30.夢の語らい
ジャングルを抜けて町へと戻り港へと向かうが、心残りがひとつ。結局名産の果物は食べられなかったことだ。市場に出回らないほどに搾取が酷いのだろうから仕方ないのだが……。
だが、なにも永久に味わえないわけではない。戦争が終わり平和な世が訪れればきっと――。また次の機会に皆で堪能しようと約束し、遠退く甘い香りを惜しみながらガルポスの地を離れたのだった。
◇
辿り着いたのは、王都レグヌム。
――次の目的地は雪国のテノス。ではなぜ王都へ? と不思議に思うのは至極当然のこと。実は、ガルポスから直接テノスまで船で行くことは出来ない。レグヌムからしかテノス行きの船は出ていないとのことでリカルドが確保した乗船券でここまで来たのである。
「なんでレグヌムからしか船が出てないのよ。不便ったらありゃしないわ……」
「あんま文句ばっか言うなよな、イリア」
「そうだよ、言ったところでどうにかなるものじゃないんだからさぁ」
「うっさいわね!」
「ま、まあまあ〜……」
テノス便の船が来るまでまだ少し時間があったので、身を潜めながらにはなるが旅に必要な物を補充するために、買い出し組と港で待機する組で分かれた。アンジュ、リカルド、エルマーナは王都で顔が割れていないので買い出し組に。王都出身だったり騒動に巻き込まれたりで顔を知られている可能性の高い残りの組――つまりこの場に居る者が待機組だ。
レンガ調の壁の上、ちょっとした休憩するベンチ代わりとなっているそこに座っているミルファ。その膝に座るコーダの服の袖を摘むようにしながら手遊びをしていると、ぐうぅと音が鳴った。小さな体に似つかわしくない音に、彼女はくすりと笑みを零す。お腹空いたねと言うと、小さな彼はこくこくと頷いてぐったりと支えを失ったように膝の上でごろごろとし始めた。
「ルカ、ホットドッグ買って来てよ。ついでにあたし達の分も!」
「な、なんで僕が……。僕、よくあそこのお店で買ってたから顔知られてるし危ないよ」
「えー、使えなぁい」
彼のごもっともな言葉にそれ以上意見を押すことはなかったが、使えない≠ニ言われた当の本人は厳しい言葉に肩をがっくりと落としている。笑いながらルカの背中をバシバシと叩くスパーダ。ふたりの様子を他所にイリアに目を向けると、いたた……と呻きながら頭を親指でぐりぐりと押していた。また頭痛だろうか。
あまり何度も聞くとしつこいかもしれないと思ってここまで黙っていたミルファだが、記憶の場に入る度に調子を崩すイリアに気付かないわけもなく。見るからに心配ですと顔に書いていたのだろう。イリアがぶはっと吹き出して笑った。
「心配し過ぎだっての。そりゃ全く平気ってわけじゃないけどさ」
「無理しちゃいやだよ? わたしに出来ることがあったら言ってね! 肩とかお膝とかなんでも貸せるし、助けるから!」
「ん、ありがとね。あたし、あんたのそういうとこ好き」
「! わ、わたしもイリアちゃんのこと好きっ」
えへへと嬉しそうに笑うミルファに、それまで唇をへの字にしていたイリアもニッと唇に弧を描く。
女子特有の距離感や花のある空気にルカとスパーダは若干の居心地の悪さを覚えた。そしてふたりとも思っただろう。ここにもライバルがいたか、と。
気分を切り替えるように、突如塀の上で立ち上がり街の中を見通すスパーダ。たくさんの建物や店を一望出来るこの場所からでも貴族街は見えない。ベルフォルマ家もフィオリーゼ家も、もっともっと奥にあるのだろう。
(オレは、どうしたいんだろうな。ミルファを。……ミルファと)
自分の想いと願いを改めて考えるスパーダ。彼女のことを思うなら、両親を改心させることに尽力して帰す方が安全かもしれない。しかしそれは現実的ではないし、何よりミルファ本人が帰らないと言ったのだからその気持ちを後押ししてやりたい。
