32.君が選んでくれたもの
活気のある賑わう声たちに出迎えられ、マムートに着いた一行。
マムートは商業の盛んな町で有名だ。今まで訪れた地域とは違い、建物や風習に特色があるようではない。商売をするために出店が並ぶ様子はアシハラに、レンガ調の建造物はレグヌムに近しく感じられる。レグヌムはこのマムートのように人の笑顔や暖かさには包まれておらず、戦争や適応法に怯え苦しんでいる様子の者が多いのだが。
「うわー! いろんなもんあるなぁ!」
宝石や衣装、食べ物など様々な店が並ぶととても道が明るく華やかに感じられる。それに加えて、色々な国から人が集まるからか、特徴的な方言が飛び交っている。アシハラで聞いた言葉遣いはもちろん、エルマーナの方言も聞こえるではないか。まるで各国の人々を集めた、世界のパレードのようだ。
人だかりの中を先行くエルマーナに続いて物珍しさから色々見ながら歩いていると、アンジュが手を振り手招きをしていたのが見えた。集まるようにとのジェスチャーにコクリと頷き、頑張って人混みを抜け、みんなで彼女の元に向かう。
「どうしたの? アンジュ」
「あのね、今日はここで休もうと思うの。宿の部屋を取ってくるから、悪いんだけどあなたたちに買い出し任せても良いかしら」
「任せときぃ!」
宿屋の中へと入っていくアンジュとリカルドの背中が見えなくなるまで手を振り見送る。きっとリカルドを休ませるために時間を少しでも作りたかったのだろう。
前にレグヌムで旅に必要なものをある程度は揃えていたから、必要なアイテムの量は多くないはず。とは言え、これから陸路でテノスという雪国まで向かうのだから備蓄はあればあるほど良い。備えあれば憂いなし、というものだ。
「手分けした方が早いんじゃない?」
「ええ〜! みんなで行こうやぁ」
いつも町中では分担して行動しているからたまには、ということでエルマーナの提案に乗り、残った全員で買い出しへと向かう。
町の中心へと近付いているのか、人の密度が高くなっていく。それに連れ、ミルファは人だかりに埋もれて前が見えなくなっていった。周りが壁で覆われているかのように感じるほどの人混みに阻まれ、前を歩く仲間に追い付けない。どうしたらいいのか考えている間にもミルファは波に流されるように人混みの中で揉みくちゃにされていた。
なんとか抜け出そうともがいていると、誰かに手を掴まれグイッと引っ張り出される。何とか抜け出せたので、ぷはっと大きく息を吸い、安心して長く息を吐いた。大袈裟かもしれないが、酸素が足りていなかったのか空気が美味しく感じる。
「あ、ありがとうございました……って、あれ? スパーダ?」
「あれ? じゃねェよ、ったく……」
人混みの中から助け出してくれたのはスパーダだった。彼は呆れたようにハァと息を吐いてジトリとミルファを見詰めている。
ミルファが改めてありがとうとお礼を言うと、スパーダは行くぞと言い彼女の手を引いてまた波の中を進み始めた。困惑しながらも、彼女は目の前を歩く彼の広い背中と大きな手を交互に見比べる。沈黙が何も言うなと語るようだったが、それでもミルファは戸惑いを口にした。
「スパーダっ、あ、あの、手……」
「……お前危なっかしいんだよ。こうやって手ェ繋いでたら逸れることもねェだろ」
前を見据えたままそう言う彼に、ミルファは目をぱちくりさせて、やがてくすりと声を溢し嬉しそうに笑む。
ぶっきらぼうだけど、実は優しくて心配性な幼馴染の彼の様子になんだか嬉しくなって、ぎゅうっとスパーダの手を握り返す。すると、ぴくりと包む大きな手が動いたかと思うと、その手がじわりと熱を帯びてゆく。
「あれ? スパーダ、手が熱いよ?」
「ばっ……! き、気のせいだっつの」
「おーい、スパーダ! ミルファ! こっちだよ〜!」
道行く人々の中からルカが大きく手を振っている。目印となってくれている彼の元に辿り着いたと思うと、仲間たちはみんな一点を凝視していた。スパーダとミルファが繋いでいる手と手だ。
