36.春待ちの園

 辿り着いた場所は、とても信仰の中心地だとは思えなかった。銀世界の影響もあるのか、ただただ寂しい場所に感じて人が集まるようには感じられない。
 アンジュの話によれば、この地は豊穣の女神が降り立つとされている神待ちの園と呼ばれているらしい。こんな寒い場所で春を呼ぶ祭りを行い天上界からの恩恵を待っていた場所が今ではすっかり廃れている。

「早く行って、早く帰らないといけないね」
「ミルファの言う通り、のんびりしてらんねーぜ? アルベールとやらがここに向かってんだからよ」
「やっぱりあの足跡はアルベールの部隊のもの、だよね?」
「そうだな……そう考えて間違いないだろう」

 アルベールと遭遇しては元も子もない。とにかく急ごうと奥地を目指しながら辺りを見回す。白が全てを覆っていて音すら呑み込まれる、人の世から忘れ去られた場所のようだった。こんな場所に、アルベールは何の用があるというのか。
 創世力を探っているからだと考えなければ辻褄が合わない。リカルドを雇い、見ず知らずの他人であるアンジュを連れてくるよう依頼したのは前世が関係してると考えるのは妥当だ。

「アンジュちゃん? 大丈夫?」
「っえ、ええ……平気よ」

 隣に居たアンジュの顔色が優れない。先へ進んで行けば行くほど、顔色が悪くなっていく。――重く、辛く、苦しい。そんな表情に胸が締め付けられそうになる。
 しかし、本人が大丈夫だと言っている以上、ずけずけと踏み込むのはどうなんだろうか。アンジュが自分に言ってくれたように、苦しいときは話して、というスタンスの方が良いのだろうか。前世のことが関係しているのなら尚のこと無理にこちらから聞き出すよりも、話してくれるのを待った方が良いんじゃないかと思うと、ミルファにはそれ以上何も言葉が浮かばなかった。

「なんだかアンジュ、元気ないよね」
「ルカくんもそう思う?」
「うん、なんか……口数も少ないし」
「そう思うなら、あんたら声かけたらいーじゃん」

 ひそひそと行われるルカとミルファの会話にばっさりとナイフを入れるように意見を言うイリア。ごもっともではある。けれど……ともごもごしているとハッキリ言えと怒られてしまった。
 ルカとミルファはちらりと目線を合わせて、言おうかと頷き合い意見を口にしてみる。「どう声を掛けていいか分からない」「踏み込み過ぎるのも良くないのかな」と。いつも助けて貰ってるのだし、何か力になれたらと思うけれど……あのアンジュが話そうとしないのであればそれは押し付け以外の何物でもないのではないか? そう思ってしまっては行動に移せない。
 いつでも話を聞けるように心構えをしておこうと頷き合うふたりに、イリアは辛抱強いなと半ば感心を寄せた。自分ならすぐ聞いてしまうからと。
 ぎゅっと気合を入れ直して握った拳が冷たすぎて、じぃんと広がる痛みにも似た感覚。はぁ、と溜息を白い息に変えていると、ずず、と大きな音が聞こえた。大岩が動くような、引き摺られているような音だ。

「ミルファ!」
「えっ……」

 名前を呼ばれ振り返ろうとすると、後ろからゴウッと風が唸った。雪の膜を割って出て来たのは、動く石像。そしてそれは大きな腕を振り上げ、今まさにミルファを潰そうとしている。逃げなければと走り出そうとしたが、突如身体が浮いた。スパーダが片腕でミルファを抱えて敵の一撃から助けてくれたのだ。

「スパーダ……!」
「ボサっとしてんなよ!」
「うん、ごめんね……ありがとう!」

 ずしんと動き続ける石造。物語のようだが、実際はそんなメルヘンチックなものではない。これも無恵による現象なのかもしれない。
 強度も大きさも獣型の魔物の比ではない。剣が通用するのかと怪しむが、立ち塞がるように佇むそれは退いてくれそうもなかった。

「こいつをどうにかしなければ先へは進めなさそうだな」
「じゃあ、さっさとぶっ倒しましょ!」

 リカルドがライフルを構えると同時にイリアは二丁拳銃を踊り打つ。石像に少しずつ近付きながらとてつもない速さで連続射撃を繰り出す。その射撃が終わる直前に、ルカとエルマーナが重い攻撃を放つ。

「はぁあっ! 魔王炎撃破!!」
「ボッコボコにしたる〜! 爪竜連牙弾!!」

 像の体に剣は刺さらずとも、外側を傷付けていくことで確実にダメージを与えている。
 援護しないと身を乗り出した瞬間、青い髪の彼女が横切った。いつも後衛で補助に回るアンジュがダガーを手に突撃するものだから、ミルファは少し面食らってしまう。

