29.龍神信仰の地で

 だんだんと遠ざかって行く小さな火山の町並み。それを安堵と小さな寂しさを抱きながら甲板から見詰めるミルファの髪が潮を帯びた風に揺らされている。
 仲間たちはみんな客室で休んでいるようだ。行く先々で問題が起こっているからか、疲労困憊とまでは行かずとも疲れているように感じられる。ルカは容態が安定し始めたばかりで、イリアはというとまた頭痛に悩まされている。心配で仕方ない。
 ミルファはどうにかみんなが元気になる方法はないのかなと考えるが、露天風呂にみんなで行けば良かったなということしか思い付かなかった。しかし、次の行き先へ向かうためのこの船のチケットが期限付きだったので提案したとて実現は出来なかっただろうと思うと残念で仕方ない。

「ミルファ〜」
「コーダくん! どうしたの?」

 トコトコとミルファの足元に近付くコーダ。部屋から出て来たようだ。コーダの首を痛めないようにと目線を近くするため、ミルファはその場にしゃがみ込んだ。何かあったのかと思ったが、コーダはただ暇だったから甲板に来ただけのようで「話し相手になれ」とにこやかに袖を振るのだった。ちまっとした身体から繰り出される動きが可愛くてミルファはふふっと笑う。

「次に行くところはガルポスだったなー、しかし」
「うん、そうだよ?」
「そこはおいしいものあるのか? あるのか、しかし?」

 瞳をきらきらさせるコーダに、ミルファは次の行き先――南国のガルポスのことを考えた。船の客室にある旅行パンフレットを読んだ情報だと、トロピカルフルーツが有名だということだったはず。
 それを伝えようと思った矢先、後ろから弾むような爛々とした声がした。

「あそこはトロピカルフルーツが有名なのよ」
「ほんまアンジュ姉ちゃん食い意地張っとるなぁ」
「失礼ね、そんなことないわ」

 いつの間に後ろに立っていたのか、声だけではなく心なしか目も輝かせているアンジュと、少し呆れつつもわくわくした様子のエルマーナが居た。二人とも、トロピカルフルーツを食べるのをとても楽しみにしているであろうことがすぐわかる。それほどにうきうきそわそわしていた。……特にアンジュが。
 おお! と嬉しそうに感嘆の声を上げたコーダはとても嬉しそうだ。その様子を見てミルファは頬を綻ばせた。

「コーダもそのトロピカルフルーツとやらを食べるんだなー、しかし。しばらくじじいの料理を食べてないから美味しいもの食べたいんだなー」
「ハ、ハルトマンさんのこと? 確かに、しばらくお世話になることもないと思うし……残念だね」
「そうだなー、しかし。ミルファも一緒にフルーツ食べような」

 コーダの提案を嬉しく思い、約束だねと笑いかけたときだ。アンジュが何かに気付きやれやれと息を吐いた。船内に戻りましょうかと言うのでエルマーナがなんやなんやと彼女の視線が向いていた方を見遣ると――。

「……あー、こらあかんわ。コーダ、ちょおこっちおいで」
「どうかしたのか、しかしー?」

 来い来いと手招きされたコーダはエルマーナの方へ駆け寄り、そのまま抱き上げられる。甲板を離れようとする彼女たちにミルファはどうしたのかと首を傾げつつも、わたしも戻るよと言う。しかし「あなたはあの子を宥めてあげて」「ミルファ姉ちゃん頼んだ!」と言われたのでぽつんと佇むしかない。
(……あの子?)
 誰か居るのだろうかと思い後ろを振り返ると、今まさに甲板に出て来たであろうスパーダが船首の方へと向かうのが見えた。まるで顔に思い切り不機嫌ですと書いてあるかの如く、眉間に皺を寄せている。

「……スパーダ?」
「あァ? …… ミルファか」

 声を掛けてみると低く重い声が返って来た。その目付きは野良の狼のように鋭く、喧嘩に明け暮れていた時期のそれと似ている。ガシガシと頭を掻き項垂れ、冷静を取り戻そうとするがなかなか思うようにはいかない様子。
 それもそのはず。事は船に乗る前にまで遡るが、リカルドがガルポス行きのチケットを手に入れていた――そこまでは良かったのだが、そのチケットで乗れる船の出航日がちょうどルカが目を覚ました日だったのだ。この船を逃すと次は一ヶ月ほど先になってしまうかもしれないとのことでそのチケットを購入したらしい。ルカを置いていくつもりだったのか、とスパーダは納得が行かずリカルドに食ってかかり、殴る一歩手前まで頭に血が昇っていたのだ。
 一応ではあるがその場はアンジュが諫めたことで収まりがついたものの、スパーダの中ではモヤモヤが晴れないままなのだろう。彼自身、リカルドがわざと早く出航するようにチケットを取るような不義理な人間でないことは分かっているはず。しかし、理屈で納得出来るものではないようで不満を顔に滲ませたままだ。
 あいつは冷たいと言うスパーダにミルファがそんなことないと返すと、ジロリと睨まれてしまい思わず体がびくりと震えてしまう。

