43.身支度を整えて

 カーテンの隙間から眩しい光が差し込む。目を瞑っていてもその光の強さがわかるほどに瞼の中をも襲う白を遮るように目を閉じる力を強めてみたが、そんなもので遮れるわけがない。諦めて目を開けるようとするも、眠気が収まってないからかきちんと開かないのがまた鬱陶しいと感じたスパーダは、髪をガシガシと乱した。

「……ねっみィ」

 ぽつりと呟き、大きな欠伸をひとつ。すると。

「ん……、む」
「あ……? ――どわぁああッ!?」

 もぞもぞと懐で小さいものが動く。小さくて、華奢で、柔らかい。自分の片腕がしっかと小さいもの――ミルファを抱き枕のように抱き締めていることに気が付いたそこ瞬間、スパーダは家中、否、村中に響き渡るほどの声を上げていた。
 イリアの家の屋根に停まっていた鳥たちは一斉に羽ばたいていき、同じ部屋で寝ている仲間たちが続々と目を覚ます。
 仕方のないことだが、下の階からイリアが「うるさい!」とスパーダを名指しして怒号を飛ばし、コーダが朝ごはんを強請る声も届く。彼の叫び声が鳥のさえずり代わりに朝を知らせてしまったのは明白だった。

「なんな〜ん? 朝っぱらからうるさいわぁ……」
「び、びっくりしたぁ……スパーダ、どうかした?」
「ベルフォルマ、近所迷惑で訴えられても知らんぞ」

 ミルファから飛び退いたスパーダは、なぜ大きな声を出したのか悟られないようにすっくと立ち上がり仁王立ちして見せた。

「は、早く起きやがれお前ら! 出発遅れるだろーが!」
「え、えぇ……? まだ六時だけど」
「あァ? 口答えしてんじゃねェぞ、ルカちゃまよォ〜?」
「もう……朝から元気ね。ほらミルファ、スパーダくんが出発を急かしてるから起きないと」
「んん〜〜……?」

 寝惚けたミルファの声に、ドキリ、ギクリとスパーダの胸が跳ねる。
 アンジュに身体を揺さぶられたミルファは目を擦りながら身体をむくりと起こすと、仲間に向かってふにゃふにゃとしたままに挨拶をした。挨拶を交わし合う中、ミルファが様子のおかしいスパーダを見つけて首を傾げながらじっと見詰める。
 整った愛らしい顔立ちも、長い睫毛も、柔らかそうな唇もほっそりとしつつふわりとした身体も、寝起きのスパーダの頭にこびりついて離れない。
 これから戦いに赴くというのに、これではいけない。頭を冷やして切り替えなければと思った彼は、顔を洗って来ると言いドタバタと洗面台へ向かった。「静かに行きなさい」というアンジュの声を後ろにしながら。


 ◇


 イリアの家で朝食を馳走になり、黎明の塔へと向かう準備が整った。
 飛行船へ乗り込むために機体の停まる場所へ向かうため、お世話になったイリアの家族に挨拶をする。

「イリア、無事帰っておいでなさいね」
「無理をしてはいけないよ」
「もちろんよ!」
「お姉ちゃん、帰って来たら遊ぼうね!」
「遊ぼうね!」

 逃亡生活を余儀なくされたイリアにとって、久々の家族との再会は至極嬉しく安心出来る時間だったろう。それは家族も同様で、みんな離れ難そうにしている。母の手はなかなかイリアを離すことはなかった。イリアもいつも通り気丈に振る舞ってはいるけれど、きっと寂しいはずだ。
 家族の時間を邪魔しないようにと遠巻きに見ていた仲間たち。腕を組み壁に背を預けていたリカルドが飛行船を取りに行くと単的に言い、村を出て行こうとする。彼なりの気遣いなのだろう。
 村の周りには魔物はもちろん、黎明の塔に侵攻するべく村まで物資を回収する王都兵も居る。一人では危険だということでアンジュはリカルドと共に行った。ふたりで大丈夫かな? と少し心配に思ったミルファが自分も行った方が良かったかなと案じていると、心配し過ぎだとエルマーナに笑われてしまう。
 リカルドとアンジュが飛行船と共に戻るのを待つしかないので、束の間の憩いの時間を満喫することとなった。

「イリアって面倒見良さそうだとは思ってたけど、弟と妹居るなら納得だよなァ」
「うん。僕は一人っ子だから、兄弟の良さは前世の記憶でしか分からないけど……イリアを見てると良いなぁって思っちゃうな」
「……ルカ、将来が楽しみだな?」
「な、ななななに言ってるのさスパーダ!」