なんだか気恥ずかしくなってもじりと顔を赤らめるミルファ。スパーダも皆の視線とミルファの恥じらいに気が付き急いで手を放した。「逸れそうだったからだ」と事情を話したが、照れ隠しにしか聞こえないのかイリアとエルマーナはニンマリとした笑顔をやめることはない。今すぐその顔をやめろ、と凄んでも彼女たちは気にせず笑んだままだ。
「そのまま手繋いでてもいいのよ〜? あたしたち気にしないからさぁ〜」
「何やったら二人でデートして来てもええんやで〜?」
「な、でっ、……バ、バカ言ってねェでさっさと買い物済ませるぞ!」
足早に雑貨屋へと向かうスパーダにイリアとエルマーナが相変わらずニマニマとしながら付いて行く。状況がよく分からずにいるミルファに、ルカが苦笑しながら行こうかと声を掛け、ふたりは前を行く三人の後に続いた。
(デート、かぁ)
屋敷から出たことがなかったのだからもちろんしたことがない。一体どんなものだろう。仲の良い男女が一緒に出掛けて同じ時間を過ごす楽しいものだとは知っているが……。世界が平和になったら、本当に家のしがらみから解放されたら、いつか誰かとデートする日がやって来るのだろうか。
ぼんやりとそんなことを考えていると、隣を歩くルカが心配して顔を覗き込み、ミルファの様子を見詰めていた。何でもないよ、と伝えるとルカが耳を寄せ、前の三人に聞こえないように配慮して小声でぽそぽそと話す。
「その、ね。ええっと、デート……したかった、とか?」
「えっ?」
「ほら、さっきスパーダと、って話が出てたし……」
心配しつつ、どこかそわそわした様子のルカ。きっと、友人の恋の行方が心配なのだろう。そんなこと、ミルファは露ほども分かっていないのだが。
(スパーダと、デート。そんなの、考えたこともなかった)
寝耳に水というべきか、突飛な話にミルファは目をぱちぱちと瞬かせるしかない。
レグヌムに居た頃、幼少期からふたりで会ったりしていたけれど、会う、出掛けるというよりはお互い脱走していたようなもの。デートなんて、そんなキラキラしたものでもない。
一緒に花を見に行ったり、美味しいものを食べたり……そんなことをするのだろうか。想像を膨らませてみてミルファは改めて思った、スパーダと一緒なら、どこへ行っても楽しいだろうなと。
「へ、変なこと言ってごめん」
「ううん、大丈夫だよ!」
不快にさせてしまっただろうか、深入りし過ぎただろうか、と青ざめるルカに、ミルファはにこりと笑顔を向ける。それでも様子の変わらない彼に向け、むん、と握り拳を作ってやる気満々といったポーズを取り心配要らないと言った。
「今はまず創世力だよ! 頑張って手に入れなくちゃね」
「うん、そうだよね」
「ちょっとあんたら! ちんたら歩いてないでさっさと来なさいよー!」
「あっ……イリア」
辿り着いた雑貨屋の店内は広く、武具や旅に必要な物、土産などが棚に見やすいように並べられている。これなら、手当てに必要な物は勿論、洗剤や使い捨てで使えるものも置いてありそうだ。
「じゃあパパーッと済ませちゃいましょうよ、そろそろお腹空いてきたわ」
「せやなぁ。でもウチお土産とかも見たいし〜」
「あ、じゃあ僕が買い出しの物見てくるからみんなは好きに見ててよ」
「ルカ、オレも行くぜ」
ルカとスパーダが買い出しの方を担ってくれるということで、ミルファとイリアはエルマーナに手を引かれるまま土産コーナーを見ることになった。さすが商業の町。他国のお土産品も取り扱っているようで、今まで訪れた場所の物も販売されている。それらを見ながら旅をする中で起きた出来事たちを思い出してみる。
適応法により家を離れたことで経験することが出来た楽しさはもちろん、悲しみも苦しみも、ずっと消えない思い出になるだろう。外に出て感じた草の香りも、初めて船に乗って嗅いだ潮の香りも、全部。
終わりを憂う感情に呑まれそうになり、それらを振り払うように首をふるふると振ったところでミルファはハッとした。
「……あれ? イリアちゃん、エルちゃん?」
一緒に行動していたふたりが居ない。ほんの少し物思いに耽っていた間に姿が見えなくなっているだなんて、なぜだろう。もしかして声を掛けられても気付かないほどだったのかな? と考えながら辺りをきょろきょろと見回しながらふたりを探すも、そんなに時間は経って居ないはずなのに一向に見つからずミルファは広い店内でぽつんと佇むしかない。
