。
 フッとほくそ笑んだかと思うと、彼は一歩前へ出て腕を胸の前まで上げる。

「私も加勢しますよ。……マティウス様の望みは、覚えておいでですね?」
「……ええ、分かってるわ」
 
 そぞろ寒き冷気と闘気が混ざり合いハルクスの腕に纏わり付くと、やがて何かの形を作り初め……大きく鋭利な爪のついたものと成った。鉤爪──これがハルクスの武器だ。
 戦いが始まる。悟ったルカは後ろに居るイリアに優しく声を掛けた。

「イリア、僕が絶対守るから」
「ルカ……」
「ミルファ、イリアをお願い」
「うん!」

 ミルファが今にも膝から崩れそうなイリアに駆け寄りそっと支えると、彼女はくしゃりと顔を歪めた。つい大丈夫かと声を掛けてしまったが、それは堪える涙を助長させてしまうような行動だ。ぐし、と浮かびそうだった雫をジャケットの袖で拭うとイリアはこくりと小さく頷いた。
 ルカの行動全てがイリアへ向けられている。それを目の前で見るのは心苦しくて耐えられない。チトセはルカへ飛び掛かる。傷付けてでも連れて行くつもりなのだろう。
 戦うにしろ、戦えないにしろ、このまま突っ立っている訳にはいかない。仲間が応戦しぶつかり合う中、ミルファはイリアの手を引いて距離を取ろうとしたが、彼女は動かなかった。
 あたしも戦う。下げている二丁拳銃に手をやり、真っ直ぐに前を見た。視線の先のルカは懸命に大きな剣を振るっている。以前イリアが指摘した時のような力に溺れることもなく。

「大丈夫だよ、イリアちゃん。ルカくんを信じてあげて? それと、わたし達のことも!」

 不安に違いないイリアを励ましたくてミルファは素直に自分の気持ちを伝える。出会い共に過ごした日々は少なくても、仲間として旅して来た中で育まれた絆は確かな物だ。だから。
(わたしも……立ち向かわなくちゃ)
 誰かの助けがあったからここに居る。足手纏いになることが嫌で、守られるばかりなのが嫌で、仲間の力になりたくて戦っていた。だけどきっと、それだけじゃいけない。だ慰めだ。自分も誰かを助けられる、仲間を助けられる自分でありたい。そう強ミルファは強く思った。
 “戦わずに済むならそれに越したことはない”――というのは確かではあるが、明らかな敵意や悪意から目を逸らしてしまうのは違う。

「……行こう、イリアちゃん!」

 優しく甘いばかりだった瞳は強かな輝きを見せる。
 人を傷付けることを厭わないとまではいかずとも、戦うという本当の覚悟を胸に、ミルファはレイピアを抜き構えた。すると。

「――ぐぁッ!!」
「スパーダ!」
「っ、ク、ソ……!」
「……お話は終わりましたか? お嬢様」

 文様の刻まれた壁にスパーダが叩き付けられ背からぶつかった。鈍く重い音はダメージの高さを主張している。ゲホッと咳込み立ち上がろうとする彼は双剣を軸にしようとタイル同士の間に生まれる溝に刺し込み、ぐぐっと力を入れた。
 ミルファは回復術を掛けるため駆け寄ろうとした――が、彼を去なしたハルクスが立ち塞がりにこりと微笑む。非人情なそれに竦みそうになるが、強く直視し、しっかりと地に足を付けて対峙した。

