44.黎明の塔

 空を泳ぐ飛行船。流れる雲の中から外を眺めると、遠くからでも分かる、長く聳え立つ塔――黎明の塔が在った。最後の決着の舞台になる、アルカ教団の本拠地だ。
 緊張で落ち着かない中、通路を挟んだ向こう側の席に座るルカが黎明の塔の由来を考える。

「学校でまだ習ってないんだよね。……ミルファは知ってる?」
「ううん。黎明の意味はわかるけど、塔の由来はわたしも聞いたことないかな」

 “黎明”というのは、物事の始まりを指す言葉。つまりあの塔は始まりの塔、という意味になる。何を始まりとしたのだろう? と、ルカとミルファがううんと頭を捻りながら考えていると、スパーダとイリアがウンザリと言いたげに不満気な声を漏らした。

「出たよ、真面目コンビがよォ……」
「ちょっと、こんなときに頭痛くなるような話しないでくれない?」
「ふふ、じゃあ簡単に説明しちゃおうかな?」

 彼らの会話を後ろで聞いていたアンジュが嬉しそうに微笑み、生き生きと説明を始める。教団もとい宗教などの信仰に関連することといえば彼女の出番だ。ルカやミルファが知らないことは仕方ないのかも、とアンジュは笑った。
 ――黎明の塔は、天から地上へ降ろされた地上人が元居た天に帰ろうとして造られたとされる、高い高い帰り道だ。帰るためにと必死に塔を造ったが、建設途中で巨大な雷が落ちて死傷者が大勢出たために中断された、らしい。天上人が落としたとされる雷に許しを乞うという事柄から“天からの許しを乞う”という教義が確立され、教会文化の始まりの象徴として黎明の名を付けられたとされている。
 へえぇ……! とルカとミルファが感嘆の声を漏らし新しい知識に関心していると、難しい話に退屈そうにしていたエルマーナが何か思い出したようにあっと声を上げた。

「せや、言い忘れとってんけどなぁ」
「どうかしたの? エルちゃん」
「天空城が壊れるとき思い出してんけど、天上は消滅したわけやないんよ。地上と融合しててん」

 沈黙。数秒止まった時は、エル以外の全員が遅れて発した驚愕の声を皮切りに動き始めた。リカルドが声を出す代わりに操縦を誤ってしまったことで飛行船が大きく傾いて、イリアの膝に居たコーダは後ろの方までコロコロと転がっていってしまう。

「リカルド危ないぞー! コーダ死ぬところだったぞ、しかし!」
「す、すまん、だが……」

 ここにいる誰も想像していなかったカミングアウト。みんな目を丸くしている。鳩が豆鉄砲を食らったような顔、とはこういうことだと説明されるのだろうなと思うくらいに。
 やがて落ち着きを取り戻していった仲間たちを見て、エルマーナは思い出した記憶を語り始める。
 天上界でただひとり長い時を生き続けたヴリトラ。その転生であるエルマーナしか知り得ない真実――。
 天上に在った魂も、天上界を支えていた力も全て、地上に地上へ光になって降り注いでいくのを見ていたという。消えたのではなく、大きな力に導かれるように地上に向かっていった。きっと、ひとつになろうとして。アスラの望んだ天地融合は果たされていたのだ。
 ならばなぜ、地上はこんなにも様々な問題に直面しているんだろうという疑問が浮かぶ。天変地異も無恵も、天地が離れていて尚且つ天上が消えたからこそ起こっているのだと考えていたが、そうではないようだ。
 一体全体どういうことなのかと唸っていると、イリアが気まずそうにおずおずと口を開いた。

「……それって、イナンナが願ったから?」

 アスラの願いは地上と天上をひとつにすること。イナンナの願いは天地融合の拒否。そして、愛し合うお互いがお互いを殺害し、その命を糧としてふたつの願いが同時に叶えられてしまった、ということだろう。天は地上に重なり合っているのに結び付いてはいない。反し合う願いは世界のバランスを崩し、不完全な世界へと変えてしまったのである。天上人が天上ではなく地上に転生しているのも、レムレース湿原の魂たちが地上に眠ったのも、天地が重なっていたからなのだ。

