23.鍛冶の聖地
鉄鋼の焼けた匂いと共に微かに漂う煙は、深く険しい山々に守られて暖色系の建物が多く建てられているこじんまりとした町並みを見回っている。
熱気が風と共に流れてくる。空を見上げるように上の方を見ると、船からも見えていた火山があった。この火山の熱気はこうして街に届いているのだろう。暖かいというよりは熱いという方が正しいと言えるが。
比較的温暖で水に囲まれた町から一転して熱さに囲まれる町までやって来たので、アシハラの適度な涼しさが恋しくなる。
さあ目的のものを探そう、と見渡しながら歩いていると、じろじろにやにやとした視線がスパーダとミルファに纏わり付いている。いたたまれなくてもじもじとするミルファの後ろからその犯人たちは顔を覗かせ、知らんぷりをしているスパーダに視線をこれでもかと注ぐ。
ねえねえ奥さん。なんですのん、奥さん。とわざとらしいやり取りを交わした後、その犯人──イリアとエルマーナが噂話をする主婦達のように話し始めた。
「昨日の夜のアレ、見ましたぁ〜?」
「見さして貰いましたわぁ!」
「お二人ともこの火山に負けじとアツアツでしたわね〜?」
「な〜?」
「〜〜何ッ回言ってンだよ、うるせェな! つかそもそも覗いてんじゃねーよ!」
起床後の船の中から今ここに至るまで何度もからかわれる事に耐えかねたスパーダが声を荒げたので、彼女達は物凄い速さで逃げ、ぐるぐると三人で追いかけっこが始まった。
すっかり普段の調子に戻った仲間達にミルファはホッとして思わず笑みが零れる。
(昨夜、かぁ……)
スパーダもミルファも気付かなかったが、昨夜の様子は仲間達にばっちりと見られていた。心配半分、野次馬根性半分といったところだろう。
会話までは聞こえていなかったようなのでスパーダの悩みが広まらなかったことには安堵するが“アレ”を見られていたかと思うと……。それを、彼に後ろから抱き締められた時のことを思い出してしまうとまたミルファの心臓は動きを早めた。焼き付けられたかのように鮮明に残る彼の名残に、顔の赤みがみるみる濃くなっていく。
頬が熱いのは火山のせいだと責任転嫁し、小走りで前を歩くアンジュの隣に合わせ、彼女とリカルドとルカの会話に混ざる。彼らはこのガラムの成り立ちについて話していた。
ガラムにある山々は、太古の時代から活火山地帯だったと伝え残されている。修行地としても有名で傭兵団の鍛錬場にもなっているのだとか。
さすが仲間の中で最年長。知識が豊富なリカルドの話に勉強が好きで知識欲いっぱいのルカとミルファは目を活き活きさせて聞き込んでいる。すっかり勉強タイムに嬉しくなったアンジュもこの地の信仰について便乗するように語り始めた。
雄大な自然は神格化される事が多く、このガラムは教会様式を独自に変化させ、独特の信仰を発展させた。この土地は火に縁深く鍛治を生業としていることから火の神バルカンを信仰の対象としているのだ。図書室で調べただけの知識より、こうして内容よりも近年のことが詳しく知れて、すごく勉強になる。
「ゲッ……また勉強タイム?」
どたばたと町中を走り回っていたスパーダとイリアとエルマーナが一足先に町の中央にある少し拓けた場で待っていたが、至極真面目な話をしながら歩く仲間を見てウンザリだという顔をした。三人共本当に勉強が嫌いなんだなぁとルカとミルファは顔を見合わせて苦笑いをする。少しは見習って世界の事を知ろうとしなさいとアンジュに言われる三人だったが全く興味がないようだ。
そんなことよりもアシハラのように観光名所として有名な物はないのかという彼らにアンジュは落胆したが、彼女も興味があるようでリカルドの言葉を待つ。現金な物だな、とリカルドはやれやれと息を吐いた。
