34.窓辺の花の彼

 怒号。悲鳴。発砲や爆発の音。レグヌム軍とテノス軍の入り惑う北の戦場はそれらに包まれている。壮絶な歓迎だと皮肉をいうリカルドの表情も少し引き攣っているようだった。
 西の戦場など生易しいものだと感じるほどに、ここは激戦だと分かる。
 双方の軍力がぶつかり合い、瞬く間に多くの兵士が命を散らしていっている。死ぬまでは行かずとも、目も当てられないような大怪我を負っている人もたくさん居た。骨を折ったり、片目を失ったり……その凄惨さは湿原で見た兵の死に様と酷似していて、なんだか息苦しくなる。
 治療してあげられたら、などと思うのは傲慢だ。今、どこの国からも歓迎されるような立場ではない一行は急いで先に進み、テノス領を目指さなければならないのだ。
 奥歯を噛み締める思いで、ミルファは小走りで仲間の後に続く。すると、いつもやる気満々で血気盛んなイリアが前を陣取らずに居ることに気付いた。俯きながらぼんやりと歩くイリアの隣で、ミルファは彼女の様子を見詰める。あまりにも心ここに在らずといった状態が気にかかり、肩をつんつんとしてみるが一向に気付く気配はない。

「イリアちゃん!」
「! ……ミルファか、ど、どうかした?」
「ううん、何かあったのかなと思って」
「お見通しってワケ。……思い出しちゃいけないような記憶が開かれていくような気がするの。だから、あたし……さ」

 うまく言葉に出来ないイリアを見て、ミルファは感じ取る。彼女は、恐れているんだと。思い出すことの出来ない記憶の数々、その中に重大な何かがあるのではないかと。自分もまだまだ知らない記憶があるので分かる。……とはいえ、お互い前世での立場も違う。何をしたのか、何を抱えていたのか――なんて分かるはずもない。それでも、ひとりよりもふたりの方が怖いと思う気持ちも少なくなるんじゃないかと感じられる。
 震えるイリアの手にそっと触れ、きゅ、と握ってみる。自分にはイリアの抱える恐怖や不安がどれほどのものなのか分からない。それはイリアのものだから、軽々しく分かるだなんて言ってはいけない。だが、それでも。少しでもいいから、気持ちが楽になれるように側にいることは出来る。

「わたしたち、お友達だよ!」
「な、何よ急に!?」
「イリアちゃんはひとりじゃないよ。いつでも相談に乗るからね」

 元気出して、と言うと、面食らった表情をしていたイリアは少し顔を綻ばせながらコクリと頷いた。
 外へ出て初めてできた友達のイリア。いつも強気に振舞っているが、彼女はまだ十五の少女なのだ。ひとりで全て抱えきれるわけがない。自分なんかでも何か力になれたら良いなぁ、とミルファは思ってやまない。


 ◇


 兵たちの目を搔い潜るのは至難の業だ。そう上手くいくことではなく、何度も視界に入ってしまって両軍と事を構えながら戦場を駆け抜けることとなってしまった。ダメージは少ないものの、広い土地で道を探りながらでは体力の消費は想像以上。満身創痍というやつだ。
 北に進行出来ている以上、レグヌム軍が優勢かと思いきや戦況は五分五分といったところである。元々寒い地方に慣れているテノス軍の士気はここに来てまた上がっているようでレグヌム軍を押しているように感じる。

「負けちゃうのかな……」
「いや、戦線を膠着させてレグヌム軍が撤退するようにしているのだろう。お互い決定打といえる戦力がないからな」
「なんだそりゃ。なんかぬるい戦だな」

 長く続いて来た戦争を今さら辞めることもできない。かといって押し進む戦力もなし。形だけの戦いが続いているようなものだった。
 天上での戦争も長く長く続いたが終わりを迎えたのだから、同じようにとは行かずとも、早くこの時代の戦争も終われば良いと願わずにはいられない。
 戦争の現実を歯痒く思いながら息を切らして武器を手に走っていると、目の前に大きな大きな門が見えた。本来ならば国境を超える前に検問を敷いている場所なのだろう。ここを抜ければ、テノス領に入れる。目的地はもうすぐだ。
 もうテノスに着いたも同然だと気が緩んだときだった――日の光が遮られ頭上に影が被ったかと思うと、何かが目の前にすとんと落ちた。

