31.望まぬ別れ
「リリヴァ様!」
そう呼ばれた主は髪を揺らして振り返る。すると、困った顔をした男がそこに居た。彼女と同じ色の髪が、汗で顔に張り付いている。
ずかずかという擬音が合いそうなほどに品も何もない歩き方で凄みながら近付いてくる男だが、リリヴァは気にも留めない様子で涼しげに笑みを浮かべていた。その様子にさらに腹を立てた彼はこれみよがしに長く深い溜息を吐く。
なぜ彼が怒っているか、彼女自身も分かっている。勝手に城の外に出たからだ。悪いと思って居ない訳ではないが、それでも素直に謝れない自分の心を見ないようにし、ツンと顔を逸らす。
「好き勝手に動き回らないでください……!」
「ケルベロスの所へ遊びに行っていただけよ。私が何をしてようと貴方には関係ないでしょう?」
男の目を見ないままにそう言い、自室へと戻るためにその隣を通り過ぎた。長い長い廊下で振り切れるはずもなく、彼はリリヴァの後ろに付き、くどくどと小言を告げ始める。こうなれば、反省しているということを示さなければ意地でも退かないと彼女は知っていた。
一体誰に似たのかと頭が痛くなる思いだったが、そんなことも知らず、男は「聞いていますか!?」とますます語気を強めて詰めてくる。
五月蠅いと突っぱねないのはあなただからよ? 感謝して欲しいわ! と思ったが、それを口にすれば一際大きな声が飛んで来て耳が使い物にならないかもしれない。聞いているわよと返すと、後ろに居た男は足を速めると彼女の前に立ち塞がり、一層眉尻を吊り上げた。……が、すぐにそれは下げられて悲しそうに伏せられた瞳に影が落ちる。
「あの魔槍との一件から、貴女はアスラ様にとても心配されているのはわかっているでしょう」
「……それが嫌なの、私は」
唇を尖らせて駄々をこねる子供のようにぽつりと零した本音に男は何も追及はしなかったが、ぐいと手を掴み部屋への道を進んで行く。ふたり分の靴の音が響く廊下は、先が見えないほどに長い。なぜこんな無駄に広くしたのかと言いたいが、言えばあのアスラも眉を下げるだろうと思うとリリヴァにはとても言う気にはなれなかった。
――ゲイボルグとの契約。そしてアスラとデュランダルを巻き込んだあの事件。あれから、リリヴァは再び床に着く生活に戻ってしまった。
分不相応な願いは、自らの破滅に繋がると学んだ。しかし、事はそれだけで済むはずもない。アスラはリリヴァをより強く心配し、過剰に気遣うようになってしまったのである。いつも医師のように身体を診ているオリフィエルは勿論、ヴリトラやイナンナまで呆れ返るほどに。
それは彼女にとっては苦痛でしかなかった。哀れだと思われているんじゃないか。本当はこんな私は嫌なんじゃないか。そんなことばかり考えてしまうのだ。
(お兄様にも皆にも心配をかけてばかりで何も変わってない……変われない。それどころか、私の身体は――)
自分を掻き抱くよう腕に爪を立てるリリヴァ。その表情は虚しさや悲しみ苦しみに満ちている。どろどろと冷たく暗い感情がじくじくと身体に侵食していくかのような感覚が襲う。
いつかは呑まれて消えてしまう、そんな気さえしてしまうほどに。
◇
――ふるる、と身体が震えるほどに肌寒い。そんな風が、夢など見ていないで起きなさいとでも言うように頬を撫でる。
夢の内容は、なんだっただろう。食事をしていたはずなのにどうして寒い風に起こされるんだろう。そんなことを考えながら重い瞼をゆっくりと開く。
ゆらゆらと揺れる床とざあざあと泳ぐ波の音。自らをくすぐる潮の香り。顔を上げて見回してみれば、視界は空と海に満たされる。――ここは、船の上だ。
「あ、ミルファ姉ちゃん起きたんかぁ! よかったよかった!」
自分が居る場所は分かっても、状況が一向に理解できない。大きな瞳を瞬かせながら首を傾げるしかないミルファに、エルマーナが笑顔で飛び付いて来た。受け止めきれずに押し倒されるように体が傾いたが、彼女の変わらない元気さに安心する。誰かにむりやり連れ去られたりして拘束されているわけではないようだ。
エルマーナ曰く、食事に混入された睡眠薬を口にして眠ってしまった自分たちは船に運び込まれたということらしい。