「……ンだよ、お前リカルドの味方なのかよ」
「そ、そういうんじゃなくて……優しさを表立って表せないだけなんじゃないのかなって思うの。不器用というか……」

 短いながらに今まで共に旅をして来た仲間だ。酷い人であるわけがないという信頼があった。それと―― ミルファは、そのリカルドの“優しさ”を目にしているのだ。
 彼はルカが目を覚まさなかったときのために、寄せ集めの素材で新しく背負子を作っていたのである。それをたまたま見てしまったミルファにリカルドが気付いてしまい、誰にも言うなと口止めされているためスパーダには話せないのだが。使うこともなく日の目を見なかった背負子は捨てられたので証拠も出せない無力な彼女はただ必死に伝わって! と念を込めてスパーダを見詰めるしか出来ない。
 そんな瞳を向けられてスパーダが何を思わないわけもなく。ムカムカと胸やけを起こすほどに苛立っていたはずが、可愛いだの仕方ないだのという感情で上書きされていく。幼馴染のお願いだからなのか惚れた弱みなのか、それとも両方だからなのか。

「……あー! そんな顔すんな! わかってるよ、納得いかないだけで何もリカルドが嫌いとかそういうんじゃねぇし」
「ほ、本当?」
「本当だって! だからそんな顔すんなよ」
「わっ、ちょ……!」

 頭をわしわしとされていつものように髪がぐしゃりと乱れたのでミルファは手櫛でいそいそと直していると、スパーダが途端に難しい顔をした。少し頬を膨らませていたミルファだったが、彼の表情を見て何かあったのかと感じて首を傾げる。スパーダは目線を彼女へと向け、神妙な面持ちで話し始めた。

「……さっきのルカの話、お前はどう思う?」

 ルカの話というのは、彼が三日間眠っている間に見たという夢の内容のことだ。彼は創世力に関する夢を見ていたらしく、その夢の中では力のルーツに関わる言葉が飛び交っていた。『創世力には原始の巨人の意志が込められており、魔王はその力を使って天上を崩壊させようとしていた』という話から、『献身と信頼、その証を立てよ、さすれば我は振るわれん』──創世力には原始の巨人の意志が込められているということ、それを守らないと力は使えないとアスラは嘆いていたらしい。
 あまりにも突飛で、内容が断片的過ぎたためあまり考えないようにしていたが――。

「創世力は、ひとりで勝手に使うことは出来ない……ってことだけはわかった気がする。それ以外は、まだわからないことだらけで……」
「だよな……」

 アスラは、恋人か妹か、二人を天秤にかけないといけないのかと頭を抱え、オリフィエルに相談をしていた。……にしては不可解なことがある。なぜ、魔王はこの力を使って天上を崩壊させることが出来たのか。まだまだ知らない記憶があるのだと思い知らされる。
 唇を指で押しながらうんうんと唸って熟考していたミルファをスパーダがじっと見詰めていた。答えを待っているという感じでもない。サラリと風に揺れる翡翠の髪も自分を映す灰色の瞳も綺麗で、ミルファの胸はぎゅうと詰まりそうになる。
 どうしたの? と問い掛けた声が上擦ってしまったのが格好悪くて恥ずかしくなり、ぶわわと顔に熱が籠っていく。

「……いや、オレならお前になるのかなって思っただけだよ」

 直した髪がまた乱される。くしゃりと、今度は優しく。紡がれた言葉がどういう意味なのか訊ねようとするが、そっぽを向いた彼の横顔を見るしかできない。風に遊ばれる髪の隙間から除く頬はどことなく赤いように感じられる。
 また雰囲気が変わった幼馴染のその姿に、ミルファの心臓はドクンと強く跳ねた。しかし、心の中にざわざわと木枯らしが吹くような感覚が過る。
 大切な幼馴染の彼、スパーダ。ずっと一緒に居た、これからも一緒に居たい大切な友達。
 幼馴染だからと言ってお互いの全てを知っているべきだとは思わない。ミルファだってスパーダに話していないことはある。体重とか、……体重とか。心の距離が離れたとかそんな心配はしていないし、誰だって小さい頃のままではなく変わっていくことも重々承知している。けれど……。
 旅を経て強くなったから? 守りたい人が出来たから? 変わっていくのは、なぜなんだろう。そして自分はどうして素直にそれを喜べないんだろう。どうして、こんなにも――?
 渦巻く感情たちを上手に表現できず、ミルファはスパーダの指先を弱く掴むしか出来なかった。