彼女の未来も自分の未来も、自分の想いも、なにひとつ道が見えない。例えば想いを伝えれば、ミルファはどうするのか。今までの幼馴染の関係のままというわけにはいかない。
――旅を終えるまでにどの道を歩むのか決めなければいけない、とスパーダは改めて思ったが、ひとりで考えるだけではどうしようもないことがぐるぐると頭の中を回ってショートしそうな感覚に陥る。
考えるばかりじゃ何も進まない、とモヤモヤした思考を振り払うように頭をぶんぶんと振った。すると、くいくいと服の袖が引っ張られる。視線を落とすと、ミルファの煌く赤い瞳が自分を捉えていたのでドキリと狼狽えてしまったスパーダ。少しバランスを崩しかける……がなんとかバレずに済んだ。
「スパーダ? どうかしたの?」
「あ? な、なにが」
「なんか、難しい顔してたよ」
ひとり心の中でどたばたしているスパーダの様子を見ながら首を傾げて見詰めるミルファ。何かあったら言ってね、と伝えると彼が「人のこと見てるんだか見てないんだかわかんねーな……」と溢したものだから、彼女は一層角度を深く首を傾げるしかなかった。
どことなく元気のないスパーダに気付いてはいるものの、それがなんなのかはわからない。家のことが気になっているのかなと思ったけれどそれも違うような気がして――。まさか自分のことで頭を悩ませているなど思いもしない彼女としてはスパーダが何にそんなに思考を奪われているのか、なぜ自分に話してくれないのかが気になって仕方がない。
(これも、昔と今は違うからなのかな)
幼馴染であると同時に年頃の少年少女でもある。そんなことは当たり前なのだが、ミルファの中でそういう意識は薄いのだろう。だからスパーダが急に成長しているように感じるのだ。
――沈黙を撫でる風に、言葉も攫われたかのようにふたりは何も口に出来ない。そんなとき、ルカがあっと声を上げる。それにハッとして彼の指差した方を向くと、アンジュたちが買い物袋を手に港へ戻って来ているのが見える。
ありがとう、お疲れ様などと労ったあとに補充された道具を選別しながら道具袋へ直していると、エルマーナがクンクンと辺りを嗅ぐものだから何だ何だと様子を伺う。すると、何も食べていないことが分かって安心したのか笑顔で「よっしゃ!」と言い放った。自分たちをよそに何か食べたのではと疑っていたようだ。
「まだ船も来ねぇし、何か食うのもありじゃね?」
「メシか!? メシの時間か、しかし!」
「……いや、船なら来たようだぞ」
リカルドの言葉通り、船着き場に便が着いたのが見える。
しかし、その船内から出て来たのは船員ではなく、銃を持った王都兵だった。街の誰かが通報したのか、それともガルポスから追われていたのか、それはわからない。けれど、適応法から逃げる一行を捕まえるためにやって来たということはわかる。
どこへ逃げるか考える間もなく、複数の兵に囲まれてしまい、銃口を向けられた。
「動くな、全員連行する!」
「くそ、強行突破するしかねェな……!」
スパーダが腰に装備している剣の柄に手をかけると、チャキ、という音がした。しかしその音は剣が奏でたものではなく――。
「動かない方がいいぞ」
奏でた音は、ライフルを向けるそれ。奏者は――黒衣の傭兵だった。リカルドが、スパーダに銃口を向けているのだ。
あまりにも脈絡のない彼の行動。裏切りを意味するそれに愕然としてしまい、皆、声が出ない。
リカルドとの思い出が脳裏を駆け巡る。厳しくも優しい彼との時間は無駄だったのか? いや、そんなことはない。何か理由があるはずだとミルファは心を強く持つように自分の手を小さく震えながらもぎゅっと包んだ。
スパーダはライフルを構えているリカルドをこれでもかと横目で睨むが、ルカは悲しそうにどうしてかと訊ねる。「契約よりも重い物もある」としか言わない彼にルカは「それだけじゃ納得できない」と告げる。するとリカルドは感情の見えない表情で口を開いた。