しかし、誰がそんなことを? そう思ったミルファがキョロキョロと辺りを見回す。仲間たちはみんな無事で、各々がもう目を覚ましていたようだ。みんなある一点に視線を注いでいる。そこには――。
「リカルドさん……!?」
伏し目がちに佇むリカルドの姿があった。
目をぱちくりさせつつ、エルマーナにどういうこと? と訊いてみたが、彼女は知らないという風に首を横に振る。まだ何も、誰にも説明はないようだ。しかし、ようやく彼の口から真実を聞ける機会がやって来たようだということは分かった。語る言葉の少ないリカルドではあるが、今回ばかりはきちんと話して貰わなければいけない。
「……すまない。お前達を利用させてもらった」
固く引き結ばれていた彼の口がようやく開かれる。目を合わせないまま、波を見詰めたままに。
スパーダが睨みながらずかずかとリカルドに近付き、それだけじゃわからないと詰め寄る。すると、それはそうだなと自嘲的な笑みを零した。きちんと説明しようと言い、彼は仲間たちへと向き直る。
「ガードルと初めて会ったナーオス基地で……お前がヒュプノスなら協力しろ、と心に直接語りかけられた」
リカルドは、かつての兄が昔と変わらないのかどうかということと自分に近付くその真意を知りたかった。敢えて要求を突き放さず、従う振りをしたのだ。
転生者が地上を汚していると思っているガードルからすれば、転生者である一行は排除する対象でしかないようで、頭の中から記憶を取り出して終われば用無し……ということだった。グリゴリの技術で、機械で記憶だけを取り出すということができるらしい。そんなことがあっていいのかと驚く仲間を見やりながらリスクについても語る。なんと、術後の正気の保証はされないとのことでやり方を間違えれば植物人間になる可能性もあったらしいではないか。
グリゴリは恐ろしい計画に協力するほどに転生者を嫌悪しているのか、元々ガードルとグリゴリは仲間だったのか。リカルドによればその両方ということらしいが――。天上人が地上人をならず者だと言っていたように、今の地上では天上人を要らないものとしているのだろうか。まだ思い出せていない記憶の中に、ガードルが転生者に敵意を向き出しにする理由があるのかもしれない。
地上への愛も守りたいと思う気持ちも過剰になり、地上を汚す者に対する異常なまでの殺戮意欲に駆られるガードル。優しかった昔の兄はもういない……そう悟ったリカルドはルカ達を船に乗せて連れ出したとのこと。
……血の気が引くような話だ。植物人間になる可能性があった上に、どうあっても命を狙われるような状況――ただ転生者というだけでそんなに恨まれてしまうのかと愕然とする。
「本当にすまなかった……幾重にも詫びる」
頭を下げる彼の手を、そっと包むアンジュ。優しく穏やかに向けられる笑顔にリカルドは面食らっている。
「あなたを信じていて良かった……わたしたちを助けてくれてありがとうございます」
「仕方ないなぁ……次はないわよ、リカルド!」
「そうだぜ。次やったら百発はぶち込んでやるからな!」
穏やかに迎えるアンジュとは違い、イリアとスパーダが物騒な言葉をぶつける。しかし、皆わかっている。彼らもリカルドを受け入れているのだ、仲間として。ルカもミルファもエルマーナもコーダも、戻って来たいつもの光景に笑みが止められない。安心と喜びで満たされていく。
和やかな雰囲気にリカルドはフッと笑み、今までと同じように皮肉を交える。結構な物を貰ってしまったので違約金は払えない、と。
それを聞いたアンジュはそう簡単に返されては困りますと意地悪く笑い、ふたりは再契約の握手を交わす。顔を逸らしつつわかっていると呟いた彼の顔は、いつものように青白く不健康な色ではなく少し色付いて見えた。
「……では進路はテノス――と言いたい所だが、マムートに向かう」
テノスとレグヌムの国境にある街、マムート。このまま直接テノスに向かわないその理由が分からないでいる仲間にリカルドが説明をする。どうやら、戦況が激しくなったことで海域にまで影響が出ているとのこと。海路は封鎖されているので無認可の船が通ろうとするものなら沈められるだろう、と。