「っ……!? ミルファ、ど、どうした?」

 なんでもないよと言う、さらりと顔にかかった菫の髪に隠れた口元。次いで出るはずだった心の波に呑まれた言葉は、誰にも、彼女本人にも聞こえることはない。
 繋いだ指先が少しずつ少しずつ熱を帯びていく。幼馴染の肌から、スパーダは暖かミルファは熱を感じている。
 熱いけど平気かな、と思いチラッと横目で盗み見たスパーダの顔は傾いた陽によって生まれた帽子の影で見えなかった。


 ◇


 海の上を漂うこと数日。海一面だった先に差した色は、丸々と実っている果物がたくさん生っている大木のそれ。船が近付けば近付くほど、瑞々しく甘い香りが鼻をくすぐってくると同時にじわりと蒸されているような暑さのせいで張り付くような汗が滲んでいる。
 王都の管理下に置かれて植民地と化しているガルポス。
 この地はガラムよりは暑くなく涼しさもあると思っていたが、そんなことはなかった。暑さの種類が違うのだろう。あちらはカラリとした暑さでこちらは蒸し暑いというのが正解だ。

「あっつぅ〜……」
「あ! あれが噂のフルーツちゃう!?」
「ほんとか、しかし!」

 船から降りてまずじめりと湿気を帯びた熱に迎えられた一行。
 目敏いというか鼻が効くというか――恐らく後者だろうが――香りを追い掛けてエルマーナとコーダがバタバタと向かう。……が、すぐにトボトボと肩を落として戻って来た。その手に果物はない。

「ふたりとも、どうしたの?」
「果物貰われへんかった〜……」
「だろうな」
「リカルドさん、何かご存知なのですか?」

 世情に詳しいリカルドによると、果物は支給品として加工して戦場に出荷しなければならないため民間にはあまり渡らないようになっているとのことだ。戦場から遠い場所にあるためか今まで訪れた地域よりも和やかに感じられるが、それでもその裏では戦争に繋がっているのがなんとも悲しい話である。

「フルーツは食べ損ねたけど、ええネタ仕入れたで」
「ネタって何よ? しょーもないことだったら承知しないからね」
「まあまあそうカリカリしぃなや〜!」
「エル、教えてくれないかな」

 ルカに頼られたと思い嬉しくなったエルマーナはぴょんと跳ねて“ええネタ”を仲間に共有した。どうやら、人の手が行き届いていないジャングルがあるらしい。熱帯地で放置されている植物が多い茂っており、その中には珍しい実も生っている可能性があるとのこと。
 結局食べ物関係じゃない! と言うイリアだったが、アンジュは少し考えてからジャングルに入る価値があると言い出した。まさか果物を食べたいからかと言いたげにイリアとスパーダとエルマーナに見詰められるものだから「お説教しましょうか?」と口元に笑みを宿す。いわゆる目は笑っていないというやつだ。ルカとミルファが嗜めたことで事なきを得た三人はホッと胸を撫で下ろす。
 とにかく、とアンジュが折れかけた話の腰を戻し、他に思しき場所もないのならそこに向かってみたいと言う。

「わたしの認識違いじゃなければ、ここも信仰地のひとつのはずなのよ」
「でも、何かを祀っているような雰囲気はないように思うけど……」

 首を傾げるミルファに微笑み、目に見えるものが全てじゃないのよと諭すアンジュ。その言葉に、船で感じた思いが頭を過る。……もしかして、心を読まれた? と思ったことは人々と対話を繰り返してきた聖女には手に取るようにわかる。というか誰でもわかると言いたいほどにミルファの表情は心の声を物語っていた。
 ミルファはうんうんと唸りながらではあるが、一行が意気込んでジャングルの入り口がある方へと向かうとアンジュはやっぱり、と声を零す。