 スパーダがルカの反応に思い切り笑い声を上げ、気が早いとエルマーナも同じように笑った。

「しかしルカ、イリアと結婚するのか?」
「コ、コーダまで何言ってるんだよ……!」

 ミルファに抱き上げられているコーダにある種の追い討ちを掛けられ、ルカはすっかり身を縮こませて顔を赤くして俯いている。その様子にスパーダはご満悦だというようにケタケタと笑い続けていた。

「ぼちぼちエエ感じに収まってくれんと心配で夜しか寝られへんわ〜」
「ふふ、でもきっと大丈夫だと思うよ。二人なら」

 根拠なんてないけれど、ふたりを近くでずっと見ていたからこそミルファは思う。イリアも少なからずルカを特別に想い意識していると分かるからだ。ふたりはお互いを大事に思い合っているし、きっとこの旅が終わっても縁が切れることはないだろう。
 気が早いことこの上ないが、それこそコーダが言ったように結婚することになるかもしれない。ルカとイリアの晴れ姿を勝手に想像し、ミルファは素敵なことだと胸を高鳴らせた。
 しかし、そうとなると――。

「あっ、じゃ、じゃあ! ルカくん……こ、告白するの?」
「え!? い、今はまだそんなこと、考えられないよ……っ」
「ルカくんが伝えたいと思ったときでいいんじゃないかな。きっと大丈夫。頑張ってね、わたし応援してる!」
「……やってさ、スパーダ兄ちゃん」
「オレに振ンなっつの!」

 ミルファがぎゅっと手を握りルカを鼓舞する――その最中行われていたエルマーナとスパーダの小声でのやり取りはルカとミルファのふたりには届いていない。
 世界のため。仲間の未来のため。スパーダとの約束のため。そして、ルカとイリアの想いのため――。ミルファは必ず世界を守り帰ってくるべき理由がまたひとつ増え、背筋が伸びる思いだった。

「な、なんで告白するのが当然の流れに……?」
「ヒャハハハ! 腹ァ括れよな、ルカ」
「う、うう……」

 自分だって気持ちを伝えてないくせに、と言いたげなルカの不満げな目がスパーダに向けられる。ミルファが近くにいるので口には出来ないが、もう自分は腹を決めたんだとルカを見詰め返した。
 ふたりの目と目の会話に気付かないままにミルファが仲の良い様子にくすりと笑みを溢していると、ジャリ、と砂を踏む音がしたので振り返る。するとそこにシアンとケルとベロが居た。
 二匹がじゃれつくために飛び付くと、ミルファは重みに耐え切れるはずもなくドターンと尻餅を付く。嬉しそうにべろべろと頬を両側から舐めてくるものだから、くすぐったくて笑みが止められない。
 シアンと二匹の体を見るとすっかり傷は塞がっていた。さすが転生者というべきか、傷の治りも早いようだ。傷跡も残らなかったようで安心していると、シアンがもじもじと身体を縮こまらせるのでエルマーナが訝しげに彼を見る。

「自分急にどないしたん? 言いたいことあるんやったら、はよ言いや?」
「わ、わかってるよ! ……あ、あの。ケルとベロを治してくれて、ありがとう……」

 視線を彷徨わせながら顔を赤らめてミルファへ礼を言うシアン。なんだか心を開いてくれたようでとても嬉しくなり、立ち上がったミルファは少年の手をぎゅっと両手で包むように握る。どういたしまして、と返すとシアンはまた俯いて黙り込んだ。
 エルマーナが覗き込んでみると、彼は神妙な面持ちで唇を噛み締めていた。どうしたんだろうか、とミルファとエルマーナが顔を見合わせていると、シアンが勢いよく頭を上げ、真剣な目で語り始める。

「――マティウス……あの人も……救われたいはずなんだ。ボクはバカだから難しいことはわからない、だから利用されていた……だけど、あの人が寂しそうにひとり佇む姿を忘れることが出来ない」
「シアンくん……」
「前世の絆で創世力が使えるはずない。それでも、あの人はお前を手に入れようとするだろう。狙われてるお前に言うことじゃないのはわかってるけど、でも」

 ただ利用されていただけだと理解していても、シアンにとってのマティウスは初めて手を差し伸べてくれた相手でもある。与えられてきた優しさも垣間見えた姿も嘘だと思えないのだろう。
 それはミルファたちにも言えることで、マティウスの全てを知っているわけじゃない。もしかしたら、本当にシアンのことは気に掛けていたのかもしれない。全部都合の良い想像かもしれないが、そうだったら良いなとミルファは思った。目の前で泣きそうに自分の気持ちを伝えてくれるシアンの思いのためにも。
 泣かなくても良いんだよと安心して欲しくてそっと抱き締めると、ほんのりと日向や土の匂いがした。

