04.非日常の渦中へ
ガチャリとドアが開かれる。邪魔をする、と入って来たその人に、ノックをしなくてはだめだと言って笑った。
彼は忙しくて暇のない立場の筈なのに毎日来るという約束を違わず律儀に守ってくれるのが、会えるのがただ嬉しい。
今日は珍しく彼の友人も連れて来てくれた。顔を合わせるのはいつぶりであろうか。大昔のことのように思える程、それほどに自分はもう自分で動けずにいるのだと改めて実感させられた。
数刻話に花を咲かせていたが、もう花は閉じなければいけない時間となってしまい、また体調が悪くなるからとベッドに身体をそっと横たわるように寝かされた。
ああ、そんな。今日は体調が良い方なのに。そう言うと、彼の友人も休むようにと諭してきた。
「せっかく久々にデュランダルとも会えたのに……まだお話していたい」
「また、顔を見に来る。そのときに話そう」
「本当? 約束よ、デュランダル」
「……ああ」
◇
ガタン、ゴトン……ガタン、……。
微かに聞こえる、音。その音をやっと認識出来たミルファが夢の中から現実へと帰って来た。
目を開けて数回瞬きを繰り返す。意識が戻ったばかりで、まだはっきりしない。微睡みの中にいるようだ。自分は何故眠っていたのか……記憶を呼び起こす。そうだ、物凄い重い頭痛に襲われて、耐え切れなくて気絶してしまったんだ。だけど、その記憶に辿り着くのに少し時間がかかってしまった。新しい、知らない、自分のものではない記憶が遮っていた。また夢を見ていたと自覚するが、やっぱりよく分からない内容に頭を捻るしかない。
辺りを見回すと、沢山の木箱に囲まれていることが分かった。大きな窓の外は景色が動いているようで、自分のいる場所は規則的に揺れている。研究所へ連行されるときに近い感覚で理解する。何処かへ移動しているようだ。
(……あれ? 暖かい)
壁にもたれかかってると思っていたが、そうではなかった。ミルファは人にもたれかかって眠っていたのだ。隣に居る人を見上げて誰なのか分かると心の中が安心感で満たされる。
「スパーダ、スパーダ」
「ん……?」
彼は眠っているというのに、嬉しさのあまり何も考えずに起こしてしまった。目を擦り眠気の取れていないスパーダに、寝ていたのにごめんね、と謝りまた眠れるように髪の毛を撫でる。
むにゃ……とまた眠かったのでそのまま寝ようとしたが、スパーダは一瞬考えた。今何が起こったのか、誰に声を掛けられ髪を撫でられたのか。それは一人しかいない。
ガバッと勢いよく上体を起こし、隣の少女を見る。どうしたの、と問いかけるように首を傾げている幼馴染の菫色の髪がさらりと肩にかかり、流れ落ちた。
どうしたはこちらの台詞で、言いたいことは色々、山ほどある。しかしそんな小言など吹き飛ぶほどに安堵で満たされていることを自覚していないほどにスパーダはミルファを心配していたのだ。
言葉の出ない彼にミルファはへにゃりと笑いながらおはようと言うが、ぺち、と額に優しい手刀を喰らってしまう。
「……ったく、呑気に挨拶してる場合かよ! マジで心配したんだからな?」
「ご、ごめんね」
ミルファは眉を下げながら謝るがスパーダは怒っている様子はなく、優しく微笑んでいる。その表情につられてミルファもにこりと笑った。
そういえば……と、今どういう状況なのかを訊ねようとしたとき、扉がガラッと勢いよく開かれ、少しだが走る景色が見える。そして、ルカとイリアはミルファが目を覚ました姿を目にし、安心して駆け寄った。
「目、覚めたのね! なんかすごい痛がってたけど、平気なの!?」
「ああ、よかった……僕、このまま目を覚まさなかったらどうしようって……」
「急にすごい頭痛がしちゃって……。二人とも、心配かけてごめんね」
全員揃ったところで、今どういった状況にあるのかを三人から説明される。
ミルファが倒れた後そのまま検査は終わり、四人は戦場で兵として戦うことになり、今まさに列車で激戦区である西の戦場に向かっている──と。
まだ十代半ばで兵としての訓練も受けていないのに兵士として戦線に立たされるなんて、とミルファは顔を青ざめさせたが、よくよく考え、それは異能者という人間離れした力を持っているからだと理解する。