「……温泉ならあるぞ。他国にはないそれに興味を抱いた観光客が近年集まっている」
温泉の情報に全員が目を輝かせる。どこまでも自然に囲まれた地だ。きっと天然の泉が湧いているのだろう。
さすがに何の情報収集もせずに観光する訳にもいかないが、やることが終わればゆっくり湯に浸かり身体を休めるのも良い。逃避行しつつ情報を集めて各地を巡るのはあまりにもせわしなく、過酷なのである。
和気藹々としながら足を進めていると、空から声が降って来た。正確には町の上の方だ。突然ガヤガヤと騒がしく声が沸いたので、それに釣られるように辺りに居た住民もどんどんそこへ集まって行く。何かあったのかと人混みから顔を覗かせると、バタバタと火山のふもとにある入り口から人影が見え始める。こんなタイミングで見付けるとは思わなかったが、あれが恐らく聖地だ。
やがて大声と共に担架を運ぶ人達が駆け出て来た。
「道を開けてくれ! 宿へ運ぶ!」
「医者を頼む! 命に関わる……!」
「しっかりしろ……!」
担架に乗せられた男の傷はとても酷いものだった。真っ赤鮮血は今も流れ出ており、傷口に当てられた白い布はもはや隙間とて元の色を見せない。覗く傷はどれもこれも深く、ミルファは目も当てられず、思わず顔を覆っていた。
恐らくは傭兵だろうが、続くように中から出て来た数人の男たちも武装しているにも関わらず怪我を負っている。先程運ばれて行った人より軽度とはいえ、放置しておいて良いものでもない。身体を引きずるように出て来た彼らもそのまま宿の方へと向かって行った。
「……情報、聞きに行くか?」
「でも、怪我してるのに呼び止めるのも申し訳ないわ……」
こんな町中で堂々と天術を使い傷を癒すなど逮捕してくれと言っているようなものだ。自分達の状況を優先して怪我人を辛い状態で居させるのは違う。どうしたものかと全員が思考を巡らせていると、ざわざわと色々な声が飛び交う中で、ミルファの隣に立っていた人達の会話が特に耳に入り、思わず聞き耳を立てる。
そこで聞こえて来たとある単語にミルファの身体はビクリと震えて固まってしまった。
「あのハスタとかいう殺人鬼、聖地に立て籠もってるが何なんだ!」
「くそっ……傭兵部隊でもだめなんて……」
「ああ恐ろしや恐ろしや……」
──殺人鬼、ハスタ。
しばらくぶりに聞いたその名前は西の戦場での出来事を嫌でもミルファの脳裏に蘇らせた。
あの男に噛まれて鬱血していた首筋に無意識に手で触れる。そこから血がドクドクと流れている感覚に陥ったが、もちろん血は流れていない。
(大丈夫、もう痕は残っていないし傷だってないんだから……)
どんどん、どんどん、浮かぶシルエットが鮮明になっていく。桃色の髪、赤い舌、そして、低く抑揚のない声と『イタダキマス』という痛みの宣告。
空気が薄くなったのかというほど上手く息が出来ない。トラウマ意識のせいだと言い聞かせ自分を落ち着かせようとしているミルファの手をそっとイリアが握って人混みから引き離すように引っ張っていった。
傭兵部隊が去ったというのにまだ人々はその名残にすら不安を感じ動けずにがやがやとひしめいている。
人の多いところで話すことは出来ないので全員で木陰に入ってひそひそと輪になって話すが、逆に怪しいだろうというリカルドの指摘で少しだけ距離を空ける。……それでもやはり少し怪しげに見える筈だが、不謹慎とはいえ一行の声は不安に駆られる人の騒めきに呑まれて目立たない。
「……そのハスタさんというのは皆のお知り合いの方?」
「あっ、アンジュとエルは会ったことなかったよね。ええと……」