「窓辺のマーガレットでおなじみのオレをお忘れじゃあないかい?」
「うっげぇ! 会いたくないヤツ来た〜……」

 火山で逃がしてしまった道化師、ハスタ。こんなにすぐ会えることになるとは思っておらず身構えるが、これは千載一遇のチャンスだ。今この場で仕留めなければまた会うことになる。そんな確信が一行にはあった。
 イリアが至極嫌そうにハスタを睨み、リカルドはいつでも戦いの火蓋を切って落とせるようにライフルの先を彼に向ける。スパーダも素早く剣を鞘から抜き戦闘態勢に入った。

「その声紋と体臭には覚えがあるなぁ……なんだっけ、えーっと、イブラ・ヒモビッチさん?」
「全ッ然違うっての! 誰よそれ!?」
「イ、イリアちゃん、落ち着いて……」
「イリア元気だなぁ、しかし」

 相変わらずのハスタの調子に、イリアは完全に振り回されておりイライラが最骨頂に達している。勢いの良過ぎるツッコミに、はあはあと息切れを起こしていた。彼女にはスルースキルというものが備わっていないのかもしれない。飼い主の激情を見てもコーダは冷静だったが、危険だとルカに荷物袋に避難させれれている。
 どこか他人事といった風にアンジュとエルマーナはやれやれとイリアを宥めつつミルファを庇うように下がらせたが、そんなことお構いなしにハスタはふらふらとミルファへにじり寄る。じり、と後退するもまた一歩足を向けて来るので、委縮してしまいそうになるミルファ。

「また会えたねぇ。この戦場には歯ごたえのある奴がいなくてさぁ〜……欠伸を噛み殺していたところだったんだりゅん」
「……っ」
「今日こそお前の全部オレが貰っちゃうぜ」

 ハスタの赤い舌が覗く。べろり、と這う舌舐めずりにぞくりとした感覚が背中に走る。畏怖は抜けないが、それでも立ち向かわなければならない。前世の縁を断ち切らなければ。リリヴァが今でも苦しんでる気がして仕方がないミルファは、彼女のためにもそうしたいと強く思うのだった。
 ――呪いは健在。ミルファの記憶には残っていないが、あのとき記憶の場でそう言ったハスタの言葉から察するに彼女の勘は間違いではないだろう。
 少しだけ震える指先がレイピアの柄に触れる。意を決してぎゅっと握りしめて剣を抜くと、ハスタは唇の笑みを一層深めた。やはり目は笑っていないので気味が悪いことこの上ない。
 膨れる恐怖を押し殺しながら自分を見据えるミルファを見て、ハスタはふむと考え込んでいるように振る舞った。
 どうせ手に入れるにしても、少し傷付けてからでも構わないのでは? そうすれば血の味見も出来るし彼女の痛みに悶える姿も見られる。良いことだらけだ! と視界がクリアになるような感覚に包まれた。
 そうと決まれば、とハスタは槍の切先をミルファに向け、一直線に突きを繰り出す――!

「……!!」

 まともに受け止めても吹き飛ばされるだけだ。そう思ったミルファは受け流すか避けるかを選ぼうとしたが、目の前で双剣と槍がガキンッ!と交わり大きな音を奏でた。スパーダがハスタの前に立ちはだかってくれている。
 銃弾も天術も捉えられなかったハスタの動きに対応出来たのはスパーダだけだった。

「コイツに近寄んなっつっただろうが、このクサレ脳みそ野郎! お前は今倒す!」
「お前、名前なんだっけ? 口の利き方知らな太郎?」

 双剣と槍が弾き合い距離を取る。軽口を叩くハスタを真っ直ぐ見据えるスパーダは、奴をこの場で斬ることに集中していた。しかし、ハスタは戦いを楽しむことしか頭にない。真剣勝負というにはふたりの向き合い方は噛み合っていないようだ。
 ケタケタと笑うハスタではあったが、それでもスパーダの態度や物言いは気に食わないらしく耳障りの良い言葉を選べとわざとらしく頬を膨らませた。可愛くない! やめろ! とブーイングが主にイリアから飛ぶ。
 ふざけた態度のままに再び槍を構えるハスタ。相変わらず矛先の定まらない独特の構えに一行は警戒を強める。