「やっぱあたしのせい……。あ〜もう……ただ引っ掻き回しただけじゃない……」

 自責するように深く項垂れるイリアだが、そんな彼女を見兼ねたルカが通路越しににこりと笑い掛けた。君はイナンナじゃない。イリアだろ? と。

「イナンナのしたことを君が恥じる必要はないよ。それにね、僕の知っているイリアなら、きっとこう言う。『それがどーしたってのよ!』ってね」
「ルカ……」

 仲間たちがイリアの背中を支えるように言葉を掛けていく。創世力を渡さないようにすることが責任の果たし方のひとつでもあると、スパーダがニッと笑う。そして、イリアの隣に居るミルファも――。

「イナンナさんは世界を滅ぼしたいと思って願った訳じゃないよ、きっと。だから、いつもみたいに真っ直ぐ前を向いて。わたしはイリアちゃん自身が思う通りに行動するのが一番だと思う!」

 旅を一緒に始めた頃から、イリアの行動力のお陰で前に進んで来られた。ミルファはそんな猪突猛進な彼女に憧れているし、大好きだと思っている。どうか思うままに歩いて行って欲しいと思う。その道はきっと明るく照らされていくはずだから。
 仲間から激励の言葉をかけられて、照れ臭そうにするイリアだったが、いつもの調子でニンマリと笑い、フンと踏ん反り返る。

「あんたらに言われるまでもないっての! マティウスから取り返して、煽り散らかしてやるんだから!」
「もう、イリアったら……その口調は直していかなくちゃね?」
「でも、それでこそイリアだよ」
「フッ……それは重畳なことだな。さあ、そろそろ塔の近くだ。準備は万全か、お前達!」

 リカルドの言葉に全員頷き声を上げると、決意を表すように各々が自分の武器を手にした。もう、後戻りは出来ない。
 まさか塔に突撃するわけにもいかないので、少し離れた場所に着陸する。ハッチが開くと、相変わらずの砂嵐が舞う。外に出ると、争う音の嵐に呑まれた。

「これは……」
「うわ、酷……」

 塔までの長い道の途中、人間たちがぶつかり合っている。
 教団の白と王都軍の赤。剣で斬り合い、銃で撃ち合い、大砲が地を揺らし……今まで見て来た戦場とは比べ物にならないほどの惨劇が繰り広げられている。レグヌムとテノスとガラムは停戦協定を結んだので、レグヌム軍の兵力がここに集中されていると見て間違いない。
 どさり、どさり。普通に生きていれば見ることもないほどの屍が地に伏せていく。あまりの血の量や死の臭いに耐え切れず、内側のものが溢れそうになる。

「う……っ」
「ミルファ、見ない方が良いわ」
「フン、浅ましいことこの上ないな。創世力の価値すら知らぬ無辜の民の血を流させるなど……」

 眉をしかめるリカルドは呆れ果てたというように目の前の争いを見詰めた。ミルファの背中をさすっていたアンジュが彼に同意を示す。

「つーか、こン中掻き分けて行くのか……面倒臭ェな、ったくよォ」
「でも、行かなくちゃだよね」
「うん。……さあ、僕達の後始末に行こう!」

 こんな無意味な争いを終わらせるためにも、早く最上階に居るであろうマティウスの元へ行かないと。ミルファは震える身体を奮い立たせ、足を踏み出す。
 砂嵐のお陰で正確に敵か味方を判別出来ないのか、なんとか戦わずして塔の入口である大きな扉まで辿り着くことができた。リカルドが言っていたように、創世力がどういったものか知らない人たちが戦い、命を散らしている。なんて虚しい戦いだろう。一刻も早く最上階に行って創世力を手に入れないといけない。そう思い塔の扉を開いて中へ入ったとき、後ろから声がした。教団員と王都兵がフラフラになり、お互いを攻撃し合いながらも一行を追って来たのだ。

「うわっ、追って来よった」
「マティウス様の元には行かせんぞ!」
「貴様らのような賊に教祖の首は渡さん!」
「……なんて、酷い」

 憐れむようにアンジュが目を伏せた。教団は創世力を持つマティウスを守るため、王都軍は恐らく枢密院の命令でマティウスの首と創世力を手に入れるためにここに居るのだ。信念などは一切ない。文字通り、駒として動かされているだけ。彼らを不憫に思う気持ちはあれど、それは足を止める理由にはならない。
 スパーダが文句を言いつつスラリと剣を抜いた。

