42.満天の星空の下
傷薬や解毒薬、非常食などを出来るだけ多くならないように荷物袋へと詰め込み、明日に備えて早く眠ることになった。目的地までは飛行船で向かうが、寝不足や体力不足で戦力にならないなどあってはならないことだ。しっかりと休むべきだろう。
しかし。
「……眠れない……」
嫌に目が冴えてしまったミルファは体を起こし、既に深い夢の中に居る仲間たちを見回した。
イリアを除いた仲間たちで、一室に川の字になって眠っている。イリアの弟妹たちの部屋を借りることになったのは良いが、六人で並んで寝るにしては少し厳しいかもしれない。
コーダと弟妹たちはイリアの部屋で眠っており、シアンはケルとベロと一緒に外へ出ていた。多くの人と過ごすのはまだまだ慣れないらしい。
明日、大事な戦いを控えてるとは思えないほど、皆が穏やかに眠っているものだから、なんだか和んでしまってくすりと笑いが零れてしまう。
「ん〜……?」
「……!」
エルマーナがもぞもぞと動いたので、笑いを零した自分の口を急いで塞ぐ。起こしてしまったかな、とハラハラしたが、どうやら寝返りを打っただけのようだった。
ホッと安心して息を吐きながら、このまま眠れないまま居れば本当に仲間を起こしてしまうかも知れないと思ったミルファは外の空気を吸いに行こうと思い立つ。サッといつものように髪を結び纏めて立ち上がる。そろりそろりと窓際から部屋の入り口まで誰も起こさないように移動するのは中々に骨が折れるというか、ある種の試練のように感じるほどだった。
足音を鳴らさないようにとブーツは履かずに持ちながら部屋を出ることに成功するが玄関に辿り着くまで油断は出来ない。今は真夜中。イリアの家族も眠っているはずだから起こさないようにしなければならない。
息を潜ませながら何とか玄関扉まで到達したミルファは、ゆっくり音を立てないようにブーツを履いて外に出た。
「……わあ……! 綺麗……!」
昼間とは違い砂嵐はすっかりと収まっており、闇夜の空には星々が煌めいている。王都ではこんなにハッキリと星が見えることはないので素直に感動してしまうほど。
さらさらと砂が静かに踊る音を聴きながら星空を見上げて思う。今までの旅で経験した出来事たちを。そして――ミルファがマティウスの元に行けば仲間を殺さない、というあの言葉を。
どうするべきだったのか。罠だと分かり切っていても、本当にあの選択で良かったのか――ずっと考えてしまって、胸の中がモヤモヤする。
は、と吐いた息が少し白い。夜はテノスに遠く及ばないが寒く、ブランケットでも拝借した方が良かったかなと考えたところで、ギィッと扉の開く音がした。
「何やってんだ、ミルファ」
「スパーダ!」
後ろ手にゆっくり音を立てないように扉を閉めると、彼はミルファの側に歩み寄る。起こしちゃった? と聞くが、スパーダは違うと首を振った。
「たまたま目ェ覚めたんだよ。そしたらお前居ねーし……」
「あはは、そっか。なんか……眠れなくて」
会話が途切れて、ふたりで空を見上げる。何を話そうと考えているとスパーダがミルファの前に立った。けれど、何を言う訳でもない。ただただミルファの顔を見つめている。
灰色の瞳に自分が映されているのがなんだか恥ずかしくて、顔を赤らめる。どうしてそんなに見詰めるんだろうと思い、目を逸らしそうになったとき、彼の唇が動いた。
「――お前さ、まだマティウスに言われたこと考えてるんじゃねェだろうな」
どうして。と、ミルファは驚き過ぎて声も出ない。真っ直ぐ射抜くような瞳は本当に何でもお見通しというように自分の心を読み取ってしまうのではと思うほどに図星の中の図星。
スパーダは、やっぱりなと呆れたようにハァと溜息を吐いた。
「あんなのはお前を自分の方に連れ込む為の嘘だ。ちょっと考えればわかんだろーが」
「そ、そうなんだろうけど……でも、……いたっ!?」
「……それ以上言うとデコピン喰らわすかンな」