「というワケで、オレのうさぎちゃん返してもらえるかなぁ」
「返すだぁ? てめぇのじゃねェんだよッ!」
「ハスタ。貴様の軽口は聞くに堪えん。死を持って黙って貰うしかないな」

 リカルドの宣告と共に発泡された弾丸はハスタの頬を掠める。気が昂って来たのか、目を見開き口を大きく開けて笑うと、ハスタは突進して来た。でたらめな槍の扱いのせいで攻撃が読み辛い。

「そう、こんなカンジだよ! お前もっとリカルド氏に言葉教えて貰え」
「余計のお世話だ!」
「スパーダ、下がって! ――崩襲剣!」

 ルカが大剣を叩き付けるように振るうが、間一髪のところでハスタはそれを躱す。
 穏やかな緑の瞳に炎が宿ったかと思うほどにルカの眼差しは強く、真っ直ぐだ。刺された借りを返さなければ気が済まないのだろう。
 力強い瞳を少し面倒に思ったハスタだが、彼の目的はあくまで血湧き肉躍る楽しい戦いであり、ミルファだ。どこに居ようともミルファを捉えている。
 アンジュの補助天術が仲間たちを包み込み、イリアとエルマーナの攻撃が間髪入れずハスタを襲う。そしてじわじわと削れた仲間たちの体力を回復させようとミルファが回復の術を放とうとしたとき――ずくん、と急に背中が脈打った。

「……っ、ぁ……!?」
「ミルファ!?」

 背を侵食する激痛に、熱に、ミルファは立っていられなくなりその場に蹲る。ハスタとの再会がまた呪いとやらを呼び起こしたのだろう。
 側に居たアンジュがミルファに駆け寄り、意識を保っているかと声を掛け続ける。そのお陰で意識は手放さずに入られた。心配そうに覗き込むアンジュの顔が目の前にあって、ミルファは平気だよと言いたいのに上手く声が出せない。

「……! 思い……、出した」
「……?」

 耳を傾けたが、アンジュの呟きは微かにしか届かない。それよりも、焼かれるような、裂かれるような痛みが止まらなくて、苦しい。みっともなくもがき苦しむのを耐えて、耐えて、耐えて――。

「はい隙あり」
「ッてめェ!!」
「姉ちゃん!!」

 ハスタから気が逸れてしまっていたせいで、簡単に彼の手に落ちてしまった。
 ミルファはドサリと乱雑に地面に降ろされ、地面に突っ伏す。身体を起こさなければと思うが、出来ない。背を侵す痛みが尋常ではないのだ。視界が霞む中、目線だけ泳がせて見たハスタの表情は至極愉快そうで、唇が裂けているのではというほどに歪み、三日月と見間違うほど。
 ミルファを助けるためにとハスタのこめかみに狙いを定めたリカルドが引き金に手を掛け、スパーダが走った。――そこで、ひたりとミルファの背中に槍があてがわれる。

「おーっと、動いたらうっかり刺しちゃうかもしれませんぞぉ」
「この……ッ、卑怯者! 何がしたいのよ、さっさとミルファを離しなさい!!」
「卑怯者? 一人に対して寄ってたかって攻撃するお前らのこと? オレはただぁ……呪いが見たいだけさ」

 彼が急に耳元に口を寄せて来たかと思うと「動いたら死にますヨ〜」と囁いた。その言葉と背中に当てられている槍の先端の冷たさにミルファの血の気が引いていく。
 死にたくない。こんな場所で服を裂かれたら、恥ずかしすぎてみんなに合わせる顔がない。重みの違う思考がぐらぐらと揺れる。

「や、やめて……」

 みっともないなんて考える暇もなく、震えた唇が心の声を溢す。
 ハスタはその声を聞き、さらに笑みを深め、アハッと歓喜の声を上げた。楽しみにしてるご馳走を目の前に、さらに豪勢な飾り付けをされたようで、嬉しくて溜まらないのだろう。

「本当は独り占めしたいところだけど、心の広いオレは観客の皆さんのご視聴も許しちゃう! ハスタくん優しい! 最高! 惚れちゃう!」
「さっきから何言うとんねん!」
「ハスタ、てめェ……そいつに傷ひとつでも付けやがったらぶっ殺してやる!」