「ガードルという男を覚えているか? 奴は前世で兄だった」
「ヒュプノスの兄……。タナトスの事だよね?」
ラティオを追放された死神タナトスと、その弟の死神ヒュプノス。彼らの間にしかない何かがあった、ということなのだろうか。それは彼らにしか分からない。アンジュは、本心からのことではないのならまだあなたを信じると真っ直ぐにリカルドを見据えて言った。平静な態度のままのリカルドの表情が、僅かに歪んだように見えた――その時。
船の方から変わった足音がした。兵のものではない。誰だ? と姿が見えるのを待っていると。ミルファの心臓が、脳が、――ドクン、と大きく脈打つ。
(この気配、わたし、知ってる)
自分の奥の奥の感覚が、前世での記憶が、それを知っている。
「フフ……転生者ども。久しいな」
不思議な紋様の刻まれた仮面と厚い装甲の――恐らく、人。不気味に笑んでいるように見える面で覆われていて表情は読み取れないが、この状況を面白いとでも言うような声色なのは分かる。しかし姿や声だけでは、男性なのか女性なのかは分からない。
「マティウス! またあんたの仕業!?」
アルカ教団のマティウス。
いつか会うことになると思っていたが、それが今になるなんて思ってもいなかった仲間たちは目を見開く。実際に会ったことのあるルカやイリアまでも。
イリアの怒号に物怖じすることもなく、それどころかそれすらも嘲るように鼻で笑うマティウスだったが、その行為は彼女の怒りを助長させるには充分過ぎた。顔を真っ赤にさせて地団駄を踏みながら怒るイリアだが、マティウスの眼中には入らない。
創世力のために村まで襲ってイリアを追いかけていたのに、と考えると不自然では? と思うしかないほどに。
「よくもそんなことが言えるな? 己の行動を振り返ってみよ」
「何よそれ、どういう意味?」
「適応法による逮捕拘禁中に逃亡。これだけでは飽き足らず、我が教団の愛する兄弟たちを傷付けた。これは転生者の風評を著しく低下させているとは思わんか? ――重罪だな」
ぐうの音も出ないとはこのことだ。反論の余地もない。適応法に背いて逃げたのも、アルカ教団に属するチトセ達と戦ったことも事実。それがどういう事情があったにせよ、相手から手を出して来たにせよ。……イリアは明らかに納得していないようだが。
大袈裟に手を広げて見せたマティウスは、教義を説くかのように高らかに声を上げた。
「では――我がアルカ教団に与えられた権限により、宗教裁判を行わせて貰おう」
「宗教裁判……!? 新興の団体にそんな権限あるはず……」
「我ら教団は枢密院のお墨付きをもらっているのだぞ?」
「枢密院……、そうですか。ならば仕方ありません」
教会に所属するふたり、マティウスとアンジュの話に一行は全くついて行けない。
枢密院とは、かつて協会権力が増大したころに国政の相談役として設立された機関。今は廃れており、実際に権力はほぼないはずだが――とにかく教団は枢密院という組織には逆らえないのだ。その枢密院と繋がっているアルカ教団、つまりこのマティウスに様々な決定権が与えられているということになる。至極厄介な話である。
そのアルカの教祖であるマティウスから有罪判決を言い渡された一行は、グリゴリの里にて幽閉されることになってしまった。
同じ転生者としての情けとして命を奪わない、とクツクツと喉を鳴らしながら笑っている教祖にルカは問い掛ける。
「同じ転生者ってことは……マティウス、君はやっぱり魔王なんだね? 創世力を何に使うつもりなんだ!」
「魔王……か。クク……ハハッ!」
「な、何がおかしい!」
「それはまたいずれ教えてやろう。――それよりも」
