45.道化師との決着

 青い空を背に笑うこの男――ハスタの在り方は変わらない。北の戦場で出会ったときと同じようにへらりと歪な笑みで一行を見回す。

「待ってたぜぇ……ここからお前らが入ってくるのを食事をしながら。でもいささか粗食というか粗敵に食い飽きてしまいましてなぁ」
「ゲッ……出た……」
「子供の笑顔とオレの心の平和のために面白可笑しく殺されちゃってもらえませんか? オーケーですか?」

 イリアがもううんざりだという声を出しながらハスタを睨むが、彼はそんな視線を気にも留めずに愉快そうにゆらゆらと揺れている。いつも殺し合っているとは思えないほどの軽口はこの場に不釣り合いであること極まりない。
 血濡れで機嫌良く笑うハスタを見て、スパーダは不快感を露わにした。

「お前も創世力目当てかァ? 殺しだなんだ言ってるけど結局はその辺の俗物野郎と変わらねェな!」
「俗物? それはオレの母親の名前だ! なんで知ってんだよぉ?」

 スパーダの煽りを物ともせず、相も変わらず意味不明な発言を繰り返すハスタ。対話を試みるだけ無駄なのだと改めて思い知らされた。
 話が噛み合わず、不可解で――少し、怖い。ぶるりと震えたミルファは近くに居たルカの背中を借りてこそりと隠れようとした。しかし、そんな簡単にはいかない。当たり前のように、ハスタの瞳は完全にミルファを捕らえている。

「兎のお嬢さん! 呪いの味はいかがかな? イタキモチイイ? その背中、ちょ〜っと見せてくんない? 先っちょだけだから」
「っ……あ、あの……」
「ええわけないやろ!」
「そうね、そんなこと絶対許す訳がありません」

 エルマーナとアンジュがミルファを庇うようにしてハスタから隠す。しかし彼は意に関せず、諦めるとも諦めないとも言わず、別のことを話し始める始末……。饒舌なその舌は色々なことを語った。
 枢密院を殺したこと。マティウスを殺すために黎明の塔に送られたこと。オズバルドもこの地に来ていること。それから――全人類を殺そうと目論んでいること。
 縁起でもないが、この男ならやり兼ねない。一行は理解したくもないがそう確信めいたものを感じていた。
 べろり、と白い肌によく映える赤い舌で、頬に付いている赤の雫を舐め取るハスタ。その姿に、ミルファはぞくりと震え上がる。不気味さを感じ一歩後ろに下がった瞬間、何かが背中を這いずり回るような動悸が駆け巡った。

「っ……!? う、っ……!」

 やはりハスタの近くに居ると強く呪いが働いてしまうのだろうか。ミルファは激しく襲い来る痛みに蹲る。北の戦場のときよりも痛むその呪い。記憶も全て思い出しているせいなのかもしれない。

「ミルファ!? どうしたの!?」
「あ、やったぁ。目の前でまた苦しむ顔見たいなぁと思ったら痛みが行ったんだねぇ」
「悪趣味……ッ!」

 ミルファの肩に置かれているイリアの手と声が怒りに震えている。コーダが彼女の肩からミルファの脚へ飛び移り、心配そうに見詰めるので、すぐ収まるよと頭を撫でた。安心して貰おうとしたが、多分笑顔を作り切れていないのだろう。心配そうな表情が深まった気がする。

「あ〜……良いですなぁ。大変良いですなぁ。大変そそられますよ〜」
「ハスタ、お前は一体何がしたい?」
「……ンなの関係あるかよ」
「スパーダ兄ちゃん?」

 一歩、また一歩。スパーダが、名前を呼ばれても関係ないというように真っ直ぐハスタに近付いて行く。槍が辛うじて届かない位置で足を止め、灰の瞳でハスタを睨み上げた。鋭い眼光にハスタは臆することもない。

「前回見逃してやった分、ここで存分にぶちのめしてやる」
「ぶちのめされるのはお前だろ?」
「ハッ、抜かせ。――お前ら手ェ出すなよ。ミルファを頼む」

 真剣な表情で、双剣を構える。ベルフォルマ家の剣技と我流を兼ねた、スパーダだけの構え。双剣をしっかりと敵へ向けて捕らえるかのように見据えるその姿は、圧倒されるものだった。

「コイツとの縁、今度こそ最後にしてやる。覚悟しやがれハスタ!」

 スパーダが間合いを詰めるより先に、ハスタが地を蹴って大きく跳んだ。勢いよく槍が降り下される。それを、スパーダの双剣がガキン! と大きな音を立てつつも受け止めた。
 ギチギチと押し合うふたり。ハスタの勢いに押され始めるスパーダだったが、受け止めていた剣を思いきり振り、槍を弾く! それによってできた隙を逃さず、重い一撃よりも手数の多い攻撃を得意とするスパーダは確実にハスタを捉え、斬撃を加えていく。