「連牙飛翔鮫!」
「――バイトオブアース!」

 アンジュが連続で斬り込んだ後、敵が仰け反ったところをすかさずリカルドの地の術が襲う。石造りの道を裂き、大口を開けたような岩が現れて敵を喰らい、対象の動きを止めた。それを見てスパーダがニヤリと笑う。

「お前、オレが実家で剣と槍と馬術やってたの覚えてるか?」
「え? う、うん、もちろん」
「片手でだって剣使えンだよ。お前の事、片手で支えることになるけどな。よっし、行くぜェ!」
「えっ、このまま!? うわわっ……」

 ミルファを片腕で抱えたまま走り出すスパーダ。安定とは程遠いので体勢を崩して落ちそうになり、ミルファは咄嗟にぎゅっと彼にしがみ付く。
 スパーダが石像に剣を入れようとしているのがわかったので、杖の先に星の力を溜めて援護に備えた。
 上から叩き付けるつもりなのだろう、地面を蹴り、タンッと跳ねる。この距離なら当てられる! そう思った瞬間、スパーダも技を繰り出そうとしていた。

「プチメテオ!」
「風迅剣ッ!!」

 ――同時に放たれた技が敵に直撃する。爆発した星を象る力が散る中、風を纏わせた力強い一突きが石像の急所――削れて出来た溝に沈んだ。
 スパーダが腕から降ろしてくれたので、石像はただの石に戻ったのかなと思い近付いて触れてみると、ボロボロと綻び半壊してしまう。悪いことをしてしまった気分になったが、やらなければこちらがやられていただろう。とにかく終わったならそれに越したことはないと思い安堵の息を吐くと、スパーダが上手くいったなと言ってミルファの肩に手を置く。

「きっとわたしとスパーダだからうまくいったんだよ! 幼馴染の力だね!」

 ふふ! と嬉しそうに笑いながらスパーダの手を取りぴょんぴょんと喜ぶミルファ。はた、と自分の手の中にあるスパーダの手が冷たいことに気付きまじまじ見詰めると指先が赤く悴んでいることに気付いた。
 そっと両手で包み込んで、ぎゅ、ぎゅ、と触れてみる。おい、と慌てたように静止の声を飛ばすスパーダだが、ミルファはお構いなしだ。剣を握るの痛くない? と訊いてみても「ああ……」とどこか落ち着かない様子の声が返ってくるだけ。
 このままではしもやけになってしまうのではと心配したが、冷たかった彼の手は段々と雪解けのようにじんわりと溶け、暖かくなっていく。

「良かった、暖かくなってきたみたいだね」
「……、お、お前の子ども体温で熱くなってきちまったみてェだな、ヒャハハハ!」
「こ、子どもって……っ。同い年でしょ〜!?」

 ホッとしたのも束の間、またスパーダに子供扱いされてミルファはむくれて頬を膨らませた。照れ隠しでしかない彼の態度にミルファは気付きもしない。それどころか、スパーダが楽しそうに笑うものだからつられてミルファも口許を綻ばせている。傍から見れば仲睦まじい恋人同士のじゃれ合いでしかない。

「イチャついてる二人はほっといて行きましょ」
「お前な! 毎度毎度やめろっつーの!」

 からかい半分、本音半分。イリアはずかずかとスパーダとミルファの隣を通り抜けながら言う。
 はっきりしないことがむしゃくしゃするタイプのイリアからすればまどろっこしいことこの上ないのだろう。なぜスパーダははっきり自分の気持ちを口にしないのかイリアには分からなかった。どう見たってお互いに大事にし合ってるのに。スパーダは感情を隠しきれていないのに。……まあそれで気が付かないミルファもミルファだけど、とほんの少しだけスパーダに同情した。
 同情とは程遠いジロリと睨むような目線を向けられていたので、スパーダはミルファの手からやんわりと逃げながら「なんだよ」とイリアを睨み返す。別に、と言われたのでそれ以上は何も言えなかったが明らかに文句を言いたげな視線だったなと悟っていた。

「ぜ、全然前見えないなぁ……」

 激しい戦闘の名残りで、ここ一帯の雪は吹き上がり幕を張っているかのように揺らめき舞う。やがて、風が強く吹きそれらを取り払ってくれたかと思うと、雪のカーテンの先、一行の眼前に光の渦が現れた。
 アルベールと兵隊が周りに居ないかと見渡し確認するが、辺りはしんと静まり返っており見る影もない。
 一安心したところで、一番乗り! と言ってエルマーナが光に足を踏み入れていた。