目的地であるテノスまで行くには陸路が安全であることは明白だ。
そうと決まれば、とリカルドは操舵のためにハンドルに向き直る。傭兵というのは船の操縦も任されることがあるようで、もはや万事屋として働けるのではと思わされる達者ぶりに頭が上がらない。
ガードルが追いかけてくるのは確実だろう。船の上で襲われれば逃げられないし、戦いになれば足場が悪い。デメリットしかないのである。
海の真ん中で魚の餌になるなんて嫌だ、と青ざめるルカをミルファが大丈夫だよと励ます。しかし……ナーオス基地で戦った時の記憶が身体を震わせる。ガードルという男が向けてくる嫌悪、殺意、気迫――どれも強く気圧されるほどだったと記憶と身体が覚えているのだ。
あの頃より戦闘経験を積んだのだから大丈夫だと笑い飛ばすことが出来れば良いのだがそれも出来ず……いつも自信満々のイリアやスパーダでさえもあの男とは会いたくないようで。黙りこくるアンジュや、面倒事は嫌だというエルマーナも含めた全員が早くマムートに着かないかと落ち着かない様子。
そんな彼らを横目で見やり、リカルドが問題ないと言いフッと笑った。
「こんな所で諦めていいのか? お前達には、夢があるのだろう」
「そうやん! はよ創世力手に入れてしまわんと将来の夢も決まらへんまま――ってあれ?」
「あ! まさかリカルド、聞いてたワケ!?」
盗み聞きをしようと思ってした訳ではないと苦笑し、彼は海の先の先を見据えながら言葉を並べる。普段口数の少ないリカルドとは思えないほどに。
ルカの揺れる将来への悩み。
イリアの学校建設という大きな夢。
スパーダの挫折と誇りに満ちた将来。
ミルファの暖かさに満ちた希望。
アンジュの穏やかで堅実な道。
エルマーナの可能性にあふれた不確定な未来。
……自分を忘れるなと言わんばかりに、コーダは食べ物があればいいぞとイリアの足元でぴょんぴょんと跳ねながら主張している。
転生者だからという理由で仲間たちの夢を摘み取らせはしない、と言ってのけるリカルドの思いが嬉しくて、ミルファは胸の奥がじんと熱くなるようだった。この人はこんなにもわたしたちを想ってくれていたんだと、嬉しくてたまらなくなる。
不器用で厳しいけれど、その中にも確かな優しさがあるリカルド。自分もこんな風に立派な大人になれたなら、と思ってやまない。
「お前らは夢と理想を叶えるべきだ。ガキってのは夢を食って大きく育つ生き物だからな。……俺はお前らの手伝いがしたい。ただ、そう思っただけだ」
本当に微かに、けれど確かに、笑みを浮かべながらリカルドは語る。
夢を聞かれているとは思わなかったのでなんだか気恥ずかしいが、茶化さずに応援してくれる彼の思いを嬉しく思わない者などいない。
それならしっかり見守ってねと笑うルカに、調子に乗るなと普段より僅かに柔らかい声で返したリカルドだが――突如澄んだ空に差した影を認識すると忌々しげに舌打ちをしてみせた。
「目敏いと言えばいいのか抜かりがないと言えばいいのか……」
「え?」
「おい、あれ見ろよ!」
空を泳ぐ何かが落とす影に上を仰げば、その正体はすぐに判明した。曲がることも迷うこともなく一直線に飛ぶそれが視界に収まる。迫り来る何かの正体はガードルだった。
どういう技術で空を飛べているのかは分からないが、ガードルはそのまま船に追い付くと甲板に着地した。逃がさないという執念に絡め取られたかのように身動きが取れない。緊迫感が走り、ゴクリと息を飲むことすら胆力を使う。
ガードルを見据え、対峙するようにリカルドが一歩前に出た。
「……ガードル」
「フン、裏切り者め。貴様も所詮は世界に不要な俗物というわけだ」
「それはお前の方だろう。かつての兄の面影すらないその在り様……俗物以外の何者でもない」
「私は創世力を必要としているわけではない! 地上のために封じるのだ!」