もしかしたら買い出しをしてくれているルカとスパーダの方に向かったのかもしれないと思い、どうか居てくれますようにと願いながら足を進める。棚という棚を抜けて行くと、見慣れた緑の髪が視界の端に映る。
仲間が居たことで嬉しくなり声を掛けようとしたが、スパーダの様子に、ミルファは出そうになった声を飲み込んだ。
スパーダは立ち止まってジッと一点を見詰めていた。側にルカは居ない。彼の視線の先には女の子が付ける飾り物が爛々と輝くように見栄えよく並んでいる。ブローチも、髪留めも、髪飾りも、耳飾りやネックレス――それらはまるで宝石のよう。
(誰かに渡すの、かな……)
穴が開きそうなほどに熱心に飾り物たちを見詰めるスパーダの姿に、何故か胸がきゅうと苦しくなった気がした。
声を掛けることも出来ずに立ち尽くしていると、彼の方がミルファに気付いて目を丸くした。
「……ミルファ? お前、イリアたちと居たんじゃねーのかよ」
「っあ……、ええっとね、いつの間にか居なくなってて……」
「そっちもか。ルカも居なくなっててよォ。……もしかしたらあいつら……」
変な気回しやがって、と言いながら頭をがしがしと掻くスパーダ。ぼそりと呟かれたそれは、幸か不幸かどこか上の空なミルファには届いていない。
「しゃーねぇから、ふたりで適当にぶらついてから帰るか」
「う、うん。ふふ……良かった、スパーダが居てくれて」
「……おぅ」
ひとりだったら心細くて仕方なかっただろうから、と困ったように笑うミルファに、スパーダの胸はドキリと高鳴った。こんな些細なことで、昔から見て来たはずの笑顔に心臓が異変を起こすなんて、この先どうするんだよと自分を叱咤する。けれど、自分の世界はもうミルファが居なくては成り立たないのではと思うのも事実だった。
今までなら目も向けなかったであろう女物の飾りたちに目を向け「ミルファなら何が似合うだろう」と思いながら見ていたのだから。
「……なあミルファ。女ってどういうのが好きなんだ?」
「え?」
素直に聞けない自分に頭を抱える。そこいらの女が好きなものなんてどうでもいい。自分はミルファがどんなものが欲しいか知りたいだけだ。だから。頼む。悪かったからそんな熱心に探さないでくれと嘘を吐いた後ろめたさから項垂れた。
一方ミルファは、プレゼントを女の人に贈りたいならそう言ってくれればいいのになんて思いながら手元にある煌めく飾りたちを見比べる。知らない人なのか、仲間の誰かなのか、そんなことも聞けないままいろんな飾りを見せてみる。大きなリボンだったり、三日月と星が連なっていたり、ゆるりとした表情のうさぎがモチーフにされているものだったり。
スパーダはどれもピンと来ていないのか渋い顔をしているが、それもそうだろう。彼が知りたいのはミルファが欲しいものなのだから。
「〜〜ッ! ミルファ!」
「ど、どうしたの? 決まった?」
「っお……お前、は、どれが欲しいんだ?」
「わたし?」
きょろきょろと辺りを見回してからまた目の前の彼を見て、自分自身を指差して聞くと、こくりと頷かれた。耳まで赤い彼はキャスケットの鍔をクイと下げて答えを待つ。どうしてわたしに聞くのかを尋ねたかったが、スパーダは頑として言いたくないのだろうなと悟り、ミルファは飾りたちに向き直った。
自分なら、どれが好きだろう。花束みたいなものが可愛いなと思うけれど――と、色とりどりの造花や金属で造られた花があしらわれたものを手にしてみる。正直、どれも可愛くて選べない。
(すっげぇ熱心に見てるな)
幼馴染の彼女がむむむと難しい顔をしたり笑顔になったりと百面相しながらアクセサリーを選ぶ姿を見ていると、こんな時間がずっと続けばいいのにと思ってしまう。旅が終わって、家に帰らず、こんな風に普通の少女のように過ごせたらどんなにいいだろう。そして、その隣に自分が居ることが出来たなら――。
(もういっそ、こいつを攫ってしまえたらいいのに)
彼女のルビーのように煌く瞳に吸い寄せられるように横顔をじっと見詰めながらそんなことすら考えてしまう自分を、嘲笑した。