「わたし……大丈夫かな。ちゃんと検査も受けれてない」
「大丈夫だって、それはあたしもなんだし」
「それだけじゃないの、わたし……みんなみたいに前世の記憶とか、よく分からなくて。何か勘違いで捕まったんじゃないかなって思うの」
そう、ミルファには力を持っている自覚もなければ前世の記憶もない。
本当に異能者の力を持っているのかわからないまま戦争の場に行ってみんなの足手纏いにならないか、ミルファはそれを心配していた。剣技は元々習っていたから人並みには戦えるだろう。だけど、それ以外の特別な力があるようには思えない。
異能の力もないただの子供が戦場に立って何の役に立てるのだろうか。足手纏いになることは必至だろう。それならばチトセのようにアルカ教団に行けば身は安全かもしれない。出逢ったばかりとはいえ、ルカやイリアのことも、もう友達だとミルファは思っている。だから離れるのは寂しいがそんな生半可な気持ちで戦場に立つべきではないのも重々承知していた。
俯いたまま、ぽつりぽつりと自分の気持ちを口にして、考えが纏まりつつあるのがわかる。一緒に居ない方が良い。そうするのが一番良い。寂しさを表情に出さないようにとスカートをぎゅっと握りしめた。
「今さら一緒に行かねェとかなしだからな?」
思っていたことを言い当てられ、ドキリと心臓が驚く。パッとスパーダの方を見ると、いつものイタズラっぽい笑顔で彼女を真っ直ぐ見詰めていた。イリアも、ニコリとミルファに笑い掛けていた。ルカはどうしても戦いの恐れが抜け切らないのか引きつっている笑みだが。
「みんな……でも……」
「力や記憶が無いから自分は要らないなんて思うなよ。ミルファ、お前はオレが守ってやる」
胸の内の思い、考えが全部全部バレていてぐうの音も出ない。何も返す言葉が浮かばない。けれど、守られてばかりなのは足手纏いなのと何も変わらない。そっとレイピアに触れ、決心する。力がなくても、隙を作ったり何か出来ることはきっとある。守られてばかりでいないように、自分に出来るやり方で戦おうと。
「みんな、ありがとう。でも、わたし戦う。わたしだけ見てるだけだなんて耐えられないから」
無理するなよ、とスパーダがミルファの髪をくしゃっとして撫でる。彼がより強く、幼馴染の彼女を守ろうと決意したことを彼女は知らない。
頑張ろう、頑張らなきゃ、頑張りたい。そう意気込むミルファの隣で、スパーダは力強く手に力を込め、拳を握る。ルカとイリアが窓から外の様子を見に行ったとき、彼はぼそりと二人にしか聞こえない声量でミルファの名前を呼んだ。
「……ミルファ、お前さ」
「うん? どうしたの?」
「あんま家のこと考えんなよ」
「……! スパ──」
「あっ、見えて来たわよ!」
イリアの声でもうすぐ戦場に着くことが分かったので、列車が止まったらすぐ降りられるようにと各々準備を始めた。
(スパーダ……)
ツン、と鼻腔の奥が痛み、喉が震える。……泣きそうだ。こんなときなのに、スパーダが自分のことだけじゃなくこちらの事まで考えて居てくれたことに。
彼は、優しい。本当に。わたしのことなんて気にしなくてもいいのに。貴族の娘として生まれて来たのだから、わたしに自由がないのは仕方のないことなのに。そう思っているが、スパーダの気持ちを嬉しく思う自分が居るのも、また確かで。申し訳なさと嬉しさが混在して、ミルファ自身、彼の言葉にどう答えたら良いのか分からなかった。
「到着した。早く降りろ、異能者共」
列車の扉がガコンと大きな音を立てて開く。赤を基調とした軍服を着用した兵士──レグヌム兵が降りるように促して来た。
はい、とルカとミルファは返事をしたが、スパーダとイリアは命令するなと反抗的な言葉を返した。怒られると思ったが、血気盛んで良いと逆に褒められ拍子抜けする。
まだ身体の重さが抜け切っていないようだったが、腰を上げ改めて一意専心これからのことに向き合おうと一歩外に出ようとしたところ、後ろからグイッと腕を引かれつんのめく。スパーダがミルファの腕を掴んで引き留めたのだ。
「ど、どうしたの? スパーダ」
「まだふらついてるだろ」