 ミルファを人質に取られたようなものだ。仲間たちは身動きが取れないながらに敵意は剝き出しにしている。しかし、その威嚇もハスタには効いていない。彼には言葉なんてものは届かないと思い知らされる。どうにかしてミルファを救出したいが、下手に動けばそのままぶすりだということは想像に難くない。
(足手纏いになりたくないのに、こんなの、いやだ……っ)
 スパーダに話せば怒られるだろうが、痛みにもだいぶ慣れてきた。収まってきていると云ってもいいほどに。抜け出すなら今しかない。そう思い剣の柄を握る力を強めようとしたとき、襟元からピリッと服の裂ける音がした。刃物が布を裂く音だ。
 ドクンドクンと心臓が脈打ち、危険信号を鳴らす。何をするんですか、なんて聞くまでもない。ハスタが何をするつもりなどもう分かり切っている。それでも口にしないと、やめてと言わないと、と思いミルファが唇を動かそうとするも、はくはくと鯉のように息をするしかできず、上手く声が出ない。

「ハスタさん、あなた……何を」
「何が目的なんだ、君は!」
「ッくそ……耐えられるかよ!」
「ベルフォルマ、待て!」

 涙が滲みそうになるミルファを見て、スパーダの我慢の限界が来た。ハスタに斬りかかろうと駆け出す。
 身体が震える。痛みが収まり、リリヴァの記憶も鮮明に蘇って来てようやく分かった――呪いがどんなものだったのか。彼女がどれだけ人に見られたくないと苛まれていたのかを。
 抵抗しないと、と思っているのにそれでも震える手が情けなくて、ミルファは唇をぎゅっと噛み締める。もう、どうしようもない。そう思ったが、こちらに駆け寄るスパーダを見てその考えは脳内で霧散した。
(諦めちゃ、だめ!!)
 自分を叱咤し、奮い立たせる。簡単に暴かせたりしない。負けるもんか、と。
 痛いほど強く握ったレイピアで足下からハスタを斬り上げる。背中に充てていた槍で防いだことにより、ミルファを捉えるものは無くなってしまった。あらら〜とどこかあっけらかんとした様子で槍を構え直す。

「もう一回捕まってくんない?」
「お断り、します……っ!」

 無数の突きが繰り出され、ミルファは躱したりレイピアで受け流すしか出来ない――防戦一方だ。それでもこれ以上足手纏いにならないのは彼女にとっても仲間にとっても大きな意味を持つ。手が出せればもう、勝利はこっちのものだ。
 走れ! と決死の思いでスパーダはミルファの元に辿り着き、彼女を背に庇いながらハスタと再び対峙する。女性陣にミルファを預けてハスタにとどめを刺そうかと思いもしたが。……嫌だ。こんな状態のミルファを放っておけない。目の前の狂人から目を離さないままに、スパーダは我を通した。
 仲間の方も、ハスタが不審な動きをすれば攻撃を繰り出す準備は出来ていた。しかし、それでもハスタはニヤニヤとした笑いをやめない。行動理念がなく、意思疎通も図れない殺人鬼と、ただ睨み合う。時間だけが過ぎていく。
(もう前世の縁なんて関係ねェ)
 デュランダルとゲイボルグの因縁なんてどうでもよかった。目の前の男との縁を絶ち切らなければ、自分の大事なものが傷付けられていく。スパーダにとってはそれが何よりも嫌で、もうごめんだった。
 グッと剣を握る手を強め、先手を切ろうとした矢先、ハスタが門の上まで大きく跳んだ。

「はい、お時間です。帰ろ」
「なっ……! 待ちやがれ!」
「え〜っと何バルドだっけ? そいつの用事済ませたら……今度こそうさぎちゃんは貰っていくポン。じゃ、ばいなら」

 ハスタは門から飛び降り、姿を消した。逃がしたくはなかったが、そんなことよりもミルファの安否の方が大事だ。
 周辺を見て来ると言い、リカルドが警戒しながら門を出るが、相変わらずの逃げ足のようでハスタの姿はもうない。交戦中の兵士たちの意識がこちらに向いていないことを確認すると、今の内だと早々に戦場を離れた。
 辺りを見回してみるも、恐らく戦火の影響だろうけれど、草花は見る影もない。何とか危機を脱した――その安堵からか、ミルファは膝から力が抜け落ち、その場にへたり込む。