創世力の危険性やその強大さは遥か昔の天上の崩壊で実証されてしまった。そのような力を私利私欲のために使わせるわけにはいかない。そのために自分が手に入れる――ガードルの考えはこちらと近しいものだった。アルカ教団や枢密院……創世力を悪用するであろう者たちに渡したくないのは同じ。ならば、協力出来るのでは? 交渉してみるためにルカが一歩前に出ると、イリアが静止するように腕を引く。大丈夫だよと微笑むがガラムでの一件があるので嫌なビジョンが離れない皆はルカを後ろへと引き摺った。
リカルドが仲間の意志を汲み、目の前に立つガードルに協力を提案する。……が、それは飲まれることはなかった。
「必要なのは貴様らの脳みそ、及び創世力に関する記憶だけだ。天上を滅ぼし、地上に害を為した罪を忘れたか?」
天上が滅んだことで地上に悪影響が出たのは確か。天の恵みが潰えたことで地上人は恩恵を受けられなくなった。病が流行ったり飢えに苦しんだ時代もある。地上を愛し守ろうとしていたタナトスの転生者であるガードルから見れば転生者を許すことなど出来ないのだろう。
志は同じであろうと、道は交わることはない――そう悲しい確信を抱いたミルファは悲しげに瞼を伏せた。
彼女の表情を見て鼻で笑ったガードルは、話は終わりか? と言い手にしていた二又槍をもう一度強く握り直す。
交渉は決裂した。ならば、残された道はもうひとつしかない。
「転生者は皆殺しだ。全員海の藻屑となるがいい!」
「そんなに転生者が憎いのであれば、まず己を殺してはどうだ?」
「クッ……ハハハ! 勘違いするなよ、転生者共。私はお前達とは違う。私は――タナトス本人だ!」
大きく笑い声を上げたガードルから告げられた言葉に皆が息を飲む。
天上から去り、永い永い時を地上を愛し守り続けていたタナトス。滅びを迎えた天上界の住人が転生者として地上で新たに生を受けるまでの間も、その後もずっと地上で生きて来たのだ。つまり、この男は神――。
反則だ。そんな話があっていいのか? と愕然とするが、ガードルはそんな一行には構わずクツクツと喉を鳴らして愉快そうに唇を歪めた。
「殺しはせん。生かしておかねば、記憶を奪えんからなぁ!」
薙ぐように武器をブンと振り、ドンと勢い良く突進するガードル。カッと額の第三の目がカッと見開かれた。赤く血走るその目はギョロギョロと動き全員の動きを把握しようと這うように働く。
「神……! ハンッ、相手に不足はねぇな!」
不敵に、そして楽しそうに歯を見せて笑ったスパーダ。真っ先に双剣を抜き、ガードルを迎え撃つために駆け出した。そしてそれにルカが続く。
ミルファは援護のために素早く呪文を唱え、他の仲間も武器を手に取った。
「援護するよ! 力よ、湧き上がって――アグリゲットシャープ!」
「ありがとう、ミルファ! はぁっ! 崩昇襲斬!」
「……まだまだぁ!!」
「うわぁあっ!」
「クッ……!」
ぶんと振り回した鎌から発生した一撃を受け、ルカとスパーダは剣で防ぎダメージを軽減するも大きく後ろへ吹き飛ばされてしまう。
大振りな攻撃の後ですぐに次の行動に移せないガードルの隙を逃さず、イリアが水の力を銃弾に込め発砲したと同時にアンジュの天術も発動する。
「アクアレイザー!」
「ホーリーランス!」
「う、ぐあああッ!」
さすがにその隙を補う動きは出来なかったガードルは大波と光の槍の洗礼をまともにその身に受けて膝をつく。肢体には魔力の残存がその場に打ち付ける杭のように在った。
畳み込むなら今だ、と追撃のためにエルマーナが駆け出し重く素早い連撃を見舞う。ドドド! と叩きこまれた拳は鳩尾に深く沈んでいく。
「っしゃ! おまけや受け取りィ! 竜皇天駆ッ!」
「よくやったラルモ……ッ!」
エルマーナの攻撃により怯ませた後、リカルドが地の力の込められた弾を命中させ、グレイブが発動した。直撃――かと思ったが突き刺すように出現した岩石の刃たちをその身に受けつつもそれらを踏み台にし、弾みまでもを利用して上空に跳び上がるとそのまま急降下で真っ直ぐ突撃して来る。散々攻撃を受け傷だらけになった神は、血に塗れた顔で歯を見せて笑っていた。
乱れた白い髪の隙間から覗く三つの眼光があまりの迫力で、血という赤に濡れた異様なその様子に恐怖で怯みそうになったミルファだが、気持ちを強く持つ。もう前のように足手纏いになったりしない!