「スパーダ? どうしたの?」
「いや、別になんもねーよ。決まったか?」
「ううん。どれも素敵だから迷っちゃって……えへへ」
ごめんね、と申し訳なさそうに眉を下げて笑うミルファの右手にはモスグリーンのリボンと白い花があしらわれたバレッタ、左手には赤や桃色の花を集めたようなネックレス。
スパーダは徐ろに右手から髪飾りを取りミルファの髪に添えてみた。純真無垢な彼女に白はよく似合うなと思い、自然に唇が弧を描く。
こっちが似合う。そう言われ、ミルファは大きな目をぱちくりとさせた。スパーダに髪型や服装など見た目のことで褒められたことがなかったので驚いたのである。けれど、それと同時に嬉しいという気持ちが彼女を満たした。とくんとくんと心地よく鳴る心音ごと、自分をぎゅっと抱きしめそうになるほどに。
「……じゃあ、それがいいな」
「え、な、なんでだよ?」
「スパーダが似合うって思ってくれた、選んでくれたものがいいなって。わたしなら、だけど」
髪飾りにあしらわれている作り物の花なんて比にならないくらいの華やぐ笑顔にスパーダは見惚れてしまう。ドキドキとうるさい心臓のせいで息をすることもままならないと大袈裟なことを思ってしまう。好きな人に殺し文句のようなことを言われて冷静で居られるわけがないだろ! と意味もなく虚勢を張りたくなった。
今すぐに自分の気持ちを伝えてしまいたいくらいの思いに駆られてしまうが、なんとかグッと堪えて髪飾りを壊さない程度に握ると、スパーダは会計場に向かっていく。
「先に外出ててくれ!」
取り残されたミルファはきょとんとしつつ、左手に持っていたネックレスを元の場所に戻す。そんなに急いで買いに行くほど悩んでいたんだと思うと、さっきまで弾むような気持ちだった心に影が覆うようで、ほんの少しモヤリとした。誰も悪くないのに。それどころか、こんな気持ちを抱く自分が悪いように感じられて、なんだか居心地が悪くなる。
言われた通り店を出て扉の横に立ちスパーダを待つ。五分と経たず彼が戻って来たので、宿屋へ戻ろうかと促した。もしもルカ達が迷子になっていたら探すべきかもしれない。騒ぎが起きた様子もないので連れ去られたということはなさそうだ。
今さらだが、軽くでも探しながら帰った方がいいだろうかと考えていると隣にスパーダが居ないことに気付く。振り返ると、彼は立ち止まったまま手に持ってある包み紙を見ていた。……誰かへの、プレゼントを。
――誰にあげるの? ずっと心の中にある声が止まない。そんな無神経なことを聞けないけれど、もういっそ聞いてしまおうか。分からない感情が膨らんで膨らんで、ぎゅうぎゅうと圧迫されて苦しいから。
一歩、また一歩。スパーダに近付く度に、緊張のせいかいやにヒールが鳴り響いてるような気がした。
聞いてしまえ、答えを教えて貰え。そう囁く心の声に従ってしまおうかと思ったけれど、目の前のスパーダを見ると言葉が出て来ず心配が勝った。彼の顔を覗き込もうとしたとき、眼前にスパーダの持っている包み紙が現れる。そのまま、彼女へ押し付けるように渡すと、スパーダは引き結んでいた硬い口を開いた。
「――これ、やる。お前に」
「……えっ?」
「お前はどんなのが欲しいんだろうなって考えてたからさ。……だから、やるよ」
彼の手から包み紙を受け取ると、カサリと中のバレッタと擦れる音がした。この中に、彼が自分に似合うといってくれたものがある――そう思うと、嬉しくて、何故だか切なくて、胸が締め付けられそうになる。けれど、さっきまでと違って、重苦しくない。どんどん軽くなっていくくらいだ。空に浮くくらい軽くて、鈍感なミルファでも分かる――今、自分は浮かれているんだと。
だって、自分のことを考えてくれていたなんて、思いもしなかった。大切な幼馴染が、自分に似合うものを見繕ってくれた。屋敷で着飾られるときとは訳が違う。見栄え良くするためではなく、自分に似合うからと選んでくれた……それが、嬉しくて仕方がない。
「ありがとう! 嬉しい……大事にするね」
小さく、だけどしっかりと、包みを抱き締めて微笑むと、ミルファはくるくると舞い喜びを表して見せた。
