03.夢物語じゃない
カツンカツン、コツコツ、カッカッ。
沢山の靴から奏でられる音が研究所の通路で反響している。
数時間ぶりに牢の外へ出れたのは良いが、この通路も牢の中と同じように薄暗くて気分はあまり変わらなかった。急に明るくなってもそれはそれで気味が悪いのだが。適正検査とは何だろうか。それに、チトセはどうして呼ばれないのか? 状況が小さく動いたものの、その度に疑問が湧き上がる。それだけ何も分からない状況なのだと改めて実感した。
適正検査とは何なのかと訊ねると、戦場での適応能力を検査することだと答えを貰った。つまり、対人戦での力を見るということだ。
戦場ということは、戦争の場のことだ。物語でよく見た、修行する主人公が戦う魔物などを相手にするわけではない。そんな場での適正を調べられたところで有難いとも思えないので、ミルファは表情を曇らせている。
スパーダが詳細を聞くが、答えることは出来ないと一蹴されてしまう。だが怒るわけでもなく、上等だと、乗り越えてやると言い不敵に笑った。
「……あ、あの、チトセさんは……」
おどおどちらちらと、さっきまで居た牢屋の方を振り返りながらルカが思い切ったように口を開いた。グリゴリによると、彼女はアルカ入団希望者だからということで検査は行われないとのこと。
入団を希望するかと問われ、ルカの表情がパッと明るくなる。入団しますと言おうとしたのだろうが、戦いの場を避けるための儚い願いの込められた言葉はスパーダとイリアの強気な言葉に遮られてしまうのだった。
「入団なんてお断りよ!」
「頼まれたってしねーっての!」
ミルファが肩を落とすルカに、きっと大丈夫だよと声をかける。彼はそうだねと小さく笑ったがお互い不安な色は隠せないようで弱々しい笑顔を向け合うしか出来ずにいる。
検査の内容がわからないため、おぞましい想像ばかりしてしまう。ああ、だめだだめだ。想像するのをやめるよう、ぺちりと自分の頬を弱々しく叩く。すると、スパーダがそんなミルファの頭をぽんぽんと優しく叩いた。
「心配すんな。無茶苦茶な検査だったらお前は何もしなくていい。オレが守ってやる」
「そ、そんな訳にはいかないよ!みんなだけ嫌な目に遭うなんて……──わっ?」
突然、眩い光が目の前でチカチカと弾ける。
狭い廊下から開けたホールに出た。電灯による白い灯りがホールを真白に照らしている。静かで、広く、しかし何もない場所。
先導していたグリゴリが歩みを止める。
……こんな場所で検査をするのだろうか。四人が疑問符を浮かべていると、入れ替わりでホールの奥から現れたグリゴリが武器を抱えていた。その中には見覚えのある双剣やレイピアがあったので自分達のものだとわかった。
拾え。そう言い、足下にガチャガチャと音を立ててそれらが落とされる。
その態度が癇に障ったのだろう。イリアとスパーダが悪態を吐きながら自分達の武器を拾い上げてすぐさま使えるように構えを取る。明らかに敵意剥き出しだ。
ルカも身の丈に合わない大剣を手にする。ミルファはレイピアを手にし、腰から下げられるように細身のベルトに取り付けた。
「あ、奥から誰か来るよ」
ホールの奥、影になっている場所から再び人が現れる。イリアとスパーダは敵かと思い武器を使おうとしたが、相手の姿を見て力強く武器を握っていた手を緩めた。目の前に姿を見せたのは一人の一般男性だったからだ。
検査をすると言っていたから、何かそういった道具を持って来る役割を任されているのかもしれない。そう思ったのだが。
「では、これより適正検査を行う。目の前の相手を倒せ。──以上だ」
そう淡々と告げると、グリゴリはその場から離れて行きジッと中央に佇む四人と先程の一般人を見据える。
四人と一般人が対峙するような立ち位置、検査を行うとの言葉、自分達の手にある武器。その意味を理解するのに時間がかかってしまった。そして、言いようのない寒気が身体を走る。これは。検査とは、そういうことなのだ。
一般市民を、この男性を倒せという、目の前に見えている単純明快で残酷な問題。
普通じゃない、こんなの。ミルファはその残酷さにカタカタと身体が震え出している。自分が先程身に付けたレイピアに目をやり、いつものような稽古用の武器ではないもので人を相手にするということを理解する。稽古なんかではない。これで攻撃するということは、命を奪うということ。