「え、え、あ……っ?」
「シアンくんたちの居場所を消させたりしないよ。マティウスさんのことも、どこまで出来るかわからないけど……わたしに出来ることはするからね」

 マティウスのして来たことも、これからしようとしていることも、許されるものではない。世界を消す――それを阻止するために一行は彼女の元へ向かおうとしている。どんなことをしても止めるという確固たる意志がある――例え殺めてでも、と。
 しかし、それだけが道ではないとシアンの言葉で改めて思えた。戦争のように殺し合うだけで終わらせたりしないためにも出来ることはしたい。好きで殺し合いたいわけじゃないのだから。そうしなければいけないと思っているからそうしてしまうだけだ。
 言葉での解決を諦めたくない。甘いと怒られてしまっても。そう、ミルファは思った。

「も、もういいよ……ッ!」

 ミルファの肩をグイッと掴み自分から引き剥がすと、シアンは顔をこれでもかと赤くさせて後退る。警戒している野良の動物のように。
 嫌がられたわけじゃなく、人と触れ合うことに慣れていないだけなんだろうなと思うとなんだか可愛く感じてミルファはニコニコと笑みが止められない。
 人との関わりを絶つことを選ぶことも出来ただろうに、天空城から落ちるルカを助けてくれて、直向きに動物たちのことを考えている彼ならばきっと、これから人とも関わっていけるだろう。
 涙があふれそうになっていたのか、目をごしごしと擦るシアンに気付いてハンカチを渡そうとしたが、ひと足先にエルマーナが動き、彼をぎゅうっと抱き締めた。

「はいはい、泣きなや? ウチも抱っこしたるさかい」
「お、お前は固いからいらない!」
「なんやてぇ〜!? 将来はアンジュ姉ちゃんとミルファ姉ちゃんみたいにバインバインやねんからな!」
「ふ、ふたりとも喧嘩は……。……わっ!?」

 ぎゃあぎゃあと言い合うシアンとエルマーナを諫めようとしたとき、突然ぶわりと勢い良く風が舞った。
 はっしとスカートの裾を掴んで舞うのを止めさせようとするも、髪もますます強く乱れる風に弄ばれてばかりでもうぐちゃぐちゃだ。
 突風の正体を見ようと空を見上げると、そこには飛行船が居た。魔物や王都軍の兵器でなくて良かったと胸を撫で下ろす。

「来たみたいね」
「うん、早速乗り込もう!」

 飛行船が到着したのを見て、イリアが家族との挨拶を済ませてこちらにやって来る。
 いよいよ出発だ。そう思うと緊張で心臓がドクドクと大きく脈打つのがわかった。ミルファが落ち着こうと深呼吸を繰り返していると、スパーダがズイッとシアンに近付いて上から見下ろしている。お互いにジロリと睨み合っていて、鍾乳洞で対峙したときのことを思い出してしまった。

「おい、テメェ。あんまミルファにじゃれつくんじゃねーぞこの犬野郎がよォ」
「もう! スパーダったら、どうしてそんなこと言うの? 仲良くしようよ」
「へっ、コイツがお前にハグされたときの顔見せてやりてェもんだな。下心丸出しの顔してたんだぜ?」
「下心に関しては、スパーダ人のこと言えないんじゃ……」

 ハラハラとしているミルファをよそに繰り出される小さい声ながらのルカの指摘。スパーダはその小さな言葉を聞き逃さず、思い切り不機嫌な声で威圧するような態度を取ったものだから、ルカはすっかり怯えて縮こまってしまっている。その様子を見て、イリアは呆れたと言わんばかりに溜息を吐いた。
 リカルドとアンジュを待たせているのだから、そろそろ飛行船に乗り込むためにも仲裁しなければ。ミルファがそう思った矢先、シアンがスパーダをじいと見詰めて煽るようにニヤリと笑った。