「やっぱりって?」
「どういうことよ、アンジュ」

 イリアとミルファが問うと、アンジュが熱帯植物に覆われた当たりを見回しながら宗教について話を始める。逃げようとしたイリアの手をミルファが握るので彼女は僅かながら教えを共にする羽目になるのだった。
 その様子を気配を殺しながら手を振り見送るスパーダとエルマーナを逃げ場を失った彼女が睨む。そこにルカもやって来たので、傍から見れば完全にお勉強タイムだ。イリアはと言うと、赤髪がくすんだと見間違うほどに見る見る顔色が悪くなっている。

「信仰は何も生きる存在に対して向けられるものではないのよ。ヒントはこの場所かな」
「自然ってこと?」
「そうよイリア。正解!」

 当てずっぽうだったのに、と鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたイリアだがどこか嬉しそうだ。その様子をミルファがニコニコと嬉しそうに見ていたのでハッとして咳払いを数回する。完全に照れ隠しである。
 わからなかったことが分かると楽しいよね、とミルファが言うとイリアは形のいい唇を尖らしつつ頷いた。嬉しいのだろう。それでもやはり勉強は苦手なものは苦手なようだが。

「よし、行くぞ」

 ――ということで、一行は顔よりも何倍も大きい葉や絡むツタたちを掻き分けてアンジュの信仰話を聞きながら奥地を目指すのだった。
 このガルポス地方は自然の恵みが豊富。そのため、天の恩恵――つまり教会の力はそれほど重要視されず、自然そのものを神格化したということであった。すると、自然を信仰する前は何を信仰してたのかという問いが投げられた。なんと、その質問主はスパーダ。珍しく彼が話に入って来たのでミルファはぱぁっと目を瞬かせながら心を弾ませて花を咲かせるような声を上げた。

「スパーダもお勉強したくなったの?」
「違う違う、どうせ寂しくなっただけでしょ〜?」
「バッカ! ちげーよ!」
「……フ」

 仲間たちがわいわいとやり取りをしているがその中身は難しい話なので入れない、興味がないと項垂れて果物の生っていそうな木を探すエルマーナとコーダ。仲間たちはやれやれと呆れ半分、微笑ましさ半分の笑みを向ける。

「この地はね、エルに関係してる場所なのよ?」
「え、なんでなん?」
「ここは元々龍神信仰の中心地だから……ヴリトラが奉ってあるの」
「へぇ……そーなんかぁ」

 自分の前世であるヴリトラが関係してるとわかったエルマーナの目に僅かではあるが興味の色が宿っていく。結局全員でのお勉強会になりそうだ。ミルファは嬉しそうにくすりと笑みをこぼした。
 じわじわと蒸す熱気に喉が渇く中、奥へ奥へと進むと熱帯植物の茂りが薄い場所へ出る。石造りで出来た道や少し大袈裟な台座はかなり古く、経年劣化のせいか大きく欠けていたり崩壊が始まっている様子。その奥に青白い光を放つ渦が見える。

「ねえ、あれ……。記憶の場よ」
「ここが天上との接点だったんだ。人々に忘れられながらも、こうして存在していたんだね」

 行こう、とリカルドが先行して記憶の場に足を踏み入れ、仲間たちもそれに続く。
 そうして見た記憶は創世力の使い方についてだった。ルカが夢で見たと話していた通りかと思われたが、アスラとオリフィエルの語らいの様子だった。夕焼けに彩られた、戦友との記憶。

「オリフィエルが何か言ってたね」
「創世力の使い方の伝わり方が、センサスとラティオでは違っていたみたい」

 ラティオからセンサスに降ったオリフィエル。彼はラティオに伝わる力の使い方は異なると言っていた。“献身と信頼、その双方を満たす己の半身となり得るほどの者と共に力を行使する”――。つまり、創世力と引き換えに誰かを犠牲にしなくても良いということ。生贄に差し出すような真似をせずとも力を行使出来たのだ。
 アスラの嬉々とした様子から読み取るに、恐らくこの方法で力を使おうとした。しかし――。

「アスラの夢を見たとき、彼は世界は救われるって言ってた。だからやっぱり、このあと魔王に力を奪われたってことなのかな」
「あのアスラがそう簡単にやられるとは思えねぇけどな……」
「そうねぇ……」

 これ以上考えようにも、情報が少な過ぎてどうにもならない。流れ見た記憶から何か思い出したことはないか、と状況の進展を模索しようとしたときだった。自分達が歩いて来た方向へリカルドが長銃に手をかける。
 しんと静まり返る一帯に響く、じゃり、じゃり、と砂と石造りが擦れる音。町の者の可能性もあるが、入り口付近ならともかく信仰の廃れた場所でもあるこんな奥地まで一般人が来るのかも怪しい。警戒を解かずに身構える彼らの前に現れたのは――。