……さて、どう説明したものか。何しろ、ルカ達もあのハスタと知り合いという訳でもない。ただ一度戦っただけだ。あの奇異な雰囲気はそう易々と忘れられる物ではないのでしっかり覚えているが。
敵とはいえ他人様を中傷するようなイメージを話す訳にもいくまい。しかし頭に残るあの殺人鬼のイメージは良いところがないのだ。強いて言うならばフリルのあしらわれた衣装を着ていることくらいだろうか。悶々と考えるルカに変わり、リカルドが口を開いた。
ハスタという男はガラムの傭兵部隊に所属していた者だと。そしてあの男も転生者であると。
「リカルド、西の戦場であの人に負けたってこと?」
「馬鹿を言うな、俺が優勢だった。……だが、最後の一発をくれてやる前にあいつは言った。俺に向かって『ヒュプノス』とな」
……その言葉に耳を傾けてしまい、そうして生まれた隙に全速力で逃げられてしまったらしいが。後ろから撃てば良かったのにと言うルカの言葉にリカルドは、「あまりの見事な逃げっぷりに思わず見惚れてしまった」と自嘲の笑みを浮かべた。
ヒュプノスはラティオに居た死神だ。その存在を知っているという事はつまり、ハスタは同軍の転生者である可能性が高いということになる。
そんなハスタが今目的地でもある聖地に立て籠もっている。被害者を増やすわけにもいかないガラム民はこれ以上人の立ち入りを許しはしないだろう。現に今、聖地の入口には見張りの男が立っている。
やがて、ピリピリ恐々とした空気が住民と共に町中へと広がっていく。それを見送るようにしてから全員が思案する。
さあ、如何にして入り込むべきか。入れたとしてあの殺人鬼はどうするか。
「こういうのはどう?その人を聖地から引っ張り出すからわたし達を中に入れてってお願いするの」
アンジュが上げたそれは否定する必要のない、謂わゆるグッドアイデアと云えるものだった。あの男が転生者であるならば、傭兵とはいえ普通の人間では対等に戦うことは難しい。それならば転生者である自分達が向かうのが良いだろう。
……けれど、出来れば会いたくはない。ミルファは特にその思いが強い。イリアやスパーダ達のように嫌悪ではなく、恐怖の感情が。
「ミルファ姉ちゃん、大丈夫か?顔めっちゃ青いけど」
「う、うん……」
「……まあ、中に入っちゃえば最悪アイツ放置しても良いだろうし……」
イリアが悪巧みするようにニンマリと笑うのでエルマーナはえげつないと笑う。アンジュは良くないことだけど考えとしてはありだと頷く。さすが世間師のように巧みに生きる女性と云ったところか。
女性陣全員という訳ではないが、彼を避けることを優先したがっているのに反して男性陣は倒すべきだと述べる。
住民のためにも、この先の自分達の道のためにも、それが一番だ。そんな中スパーダは、はっきりと言い切った。あの男に会いたいと、会って倒さないと気が済まないと。
スパーダにとってハスタは、仲間に危害を及ぼす危険性のある男という認識だ。そして大事な幼馴染を傷付けた奴でもある。
しかし本命は聖地の中にあるであろう記憶の場。目的を見失うのは頂けない。また、戦う力を持たない住民をこのまま放っておけないのも事実。どちらも手を伸ばせるならばそれに越したことはないが、あくまでも殺人鬼はついでということを念頭に置くべきだろう。
全員が納得して頷いたが、スパーダはそうとも言い切れないようだ。納得しようとしてはいるのだが、どうしてもハスタと戦いたい様子。正義感でも報復のためだけでもない、何か──全うすべきことだと自分の中の芯が響くようで──。
「さあ、では早速交渉に行こうか」
くい、と親指で守番を差し、火山聖地の入口まで近寄る。……が。
「ああ、すまないが今は入れないぞ。ここは観光地ではないんだよ」