ルカに近付くと思いきや、あらぬ方向へと靴の先を向け、カツカツと踵を鳴らしながら歩みを進めるマティウス。真っ直ぐ迷いなく進むその先で紫の艶やかな髪がたなびく。
ミルファは、自分へと歩み寄るマティウスから目を離せずにいた。なぜかは分からないが、恐怖はない。その代わりにあるのは、懐かしさ。
カツ、カツン。歩みを止めたマティウスはミルファの目の前に立ち、ゆっくりと手を伸ばす。乱暴とはかけ離れている優しい手付きで、そのまま頬に触れ柔らかく指を滑らせた。
「あ、の」
「やっと会えたな……」
「え……?」
教祖の声は先程までと違ってとても穏やかで、こちらを嘲る雰囲気も感じられない。なぜなのか理解しようとするが出来るはずもなく、「またな」と言い離れていく手に視線を送るしかない。
仲間たちが不可解だという表情で顔を見合わせる中、傍にいたイリアが「知り合い?」と耳打ちしてきたのでミルファはふるふると首を振る。知り合いなはずがない。屋敷から出たことのない彼女の既知関係はかなり狭い。屋敷に来ていたこともないはずだ、と記憶を巡ってひとり頷く。
――船に乗せろ。マティウスのその一言で張り詰めた空気が戻って来てしまう。この場に集っている兵たちが一斉に皆の腕を拘束具で縛り上げ、武器も回収されてしまい完全に逃げられる状況でなくなってしまった。コーダは自らルカにしがみついており、そのまま付いてくるつもりのようだが。
「ちょっ……やだ! 触るなー! バカ、エッチーッ!」
「うちも女の子らしくそれ言うとこかぁ……」
「こんなときにふざけてる場合かよ! くそっ、離せこの野郎!」
転生者だから念には念を、とのことで兵たちは警戒を怠ることなく彼らを拘束した上で銃口を突き付けながら船内へと連行する。
ミルファが後ろ手にマティウスを見やると、こちらをじっと見詰めているように思えた。仮面を付けているのでその中で本当はどういう表情をしているのか知る由もないのだが。
ぎゃあぎゃあと暴れるイリアやスパーダに兵士は悪戦苦闘しながらも一行を船内の荷詰めされた部屋に押し入れていく。最後尾だったミルファは、思い切り投げられるように扱われてしまう始末だ。
「さっさと入れ!」
「っきゃ……!」
彼女を受け止めるように壁になったのはスパーダだった。手は拘束されているのでしっかと抱きとめることは出来なかったが、そんな状態でも助けてくれた幼馴染にミルファはありがとうとごめんねを伝える。彼女が何も悪くないと分かっているスパーダは、ミルファを突き飛ばした兵士をギッと睨む。
手は縛られているので出せないが、あと一度でも神経を逆撫でされれば喧嘩が始まってしまう雰囲気を感じたミルファは「喧嘩はしないでね」と心配そうに眉を下げながらスパーダに言う。
いくらなんでもこんな場所で暴れたらまずいとは分かっているので抑えようとはしているが、それはすぐに無駄になった。「とろとろするな」と兵士が言い放ったのである。それが、火付けのひと押しとなってしまった。
「ご、ごめんなさ……」
「フン、いいからさっさと――ふぎゃ!?」
「てめェ、さっきから調子に乗ってンじゃねぇぞゴルァ!」
「うっわぁ、痛そやなぁ」
「少しは静かにしろ、この異能者共!」
スパーダが高く飛び上がり、その勢いのまま兵士の顔を踏み付けた。顔面に彼の靴の踏み跡が付いてしまっている。しかも、きゅうと伸びてしまっているではないか。靴跡の付いた兵士は引き摺られるように部屋から出て行くことになったので、ミルファはおろおろしながら心の中でもう一度謝った。
さっき変なとこ触られなかったかと幼馴染の彼が心配するので、心配性だねと言いつつくすくすと笑う。
いつもの船旅とは違う緊張感に包まれたまま時間が過ぎていく。見張りが居なければ少しは話しやすかったが、そうは問屋が卸さないというやつで目の前にそれは居た。しかし、意外や意外。見張りは王都兵かと思ったが、リカルドが担っているようで壁に凭れかかりながら目を瞑っている。恐らく先ほどの兵士の代わりだろうが――。