「え? そ、そんなこと……ひゃあ!?」
身体が浮くような不思議な感覚がしたと思ったら、目線が急に高くなった。腰の辺りと太腿の裏に回された手が力強くミルファを抱えている。これはいわゆるお姫様抱っこというものだ。
自分は今、スパーダにお姫様抱っこをされている。それが分かり、ぶわっと恥ずかしさが込み上げてきてミルファの全身は熱く燃えるかのような感覚に包まれた。
「な、なんっ……や、ス、スパーダおおお降ろして……!?」
「あぁ?」
ぐいぐいとスパーダの胸板を押す。……が、びくともしない。沢山の人の前でこんな、物語のお姫様のように抱き抱えられて平常で居られる訳がない。
重いから降ろしてと言えば重くないと言われ、恥ずかしいと言えばオレは恥ずかしくないと返される。降ろすどころか立ち止まる様子もなく、ずんずんと列車を降りていくスパーダに、ミルファはもう何と言えば良いのか分からなくなりただただ恥じらい顔を赤くして俯くしかなかった。
視線を感じてちらりと目線だけそちらに向けると、ぱちりと目が合った。何故そんなまじまじと見られていたのかわからず首を傾げる。先に目を逸らしたのはスパーダだった。何故か気まずそうにし、五月雨式にではあるが言いたいことを口にしようとしているようだ。
「……あー……。お前、ちゃんと食ってるか?」
「え? う、うん。いつも朝食は出来るだけ食べるようにしてるけど……」
「軽過ぎ。ちゃんと食わねーと大きくなれねェぞ」
降ろしてくれたと思ったら、ケラケラと笑い一足先を歩くスパーダ。彼はいつもミルファを子供扱いするので、彼女はその度に拗ねてしまう。同じ歳なのに、と納得がいかないのだ。確かにスパーダは格好良くて、家も出て自立し始めている……自分とは違い大人に近いと思っているのだが。
むう、とむくれつつもレグヌム軍の指揮官から招集を受けてしまったので大人しく四人で整列し、姿勢を正して説明をしっかりと聞く。
レグヌム軍が戦争の相手としているのはガラム軍であり、今まさに戦の最中にあるという。治療、物資補給などのテントは自由に使っても良いとのことだった。とにかく敵の数を減らして殲滅するという、至極単純明快で残酷な指示を受け、戦場の方へ行くようにと早々に追いやられてしまう。
「うう……嫌だよぉ……」
「いつまでそうやってるつもり? さっさと腹括りなさいよ!」
ガラム軍を迎撃しているのは森の中だ。今いる場にはあまり草木がないため、てっきり開けた場所で戦っているものだと思っていたので戦場である森の入り口まで来て驚く。森の中では相手の姿も見え辛く、戦いが不利だ。指揮官の指示も、兵の補佐ではなくあくまで一人の兵として動けとのことだったし、それほどに戦力が削がれているのだろう。
ルカは指揮官の怒号や罵声にすっかり怯え切ってしまい、半ベソ状態。そんなルカを見てイリアはヤキモキしており、これから協力して戦おうとも言える雰囲気ではなかった。
どうしたらいいのかわからずスパーダに視線を送ると、諦めろ、放っておけ、と言うように肩を竦められて終わってしまった。
「ルカ君」
りん、と鈴が鳴る。加えて、静かに通る声でルカを呼ぶ声。その元を辿ると、つい先程牢屋で別れたばかりのチトセが居た。
アルカに入信した彼女が何故ここに? 全員が不思議に思っていると、スッと極自然にルカへ近付き彼の身体をあらゆる方向から見て怪我はないかと心配する。少し顔を赤らめつつ大丈夫とルカが言いかけたところをイリアが刺々しく遮った。
「……あんた、どうしてここにいんのよ?」
「……さあ」
「は!? さあ、って何よ! あんた、ボケてんじゃないの?」
今までにっこりとしていたチトセの表情が急に冷めたものへと変わり、吐き捨てるように言葉を放つ。勿論イリアがそれを何とも思わない訳がない。明らかな態度の急変っぷりに怒りながらチトセを撃ち抜くような勢いで指差す。……が、彼女は目を逸したまま、イリアの方を見ようともしない。
時間が過ぎる事に物凄く険悪な雰囲気が漂い始め、空気を変えないと……と、ある種強迫観念のようなものに突き動かされたルカが慌ててチトセに話しかけた。
「え、ええっと……アルカに入信しちゃったんだよね?」