力負けしないよう、膝のバネを使って前へ飛びながら迫り来るであろう一撃に備える。細いレイピアでずしりと身体が沈むかのごとく重い一振りを受け止めた。ギン! となった鈍い音に眉をしかめるが、力が落ちないように意識を集中させるミルファ。
脳内で書き出された呪文たちが術という形になったのでゼロ距離で放出する。剣先から走る光はまるで雷のように速く、ガードルの身体を駆け巡った。
「……効かぬ、効かぬぞォ!!」
さすがは神といったところか、いや、これは執念によるものか――。ガードルはミルファの天術なぞもろともせず。こんなもので倒れるわけがないのはわかっていたが、それでもやはり気圧されてしまいそうになる。
受け止めていたレイピアが軽くなったと思うと、槍が天を仰いでいた。来たる二撃目を後方へと飛び下がり躱わすと、代わりに甲板の床板が粉砕されてしまった。まともに受け止めていたら危なかった、と顔面蒼白の思いだ。
「閃空衝裂破!」
「弧月双閃!!」
「……ッ、ぬぁああ!」
ミルファへの攻撃に集中していたガードルの死角から現れたスパーダとルカが見事な連携で連続攻撃を叩き込んでいく。斬り付けられ赤で濡れながらも見事な反応速度で槍を振り乱すその姿はまるで不死身の鬼神である。
以前戦った時よりも段違いな気迫。闘気。基地での戦いは殺意こそあったが半分様子見といった類のものだったのだと感じさせられる。死が迫りくる、振り払っても振り払っても拭えない執拗な恐怖。全身の血液が凍り付くほどの悪寒に襲われたミルファは震えながら強く強く半ば縋るように、奮い立たせるためにと柄を握りしめる。
火花や閃光が輝く中を前衛を担う仲間たちが駆ける。中衛に位置したミルファが補助術をかけた後、自身も前に立ち加勢しようと思ったそのとき――リカルドが「いけるか?」と声を掛けて来た。ひとつに結ばれた揺れる黒髪を前にしたミルファはその一言で意図を汲み取り、彼からは見えもしないのに「はい!」と頷く。
駆け巡る剣閃や術の中へ飛び込んだリカルドの背を見ながら天術の詠唱に入る。ルカとスパーダとエルマーナは瞬時にリカルドの考えを察し、より攻撃の手を強めていった。上がる息を吞み込みながら、吐くことさえ忘れたかのように、その一瞬を求めて。
「いくぞ……!」
「はい……っ!」
「……何ッ!!?」
生まれたその一瞬――隙を逃さない。リカルドはミルファへ合図を出し、ガードルの懐へと潜り込んだ。これでもかと見開かれた三つの瞳と鋭く射貫く瞳が交差する。
「岩砕烈迅槍!」
「クラスターレイド!」
リカルドのライフルは剣の役割も果たす物だ。遠方射撃が出来るのにも関わらずわざわざ敵の攻撃の中に飛び込む意味がないということで前に出ることはないのだが、奇想天外の策は戦場に必要だということらしい。そして今、その策が打開の一手となった。
甲板の床板をしっかりと踏み、銃剣を構えて繰り出された突き。追い討ちの岩の飛礫とミルファの術で顕現された晶石が重なり、ガードルの頭上から降り注ぐ。それらに身体を幾度と撃たれたガードルは声もなく膝から崩れ落ち、その場に突っ伏した。
じわじわと彼の白基調の服に血が侵食していく。もう彼は戦うことは出来ないだろう。それはこちらも同じことではあるのだが。
ゴリ、と。横たわるガードルの傍らに立ちその頭部にライフルを当てる。決着はついた、という印に仲間たちは大きく深く息を吐いた。もう何時間も呼吸をしていなかったのではないかという感覚に陥りそうなほどだ。空気とはこんなに美味しかったか? と思えるくらいに。
「……殺すがいい。地上人に生まれ変われるのだと思えばこのような屈辱……」
血で滑る槍から手を離しそっと目瞑って終わりを待つガードルと、眉間にしわを寄せて苦虫を嚙み潰したような表情のリカルド。……ライフルを構える手が、震えている。
前世と現世は違うとはいえ、かつては兄弟として過ごした相手だ。そんな相手をおいそれと殺せるはずがない。ミルファはリカルドの気持ちが分かるような気がした。自分だって兄を殺すなんて出来ないし、したくない、と。
長く深く、リカルドは息を吐いた。目を伏せ、耽る。数々の戦場を乗り越えてきたが、今までこんなに引き金が重いことがあっただろうか――。そして、自身を落ち着かせるように、諦めるかのように、自嘲するように、様々な感情をその息に乗せて……ライフルはゆっくりと降ろされたのだった。
仲間たちは誰も咎めなかった。イリアが、後々面倒になるんじゃないかと言ったくらいで。
ガードルの目的も思想も地上への愛から成るものなのだから、この世界を守るために行動している自分たちと道を違える必要はない。今すぐには無理でも、いつかきっと手を取り合える。協力し合える――そう信じたい。ミルファはそんな思いを胸にしながら真っ先に動き始め、ガードルの側にしゃがみ込む。傷を癒そうと癒しの天術を使おうとした、その途端――音が耳に届いた。
ガコンガコン、ギシギシという音。それに加えてモーターの回る音もしている。船の故障かと思ったリカルドが様子を見に行ったが特におかしいところはないと言いすぐに戻って来た。海の上で周りから聞こえるはずのない音にミルファは戸惑いながら頭を捻る。
(この音、前に聴いたことがあるような……?)