どこかしょんぼりとしているルカ、アンジュ、ミルファを他所に、理不尽に晒された憤りが最高潮に達しているイリア、スパーダ、エルマーナはリカルドに聞こえるように当てつけの如く話し始めるのだった。
「あーあ、むっかつく! 誰かさんの裏切りのせいで幽閉ですってよ」
「ふざけんじゃねーっての。船を降りたらボッコボコにしてやるぜ」
「ぜったい後悔させたんねん」
幼稚とも取れる彼らの様子を見てリカルドが呆れたように肩を竦め、ずっとだんまりだった口を開く。
「無駄だ。神と人間の混血であるグリゴリの前では天術は使えない。神の血によって使える術で封じられているからな。武器があろうとなかろうとお前たちに勝ち目はない」
「はっ! ご丁寧なこったな! オレらを売った金で今後の人生を悠々自適に暮らすってワケか?」
釈然としない感情をそのままに、睨みながらリカルドへ毒づくスパーダ。研究所に居た時、グリゴリの術で転生者の力を使えなかったときのことを覚えていたようで、さっきのように手を出すことはしなかった。
「スパーダ君、だめよ。幽閉だけじゃ済まなくなったらどうするの?」
静止に入ったアンジュの言葉にスパーダは押し黙る。
しかし、納得がいかないのは当たり前。彼が裏切ったという事実を物語るこの現状の中で大人しくしているなど出来ないのだろう。信じたい気持ち、責めたい気持ち――様々な感情が同居しており、皆、歯痒い思いを抱えている。
リカルドは後ろめたいのか、話す気がないのか、裏切った瞬間から誰とも目を合わせない。その態度が余計に真っ直ぐな彼らを苛立たせることに気付いているのかどうかは知らないが。
「幽閉の期間は定められているのですか? リカルドさん」
「……さあな、一応罪人という扱いだ。下手すれば一生……となるだろうよ」
今まで共に旅して来た仲間達の間に流れる猜疑心の漂う空気に、ミルファは胸中で狼狽える他なかった。告げられた言葉もそうだが、今の状況も愕然とするには十分過ぎる。
幽閉される先で一生を過ごすことになってしまったら、創世力はどうなってしまうのだろうか。力を悪用する者たちに渡さないためにと今まで力を合わせてここまで進んで来たのに……。
打開策も見つからないまま慌てふためくしかない自分が不甲斐なくて、悔しい。ミルファは唇を噛み締める。
「ほんと最悪っ!」
「ッざけんじゃねーっつの!」
途端、一際大きく船が揺れる。どうやら目的地に着いたようだ。
着いてこい、とリカルドが荷部屋の扉を開く。皆で顔を見合わせると、アンジュが行きましょう、というようにこくりと頷いた。
気は進まないが、いつまでも船室に居るわけにもいかない。足取りを重くしながらではあるが外へと歩みを進める。そして一歩、船から出ると――身体がぶるりと小さく震えた。少し肌寒い。かなり遠い、北の方まで連れて来られてしまったのが分かる。
その寒さを肌で感じながら里の中に入っていくと、最小限しか建てられていない質素な家や小さな畑が視界に入った。そして数えるほどしかいないグリゴリと呼ばれる者たち。閑静で、どことなく寂しい空気が流れている。必要最低限の設備しか整えられていない場所だと言える。果たして、幽閉される罪人は自分たちなのか彼らなのかと疑問に思うほど。
グリゴリがこちらを見ているので目線を返すと、姿を見かけるなりそそくさと隠れたり明らかに嫌そうな顔をしたりとその反応は様々。決して気持ちのいい態度とは言えない。
「チッ……、クソが!」
「カンジ悪い! なんなの、なんなのよコイツら!」
苛立ちが最高潮を超えてしまったふたりはそれぞれ暴れ出すかの勢いで声を荒げた。スパーダは舌打ちをして一軒の家の扉を蹴り飛ばし、イリアは地団駄を踏んで憂さ晴らしをするように大声で叫ぶという始末。何かに八つ当たりしなければ気が収まらないのだろうが、褒められたものではない。