「……何か、思い出したみたいだね」

 焦げた茶色の髪に褐色の肌を持つ少年が首巻きを握りながら一行の前に立ち塞がった。シアンだ。傍らに居る犬、ケルとベロも一緒で、ミルファの方を見てキャンキャンと嬉しそうに飛び跳ね始める。「バカにされちゃうだろ!」とシアンは慌てふためく。
 なんとも威厳もなければ緊張感もないそのやり取りを見て、エルマーナがしょうがないなぁというように声を掛けた。

「……えっーと、シアンやんな? 犬男やのうて」
「そうだよ。……ちゃんと覚えたみたいだね」
「あんたもウチの名前覚えたらどうなんよ」

 ウチは覚えたのに、とジトリとした視線を向けられてシアンはもごもごと口籠る。人とあまり関わらないのか緊張して照れているようだ。
 エルマーナのペースに呑まれそうになったシアンはぶんぶんと頭を振り頭を切り替えようとする。

「う、うるさいな! とにかく、創世力の場所が知りたいんだよ。早く教えてマティウス様に協力しろ!」

 鍾乳洞で会ったときから分かっていたことではあるが、シアンはマティウスに利用されている。何も分からない子供だと軽んじられているのだろうと想像に難くない。
 皆、諭すように、マティウスに協力してはいけないと彼に告げるがシアンは聞く耳を持たず、まるで威嚇するかのように声を荒げた。

「またボクを惑わそうとしてるんだろ!? ムダだよっ! 守ってくれるのは……、ボクを守ってくれたのはアルカだけ……マティウス様だけだったんだ!」

 心からの切なる叫びが一帯に響く。ケルとベロの寂しく鳴く声が続いた。

「ボクはケルとベロと一緒に……お母さんのお腹の中から生まれた」

 ぽつりぽつりとシアンが俯きながら話し始める。涙こそ流していないが、こぼれる言葉はそれに濡れているように感じられた。
 シアンは呪われた子だからと捨てられたようだ。人間と動物が腹の中から生まれたことが原因で、きっと親も冷たい目に晒されたに違いない。ひとりと二匹、誰にも頼ることもできず前世のように三位一体となって生きてきたのだろう。そんな彼らにとってマティウスの言葉はまさに天の助けと言うに相応しい。

「生まれながらにして不幸になった転生者や人の都合で不幸になる動物達が救われる……そんな楽園のような新しい世界が必要なんだッ!!」
「でも、アルカは転生者を集めている。それは救いのためじゃない。適応法と同じ事なんだよ」
「実際、集められた人たちは研究所や軍隊に送られてるんだぜ」

 伝えられた事実にシアンは目を見開く。しかし、そんなことは信じないと、反発するように一行を睨んだ。ケルとベロはそんなシアンを労わるように彼の手足に擦りつく。
 すると、一歩。エルマーナが彼らに近付いた。

「そんなんええから、こっちおいでぇや」
「な、なんだよ……近寄るな!」
「マティウスよりうちらと一緒におった方がエエよ。友達になろうや!」
「な……っ!?」

 エルマーナの太陽のような笑顔にシアンは不可解だというように声を上げた。念を押すようにまた一歩近付いて手を取った彼女の小さな手と笑顔を交互に見比べ、どうしたらいいのか分からず口籠るシアン。
 その後ろからミルファやアンジュも顔を覗かせ、こっちにおいでと誘う。ケルとベロも同意するようにシアンの足元で嬉々とした鳴き声で主人を後押しするこの様子はまるで花畑に誘われるかのよう。

「シアンくん、一緒に行こうよ。……ね?」
「え、あ……その、ボクは」
「そうやん! アンジュ姉ちゃんがええかなぁ思ったけど、ミルファ姉ちゃんもめちゃくちゃ胸おっきくてやわこかったわ!」
「へっ!?」
「ンなっ……!?」

 ポンと手が鳴ったと思うと、エルマーナがとんでもないことを口にするものだからミルファは驚いて顔を真っ赤にしつつ目を真ん丸にさせた。アンジュは言われ慣れているのか、仕方ないというようにため息を吐く程度だったが、誰よりも大きな声を上げて動揺するスパーダに仲間たちの視線は集中している。
 バレバレだという目や、面白がるように漏れた笑み、ニコニコと微笑む視線、どうしてスパーダが大声を上げるんだろうという不思議そうな瞳……それらに囲まれたスパーダはいたたまれずに「何でもねェよ!」と手をシッシッと振り強制的に追及を阻止したのだった。
 まあええわ、とシアンを振り返ったエルマーナはミルファの手を掴んで引き寄せ、ふたりを対面させる。