明日からどんなヘアアレンジをしようか。そんなことを考え心も踊らせるが、そもそも今はそんな場合ではないことを思い出す。
世界の危機を救うために旅をしているのだ。勿論戦いの最中にある。もしかしたらバレッタが壊れるかもしれないと考えた。
「旅が終わったら、毎日着けるねっ」
太陽のような笑顔でスパーダへ向き直るミルファ。もう夕暮れだというのに眩しく感じるだなんて、重症だなとスパーダは心の中で自分を嘲るのだった。
「ねえねえ、バレッタにあったお花の名前知ってる?」
「いや、知らねェけど」
足取り軽やかに町を歩き、帰路に着きながら他愛ない話をする。いつかレグヌム過ごした日常が帰って来たように錯覚するほど和やかな時間だ。
「あのね、鈴蘭っていう花なんだよ」
スパーダはよく分からないと言った様子で、ふうんと首を少し傾ける。
ミルファは本から学んだ知識ではあるが、花にはそれぞれ花言葉があったり季節によって咲く花が違うのだと知っている。飾りの主軸となって大きく在る鈴蘭――その花言葉は、幸福の再来。希望。きっと、この先旅が終わっても幸せが待っていると言われているようでミルファは嬉しく思う。けれど、花言葉なんてなんだっていい。大好きな幼馴染の彼が自分に似合うと言ってくれた、贈りたいと思ってくれた――それが彼女にとっては何よりも嬉しくて、大事なのだ。
「ねえ、わたし、お返ししたいな。何がいい? アップルパイでも作ろうか!」
「それも良いな。どうすっかな〜」
「ふふ、なんでもいいよ? わたしに出来ることなら」
お揃いのものを身に付けたいとか、そんな願いもないのでスパーダは頭を悩ませた。ミルファの作るアップルパイは確かに美味しいけれど、でも――なんでもいいよ、と言われて浮かんだのは。
(我ながら、キザくっせェ)
夕焼けに彩られる小さな幼馴染の姿が、儚く見えて、なんだか消えてしまいそうで手を伸ばしたくなった。自分の腕の中に掻き抱きたくなる衝動に駆られて。
何が欲しいって? そんなの、お前だよ。――お前がいい。
そんなこと言える訳もなくて、スパーダはミルファの紫の髪に触れたかと思うと、整えられて綺麗に見えるつむじを軽く突き、ぐりぐりと押す。
「いたっ、痛いよっ、なになに?」
「これからも頼むわってこと!」
隣に居ることが出来たらそれでいいのか、異性として意識して欲しいのか、それはまだ分からない。
ハハッと笑うスパーダの顔が夕日に照らされ、翡翠が橙に濡れる。それがとても綺麗で、安っぽいかも知れないけれど尊く感じられて、ミルファは言葉を生み出せなかった。
同じ橙色の灯りを見ているというのに、こんなにも感じるものは全く異なる。ふたりは幼馴染ではあるが同じ人間ではないのだから当たり前なのだが。
「……あ。そういやミルファ」
「どうしたの?」
「そのバレッタ、あいつらには内緒にしとけよ」
「あっ、そ、そうだよね……! 分かったよ、任せて!」
気恥ずかしいというのが理由ではあるのだが、どうせミルファは分かって居ないんだろうなとお約束に慣れてしまったスパーダは半分諦めながら空虚に笑う。
(みんなの分を買ってないからってことだよね……!)
……スパーダの予想はこの上なく当たっていた。
いそいそとポシェットに直したかと思うと、もう大丈夫! と澄んだ目を向けてくるものだから思わず吹き出してしまう。
おかしなこと言った? と不思議そうにするミルファに、スパーダは「お前はそのままでいいよ」と言い頭を撫でた。
◇
宿屋に戻ると、仲間たちに出迎えられる。一緒に居たのに先に帰るなんて、と心配したことを伝えるとごめんと返されたが反省の色は感じられなかった。それどころかニマニマして様子を窺っている始末。
「お前らなぁ……」
「でも、ふたりきりになれて良かったやろ?」
「そりゃあ……、って何言わせんだ!」
わいわいと騒ぐスパーダたちを、アンジュとリカルドが夕飯の時間だと呼びに来る。ルカとミルファは一歩後ろで仲間たちを見守っている――。
こういった賑やかな時間が今後、旅が終わっても続きますように。ミルファは胸の中でそう願っていた。