アンジュとミルファがふたりに落ち着いてと窘めるが、今は何を言っても火に油のようだ。
ぐるんと勢い良くこちらを振り向き、肩を強く掴まれてガクガクと揺さぶられてしまったミルファの視界はぐるぐると回っている。
「ミルファはムカつかないワケ!? コイツらの態度!」
「で、でも、理由があると思うし……」
「こんな島、絶対抜け出してやるのよ! いい!?」
「ああ! ぜっっってェ泳いででも抜け出してやるぜ」
「天術は封じられているから無理じゃないかな……」
「ここにはうまい食べ物なさそうだな、しかし。ずっとここにいるのはコーダもイヤだぞー」
イリアとスパーダの激昂を抑えようとするルカとミルファだが、彼らの憤りは収まることはない。ガックリと肩を落とすふたりを他所に、触らぬ神に祟りなしやな、と言いエルマーナはコーダを抱き上げてアンジュの背中に隠れて巻き込まれないようにしている。
この島から抜け出したいという気持ちはイリアとスパーダと同じだが、ミルファはグリゴリ族に対して腹立たしいという感情は沸かなかった。
彼らが転生者を嫌うのは、歴史を争いで染めてきたからだろう。争いばかりする人を好きになるなんて出来ないのはもっともで、たとえ人間が争いを起こしていなくとも“争いを繰り返してきた天上人の転生者”である者と仲良くしよう、とは思えないだろう。どうしたって相容れないのだ。それでもやはり、転生者というだけで嫌われるのは哀しいと静かに胸を痛める。
――と、エルマーナに抱き上げられているコーダがお腹をきゅるる、と可愛く鳴らした。
「……そこの家に食事を用意してある。後ほど、今後ここでの生活について説明しよう」
ある一角の家屋を指差し、一行にそこへ行っていろと促すとリカルドは一行の拘束をあっさりと解いてその場を去った。少しだけ笑みを溢したように見えたのは気のせいなのだろうか、とミルファは思うがそうではないと信じることにした。やはり、自分たちと共に旅をしてきた彼に嘘はないと思いたいのだ。
食事にあり付けるとわかると、今まで元気のなかったエルマーナとコーダが嬉しそうに飛び跳ねた。そしてそのまま一目散に指定された部屋に走って行くと、エルマーナが扉からこちらを覗いて手招きする。こんな状況でも相変わらずな様子に、皆くすりと笑いを零す。エルマーナの気丈さや明るさがなければ今頃、全員気落ちしたままだっただろうなと思うほどだ。
扉をくぐり部屋に入ると、美味しい食事の匂いに出迎えられた。
大きなテーブルにはリカルドの言葉通り料理が並んでいる。罪人に対する食事ではないと指摘されるのではと思うほどにしっかりとした品数や質だ。琥珀色のスープやマスタードソースが添えられているチキン、少し冷めてはいるが、バタールやロールパンに加えて食後に食べる果物まで。てっきり囚人の食べるような質素なものかと想像していたので驚きが隠せない。
エルマーナとコーダが飛び付くように席に着いてそのまま食べ始める。突っ立って居ても仕方ないので、皆で座って食事に手を付けることにした。
ルカが料理に手を伸ばしながら、みんなが今思っているであろうことをぼそりと呟く。
「……これから、どうなるんだろう……」
「くっだらない幽閉人生の幕開けでしょっ! 冗談じゃないっての!」
そう言い、ギコギコと食卓に相応しくない音でチキンをカットすると、フォークで刺して口に放り込むイリア。肉はブスリという音がぴったり合うくらいに勢い良くその身を刺されていた。
明らかに不機嫌な彼女を横目にルカは寂しそうに微笑む。家業を継いで欲しがってた父の期待に応えられなかった。自分は親不孝者だと。スパーダがははっと笑い、目を掛けられてただけいいだろと言う。