旅行者と勘違いされ、町へ戻るように諭されてしまった。上手く民間人に紛れ込めているのは逃亡中の身としては安心すべきことだが、今はこのまま引き下がる訳にもいかない。
どうしよう、とミルファは隣に居るスパーダに視線を送ってみると、こそりと耳元で「大人組に任せようぜ」と返事が。こくりと頷いてその大人組のリカルドとアンジュの方を見ると、二人は門番に交換条件を提示していた。“ハスタを聖地から追い出すから中に入れて欲しい”と。しかし。あっはっはっは! と盛大な笑い声が響く。思い切り笑い飛ばされてしまったのだ。
あの殺人鬼を倒すなんてただの旅行者には無理だという守番の言葉をはじき返すようにイリアとエルマーナがドンと胸を張った。安心するよう言うも、少女が殺人鬼をどうにか出来るだなんて思える筈がない。
危ないから帰りなさいと言われてしまい、その扱いに腹を立てた少女二人は地団駄を踏んだり不満の目を守番の方へ向けた。視線が痛くていたたまれない男はしどろもどろと目を泳がせている。
「ほ、本当に危険なんだって……」
「ウチらかてホンマに強いんやって!」
「エ、エルちゃん、落ち着いて」
「え、えっと……僕達、大丈夫ですよ。それにその、こちらの方はそのハスタと同じ傭兵部隊に居たので彼のことはよく知っているそうで……」
ルカが隣に居るリカルドを紹介するように彼に目線を向けると、守番の男はハスタの戦いを思い出して顔を青ざめさせ不快と恐れを露わにした。
あの殺人鬼は確実に相手の命を奪うために槍を血で染めているので本当に危険だ。だからこの奥へ通す訳にはいかない。男は少々語気を強めて見せる。何とか逃げおおせることが出来た傭兵部隊の様子からも男の言葉は真実であることは明確だが、こちらもおめおめとやられてやるつもりは微塵もないのである。
「仕留め損なった分、今度はきっちりと息の根を止めてやるさ」
「……そこまで言うなら、君達を通すよ。さあ、中に入ってくれ」
ニヒルな笑みを浮かべ、リカルドは討伐宣告をする。それを聞き、妙な自信に納得してしまった守番は彼らにしっかり用心するよう言い聖地の入り口を明け渡した。
何故あの男がそんな血生臭過ぎる道を望むのかは分からない。あの人の戦いは、ただ自分の歪んだ欲求を満たすためだけのものなのだろうか。
ミルファはそんな考えても仕方ないことを浮かべつつ仲間に続いて溢れる熱気の中へ向かうと、まるで自分が燃えているかのように熱くて溶けてしまいそうだとさえ感じた。……窯で焼かれているピッツァってこんな風なのだろうか。
火山の中に整えられた道があるということは、多少なりとも人の手が加わっているということ。自然をこれだけ残しつつも道を築くというのは、奥に何かがあると言っているようなものだ。
石で造られた橋を歩き、下に流れるドロドロとしたマグマがあぶくのを見る。恐らく、沢山の火山ガスが噴き出しているのだろう。……だって、すごく。
「うっっわ!! 無理!! 臭っ!!」
「すごい硫黄の臭いだ……」
「あ、これが硫黄なんだね……」
──そう。この中は硫黄の匂いが立ち込めている。
ミルファは実際に匂いを嗅ぐのは初めてだったが、“マグマには水と二酸化炭素を主に、硫黄や塩素などの他成分が溶解されている”という本での知識とイリアの発言からこれが硫黄だと確信した。鼻を摘まみたいところだが、暑くて暑くて手で煽ぎそよ風以下の風を生み出さなければ限界だ。熱と匂いのダブルパンチで入って早々とはいえギブアップしたくなる。
「はふぅう、暑い……」
「そうだね、すごい暑いやぁ……」
「まさにと云ったところか……これで火に縁のある鍛冶の神を祀っていなければ不自然なくらいだな」