今までの出来事を思い返しながら同じ音を記憶の中で探していると、大きな影が重なった。なんだろうと思い影の主を探し見上げると、大きな機械が空を飛んでいるのが目に映る。
音の正体がそこに居た。ナーオス基地でいた、転生者を動力源にしている機械人形だ。
「なんか聴いたことある音だと思ったらコイツかよ!」
「空まで飛んでる……!?」
さすがに天井の低いあの基地の中だと飛ぶことは出来ないし、分かるはずもなかったが、まさか空を飛ぶとは。戦争において何をしてでも勝つという気概が伺える。
それにしても、なぜこんなところにレグヌム軍の兵器が?
そもそもの話。兵器が動いているということは、シリンダーに動力源となる転生者が中に居るはず。だが、あのグリゴリの里にはグリゴリの民しか居ない。ならば、動力源として使われているのは、操縦しているのは何者なのか。あのナーオス基地から運んできた? だとしたら一体何のために?
思考を巡らせながら機体を見上げているが、搭乗者は陽光に遮られて確認が出来ない。目を細めて凝らすようにしているとガードルがよろよろと立ち上がった。
「おのれ……搭乗しておるのは、我が一族の者か! 一体どういうつもりだ!」
叫んだから傷口に響いたのだろう。ガードルは小さく呻いて再び甲板に膝を付いた。
すぐに治療しないと危ない。そう思いミルファが回復の天術を発動させようとしたが、一言「やめろ」と制されてしまう。転生者に助けられるのが嫌なのかもしれないがそんなことを言っている場合でもない。怒りを買う可能性はあるが、助けないまま後悔したくなかったのでキュアを施すと、忌々し気に舌打ちをされてしまったがそれ以上拒否することもなかった。
空から少しノイズがかった笑い声が降り注いだと思うと、光が傾き、透明の薄い板面から中が見えた。空と船の間に距離があるので個人まで特定は出来ないものの、独特の仮面のシルエットは断定出来た。あれはグリゴリが装着しているもののはずだ。
登場しているグリゴリが、ガードルへと叫ぶ。お前はもう時代遅れだと。特殊な力も知識も、もっと活かせる。そうすればこんな里の中で小さくなりながら暮らすこともない、金や権力のために使うべきだと。向けられる言葉にガードルは顔を歪ませる。
「枢密院あたりにそそのかされたか? それとも――」
「これから我等の長はオズバルド様に取って代わる!我等一族が表社会に出る時が到来したのだ」
「オズバルド……また、あいつッ!」
「小悪党丸出しな見た目してる癖に、意外にやり手なのかアイツ」
「――愚か者! そこへ直れ!」
止める間もなく鎌を構えて激情の赴くままに、ダン! と床板を蹴り、兵器の方に向かって跳ぶ。だが、近付いたと同時に機体から閃光が放たれた。それはガードルの身体に直撃し、撃ち落とされたかのように身は海へドボンと投げられてしまう。回復術はガードルという対象を見失った。
「兄者!」
助けるべく海へ飛び込もうとするリカルドの前を空飛ぶ兵器が阻む。
船は進行を止めているとはいえ、ここは海の上……波に揺られて船は少しずつ動いてしまう。それは落ちたガードルも同じことで、早く引き上げなければ行方がわからなくなってしまいかねない。それに、海に呑まれては回復以前に命が危ない。
阻む者さえ居なければ。こいつさえ居なければ、今すぐにでも。焦燥がリカルドを煽る。
「貴様等もすぐ、後を追わせてやる!」
「……ッ、貴様……。……棺桶はその鉄屑で構わんな?」
「なんてことすんのよ、このスカタン!!」
銃から連続で弾丸が放たれるも、機体は空を滑りそれを躱す。イリアが続けて発砲しようとした瞬間、相手は大空へと急上昇した。