ミルファは家で剣の稽古を受けており、披露する場はないものの自分の身は自分で守れる程の能力はある。……足手纏いにはなりたくない、だけど。柄に触れると、手の震えが伝わり、剣と鞘がカチカチと擦れ合う。
本物を身に付けて居た方が牽制にも予防にもなって良いと執事のハルクスに言われてから、護身用にとレイピアを腰から下げるようになった。それを今、ここで抜くのか。知らない相手、何も争う理由がない、お互いに戦う理由などないのに。なぜ。
胸の内を渦巻く恐怖が止まらない。頭にまで回っているのかもしれない、くらくらとしてしまう。止まって、止まって、止まって。そう願い、命令し、胸元をぎゅっと掴むと白いワイシャツがくしゃりと歪み、ただひとつ、酷いという感情が渦巻く。
ルカが信じられないと言うように、取り乱しながらも、無抵抗の人と争うことなど出来ない、戦えないと訴えかける。
彼の言う通りだとミルファが胸の内で共感していると──。
「──貴様ッ!!」
まるで人が変わったかのようだった。急に男性が形相を変え、目を見開き怒号を上げる。そのままルカの方へとずんずんと近付いて行くが、目線を一身に受ける彼は自分に向けられている憎悪の視線に戸惑いを隠せない。
「覚えて……いや、思い出したぞ! 貴様に殺された同胞達を! そして、貴様に砕かれた四肢の苦痛を!」
「る、ルカくん……」
「ゲッ……あんたって見た目によらず残酷なことすんのねぇ」
「そ、そんな! 人違いでしょ? 僕、ケンカなんてしたことないし……ましてや人を殺すなんてこと……!!」
ルカはただただ必死に否定するが、男性に否定の声は届かない。
「貴様を殺し、ラティオの同胞達への手向けとしてやろう!! ──死ね! アスラッ!!」
おかしい。おかしい。
それはわかっているはずなのに、何故その異変を警戒しなかったのだろう。
男性が雄叫びを上げたその瞬間、身体は異様な光に塗りたくられ異形となっていた。魔物でもない、人間ですらない、平和な日常に似つかわしくないそれに、四人の思考が停止する。
これは何だ、と。先程の言葉の意味は何だ、と考えることも、ルカを凝視してアスラと呼んでいる意味を考えることも、知らない言葉の意味を考えることも、全て大事だ。だが、今はそれよりも。
「ルカくん!!」
「う、うわぁああアア!!」
異形の者がルカへと迫っている。止めなければ、知らせなければ。それが身に纏う殺意が否が応でも死を予感させる。
ミルファの声に、ルカは大きな剣を持つ手を震えながらもグッと強めた。でもこの先はどうしたらいい、どう動けばいい。それが分からない。だけど、死にたくない。
防御反応と攻撃をしなければという意識で混乱した彼は目をぎゅっと瞑り、向かって来る相手を一突きにして身体を貫いていた。──否、貫いてしまったというのが正しい。
貫かれた身体は大剣からずるりと抜かれて地面にどしゃりと伏し、呪いが解けたかのように元の人間の姿に戻る。
「オ、オノレ……アス……ラ……」
そう言い終えると男性は口を開かなくなり、ぴくりとも動かなくなった。
身体からどくどくと血が流れ、やがて血も流れなくなる。……息絶えたのだ。
「……は、ぁ……っ、はあ……っ!」
人を刺してしまった。その恐怖から全身に力を入れていられなくなったのか、その場にガクリとへたり込む。動悸が激しいのだろう、上手く呼吸が出来ていない。
……恐れで動けないのはルカだけではなかった。
(背中をさすってあげたいのに、身体が、動いてくれない)
初めて目の前で惨劇を見てしまった。仕方のないことだとは分かっている、でも。
人の命のやり取りは自分には縁のない世界でのことで、戦争の起こっているこの世界の現状に心を痛めはしていたものの、こんな痛々しく凄惨なものだとは思っていなかったのだ。自身のイメージとのズレを嫌でも認識せざるを得ない。
ミルファは何とか己を奮い立たせてルカの元へ行き、落ち着かせるように背中を優しくさすった。
イリアもスパーダも、突然の出来事に思考が追い付いていないようだ。恐怖はないようだが、動かなくなってしまった男性を見つめたまま動かずにいる。
「ねえちょっと……この人も転生者だったの? 前世の因縁ってワケ?」
イリアが険しい面持ちで呟く。すると、カツ、という音がホール内に響いた。また誰か来るのだろうか。また、こんな──。
四人がジッと闇の奥を見つめていると、また一人男性が現れた。しかし先程との人とは違い、一般市民という訳ではなさそうだ。格式高さが感じられる洋装。切り整えられた髭。余程富があるのだろうと思わせるような、小太りの中年の男性だった。