旅を続けて、戦いを経て、体力はある程度ついているのは確かであるものの、暑さというものには勝てないようだ。イリアやエルマーナは普段から涼しげな格好なのでまだマシ……とは言っても汗と共に文句はダラダラだが、ルカとリカルドは重ね着をしているので余計に暑そうだ。
ぽたぽた、ぽたぽた。まだ中に入って間もないのに、もう滴るほど汗をかいている。ミルファは紺のブレザーと黒のロングコートを指差し、上着だけでも脱いでみてはと提案してみる。しかし二人は首を横に振った。ルカはもう少しだけ頑張ってみると力なく笑い、リカルドも同じ考えなのか薄い唇に小さく笑みを乗せている。こんな序盤中の序盤で根を上げる訳にはいかないという意志の表れか、そのまま歩みを進めていく。
割とまだ外からの空気と繋がっている今の場所でさえこの調子なのだから、奥地に近付けば熱さは倍増だろうなと思うと気が滅入るようで、その想像だけでミルファはがっくりと肩を落とした。
「鍛冶の神、か……」
ミルファの隣にいたスパーダが、ボソリとそう呟いた。
スパーダの前世は聖剣デュランダル。鍛冶の神バルカンに鍛え上げられた大剣。その生まれ変わりである彼にとってこの地は縁深い場所なのだろう。何か感じることがあるのか、思い返しているのか──眼はどこか遠くを、過去を見ているようだ。
熱気で体調を脅かされている訳ではなさそうで、ミルファはほっとする。
「……? っ、いた……い」
やはりと云うべきか、それは唐突に襲い掛かった。記憶の場に関係なく前世を深く思い出す前触れに起こる、この頭の芯の痛み。じわじわと思考が“痛い”という言葉に埋め尽くされ蝕まれていくような感覚に陥る。
ぐらり、ぐにゃりと視界が揺れ、力が入らずミルファは身体が思うように動かせない。ぎゅうっと閉じた瞼の裏を黒とセピアが交互に色を付ける。やがて、もはや見慣れた天上界の光景が──リリヴァの白い寝室が映り、過去の光景が動き始めた。
◇
「……貴方が羨ましい」
美しい琥珀色の水晶体を剣体とする彼の身にそっと触れる。ああ、なんと美しく、そして、強い光を放つのだろう。戦場で彼が振るわれると、きっと敵も輝きに眼を奪われる。美しい聖剣デュランダルの虜になり、瞬く間に命を奪われるのだ。
これ以上ないくらい恐ろしく美しい光景をリリヴァは脳裏に思い浮かべ、思いを馳せた。
「まだ、戦場に立ちたいか」
「それは、そうよ。役に立ちたいの……アスラお兄様の」
まだ戦争は続いている。だがもうすぐ局面を迎え、センサス軍が勝利を収めるだろう。鈍く濡れる血が染める戦場に戦神が立ち、勝利宣言をする──その場を何度も夢見て来た。隣に立ち、共に、戦いたかった。
けれどどうしたって、リリヴァは戦えない。身体は弱く、剣を一振りもしくは槍を一突きしただけで膝を付いてしまう。どれだけ動こうとしても、だめなのだ。白く柔らかい絹に包まれていなければ、小さく揺らめく命の灯火は静かに消える。
「どうせ死ぬなら、お兄様の隣がいい」
「……アスラの前では言わぬ方が良い言葉だな」
抑揚のない声だ。それでも、その身体から発せられる光はどこか悲しげに見えた気がして。ごめんなさいねとリリヴァは言うが、デュランダルは何故謝られたのか分からず黙るだけだった。
気まずい訳でもないが特に何か出す声もないので黙っていると、しんとした白い部屋の静寂を、珍しく無口な彼が破る。
「戦争を終わらせるため、我は生まれた。だがお前はそうではないだろう。戦の神でもないのだ……戦う必要などない」
「……そう。貴方は多くの者を活かすため、鍛えられたのね」