「オレなんて上に何人も兄貴がいるから、ずーっと放ったらかしだったぜ?」
「将来は、騎士になれないって決まってるの?」
「ま、無理だろうな」
自嘲気味にではあるが、可能性はほぼないとキッパリ言い切ったスパーダ。騎士というのは実力主義ではなく、ある程度家柄も必要なものだ。騎士学校への斡旋も、貴族でないと難しいのだ。既に上の兄たちに割り振られたことで継ぐべき地位も財産も領地もない。そもそも、自分には王族の機嫌取りやゴマすりなんて出来ない。
ずっと考えていた、今後の道のこと。ハルトマンに教えられてきた騎士道を無下にせず生かす道――。
「……人を守る仕事に就きたい、とは思う」
スパーダの言葉に、ミルファはぱあっと花開くように微笑んだ。騎士にはなれずとも、彼の培ってきた志も強さも人を守るために振るわれる。それが自分のことのように嬉しい。幼い頃から傍で見守ってきたからこそ、強くそう思う。
「わたし、応援してる! スパーダ、強いもん。絶対大丈夫だよ」
「そうだよね、スパーダはそういうお仕事向いてると思う」
ルカとミルファがふたりで意気投合しているのを見てスパーダは気恥ずかしくなり、それを誤魔化すように真ん中にあるトレイからパンを取って口へ運んでいた。その様子を見たアンジュに嬉しそうねと言われたのが図星だったのか、彼はぶすっと唇を尖らせてしまっている。
くすくすとはにかみ、ミルファは手元にあったティーカップを手に取って少しだけ飲む。注がれていたのはアップルティーだったようで、林檎の爽やかな甘い匂いが広がって口元が綻んだ。
「ミルファは将来の夢とかある?」
「え、わたし? わたしは……」
自分へと問い掛けられた言葉にきょとんと目を瞬かせたミルファは、カップをカチャリとセットのお皿の上に置いて少し思考を巡らせてみる。
……夢と言える夢はなかった。ただ、屋敷に居たときのような自由のない生活ではなく、いつかは自分の道を自分で歩めたら、と願わずにはいられない。
家に戻ることを選ばなかった自分は、旅が終わったらどうするのか、何処で生きるのか。旅も大事だが、未来のことももっと考えていかなければならないと改めて感じたミルファは、むむ……と唸る。
あと一年も満たない間にも十八歳を迎える自分の将来。もし遠くない未来、仕事に就けるのなら――。その夢を、ぽつりと口に出した。
「……わたしは、誰かの力になれる仕事に就きたいな。例えば、看護師さんとか」
「看護師ィ!? 初耳だぞオレ」
「あはは。今ぱっと浮かんだからことだから……」
「あら、いいんじゃないかしら? 真っ白な看護服が似合いそうね」
「そ、そうかな……?」
旅での経験を経て築かれた思いによる夢。それは、“人の助けになりたい”ということだった。
いつも周りを見て、誰かが傷付く度に胸を痛めてきたミルファ。ただ力がないと嘆くだけでなく、手を差し伸べていきたいと思ったのだ。
自分に定められていた道は、花の楯と呼ばれるフィオリーゼ家の出世の糧となることしかなかった。家に帰れば、もう二度と自由に出歩くことも出来なくなる。政略結婚の日を待つだけの日々が待っているはず――父はそういうことをする人だと分かっているミルファは帰る道を選べなかった。
(わたしみたいな子供のことを親不孝者って言うんだろうな)
さきほどのルカの言葉から、自分こそそうだと定めて胸の中で涙を滲ませる。
「あーあ……じゃああたしの学校の先生にはなってもらえないのか」
「え、学校? 先生?」
イリアが上げた残念そうな声に顔を上げたミルファだが、勉強嫌いの彼女から出たとは思えない言葉に目を丸くするばかり。
聞くと、イリアは学校を建てて校長になるのが夢だということだった。彼女の故郷には学校がないので学び舎を作りたいという大きくて素敵な夢に、学校へ通ったことのないミルファは胸が踊るような気持ちになっている。