 ずっと、ずっと夢見ていたこと。天地を一つにして、人と神の共存する平和な世界を手に入れる。それが私たちの望み。
 ――魔王! 魔王万歳! 城中に響くほどの声で民が魔王を呼ぶ。
 大きな体躯の魔王が奥から威風堂々と姿を現すと、城が揺れるほどの歓声が沸いた。兜にあしらわれている畝る角たちが陽光に照らされ妖しく鈍く光る。
 沸く声に応えるかのように大きく両手を広げると、魔王を見上げる民は黙り、辺りは一瞬にして静寂に包まれた。

「臣民よ、時は来た!」

 魔王は高らかに宣言した。守護獣ケルベロスより創世力譲り受けたことを。

「天空城は新しく迎える世界への礎となる。ここを創世力発動の場とす!」

 奥に控える銀の髪と紅の髪。紅の髪を持ったイナンナの白く美しい顔に影が落ちていた。銀の髪を持ったリリヴァはそんな彼女を気遣い身を寄せて名前を呼ぶ。しかしイナンナはなんでもないと苦しげに微笑んで深く俯くのだった。
 魔王は憂うイナンナの様子に気付くことも無く彼女の肩をグイと抱くと、ふたりの姿を見せつけるかのように民たちを見下ろす。

「我ら二人、発動の儀を執り行う。今こそ天地は一つとなり、正しき世界がもたらされるのだ!」

 魔王! 魔王万歳――!
 兵も民も、魔王自身も。皆が興奮覚め遣らぬといった様子で喝采が沸き起こる中、リリヴァは青く血色の無くなっていくイナンナの顔色が気掛かりで仕方がなかった。





「あ! そうやん、天空城!」

 魔王がセンサスの民に創世力を使うと宣言している情景。自分の記憶かのように流れるそれを見終えると、エルマーナが大きな声を上げたので微睡む意識は一気に現実へと戻される。
 記憶の中で見た舞台、天空城。思い出したことを伝えようと必死に言葉を紡ぐが、焦りが先行しすぎていて伝わらない。エルマーナが「せやからなぁ」とやきもきして手足をばたつかせる間、ルカが顎に手を当てて唸る。そして、ぽつぽつと彼女が伝えたかったであろうことを受け取りかみ砕くと、通訳してみせた。
 数百年、数千年のときをひとりで過ごしていたヴリトラは天空城が崩壊せずに残っていたことを見ていたのだと。そして。

「創世力もそのまま残ってんねん!」

 今までの憶測や創世力を求めての対立はなんだったのか、と思わせるような展開に一同驚きを隠せない。
 そう、天空城は崩落して居なかった。遥か昔から今この時代まで落ちる事なく、空の上にあり、そこには創世力も共にある。――これは、かなり重要な真実だ。
 自分の言いたかったことを理解してくれたルカにぎゅうっとしがみつくエルマーナ。ミルファは微笑ましい二人を見ながら、さっき見た記憶――魔王が創世力を使うと宣言している光景を思い返す。リリヴァが珍しく寝室に居なかったのはもちろんだが、イナンナの様子も、魔王の言葉も謎は残る。恐らく最後の記憶の場だというのに謎は晴れるどころか深まったようですっきりしない。けれど、とにかく手掛かりは得た。
 次の目的地は天空城しかない。
 しかし、空に浮かぶ城に向かうなんて現実的ではない。空を飛ぶ乗り物でもあれば……。
 そこまで考えたところで、複数の足音が微かに耳に届く。ざくざくと雪を踏む音が幾重にも重なっている。恐らく魔物ではなく人間のものだろう。
 雪が音を吸い込んだせいもあって警戒が不十分だった。どうしたものかと考える暇もなく足元の主たちが姿を現す。テノスの少数部隊が一行を訝しげに見つめている。そして、一人の男性が兵を掻き分けて姿を現した。

「やあ、君達。我が国所有の敷地内で何をしていたのですか?」

 さらりとした金髪に色白い肌。眼鏡の奥に見える瞳から、穏やかさと知性を感じさせられる。我が国、という言葉が出たということはこの男がテノス国の大貴族と言われているアルベールだと自己紹介しているようなものだ。
 静かで甘く優しい声色からは傭兵に誘拐を頼むような人物には感じられない。もしかしたら話をすれば分かってくれたりしないかなという期待を、ミルファが少し持ってしまうほどだ。
 なんとか見逃しては貰えないだろうか。そう思い、イリアとスパーダが道に迷っただの大男に出くわしただの山姥に襲われただのと口にするが嘘八百も良いところだ。果てには協力するどころか言い合いを始める始末。これにはリカルドも呆れてものも言えず眉間を押さえている。