鍛冶の神バルカンによって思いを込め、託された最後の剣。それがデュランダルだ。ただ生き延びて死を待つだけの私とは、違う。リリヴァは改めてそう思った。
彼の言いたいことも、日頃から言われている労わりの言葉も、自分を前向きにさせようとする言葉だと分かる。
灯の女神としてすべての命のために暖かな光を灯し続けるのがリリヴァの役割であり、使命。戦わなくても良いというのはそういうことなのだろうが、それでも。城の中から皆の無事を祈り、病に負けて眠ることしか出来ない。それはリリヴァにとってこれ以上ない苦しみなのだ。
「リリヴァ殿」
名を呼ばれたかと思うとコンコンと丁寧にノックされた。声の主をすぐ察したリリヴァは名を訊ねることもせずどうぞと扉を開けるのを促した。リリヴァもデュランダルも扉を開き出迎えることは出来ないのである。ガチャリと空いた扉から
「失礼します。デュランダル殿をお迎えに上がりました」
「もうそんな時間なのですね」
ラティオからセンサスへ降った軍師オリフィエル。戦を広く見渡し理解でき、動かす力がある。いつも花瓶の水を変えてくれるのは彼だったりするのでよく顔を合わせるし話すこともあるが、あの穏やかな男が軍師だなんてにわかに信じられない……というのがリリヴァの見解だ。それでもアスラが信用し、作戦を任せているのだから腕は確かなんだろう。
(軍議、か)
また一人の時間がやって来る。殺風景なこの部屋にひとり……。いつか白に呑まれて消えるのではと思い顔に不安の影を落とす。
その様子を見逃さなかったオリフィエルは、そっと桃色の花を差し出し、微笑んだ。
「病は気から、ですよ。どうか暖かな微笑みを消さないで頂きたい」
「オリフィエル様……ありがとうございます」
「どういたしまして」
そっと花を受け取り、蜜を香る。ああ、サクヤの育ててくれた花だ。穏やかなそれは心の薄暗い部分を包み消いてくれるようで心地よい。
それでは、とデュランダルを両の腕で抱えたオリフィエルは彼女へ一礼し、部屋を去る。二人に手を振り、ぱたんと閉められた扉の音を合図にリリヴァは今度こそ一人になった。
「……もう、眠ってしまおうかしら」
ブランケットをずりずりと手繰り寄せ、後ろ向きな思考と共にシーツに沈んでみる。
瞳を閉じると、部屋と打って変わった暗闇に支配される。消えた筈の不安がまた押し寄せるようで胸がざわざわとする。すぐに目を開け、隣に横たわらせていた花にそっと触れた。
花瓶に挿してあげなくちゃと少し体を起こした、その時だった。
──求めろ。そう、声がした。
「……何……誰?」
──力を求めろ。そう、地の底から響くような声。
「声が、聞こえる」
──さあ、早く。そう、リリヴァを呼んでいる。
彼女はベッドからするりと脚を下ろし、おぼつかない足取りで城を抜け出した。その声を追い求めるかように。
歩き続け、進めば進むほどにずっと頭の中で響く声は大きくなり、その主へ近付いていることが分かる。履物も忘れて外に出たため、白く美しい足の裏は土埃で汚れ、泥の靴のように彩られている。
ぺた、ぺたり。おぼろげに瞳が捉える地の色は真っ二つに分かれたような、二色。……国境だ。いつの間にかセンサスとラティオの国境の境までやって来ていたようだった。
……まだ戦争は終わっていない。このままラティオの者に見つかれば殺されてしまうかもしれない。戦えない私は、無抵抗に、無残に──。想像だけでぶるりと身が震えるほどの恐怖に支配される。ひくり、と畏縮して逃げるようにたじろいだ、刹那。
突如として風が荒れ、リリヴァの美しい銀の髪が舞う。
そして、目の前には──。
◇
流れる映像は、ミルファの身体を伝い落ちた汗のように。突然、何の予兆もなく弾けて消えた。