手伝いが出来たら良いが、看護師を目指すなら自分こそ学校へ通わなければならないのでは? とハッとして、自分に先生は無理そうだと困ったように笑う。
「校長ねぇ〜……イリアにゃ似合わねーな!」
「めっさ勉強せなあかんやん!」
「努力するなら早めの方がいいわよ?」
「あんたたちねぇ〜〜!」
三者三様の言葉にイリアは拳をわなわなと震わせた。
今までと変わらない和気藹々とした空気感。仲間の楽しそうな様子を見守りニコニコと口元に笑みを浮かべながらミルファはロールパンを手に取ると、それを一口サイズに千切り、口の中に入れた。口内にバターの香りと柔らかさが広がる。それと同時に、ここにリカルドが居てくれたら良かったのにと思わずには居られないようで寂しさもじわりと染むよう。
拳を振り上げていた手を下ろして隣に座るルカの顔を覗き込むイリア。顔を赤らめるルカの様子を気にしないまま、彼女は彼を学校の教師に雇ってあげてもいいと言ったが、彼は少し考えるように天井を仰いで返事を口にした。
「学校の先生もいいね。でも僕はお医者さんになりたいんだ。父さんには怒られるかもしれないけど……」
「エエやん! うち病気なったら診て貰おかな〜」
「みんなの夢、素敵ね。いいなぁ」
「そういうアンジュちゃんの夢は?」
ロールパンを食べ終えたミルファは、すっかり聞く側に回っているアンジュに訊ねてみる。成人を迎えていて聖職者という仕事をしている彼女にとっては将来の夢は昔のことのようで懐かしかったのだろう。
そうねぇ、と考える様子を見せたアンジュだが、すぐにその夢を語ってくれた。食べ物の美味しい田舎で和やかに教会住まいをし、信者の喜捨で質素に暮らしていくという堅実ながらも平和的なその夢を。普段は厳かに暮らしているけれど、お祭りの時は華やかに。温泉や名産のワインがあると最高だと語るその瞳はキラキラと輝いている。
「わぁ……現実的だね。でも、平和で優しくて素敵な夢」
「だよなぁ。望めば叶いそうじゃね?」
「みんなええなぁ、もう夢あんねや。うち、まだ分からへんわ」
エルマーナは将来なにになりたいか、ということがまだ分からないようだ。好きなこと、やりたいことをこれから探していく彼女の未来への道はたくさん枝分かれしていることだろう。
イリアから生徒にならないかと言われたり、アンジュから聖職者見習いになろうと言われたり……ふたりからの誘いに、エルマーナは笑顔でそれぞれの未来を想像して嬉しそうに笑っている。美味しいものが食べられるかどうかを双方に訊ねているので、彼女の判断基準はやはり食べ物なのだろう。まだまだ花より団子なようだ。
皆、まだまだ未来がある。将来の話に花を咲かせているとより強くそう思う。やはりこのままではいけない。リカルドが来たら解放してもらえるよう頼まなければと全員が顔を見合わせ頷き合う。
(リカルドさん、いつ来るんだろう? 遅すぎるような……)
机を彩っていた料理達はほぼ売り切れており、ちらほらとパンが残っている程度。今来たところでリカルドは食事にはありつけないことは明白だった。
何かあったのだろうか? そう思ったミルファは様子を見に行こうかと思い席を立ち上がる。否、立ち上がろうとしたが出来なかった。椅子と共にがたりと床へ倒れ込んでしまったのだ。
「……あ、れ?」
視界がぐらぐらと歪んで、何も考えられない。何も考えられないほどふわふわとした感覚に襲われる。満腹中枢が刺激されたせい、というわけではない。それにしてはあまりに不自然だからだ。
「ミルファ、大丈夫?」
「どうしたのよ急に?」
「ごめ、ん……だい、じょ……ぶ……」
心配させまいと返事をするが、もはや誰が声をかけてくれたのかもわからない。
そしてそのまま、身体も意識もぐらりぐらりと落ちていった――。