「ほら、シアン。ミルファ姉ちゃんに抱っこしてもらい? 気持ちええで〜」
「な、何を……!」

 ニカッと屈託のない笑顔で言い放たれた提案にふたりは面食らうのだった。
 嫌ではない。全然いいのだけれど……とミルファはあわあわと手をもじもじさせている。それもそうだろう。胸の話をされた上に感想まで添えられたのだ。恥ずかしいのはもちろん、妙に緊張感や期待を裏切らないかなどの心配までしてしまっているようだ。
 熱くなった顔を押さえつつ、シアンくんがこれ以上騙されないで済むなら! と意気込んだとき、スパーダが強くミルファを引き寄せてシアンの傍から引き剝がした。

「ざッけんなエル! なんでミルファをハグさせなきゃなんねェんだよ!!」
「じゃあスパーダ兄ちゃんがハグしたる?」
「もうみんな、シアンが困ってるよ……」

 ぎゃあぎゃあと戯れる彼らを見て、確かにシアンは困っていた。どうしたらいいのか分からない、自分を騙そうとしている様子もない。でも、自分には縁遠い状況だ。目の前に居る彼らがマティウスと違うのは分かるが、しかし自分にとってはケルとベロや動物たちも守ると約束して手を差し伸べてくれたあの人こそ全てで正しくて――。
 混乱したシアンはエルマーナの手を振り払い、後ろに飛び距離を取った。

「言ったはずだぞ、ダマされないってね!」

 風のような速さでジャングルの奥へとシアンは一目散に走り去り、その後をケルとベロが追い駆ける。
 マティウスに騙されて使い捨ての駒のように扱われてしまうのかと杞憂するが、彼に信じて貰えなければ意味がない。強要すれば自分たちもマティウスと変わらないことになると皆が思っていたからこそ誰も追いかけることはしなかった。

「なんであかんかったんやろ……」
「そんなすぐに信じるなんて無理よ。敵だって言われてるだろうしさ」
「そやけど、前世でも今でも寂しいなんて勿体ないやん」

 シアンは前世でも孤独だった。寂しくてもひとりぼっちでも、創世力を守るために誰も近付けないようにと追い払っていたのだ。長年天上で生きていたヴリトラはそれを知っていたようだ。歳も近いエルマーナはより彼を放っておけないのだろう。彼女の世話焼きな一面がそうさせるというのもあるのかもしれないが。
 相手が何を求めているのか把握し、信じていれば手に入ると思い込ませ自分から信じるように仕向ける。信者獲得と同じやり口だとアンジュが言う。生々しい意見から教会の現実を知ってしまい少し渋い顔をするスパーダに、アンジュは世の中は理想だけじゃ生きていけないの、と告げる。このままでは説法が始まってしまうと思い彼は何も追及しなかった。

「ハグ作戦、上手くと思ったんやけどな〜」
「ベルフォルマだけが拒否したからな」
「あ、あれはだな……!」
「わたしが恥ずかしがってるの察してくれたんでしょ?」
「えっ!? あ、ああ! そうそう、そうなんだよ!」

 ミルファの真っ直ぐな瞳に、スパーダは狼狽えつつ頷いた。まさか嫉妬や独占欲から“ ミルファの柔らかさを他の男に味合わせたくない”と思っていただなんて口が裂けても言えない。恐らく――否、絶対に自分の想いに気付いているであろう仲間や、全く何も分かっていない想い人であるミルファの前で言えるものかとスパーダはグッと唇を引き結び奥歯を噛み締めるような思いだ。
 そんなことを知る由もないミルファは「次は大丈夫!」と意気込んでいるのだから質が悪いったらない。
 エルマーナは仲間たちを振り返り、ドンと小さな胸を叩きふんぞり返って宣言した。

「絶対、うちが友達にしたる! やったるで〜!」
「うん! 頑張ろう〜!」

 気持ちはきっと通じる。ううん、通じているはず。そう信じて次の機会を待とうと決めるミルファ。
 おお〜! と拳を作り掲げるエルマーナとミルファの横で脱力するスパーダ。どんまい、とでも言うように彼の肩をルカとイリアがポンと叩いたのだった。

hitsujitohana