「少し休みましょう。ミルファ、こっちにおいでなさい」
「……、ごめん、ね……」

 北のテノス領から吹く風が、少し冷たい。服越しでもいいから急いで呪いの所在を見ようということになり、女性陣は木陰の方へ移動する。覗くんじゃないわよ、と男性陣に釘を刺してから。さすがにこの状況でそんな不埒なことはしないことは分かってはいるが、イリアなりに空気を和らげたくて言ったのは明白だった。
 ひらひらと手を振るエルマーナと小物袋から顔を出すコーダに軽く手を振りながら、スパーダは考えた。コーダはいいのかよ、と。
 それよりもミルファだ。何事もないといいが……と心配しているとハスタへの憤りが強くなり、それにつれて眉間のしわがどんどん深まっていく。どういうつもりも何もないのかもしれないが、それでも。大切な仲間で、幼馴染で、好きな相手であるミルファが辱められようとしていた事実とまた恐怖に晒してしまった不甲斐なさにスパーダは自分への苛立ちも止められないでいた。
 見るからに不機嫌なスパーダを見かねて、リカルドはふうと大きくひとつ溜息を漏らす。気を張りすぎて、その張り詰めたものがミルファに伝わってしまっては気を遣わせてしまうことになるだろう。まだまだ子供だな、と思ったがその青臭さが十七の彼の良いところでもあることを彼は知っていた。

「……仕方がないとはいえ、好きな女のこととなると周りが見えなくなるのは何とかした方がいいぞ。ベルフォルマ」
「あァ!? 何言っ……!」
「ミルファ以外、もう分かってると思うよ。スパーダ……」

 ハスタとの戦い中で飛ばした静止の声が届いていなかったスパーダに苦言を呈すリカルドだったが、当の本人は自分の恋心が仲間たちにも知られていると改めて認識し、途端に気恥ずかしくなった。
 いつから? 結構前から。マジで? とすぐ終わる言葉のキャッチボール。隠していたつもりだったのに、何でバレたんだと愚痴を溢すがふたりから呆れられてしまった。イリアへの想いがバレバレなルカにだけは言われたくないと思ったが、同じ穴の狢だろう。

「あれだけ剥き出しにしておいて、何も言わないのか?」

 ミルファへの独占欲も庇護欲も強いのは、誰が見ても分かる。リカルドの言葉はスパーダが今まさに悩んでいることだったので何も言い返すことが出来ない。自分がどうしたいのか、どうすべきか、まだ分からないのだ。
 攫いたいとか、欲しいとか、そんな欲ばかりが一丁前に顔を出すが、そもそも伝えたところで、それは今の関係を壊すことにもなり兼ねないので慎重にもなる。どんな形でもいい、傍に居られるなら。離れることになるのは、到底耐えられない。
 振り向かせてやる、とかそんな独りよがりな想いを押し付けたくない。スパーダはミルファに自分の隣で笑っていて欲しいのであって、困らせたいわけではないのだから。……いや、困った顔も可愛いと思うけれど。なんて邪な思いが顔を覗かせそうになった。

「……わっかんねーよ。オレは……」

 はあ、と息を吐きながらガシガシとむしゃくしゃする思いを払うかのように頭を掻くスパーダに、リカルドもルカも何も言えなかった。もう答えは出てるようなものではと思いつつもそれを口にはしない。ルカ自身も、イリアへの想いをどうするのか決めあぐねているので偉そうなことは言えないのである。


 ◇


 ――ミルファの前世の灯の女神、リリヴァは翼を持つ女神だった。体が弱く飛ぶことは出来なかったが、白い翼が美しく、天上人も地上人も、誰もが魅せられるほどに。それが変わってしまった――ゲイボルグの呪いを受け、黒き翼へと。
 白い肌に咲くように刻まれた呪いは、ミルファの身体にも現れていた――それは、リリヴァが翼を生やしている肩甲骨周辺に在った。黒く濁った切り口のようなものが見受けられる。もちろん治癒術で消えることはない。