「……チッ、ぐずぐずしてるヒマはねェってのによォ」
「こんな所で足止めされてる訳にはいかないよ……!」

 ルカはブン! と大きく大剣を振るい、炎を発生させて兵たちを怯ませる。すると、異能者の賊だ! と塔の前で争っていた人たちが矢継ぎ早に駆け込んで来た。すると、教団員が怯えながらも一行に向かって魔法を発動する。しかしそれは大きく逸れて塔内の壁に当たり萎むように消えていった。

「こんな奴ら相手にすんのも時間の無駄だってのにぃ!」
「ならば……」

 リカルドが扉の前で群れる者たちに狙いを定める。ライフルに込められた弾丸に地の天術を宿すと、バンと撃ち出されたそれは大きな衝撃波を纏い地面を破るように進み、瓦礫と共に兵を一緒に塔の外まで追い出す。大きな瓦礫は扉の前に残り、しばらく人が入ってこられないように入口を塞いでいた。

「いちいち一人ずつあの世へ送るのも手間だ。これが一番効率が良い」
「さっすがリカルドのおっちゃん!」
「よしっ、さっさと行きましょ!」

 先の見えない長い長い螺旋階段は天まで伸びているのではと感じるほど。最上階を目指してバタバタと駆け上がりながら、ミルファは不思議に思った。塔の外では大勢の人間がいたというのに、中には誰も居ないのだ。嫌に静かで、一行の慌ただしい足音が響くばかり。

「……妙ね。ここまで人が居ないなんて」
「数人すり抜けて侵入していてもおかしくはない筈だが……」
「それだけ戦力が均衡してるってことでしょうか?」
「いや、それは考え難い。見たところ王都軍の方が戦力は上だった。このまま行けば王都軍が塔の中に押し寄せてくるだろう」
「ほな、なんで?」
「考えられるのは……」

 リカルドが言葉を続けようとしたとき、階段を壊す勢いで大きな塊が降って来た。――見たことのない魔物だ。獣の形をしてはいるが皮はない。黒々とした宝石を魔力で繋ぎ合わせて造られた異形の生物だと分かる。黒光りしているその身体はとてつもない強度を誇っているように見えた。獣を模っているものの実際にそうではないので、敵は明らかに一向を敵視しているものの唸り声を上げることはない。
 レムレース湿原で見た屍たちのように天変地異の影響を受けて生態系が変化したとも考えられるが、そんなことに拘っている場合ではない。黒い魔物は今にも飛びかかって来そうな状態なのだから。

「……みんな、気を付けて行こう!」
「ああ! っしゃ、蹴散らしてやるぜ!!」

 既に武器を手にしていたルカとスパーダが先制攻撃を仕掛けるため、敵の左右に回り込み斬撃を繰り出す。しかし、狭い階段を舞台としているせいで勢いを活かし切れない。

「クソッ、狭くてなかなか上手いこと決まらねェな!」
「うん、確かに……それに、あまり時間をかけるとこっちが不利になりそうだよ」
「ほんなら、真正面からゴツい一発食らわしたらええんやな!」

 エルマーナが軽やかにタンッと跳ねる。言葉通り真正面からぶつかるつもりだ。さすがにそれは危険過ぎると思ったミルファはサポートのために急いで天術の詠唱に入った。初級術でもないよりはマシだろう。

「覚悟しいや〜!」

 踵落としが頭部にあたる場所に直撃すると、連続の回し蹴りを繰り出し最後にアッパーカット! 華麗な連撃が決まったが、魔物は怯みはしたものの倒れない。それどころかエルマーナの手や足の方がダメージを負ったのではないかと思うほどにじんじんと痛んでいるようだ。

「なんやのん!? めっちゃ固い! いったぁ〜!」
「あんた何やってんのよ! どう見ても固いでしょーが!」
「飛んで、炎の弾丸――ファイアボール!」
「ダークレイザー!」