言葉を続けようとするミルファの頬をぐにーっと引っ張る。彼女が何と言おうとしたか察していたのだろう。どうせ、円満に解決する可能性を捨ててしまったのかも、だのなんだの考えていると。
めちゃくちゃ伸びるなと意地悪な表情でぐにぐにと引っ張り続けるスパーダに、ミルファは放してとお願いし、なんとか解放して貰えた。意地悪だけれど、頬を摘む手は優しく、痛くはない。でも。
「ど、どうして怒ってるの……?」
むすっとした顔は不機嫌そのもの。怒っていると顔に書いてあると指摘されても仕方ないほどに彼の端正な顔立ちはそれを宿している。
おずおずと訊ねるミルファの言葉に、スパーダは眉をヒクリとしかめた。
「おッ前なァ! 怒りもすんだろ! お前が――」
「ス、スパーダ、しーっ!」
突然声を荒げるスパーダに少し声量を抑えてと人差し指を自分の唇に当ててジェスチャーする。彼は大声を上げたことを自覚すると、悪い、と気まずそうに呟いた。それ以上どちらも口を開かない。そんな静寂の中、冷たい風が頬を撫でる。
なぜ彼が怒っているのか分からないわけではない。きっと、嘘だと言っているのに頷かないことが納得いかないのだとミルファは思った。
この期に及んでまだ敵にすら温情を掛けるのか。殺すより殺さないで済むならそれが良いのは間違いない。それはわかっている。けれどそんなに甘い相手ではない事は、彼女自身も分かっているはずなのに――それでも踏ん切りが付かないミルファの様子にスパーダはやきもきとしてしまうのである。
自分の思いを話せばまた甘過ぎると怒られるかなと思いつつも、今夜のミルファの唇は何でも話したくなる魔法をかけられたのかのように勝手に言葉が出ていく。
「……わたしね、あの人の願いを変えられる可能性があるのに行かないのは、無責任なんじゃないかって思ったの」
もしも、マティウスが抱えるリリヴァを思う気持ちも仲間を殺さないという言葉も本当だったなら、行かないといけないのではないか。自分は大団円を手放してしまったのではないか。そう思うと、ずっと自責の念に似た何かがつっかえて先の戦いに意識を向けられずにいた。もう戦いは数時間後には始まろうとしているというのに。
「嘘だってわかる。でも、そうじゃないかもしれない。だから、行くか行かないかずっとずっと迷ってる。後でこう出来たかもしれないのにって思う後悔が怖いのかな……」
仲間たちと出会えたこの世界を消されたくない。ルカが戻って来てとても嬉しそうに笑っていた皆を見て、こんな時間が続いて欲しいと、壊したくないと思った。もう誰も傷付いて欲しくない。その為ならひとりで行くことになっても良いとさえ。
救えたかもしれない道を嘘だと決めつけて見えない振りをすることがミルファには出来なかった。けれど、ひとりで行けばもう仲間には顔向け出来ない。それは皆を信用してないことにも繋がるからだ。
皆を裏切りたくない。離れたくない。一緒にいたい。その思いがミルファを思い留まらせている。屋敷に居たときのように、ただ言いなりになっていた弱いだけの自分とは違うと思いたかったが、自分はまだ弱いままなんだと思い知らされるようだった。本当にみんなが大事なら、なりふり構わず行けば良いのに。そんな風にもうひとりの自分が自分を責め立てるから。
悔しくて、情けなくて。流れそうになる涙を抑え込むように空を見上げた。
「……行ったら許さねェ」
「スパーダ……?」
突然、手首を痛いほどに掴まれる。また何か怒らせるようなこと言ってしまった? そう思った途端、そのまま距離を詰められる。どこにも行かせない、と。スパーダの言葉からも掴まれている手からも、真っ直ぐに自分を見詰める瞳からも、その意志が強く伝わってくるようで。ミルファはスパーダの意志の強さを羨ましく思った。
仮にミルファのいうような可能性があったとしても、仲間の前で聞けば良い。ひとりで行くな、と真剣に目を見据えられ、ミルファは何も言えなくなる。
「お前を責めるような筋違い野郎が居たら、オレがぶっ飛ばす。なんでも一人で抱え込もうとすんな」