「だめね、消えない……。前世での因果がこんな形で現れるだなんて」
「……わたし、思い出したの。リリヴァさんが苦しんでいたこと」

 彼女が床に伏せることが増えた理由も、彼女が自分自身を貶す理由も、ゲイボルグの呪いが理由だった。刻印が原因で寿命がさらに縮まり、命の終わりが近付いていたリリヴァ。サクヤやオリフィエルが診てはいたが、病気ではないから治せないとのことでアスラも苦悩していた。このせいもあってか、アスラは天上界の統一を急いでいたのだ。イナンナに引き留められていても統一を辞めることがなかったのは、リリヴァが理由の一端でもある。それを痛いほどに感じていた彼女の想いを、自分の痛みのように鮮明に理解した。

「ミルファ、何かあったらすぐ話すのよ! いい!? 約束だかんね」
「ウチにも話してな! ミルファ姉ちゃんすぐ我慢するさかい心配やわぁ」
「元気なかったらごはん分けてやるからなー、しかし」

 ぎゅうぎゅうとイリアとエルマーナに抱きしめられ、足元ではコーダがぴょんぴょんと跳ねながら励ましてくれている。心配されていることは申し訳ないと思いつつ、でも、嬉しいと感じる思いも確かにあって。ミルファは笑顔を我慢できなかった。
 優しく微笑んだアンジュがみんなを包むように抱き締める。

「わたしたちは仲間で、友達だもの。頼ってくれないと、寂しいのよ?」

 イリアとエルマーナとコーダとアンジュ。みんなの言葉が嬉しくて、ひとりひとりへ思いを伝えたいのに、感謝や嬉しいという思いで満たされ過ぎて、溢れる思いが涙となって込み上げて来てしまう。

「みんな、ありがとう……本当に、ありがとう」

 泣くんじゃないの、と一層強く抱きしめられたので、ごめんねと言いながらミルファは涙を拭う。いつまでも立ち往生しているわけにもいかない。ぐい、と最後のひと粒を拭い去ると、戻ろうと笑顔で男性陣の方へと歩き出す。
 男性陣と合流した矢先、アンジュがミルファの状態を話してくれた。現状はただの印で、リリヴァのときのように命を脅かすものではなく、あくまで縁の表れであると。とりあえずは安心ではあるが、何が起こるかわからないので無理はしないようにと念を押されてしまい、ミルファはこくりと頷いた。
 日も暮れ始めて来たので、テノスへ急ごうということになり、一行は戦場を背に進み始めた。すると、ルカがおずおずとミルファに近付き身体を気遣ってくれたので「平気だよ」と答える。そっか、と言いつつもまだ何か言いたげに見えたので、ミルファの方からどうしたのか訊ねてみると、ええと……と頬を掻きながらその思いを口にした。

「リリヴァのことなんだけど、さ」
「うん……?」
「アスラはね、リリヴァのこと嫌がったりしてなかった。大事な妹だからいつも気に掛けてた。大事に思ってたんだ。……もちろん僕も、ミルファのこと大切に思ってるよ。今世では妹としてじゃなく、友達として」

 いつも気を遣わせていると思い込み信じることが出来なかった、アスラの思い。それをルカから聞けたことで少し安心した。リリヴァが孤独でなかったと、兄妹の絆は確かに在ったんだとわかったから。
 アスラとルカの思いが嬉しくて、ミルファはリリヴァの分までありがとうを込めた。ふふ、と和やかに笑い合っていると、頬にひやりとしたものが当たる。何かと思い手を触れてみるが水しか残っていないので、雨だろうかと空を見上げると、白い花びらのようなものがちらちらと降っていることに気が付いた。

「あ……雪だね」

 手の平にひらひらと雪が落ちるが、一瞬で溶けて消えてしまう。これが、雪。初めての雪に、ミルファは嬉しくなって自然と口元を緩ませていた。
 何となく背後にある戦場に目を移すと、まるであの場所だけ切り離されたかのように感じた。
 もしかしたら、いつか。この周辺もレムレース湿原と同じようになってしまうのかもしれない。屍が蠢く、異様で哀しいあの光景が広がる――それは避けなくてはならないことだ。
 感傷に浸ってばかりではいけない。一刻も早く創世力を手に入れて、マティウスの手に渡らないようにしなければと前を向き雪の中を進む。テノスは、もう目の前だ。

hitsujitohana