 エルマーナに攻撃が行かないようにと急いで放った火の術が当たる。炎弾は魔物の目元に命中し、熱さと痛みに悶える。――その瞬間を、リカルドは逃さない。ライフルの銃口から闇の弾丸が放たれ、黒い体躯に当たり爆発するように広がり炸裂した。それは確実に魔物の身体に傷を負わせていく。
 とりあえずエルマーナが怪我をしていなかったのでホッと息を吐くと、アンジュが駆け寄りエルマーナの手や足に回復を施した。

「攻撃の手を緩めるな!」
「了解ッ! 食らっときなさい! 氷の槍よ! ――フリーズランサー!」

 傷口を狙い、確実に仕留めようと一気に攻める。構えた拳銃の前に氷気を纏った魔法陣が現れ、そこから目の前に立ち塞がる魔物に向けて多数の氷弾が発射されて傷口に埋まっていく。そこからたちまち凍り付いていき、魔物の動きは鈍くなった。

「今なら行けそうだな、行くぜルカ!」
「任せて、スパーダ!」
「ふたりとも、援護するね! ……力よ、湧き上がって――アグリゲットシャープ!」

 二人に向かって攻撃力の高まる補助術をかける。刀身に宿っていく闘気と補助術が混じり合い、強度を上げていく。

「散れ! 烈風月華衝!」
「――烈風空牙衝!」

 前方回転で交差しながら斬り付け、ルカは最後に孤月閃を、スパーダは瞬迅剣を放つ。二人の攻撃で致命傷を受け、魔物は沈むように伏せて動かなくなった。繋ぎ止められていた力が消失したことで、その身体はバラバラと崩れ去る。
 魔物も倒したことだからとひとまず階段を上り切り、皆でやれやれと息を吐いたとき、おかしいことに気付くと同時にイリアが色気のない悲鳴を上げる。

「ぎゃぁあ!?」
「きゃあ!? どっ、どうしたのイリアちゃん!」
「なっ……なんか踏んだ! ……へ、兵士?」
「どういうことかしら、両方の兵が倒れているなんて……?」

 階段の踊り場――扉の前に続くそこにはアルカも王都も関係なくかなりの人数の兵が倒れていた。それ自体はおかしいことじゃない。おかしいのは、争い合った形跡がないことだった。彼らのものであろう、辺りに散らばる武具に血は付いていない。まるで、一方的に殺されたかのような……。
 一帯を濡らす血を目線で辿ると、扉の先から滴り流れているようだった。これらの惨状も、べとりと血で塗れた扉も、恐怖を煽るには充分過ぎる。

「……う」

 だんだんと体から血の気が失せていくが、鼻腔は血を感じているので妙な感じだ。死の臭いに当てられて、心臓が異様に強く内側からドンドンと叩いてくる感覚に襲われるミルファ。こんなときだというのに、加えて身体が痛み出した。この背中の痛みは。まさか。嫌な予感に一層顔から赤みが失せていく。

「とにかく、先に進まないといけないわ」
「この人らには悪いけど、創世力使われたらおしまいやもんな」
「み、みんな、気を付けて……!」

 この先に、きっと彼が居る。痛みが教えてくれるのでミルファはそう確信を持てた。
 青ざめて震える幼馴染の様子を見て、スパーダは剣を握る両の手にグッと力を込める。前世からの因縁の相手が、この先に――。そう思うと感情が昂りそうになるが、目の前のミルファを見て冷静を手放すことはない。灰色の瞳の奥で、ただ静かに、彼女を守るという決意が燃えている。

「お前は後ろに居ろ、ミルファ」
「……開けるぞ」

 リカルドが扉をグッと押し開く。重く開かれた先から眩しい光が差し込み、それに導かれるまま外に出る。飛行船からなんとなく見えていたが、外にも上へと続く階段があった。しかし飛行船から見たときとは違い、中で見た赤い水溜りが広がり階段や塔の外装を濡らしている。

「やあ、デザートの時間だね」

 もはや何度聞いたかわからない。ねとりと纏わり付くような、どこか感情の欠けた声。ピンク色の短い髪、フリルがあしらわれた服が風に揺られている。担がれている槍の切っ先は赤に染まっていた。

hitsujitohana