「……スパーダ、優しいね」
そう、彼は本当に優しい。今までもずっとその優しさに助けられて来た。幼い頃からずっと、旅に出てからも。ずっと、いつも、たくさん。それだけ彼と共に過ごして来たんだと思うと感慨深くて、ふふ、と自然に笑みが浮かぶ。
いつもありがとう。そう言ってミルファが笑顔を向けると、スパーダはドンと胸を張り踏ん反り返ってみせた。オレに任せとけ、と自信満々に。
「お前のことは、オレが守ってやる」
「うん、ありがとう。わたしもスパーダのこと守るからね」
「ははっ! お前に守られてちゃ、オレ、まだまだだな」
自分もスパーダのように強く在りたい。スパーダがわたしを守って来てくれたみたいに、わたしもスパーダを守りたい。そう思ってつい出た言葉は、彼にとっては少し不服だったらしい。
(だけど、本当に守りたいと思ったの。これからもずっと一緒に居たいから、そのためにもわたし、頑張りたい……)
スパーダの力になりたい。彼のことを支えたい。こんな考えは、人を守る仕事に就きたいと願う彼には失礼かもしれないが、大切な幼馴染を守りたいという想いは変えられない。
ふと、グリゴリの里で騎士の夢を語ってくれたことを思い出して懐かしさに少し浸る。夢を持つ仲間たちがその夢を叶えていくということは、皆との旅が永遠ではないことだと改めて自覚させられた。
「スパーダは、旅が終わったらどうするの?」
「あ〜〜……まあ、まずは親父んとこ顔出しに行って、それからは……。……笑うなよ?」
「笑わないよ!」
ミルファが人の夢を笑うような人間ではないと分かってはいるが、自分自身がらしくないと思っているせいかつい保険を掛けてしまう。
照れ臭そうに頬を掻き星空を見上げると、スパーダは浅く息を吐いた。まだ誰にも話していない自分の夢――それを話すのは少し気恥ずかしくもあり、不安でもある。
「すぐじゃねェけど……実はさ、海軍に入ろうと思ってんだよ」
「海軍に……?」
「ああ。オレの兄貴、海軍にツテがあるからさ……ちょっと頼んでみようかと思ってよ」
六人居るスパーダの兄達。その内のひとりは海軍に属している。
自分が騎士になるには領地もなければ向いてもいないことを知ったスパーダは、応援してるとミルファが言ってくれたこともあってのことだが、それならば自分に向いている道を行きたいと考えた。旅の中で経験した船旅も悪くはなかったので、それならいっそ海軍に所属している兄に口添えして貰い海軍に入るのもいいか、と。
具体的にどうすればいいかはまだ分からないが、それでも何か一歩踏み出すのは必要だ。思い悩むよりまず行動。スパーダらしい思考にミルファはくすくすと微笑む。
「船旅、楽しかったもんね」
「まぁな」
「字は? よかったらわたし、教えられるよ?」
「……いや、ルカに聞くつもりだから大丈夫」
いくら幼馴染とはいえ、まさか好きな相手に文字の読み書きを教えて貰うだなんてスパーダには考えられなかった。それなら、文字の読み書きが出来てからミルファに披露したい。そんな見栄が彼の中にはあるようだ。
スパーダの思いなど露知らず少し残念そうにするミルファだが、男の子同士の方がいいのかもと思い、それ以上は何も言わなかった。
自分の気持ちを素直に伝えられないスパーダは、話を逸らそうとして空を見上げながら話題を探す。
そういえば、と。ずっと気になっていたこと――旅の終わりを迎えた彼女の未来について、今なら聞けるのでは。そう思い、スパーダは隣に居るミルファへ視線を向けた。
「……お前、家に戻らねェって言ってたけど、どうすんだ?」
「あ……わたしもね、一度は帰るべきだとは思ってるの。戻るにしても出て行くにしても……」
俯きながら、ミルファは呟く。迷惑を掛けたのだから顔くらいは出すべきだと。しかし、戻ればどうなるかも分かり切っているようなものだ。ミルファは恐れている――連れ戻されて、また外に出られなくなることを。
(あの家に、こいつを返したくない)