「お手合わせ願いましょうか」
「ハルクス……」
「貴女を連れて行かせて頂きますよ」
「! ミルファ……っ!」

 ジャッ! と二つの銃口を向け、装填してある弾が無くなるまで猛射する。蜂の巣になるかと思いきや、流るるような動きで華麗に躱し、身を翻す。鋭利な爪がミルファに突き立てられようとするが、逃げるばかりではだめだ。
(――踏み込む!!)
 一直に相手の懐まで入り、刃を受け止めるよう剣技――神風閃を放ち、間一髪受け止め事なきを得た。刃同士が押し合いガチガチと音を鳴らす。
 ハルクスに戦いの心得があるだなんて知らなかった。手合わせだと言うがそんなものは言葉だけだ。絶対にそんな物では済まないだろう。それほどに力が強い。細身の体のどこにこんな力が混在しているのだと文句を言いたくなる。
 このままでは押し負けることは必至。危険を承知で転機を作るため、負けじと押し返していた力を一瞬弱める。すると相手はミルファの目論み通り体勢を崩した。その間に距離を取り落ち着くために深く長く息を吐く。
 少しでも運が悪ければ身体にギラリ怪しく輝くと鉤爪が突き刺さっていたと思うと、それだけで血の気が引くようだった。
(力押しがだめなら、いっぱい動いて翻弄する? でもそれじゃ、イリアちゃんが狙い撃ちし辛くなる……)
 有効な手を考えつつひとときも油断することなく目線を逸らさずにいると――。

「っぁ……!」

 ドッ!と鈍い音が響く。エルマーナの拳による重い一撃がチトセの腹部に落とされたのだ。苦しげに呻きながらもふらふらと立ち上がり、一心不乱にルカとエルマーナへと向かっていく。
 対峙していたハルクスの仮面のような表情が崩れて瞳の奥が僅かに揺れ、ぴくりと動いたつま先はチトセの方へ向いていた。

「……どこ行こうってンだよ、えぇ? ハルクス」

 先の尖った革靴は、立ち上がり剣を握り直したスパーダが行く手を阻んだことでそれ以上進むことはなかった。ハルクスの端正な顔が辛そうに歪んだように見えたがそれはほんの一瞬で、すぐに微笑みを張り付け直す。
 失礼しました、と言い間髪入れることなく三つの先鋭がスパーダの顔目掛けて飛んだ。まともに受けたらひとたまりもないどころか重傷だ。
(やられっ放しは性に合わねェんだよ!)
 ガキン!! と攻撃を受け止めた。剣を盾にし、敢えて距離を詰める。どこまでも正攻法だ。攻めても躱され、攻めれば攻められ――スパーダもハルクスもお互いになかなか隙を見付けられない。
 一撃、二撃、三撃! 刃がしなっているかと思う程の勢いで何度も何度も絶えることなく迫り合い火花を散らしていく。
 どちらかの武器が折れるまで見ているなんて出来ない。ミルファはスパーダの斬撃に合わせ、邪魔にならないよう上手く剣技を出しサポートに回る。
(多勢に無勢なのは卑怯かもしれないとかそんなの、もう考えない。勝って、前に進まなきゃならないの!)
 二人の剣がハルクスを確実に後ろへ後ろへと追い詰めていくが、決定打がない。このままでは次第に勢いも衰えて反撃されてしまいかねない。どうしたら――。

「ベルフォルマ! フィオリーゼ! 退け!」

 突然飛ばされた指示に従い、スパーダとミルファは大きく後ろに飛び退く。すると、水流、閃光、闇の渦が一斉に敵を呑み込んだ。イリア、アンジュ、リカルド――それぞれ三人の天術が放たれたのだ。
 まともに天術を喰らった彼らが怯み体勢を崩したその瞬間、スパーダが駆ける。軸がぶれながらも彼の双剣を鉤爪同士が絡め取り、ギギギと剣と爪が軋み合う。
 ハルクスの腹目掛けて粗暴に蹴りをお見舞いしてやると、黒ベストに付いているボタンをめり込ませて二重苦を与えた。鳩尾に見事命中して力を弛緩させるしかなくなったのを見計らい、スパーダは力任せに剣を拘束から抜き出す。そして、姿勢を低くして身を捻り――螺旋の如く斬撃を繰り出した!
 空に向かって行くような剣閃――閃空裂破はハルクスを捉え、斬り伏せた。スパーダの剣には真新しい彼の血が付いており、ハルクスの腹部からはパタタッと血が滴り落ちている。刀身を振りその血を払った。