「……ふぅん。お前、あの聖剣の転生者か」
「あァ? それがどうしたよ」
「ボクでもわかるぞ。お前、武器だったとは思えないくらいに嫉妬深いんだな」
「ッハァ!?」

 風の音で掻き消されてミルファには少し聞こえ辛かったようだが、痛いところを突かれたであろうスパーダが動揺からわなわなと肩を震わせているのは分かる。
 喧嘩はだめだよ、とスパーダの大きな手を包み込むと、分かってると言い、最後にシアンをひと睨みして飛行船の方へと向かって行こうとする。ミルファの手から逃れたかと思うと、彼は逆にミルファの腕を引っ掴んで足早にその場を離れた。
 遠くなっていくシアンたちに行ってくるねと言い手を振る。ケルとベロが一行を健闘を祈る、というように遠吠えをした。
 スパーダがなぜかキツく接していたことを謝ろうともしたが、その張本人が隣で不機嫌そうにしているのでそれ以上は何も言わなかった。火に油を注いではいけません、ということで。
 飛行船に乗り込みながら村を振り返り一瞥する。少しの間だけどお世話になった場所。大切な友達であるイリアの生まれ育った場所――レグヌムからは遠く離れている地域だ。

「ミルファ」
「どうしたの? イリアちゃん」
「今度はさ、普通に遊びに来てよ。旅が終わったあととか……ね」
「! うん、もちろん!」

 旅が終わった後も、繋がりは切れない。友達のままで居てくれる。それが嬉しくて、ミルファはイリアの手をぎゅっと握った。……が、それでは喜びを表現し切れなかったので、えいと抱きついてみる。
 約束がたくさんある。それが堪らなく幸せなことなんだと改めて実感する。ずっと、仲間たちとの縁は切れない。紡いできた絆はそんな簡単に切れやしないんだと思えた。

「……ルカくんとも、会う約束できた?」
「は!? ……なんでそこでルカが出てくんのよ!」

 思わず声を上げてしまったので、まさか本人に聞かれていないでしょうね! と辺りを見回すが、ルカは既にスパーダと前の方の座席に腰掛けて何やら楽しそうに話している様子だった。聞かれていなかったことに胸を撫で下ろしたが、こちらをニヤニヤとした目で見るスパーダと視線がかち合う。お見通しだというようなそれから逃げるように、足早に席に着く。あんたの方こそうだうだやってるくせに! と心の中で悪態を吐きながら。
 てて、と追い付いてきたミルファが隣に座ると、イリアは観念したように思いを吐露する。

「……そんなの、分かんないわよ。アイツ次第じゃない?」
「イリアちゃん……。でも、会いたいなら会いたいって言わないと、伝わらないよ?」

 ルカは引っ込み思案というか、他人にどう思われるのかを気にして動けないところがある。イリアが迷惑に思うかもしれないと考えていれば、彼は我を通すことはしないだろう。
 いつもの調子でツンと言ってのけたイリアだが、ミルファのまっすぐな瞳に自分の心が見透かされていくようで、次第に目を泳がせる。

「わ、……分かってる。けどさ、おんなじ気持ちじゃなかったらなんか、バカみたいじゃん」

 あたしひとりだけ盛り上がったり悲しんだりと一喜一憂して、そんなの不公平だ。イリアはそんな思いからなかなかルカに素直になれない。揶揄ったり、ちょっと意地悪してみたり、時には八つ当たりしたり。そんなことばかりしてしまう自分に、ルカはこれからも会いたいと思ってくれるだろうかという恐れから自分の想いを明るみに出せないのだ。
 ルカの想いを知っているミルファは絶対大丈夫だと思っているが、まさかそんなことを勝手に言えるわけもないので自分なりの言葉を探してイリアへ伝える。

「自分に嘘は吐かないでね。わたしに言ってくれるみたいに伝えるのもいいんじゃないかな」
「ミルファ……」

 後悔しない生き方をしたい。自分に恥じない生き方を。女らしく、なんて、イナンナを思い出して反吐が出るけれど……例えばアンジュやミルファのように――利口でいてしとやかさも強かさもありつつ、素直になれたならとイリアは小さな理想を抱く。
 心細かったり不安な時に、いつも手を重ねてくれていたふたつ年上のミルファ。自分より小柄だけど、やっぱり少し大人な彼女の手を小さく握り返した。

「今はマティウスを倒すことだけ考える! その後で、言えたら言う……わよ」
「うん、それでいいと思う!」

 イリアの言葉にミルファはにっこりと微笑んで見せた。頑張らなくちゃねと意気込むと、力入り過ぎ! とイリアがケタケタと笑う。
 お節介が過ぎたかも、と心配だったが少しスッキリした様子のイリアを見てミルファはそうじゃなかったのかなと安心した。

「そろそろ出発するぞ」

 そう言ったリカルドが機体を上昇させると、雲が近づき、村が小さくなっていく。
 お世話になったイリアの家族や村人たちがこちらに向かって大きく手を振っているのが分かる。見えているかは分からないが「いってきます!」と言いながら小窓から手を振った。

hitsujitohana