それがスパーダの本音だった。しかし、帰らないままでは捜索され続けることになりかねない。幼稚な考えがまかり通るほど世界は甘く簡単には出来ていないのだ。それなら自分がミルファの家まで付いて行った方が彼女も自分の思いを伝えられるだろうと思った。しかし、ミルファはふるふると首を振る。
ずっと、今も昔も、これからも……何も変わらずに一緒に居られると思い込んで居たが、そうではないのだ。海軍に入り未来へと向かう彼にずっと頼っていてはいけない。彼が居なくてもしっかりしないといけない。自分で前を向いて進んで行かなくちゃと、ミルファは不安に震えながらも自分を奮い立たせる。
こうなれば意地でも譲らないであろう幼馴染の姿に、スパーダはやれやれと笑みを溢した。彼女のこういう直向きなところに元気を貰い、惹かれたのだと改めて思わされる。自分が連れ出して帰さなければいい、などと思った時期もあったし、その思いは今でも少し残ってはいるが。……せめて家の前までは付いて行った方がいいだろうか、ミルファが遠慮しても押し通すくらいの方が良いだろうか、と過保護な一面が顔を覗かせる。
スパーダの思いも知らず、えへへと笑うミルファの愛らしい笑顔が少し陰った。どうした? と訊ねると、彼女は少し躊躇ってからおずおずと自分の思いを口にする。
「……スパーダと離れ離れになるの、寂しいね」
離れ離れになる。考えなかった訳ではないが、改めて口にされ、スパーダの胸は自覚した思いにきゅうと締め付けられた。今までだって毎日は会っていなかったが、これからはずっと近くにいたミルファと離れて生きることになる。それでも、スパーダは誇りを持てる仕事に就きたかった。自分にも剣技にも自信を持ち、人のために力を振るえる仕事に。そして胸を張って生き、ミルファの生きる世界ごと守れたら――と願っている。こんなこと気恥ずかしいにもほどがあるので本人に言える筈もないのだが。
一生会えなくなる訳じゃない。そう言うと、ミルファはルビーレッドの目を潤ませながらぱちくりと瞬きを繰り返した。
「お前に会いに、絶対王都に戻るよ」
柄にもなく真面目な顔をして発してしまった本音に頭を抱えるスパーダだったが、ミルファはこの上なく嬉しそうに笑う。寂しいという思いが抜け切らないものではあるけれど。
自分では恥ずかしくて取り消したいほどのものだったが、その言葉でミルファが喜んでくれたならスパーダにとってはそれが全てで、もうなんでも良いとさえ思えた。
手紙を書いてもいいかと聞かれたので、むしろ自分も書くとスパーダが答えると、ミルファはふふっと花のようにはにかんで見せてくれた。その笑顔に目を奪われたスパーダは、自分の想いを見詰め直していく。
幼馴染として過ごした十数年。ミルファのことは誰よりも理解しているつもりだった。けれど、成長するにつれて変わり、新たに見える姿にスパーダはまた胸を叩かれる。日に日に女性らしく花開かせていく姿も、明るく包み込むような優しさも、柔らかい花のような笑顔も。全部守りたくて、欲しくてたまらない。だが、その欲に従えば今の関係は崩れ去るだろう。
幼い頃から時間を共にした彼女が居なくなってしまうかもしれない。ミルファの笑顔が傍で見られなくなる。自分に笑い掛けてくれなくなる。それが嫌で、どうしたって手放したくなくて。仮定の話を盾にして、踏み出す勇気を奥底に仕舞い込むしか出来ない。
沈黙の中、ミルファの髪がさらさらと舞うのが目に入る。小さい頃はよく髪を引っ張ることで合図を送ったりしていたと思い出す。ちょっと待て、こっちへ来い、そっちは駄目だ、とかそういう合図。……よくよく考えると、女の子の髪を引っ張るなんて最低どころの話じゃないなとスパーダは過去の自分の行いを悔いた。
……ミルファの美しい菫色の髪。それに、自分以外の男が触れる日が来るのだろうか。髪だけじゃなく、柔らかく桜色に染まる頬や、華奢な身体や細い腰にも。それを間近で見ることになったり、ミルファから惚気話として聞かされたりする日が来るのか?