「面白い人たちだ。リカルド君、いい友達だね。――私はテノスの貴族に名を連ねる者。アルベールと申します。よろしくお見知りおき下さい」

 アルベールは愉快そうに笑ったかと思うと、失礼と頭を下げてから優雅に名乗る。ミルファがつられてぺこりとお辞儀をするものだからスパーダが「やってる場合かよ」とつむじに軽く手刀を落とす。
 漂う和やかな雰囲気に、なんとか誤魔化せたかと緊張が解れそうになったが、再び「この地で何を?」と問われてしまい一瞬で場が凍り付く。もう言い訳はもう通用しないだろう。強行突破しかないのか? と全員で顔を見合わせたとき、アルベールが形の良い唇を開きリカルドを呼ぶ。

「リカルド君。ここにアンジュはいるのかい?」
「……わたしです」

 リカルドの返事を待たずしてアンジュが名乗りを上げる。リカルドは引き合わせるために連れて来たのではないと念押しをするが、わかっているよとアルベールは笑った。彼の元には契約破棄の書状と違約金はきちんと届けられていたようだ。しかしアルベールからすれば、違約金が戻って来た上にアンジュにも会えたのだから幸運だということだった。
 ずいぶん得をしたと笑うアルベールに、アンジュは警戒しながらも自分に何の用事があるのか尋ねる。すると彼は、眉を下げ、そして。

「……つれない事を言う。僕はずっと君を待ち焦がれていたのにね。オリフィエル……」
「……! あなたは……ヒンメルね?」

 アンジュの問いにアルベールはにこやかな笑顔のままにこくりと頷く。すると、彼女は自分からアルベールへと近付いて行き、そっと背に彼の手が添えられたかと思うと、ふたり一緒に元来た道を戻って行ってしまった。無理矢理とは程遠い、自分の意志で。
 仲間がみんな呼び止めても、少しも歩みを止めることはなかった。追いかけて引き留めようと走り出すも、アルベールが引き連れていた部隊内の数人が行く手を阻む。残りの兵士はアルベールとアンジュの護衛に付いていた。
 遠退いていく背中を目で追うしか出来ないのが歯痒い。どうして、なぜ。いつも人道を説き優しく諭してくれるアンジュとは思えない行動に混乱する頭は落ち着いてくれない。

「ホンマに行ってもぉた〜」
「退きなさいよ、あんたら!」
「無理矢理にでも通らせて貰うしかねェなぁ!」
「捕り抑えろ!」

 捕まえようと飛びかかって来たテノス兵をあっという間にスパーダとエルマーナが峰打ちで気絶させた。
 冷たい地に兵士はどさりと倒れ、アルベールとアンジュも居なくなり、しんと静まり返る一帯。愕然とするしかない中、ミルファはさきほどの会話の中に何かヒントが隠されていないかと頭を動かす。仲間を守るために付いて行ったようにも、恐怖に負けたようにも思えない。つまり、前世が関係しているのでは? そう考えるとピンとくる。彼女はアルベールから前世の名で呼ばれ、問い返していたではないか。

「アンジュちゃん確か、ヒンメル、って……言ってた」
「ヒンメルか……確か、オリフィエルの弟子じゃなかったかな」

 天空神、ヒンメル。ラティオの王とされていたが、元老院に幽閉されることになる。センサスに与したオリフィエルがアスラに救出を頼んでいたが、間に合わず処刑されてしまった――。そもそもの幽閉の理由も、オリフィエルに心ある者として育てられたことで元老院と反発するようになったことが原因とされている。ヒンメルと会ったことがある者などそれこそオリフィエルくらいしか居ないだろう。そのため、ヒンメルがどんな人物だったのかも分からない。きっと彼にはオリフィエルしか居なかったのだ。
 そう考えればアンジュは重く責任を感じたのかもしれないと想像するくらいは出来る。理解出来ないわけではないが、納得できるはずもない。今まで共に旅をして来た仲間なのだ。理由も話さず黙って離れるだなんて、到底。

「ワケアリってやつかぁ。ほな、ちゃっちゃと連れ戻しに行こか」
「そうだよルカくん! 早くアンジュちゃんを連れ戻して創世力を探しに行かなくちゃ」
「……! うん、そうだね」

 背を丸めるルカをミルファとエルマーナが共に励ますと、彼は大きく頷いた。
 急いで一行は来た道を戻る。白い息が踊る中、アンジュの無事を祈って。

hitsujitohana