忌々しげに舌打ちをするイリアにアンジュがこらと諌めたかと思うと、彼女の放った光の術、レイが光の柱となって降り注いで敵を襲う。一筋の柱が機体を貫いたことでぐらりと大きな鉄の塊が傾いてバランスを崩した。
ルカとエルマーナが跳び、上から叩き落とすように攻撃を繰り出す。ダァン! と船に落とされて来た瞬間、スパーダとリカルドが同時に追い討ちをかけた。
「虎牙連斬! ――真空千裂破ッ!!」
「レイジングハント!」
二人が連携を決めている間に、ミルファは攻撃術の詠唱を始めていた。以前ナーオス基地でこの機体を止めたときのようにいくかは分からないが、一か八かに賭けてサンダースピアを放つ。しかし、大きく無機質な腕に雷光は相殺されてしまった。あのときとは違って操縦している者がいるせいだろう。
「わははは! 受けるがいい!」
振り下ろされた鉄の腕がミルファへと迫る。術の発動直後だったので少し反応が遅れたが、何とか避けることが出来た。直撃していればどうなっていたことかと背筋が寒くなる思いだ。
瞬時に詠唱を済ませて、再び雷を走らせる術を放ったが、それもあっさりと避けられ、搭乗しているグリゴリが滑稽だと笑い声を上げる。
「どこを狙っている!」
「ううん、これで良いの。……そうだよね!」
「ああ、上出来だぜ!」
「何ッ――」
「喰らいやがれ鉄クズ! 襲爪雷斬!」
実は、兵器の腕の隙間から見えたスパーダが合図を送ってくれていたのだ。ミルファはスパーダが気付かれないように、そして隙を作るためにと術を放ったという訳である。
彼の雷の力を帯びた剣技が機体に叩き込まれ、相手は動きを鈍らせている。
「ナイス、ふたりとも! それじゃあ感電させてやるわ! ――スプレッド!」
水柱が発生し、雷気を纏った機体が呑み込まれる。ビリビリと感電した機体はヨロヨロと動きながらもまた空へ逃げたが――ガタン! と一瞬動きが止まったかと思うと、そのまま中に乗っていたグリゴリと共に海へ落ちていった。機械が故障し、操作不能になってしまったのだろう。
「兄者……ッ! く……」
リカルドが船の柵に駆け寄り海を覗き込むが、もう手遅れだというのは明白だった。戦闘中も船は波に揺られて進んでいたのだから、もうガードルがどこに沈んでしまったかなど、分かるはずもない。
「さっきのおっさん、悪い人やなかったんやんな……?」
「そうね、きっといい人だったのよ。リカルドさんがあんなに悲しんでるんですもの……」
エルマーナの短く柔らかい髪を撫でながら、アンジュは目を伏せる。
リカルドは船を操縦すると言い残し、仲間のそばを足早に離れた。その顔色は、普段よりもさらに蒼白だったが、それも当たり前だろう。
(何も、言えない……言えるわけない。ううん、言っちゃいけない)
残念だったね。きっと生きているよ。なんて、どんな言葉を並べ立てたところで、それは無責任で空虚でありながらリカルドの胸を抉るだけだ。
ああでも、悔しい。きっと協力して立ち向かえたはずなのに。そんな思いを胸にミルファが悲しさと悔しさで溢れそうな涙を堪えていると、ルカが徐ろに前方を指差す。その指先を追うと、町並みが目に映った。
「着いたんだ、……マムートに」
ルカもまた、ミルファと同じように涙を堪えている。もちろん、他の仲間たちも。遣る瀬無いんだということが嫌というほどに分かった。
――ガードルを呑み込んだ海は、変わらず静かに揺れている。どうか彼が、天上の時代から長く続いた争いから離れ、静かに安らかに眠れますように。今はそんなことを祈るしかできない。