幼馴染の関係は自分だけの特権であり、特製の檻でもあるのかと思い知らされる。――そんなのは、ごめんだ。檻の向こうから何もせず好きな女が他の男と幸せに笑う姿を見ているだけだなんて。
「ミルファ」
スパーダが思い切って伸ばした手はしっかりとミルファの手を掴んだ。突然のことに驚いた彼女は、大きな瞳をぱちくりとさせる。
(……オレは、難しいことを考えるのが苦手なんだよ)
このまま関係が壊れるのを恐れて、何もしない癖に不平不満を抱くなんてそれこそ臆病者で卑怯で卑屈だ。自分はそう在りたくないと、スパーダは強く思う。
口を噤んだままの彼を見詰め、ミルファは首を傾げた。どうしたの? と聞くも、視線を泳がせて落ち着かない様子。挙動不審な彼に、ますますどうしたらいいのか分からず大人しく言葉を待つ。
「……全部終わったら、さ。言いたいことあるんだ。聞いてくれるか?」
――告げよう、この気持ちを。スパーダはそう決意する。彼女が自分を幼馴染としてしか見ていないのも、今の関係を大切にしているのも分かる。それでも、伝えないまま居た方がこの先ずっと後悔するだろう。自分が楽になりたいだけのエゴだと思うが、特製の檻を壊して少しでも自分を異性だと認識して欲しい。
けれど、今は言うべき時じゃない。満足してしまわないように。未来へ向かいたいと思えるように。マティウスとの決着がつき、世界を救えたそのときは――。
自分を真っ直ぐ見詰めるスパーダに、何も知らないミルファは、今じゃだめなの? と訊く。全部終わってからじゃないと……と伝えられてますます不思議そうに首を傾げたが、やがて大きく頷き「わかった!」と笑う。
楽しみにしてると言いニコッと笑顔を向けたミルファは、小指をスッと彼の方へ向けた。
「ゆびきりしよ? 約束ね」
また遊ぼう、と昔はよく指切りをしていたことを思い出す。この距離も関係も、昔から何にも変わっていないと改めて感じられる。意識されていないのかと考えると切なくもあるが。
目の前で咲く、愛しい彼女の笑顔が消えないように守ってやりたい。苦しませたくない。悲しませたくない。傷付いてほしくない。
(ずっと、笑っていて欲しい。――オレの傍で、ずっと)
絡め合った小指がなんだかくすぐったく感じて、ふたりは笑い合った。
「絶対、一緒に帰ろうね」
「ああ。絶対、な」
満天の星空の下、煌めく笑顔。それに勇気を与えられる。ずっとこうして穏やかに笑い合って過ごしていられたらと願わずにはいられない。
「……っくしゅ!」
唐突に、だけど控えめに放たれたくしゃみはミルファのものだった。冷えた外に出てから結構な時間も経ったので仕方ないだろう。静かな夜に自分のくしゃみが響いたのがなんだか恥ずかしくて頬を染める。
スパーダはもじもじとしているミルファに自分の上着を羽織らせると、彼女の手をぐいと引き、イリアの家の方へと向かう。
「ど、どうしたの?」
「ボケてる場合かよ、もう戻るぞ。寒いんだろ」
「大丈夫だよ。スパーダの上着、ぬくもりが残っててあったかいから……」
「……い、いから。もう家入ろうぜ」
無自覚に、こちらの気も知らないで。自分がいつも着ている上着をきゅっと手繰り寄せるように羽織るミルファの姿に、彼女の言葉にまんまとドキドキさせられて、悔しさにも似た感情や煩悩がスパーダの心を支配していく。