「……オズバルド」
忌々し気にイリアが男性を睨みながら呟く。
(この人が……)
オズバルド。グリゴリ達が口にしていた名だ。
素晴らしい! と良い、数回手を叩き嬉しくもない称賛、喝采を少年少女らに送り、にたりと口元を歪ませた。
満足気に笑う男性の足下に遺体が転がっている。なんて非現実的な光景だろうか。
「此奴は貴様らと同じく前世で神だった者。アルカから連れて来られたのだ」
「……神……?」
呼吸が落ち着いて来たルカが、消え入りそうな震える声で尋ねる。オズバルドはそんな彼を小馬鹿にしたように鼻で笑い言葉を続けた。
先程の男性が異形の者へと変身したのは、記憶を完全に呼び覚まし前世の能力を完全に取り戻して覚醒したことで成ったもの。あれが神の姿だったということだ。それを聞き、ルカは何故か期待に目を輝かせ、自分も前世の姿に戻ることができるのかと訊ねる。
その問いに、無論! と答えオズバルドは両手を大きく広げた。まるで演説するかのように。
「しかし、前世の姿を取り戻すためにはさらに戦って記憶を取り戻す必要がある」
次の相手を用意しろ、と言うとグリゴリがまたホールの奥へと消えていった。言葉に従ったのだろう。……ということは、また、人と戦うということになる。
前世の姿に戻りたいけれど、人を殺すことなんてできない、戦えないと震えるルカ。傍らに立っていたイリアが、しっかりしなさい喝を入れたが震えは止まらない。
奥に続く通路に覗ける影が揺らいだと思うと、グリゴリと共に男性が現れた。そして当たり前のように、こちらへ刺すような殺意を向けて異形の者──神の姿へと変貌を果たしてしまう。
二度目とはいえ、圧倒的な殺意を纏う相手だ。恐怖が止められない。ルカはすっかり腰が引けてしまい、戦意の湧かない状態で動かずにいる。だが相手の狙いはルカなのだ。
このままではいけない、自分も戦わないといけない。震える手をレイピアの柄にかけて一歩前へ足を進めた時、双剣を抜いたスパーダがルカとミルファの前に立ち、敵を迎え撃つために構える。
「心に剣を持ち、誰かの楯となれ! 幼い頃から叩き込まれた言葉だ。──怪我しねェように下がってな!」
来いよ、と挑発するようにニッと笑うと、簡単にそれに乗った奴はスパーダへと迫る。ガキン! と武器同士がぶつかり合い──次の瞬間には敵は斬り伏せられていた。スパーダは片方の剣で攻撃を受け止め、一方の剣で隙だらけになった相手に斬撃を喰らわせていたのだ。彼は真剣での実戦経験はないものの、今までずっと鍛錬を重ねていた。生半可な強さの者に敗れることはない。
人の姿へと戻った相手の身体から剣を引き抜き、血を振り落とし、チャキリと剣を鞘に収める音が静まり返ったホールに響く。
目をぱちくりとさせているルカへ向き直ったスパーダは呆れたようにため息を吐いた。
「なァお前、ホントにあのアスラか? なっさけねぇなぁ」
……やっぱりスパーダは強い。ミルファが彼を見てそう思っていると、横からイリアがミルファの腕を肘でつついた。
「……あいつ、結構強いのねぇ。なんか意外かも」
「そうかな? ほんとにすごく強いんだよ、スパーダ」
「なんかそれ……昔から知ってるみたいな言い方じゃん」
「あ、それはね……」
「じゃあ、君はやっぱり……!」
自分達は幼馴染だと説明しようとしたが、ルカの上げた声に掻き消され、彼女達は彼らの方へと目線を向けた。
スパーダは自分にビッと親指を指して嬉しそうに笑う。まるで昔馴染みの友達に再会したかのようなその笑みに、幼馴染みのミルファが、彼らが元から友達だったのかと思ってしまうほどだ。
「ああ、オレの前世は──聖剣デュランダル。天上において『この刃、斬れぬ物は己のみ』そう謳われた無比の名剣さ」
「うん、知ってる。彼はアスラの愛剣だった。何度も死線を潜り抜け、その度に君に感謝していたっけ……」
どうやら前世の記憶というものが二人にはあって、前世では仲間だったようだ。
異能者。転生者。前世の記憶。異能者として捕縛されてから今までの経験が、夢物語ではなく現実だと言っていると強く感じる。けれど、ミルファには何も覚えがない。自分には力も前世の記憶というものもない。
(……本当に? 本当にそうなのかな)
何も知らない、わからない。その筈なのに。
アスラ。デュランダル。この名前を何処かで聞いたことがあるような、妙な感覚がするのだ。