「ええ。教義の一環として、ここで奉仕活動をすることになったのよ」
コロッと。チトセの表情が打って変わってまた笑顔になる。
自分を無視して話を進められてるのが嫌なのだろう。気に食わないとでも言うようにイリアがさらに怒り大声を上げ、木陰で休んでいた鳥が数羽、その声に怯えるように飛び去って行った。
「何なのよあんた! 無視とかいい度胸じゃないの! いい加減に……っ!?」
「え、……わわっ!?」
怒り心頭のイリアとぽややんと見守っていたミルファは突然スパーダに腕を引かれてその場から離れることになった。
感情を爆発させるすんでの所でそれを遮られたので自分の中にモヤモヤが残る状態になってしまったイリアは納得出来ず地団駄を踏んで息を荒くさせている。まるで野生の猪のようだ。……などと口にしてしまってはこちらに飛び火すると考え、スパーダはだんまりを決め込んだ。
ルカとチトセが“ 良い雰囲気”なのだから水を差すのは良くない。もう戦場は一歩手前なのだから少しくらいそっとしておいてやるのが優しさだろう、とスパーダが静かにというジェスチャーをしながら小声で話す。その言葉に何も返すことが出来なくなったイリアは拗ねたように唇をツンと尖らせてそっぽを向いた。
「ねえねえスパーダ。良い雰囲気って……ロマンチックってこと?」
「……お前、相変わらずだな……」
……わかっていた。わかってはいたが相変わらずの天然具合に、はぁ、と呆れるような息が漏れる。ミルファは頭が悪い訳ではないし空気も読めるし察しも良い方だ。だが、こういった男女の関係……もとい、恋愛関係についてはそれらが発揮されない。スパーダの記憶が正しければ、確か彼女の読んでる本の中には恋愛物語もあった。その筈なのに何故なのだろうか。
目をぱちくりとさせる幼馴染の彼女の背後から、ずもも……といった効果音が付きそうなほど淀んだ気配がする。見なくてもわかる、イリアだ。物凄く怒っているが、その矛先は明らかにスパーダやミルファではなくルカ……でもなくチトセへと向けられている。
どうやらもう話は終わっていたらしい。チトセは既にルカの元から離れて救護テントの方へと向かっており、彼はにこやかに彼女の背中を見送っていた。……それがますますイリアの機嫌を損ねるとも知らず。
「あーあ! ホンットあの女嫌い!! あっかんべ〜っだ!!」
「コーダもあっかんべーするぞ、しかし」
「……イリア。コイツ……何?」
「か……っ、可愛い!」
急にイリアの上着の中からひょっこりと現れた生き物。ネズミのような耳や尻尾を持ち、小さい身体ながらも逞しく砂漠地帯でも生きることが出来、人間と同じように言語を理解しコミュニケーションを取ることの出来るミュース族という珍しい種族だ。
イリアの傍から出て来たということは彼女が飼い主なのだろう。懐いているのかそれとも元々真似が好きなのか、飼い主の仕草を真似した後その生き物は驚くスパーダとミルファの方へ向き直り、むん、と踏ん反り返り得意げな顔で名前を名乗る。
「コーダはコーダというのだ、しかし」
「コーダくんっていうの? よろしくね〜。わたし、ミルファっていうの!」
「ん。よろしくするぞー」
とても可愛い! 小さくて可愛い! とミルファはきゃっきゃとコーダを抱き締めながらるんるんと浮き足立っている。ミルファの家にペットは居ないし普段動物に触れることもないから新鮮で珍しいというのも相まっているのだろうが、今まさに戦場の手前まで来ていることを忘れてしまいそうなほどの喜びっぷりである。
和やかな雰囲気になってきた……訳はなく、びしびしと肌に刺さるどす黒い不機嫌オーラによるなんとも言えない空気を、別世界にいるミルファとコーダ以外は感じ取っていた。
「さあ、行くわよ! あ〜もう胸糞悪いったらありゃしないわ!」
「イリア、どうして怒ってるんだ、しかし?」
「うん……。どうしちゃったんだろ、イリアちゃん」
「……ま、とにかく行こうぜ」
ルカとミルファの背中を押し、スパーダが先へと促す。ドスドスとガニ股で足音を立てながら戦場の入り口を怯むことなく跨ぎ進むイリアの後ろに続く形で全員が戦禍の中に足を踏み入れた。