扉を開けて中に入り、ふたりは靴を脱いでそろりと部屋に戻る。すると、部屋を出たときと状況が変わっていた。
「ゲッ……寝るスペースなくなってらァ」
スパーダの言う通り、元々自分達の眠っていた場所は仲間達が寝返りで動いて広く場所を取っていることで完全に無くなっていた。どうしようかと考えていると、ミルファの視界に壁際の方が少しだけ空いているのが映る。くいくいとスパーダの服の裾を引っ張り、ミルファはそのスペースを指差した。
「若干だけど空いてるか……。ミルファ、お前はあそこで――」
「だめだよ、今わたしに譲るつもりだったでしょ。一緒に寝よう?」
「バッ……!? お前マジでもう……!」
ミルファの提案に、スパーダは狼狽え顔を赤くさせる。
嫌かと寂しそうに問われれば、スパーダは違うと答えざるを得ない。嫌どころか、むしろいいのかと聞きたいほどだった。思春期の青少年を舐めんなよと心の中では強気に言ってやれた。下心丸出しです、などとミルファ本人に言えるわけもない。
スパーダはミルファの手を引いたままに部屋の隅に身を寄せ、ぐいっと引き寄せる。腕の中に収まったミルファは彼の温もりを感じながら胸の鼓動がとくとくと鳴るのを感じていた。スパーダも自分も、同じ音を奏でている。それにとても安心して意識が微睡んでいく。
「思い出すね……小さい頃、一緒に隠れんぼしたりお昼寝したこと」
「めちゃくちゃ前のことだなそれ……」
「うん、それから……ナーオス基地でこうして引き寄せて助けてくれたこととか」
「……あ、ああ。あれな」
「ふふ。スパーダ、いつもありがとうね」
至近距離で語られる思い出たちと、微笑む彼女。じわじわと侵食されるお年頃な男子特有の“良くない感情”を払拭するように、スパーダは大袈裟にごろんと、敷かれた布団の上に寝転がる。
きょとんとしたままスパーダを覗き込むミルファの髪がカーテンから差し込む月明かりに少し照らされていて、どきりとさせられる。
スパーダはぐいと身体ごとミルファを引き寄せると自分の腕に彼女の頭を乗せて目を瞑った。
「もう寝るぞ。明日も早ェんだからよ」
「う……うん、そうだね。おやすみなさい、スパーダ」
明日。最後の戦いに向かう。改めてそう思うと、たくさんの思いで身体がいっぱいになっていくような感覚に包まれるよう。
旅の始まり、そして、旅の、終わり。
これからもずっと続いて欲しい、旅が終わって欲しくない。そう思いつつも、それが無理なことも理解しているので寂しさが止められない。みんなそれぞれの人生を歩むのだから、必要な別れだ。
永遠なんてないんだ。今、目の前で眠る幼馴染の彼とさえ、ずっと一緒には居られない。だから今の内に、寂しくないように、忘れないように、スパーダを覚えておかなくちゃ。と、ミルファはスパーダにすり寄った。
(……ねえ、スパーダ。わたしにあなたの強さを、勇気を、少しだけ分けてね)
スパーダの体温が移ったかのように、ミルファの体も心も暖かくなっていく。
まるで魔法みたい、なんて言ったら彼はみんなが起きてしまうほどの声で笑うような気がして、その光景を想像してミルファは小さく笑った。
静かで暖かい時間に安心し、眠りの世界に落ちていく。
朝、起きたら。最後の戦いだ。