──途端。キィン、と頭の中で音が響く。気のせいかと思ったそれは断続的に、そして次第に音を強くさせていき、ミルファの頭の中でその存在を主張していく。忘れるな、思い出せ、というように。
「……ミルファ? どうしたのよ」
痛い。意識を保っていられない。不規則だった音がだんだん規則的に変わっていく。あまりの音に頭を押さえていると、イリアがミルファの異変に気付き心配そうに声を掛けた。しかしその声は音に呑まれて微かにしか聞こえない。
ミルファの意識は痛みに覆い尽くされ、ぷつんとそれを手放してしまいその場にどさりと倒れ込む。気を失ったミルファの身体をイリアが揺さぶるが目を覚さない。気を失ってしまったのだ。
前世の前世の話で盛り上がっていたルカとスパーダはイリアの声で異変に気付き彼女達の元へと駆け寄る。
「イリア! ミルファどうかしちゃったの……!?」
「どうもこうもないわよっ、急に倒れて……──って、スパーダ!?」
スパーダは力なく倒れ込んでいるミルファに近寄ると、彼女の頭の下と背中に手を回し、上半身を抱き起こした。脈拍を測った後、顔を寄せて口から息をしていることから安否を確認する。
──ドクン、ドクン。速まっていく自分の鼓動に、スパーダは胸の内から黙れと言い聞かせた。
大丈夫だ、外傷もない。戦闘で攻撃に巻き込まれたと思った彼は、その憶測が外れて安堵する。
「は、……ンだよ。気ィ失ってるだけか……」
だが何故急に気絶したのか。傍にいたイリアに訊ねるが、彼女にもそれはわからない。
ミルファを壁際にもたれかけさせているとオズバルドが検査の終わりを告げ、実戦で兵として使うと言い出した。少女二人の実力は測りかねるが盾の代わりにはなるだろうとクツクツと笑う。ミルファは眠っているので抗議の声を上げることも出来ないが、彼女の分もイリアが馬鹿にするな戦える、と喚いている。……ミルファは頑張ると言うだろうけどな、とスパーダは思う。
オズバルドは意気揚々と戦場に行くための列車の準備をグリゴリ達に指示を下し、愉快そうに笑いながらホール奥へと姿を消した。
次の行き先は、激戦区の西の戦場だ。
「西、かぁ。レグヌム兵が戦争してるって新聞に載ってたけど、そこのことかな……」
「そこかしこでやり合ってやがるから、どうだかわかんねェけどな」
スパーダの言葉で、落ち込み半ベソをかいているルカの瞳がさらに潤んだ。戦争の状況を想像してしまったのだろう。
腹を括らねばならないが、今まで平和に過ごしていたまだ年端の行かない少年なのだからそんなすぐに受け入れられるはずもない。だが、脱出しようにもこの研究所内の構造を知らなさ過ぎる。リスキーだ。ここは言うことを聞いておいた方がいいだろうとスパーダは判断した。
……それに。彼からすれば、戦場だろうが激戦区だろうが関係なかった。何でも良かった。
(このまま家に戻るよりは、マシだ)
眠るミルファの傍らに立ち悶々と思案していると、イリアが真剣な面持ちでスパーダの目の前で仁王立ちをし話しかけてきた。
「ねぇ、本当に良い訳?」
「……なにがだよ」
「ミルファのことに決まってんでしょ。この子、戦えるの?」
「そ、そう……だね。僕とイリアも、スパーダも戦えるけど……。本当に連れて行くの? アルカに任せた方が安全なんじゃ……」
置いて行くか、連れて行くか。その二択。
彼女の身の安全を考えるなら戦場へ向かわせずアルカに任せた方が得策かもしれないが、素性も知れぬ団体を信頼しミルファを託すなどスパーダには考えられなかった。そんなことは出来ないと思ったのだ。
(チャンスかもしれないんだ)
適応法で捕まったとき、会えないと思っていたミルファに会えた。ここで離れればまた会えなくなる。それが嫌だったのもあるが、それよりも──彼女を家に、檻のようなあの場所に返したくなかった。
「おい、さっさと乗り込め。出発する」
グリゴリが列車の準備が終わったことを知らせに来た。つまり、それに乗ればもう日常には引き返せない。戦いに身を投じるしかない。
ルカもイリアも、どうするんだ本当に良いのかという顔でスパーダを再度見詰める。急かすように列車から放たれるゴウンゴウンという大きな音が広がっていく。
「行くぞ」
スパーダはただ一言それだけ口にすると、ミルファを軽々と抱き上げて列車へと足を進める。ルカとイリアもそれに続き、やがて列車は研究所から離れ始めて戦場へと走り出した。