「イリア、平気?」
「う、うん……」

 ルカが剣を納めてイリアの身を案じ駆け寄る。どうやら戦いはほぼ同時に決着が付いたようでチトセは息を切らし膝を付いていた。
 ――ふふふ。フフ、フフフ。まるでひたひたと纏わり付く不気味な笑みが低く小さく響く。地をずりずりと這う蛇のような執念深さを侮っていた訳ではないが、自嘲や哀れみ、妬み、絶望を含むそれに背筋が凍るよう。まだ彼女の中の遺恨は消えていない。そうやすやすと消え去るものではないのだ。
 チトセはゆらりと軸のない人形のように立ち上がると、イリアをしっかりと指差し、宣言した。

「裏切りは消えない。どうしたってアスラ様を傷付けるのよ、あなたは……」

 押し留めていた不安の蓋がまた開けられ、イリアは恐れで声も無く震え上がる。その様子を見ていたハルクスはゆっくり傷を庇いながら立ち上がり、今にも倒れそうなチトセの肩を担いだ。おめおめと逃げ帰るとしますか。そう言えば彼女は大きな瞳で男を睨み上げた。
 ほくそ笑んだハルクスが眼前にいるスパーダをじっと見詰める。微かに唇が動いた気がしたが、ミルファはそれにも気付かずに、ただ聞きたかった大事なことを口にした。

「……ハルクスとは、敵同士なんだよね?」
「いいえ、仲間ですよ。貴女とは……、ね」
「それってどういう――」

 聞き返し終える前に、彼らは突如撒かれた煙――煙幕と呼ばれる物に包まれ姿を消してしまう。先程までの乱戦が嘘のように辺りは水を打ったようにしんと静まり返った。
 結局何やったんやろ、と言うエルマーナにリカルドは知らんとだけ言い外へと促す。それに続くようにすぐ目の先に見えている出入り口へと歩みを進める一行だが。
 とにもかくにも空気が重いのである。しんとした雰囲気に押し潰されるようにエルマーナがげんなりした様子で背中を曲げたその丸みに飛び乗り、同じようにコーダも背を丸めた。
 仕方ないわ、と二人を励まそうとするアンジュだが彼女自身も仲間を傷付けられて憤っているので胸の内にはもやもやとしたものが溜まっていそうだ。盛大な溜息の後に「全く、迷惑な方々ね!」と溢したこの言葉が証拠だ。あらいけないと上品に手で口元をそっと覆ったがこの場に居る者にはばっちりと聞こえているので意味はないだろう。
 普段と比べ物にならないほどに快活さを失うイリアはすっかり気落ちしているのが分かる。むしろ身に覚えのない非難轟々を浴びて気落ちしない方がどうかしているだろう。

「……アニーミはともかく、ベルフォルマまであれではな」

 後ろを歩くスパーダへ視線を向けながらリカルドがやれやれと溜息を吐く。いつも助け舟を出したりと気の回るスパーダまでも、何故か肩を落としているではないか。
 何やら思い詰めているみたいだが、何故なのか。近くで戦っていたミルファなら何か知っているんじゃないの? とアンジュとエルマーナに聞かれるが、知らないとしか答えようがない。本当に何も分からないのだから。
 心配でちらちらと後ろを盗み見るが、落ち込んでいるようでも、怒っているようでもない。しかしそれに近しいような感じもして、ますます分からずミルファは首を傾げるしかない。

「スパーダ、さっきあの執事に何か言われてたんだなー」
「えっ……ハルクスに? 何を言われてたか分かる?」

 ミルファの問いかけにコーダはふるふると首を横に振り、二人の様子を見ていただけで内容までは知らないと答える。
 ハルクスがスパーダに何を言うというんだろうと考えても、何も浮かばなかった。それに、彼なら気に入らないことがあれば即座に言い返すだろうにそんな風でもなかったことから検討すら付けようがない。せっかく記憶の場や王墓内の壁画から知り得た収穫が霞むかのように皆が気を落としている。
 イリアを気遣いつつも掛ける言葉が見付からないルカもまた――否、イリアよりも気を落としているかもしれない。彼女がルカや仲間を信じているのは確かなのでここは下手に慰めるよりも普段通りに接するのが良策と言える。そうすればイリアもいつも通りに振舞いやすくなる筈だで、そうしたらルカも以前のように接することが出来るだろう。
 今はそっと見守ろう。密やかに決められた約束事に後ろを歩く三人は気付かない。

hitsujitohana