「虎牙連斬ッ! ――驟雨双破斬!!」

しかし、ハスタは相変わらずなんてことないというあっけらかんとした表情のまま槍でそれらを防ぎ、躱し、受け流す。リカルドと同じく傭兵として戦場に出ていたような男だ――戦い慣れているのが、戦いの苦手なミルファでも分かった。

「ちぃっ……!」

 忌々しげに舌打ちをし、一閃、二閃と斬撃を放った後、回し蹴りを食らわすスパーダ。これは予想外の動きだったのか、防御が間に合わず顔面に直撃し、ハスタは派手に倒れた。――が、跳び起きてスパーダへと向かって行く。

「……あのハスタが押されているとはな」

 ミルファが痛みと共にハラハラしながら見守っている前で、リカルドがそう言葉を溢した。スパーダの戦闘力が高いのは分かっているが、ここまでとは、と。前世の記憶が全て在る今、天術の力もその身体能力の高さも以前とは比べ物にならないのだろう。
 感嘆する仲間たちをよそに、ミルファは心配が絶えず、剣と槍が交われば交わるほどに改めて自分の不甲斐なさを思い知らされる思いだった。
(わたしが痛みに打ち勝っていれば、みんなで戦えたのに……!)
 悔しい。スパーダに傷付いて欲しくないと思ってるのに、結局わたしのせいで……。と自分を責める。早く痛みが少しでも引くように、足手纏いにならないように、と願い、ぎゅうと痛いほどに手を握りしめていると見かねたイリアがはあと息を吐き、ミルファの手に手を重ねた。

「あんたのせいじゃないわよ、ミルファ」
「彼のけじめのためでもあるんだよ、きっと。多人数と一人は卑怯だって嫌味言われてたからね」
「……それにしても、相当痛みが酷そうね。少しでも楽になればいいのだけど」
「アンジュちゃん、ありがとう……」

 和らぐようにと治癒術をかけてくれているアンジュに礼を言う。先ほどよりは落ち着いて来た気もするが、それでも痛い。じくりとした痛みとドクドクとした焦りがミルファを支配していく。
 ――刹那、小さく鮮血が散る。スパーダの胸元が少し切れて、白いシャツが少し赤に彩られた。怯んで体勢が崩れたところを、ハスタの蹴りがスパーダの腹部に命中し、大きく後ろに飛ばされる――!

「っぐ、ぅ……!」

 本当にこのままなにもせずに居るの? スパーダを助けなくていいの? 自問しながらうるさい鼓動を止めるようにミルファは胸を抑える。
 けれど、ルカの言う通り――スパーダは自身のけじめのために、誇りのために戦っていることが分かる。彼の戦い方には怒りや私怨は感じない。そして、その闘いを邪魔することはできない、彼の誇りを穢すような行為は許される訳がない。だから仲間たちと共に見守るしかできないのだ。スパーダが必ず勝つと信じて――!

「イェーイ。お返しだポン」
「へっ……やるじゃねェか」

 スパーダはすぐさま立ち上がり、口の中の血を煩わしさを無くすように吐き出す。そして口の端から伝う血を袖で拭う。その表情はとても真っ直ぐで、憎しみで剣を振るっていない、折れない誇りのあるものだった。

「早くお前を殺して、そんで他の奴らも殺したら、兎ちゃんどんな顔するかなぁ?」

 ピクリ、とスパーダの眉が動く。快楽殺人鬼め、と心の中で悪態を吐くが、不思議なことに怒りはそれほど湧いてこない。信念のないものに心揺さぶられる必要はないのだと、やっと学ぶことが出来た。
 冷静になれ、と深く息を吐き、消え切らない血の味を口内に感じながら息を整える。上下に揺れ乱れていた肩は、呼吸と共に落ち着きを取り戻した。
 仲間も、大切な存在であるミルファも、誰も殺させやしない。自分が全て守ればいいんだと強く思う。――負ける気がしない。脳裏に映る、焼き付いて離れないビジョン――痛み震えるミルファと、槍に貫かれるルカに、決意はより強固なものになっていく。
 戦いに集中しながら、バルカンの思いもハルトマンの教えも変わらないことに気付く。そう、自分がどんな存在であれ、剣となり楯となり、信念に従い役目を果たせば“制する”ことが――大切なものを守ることが出来るのだと。
(もう二度と、こんな奴に傷付けさせたりしねェ!)
 湧き上がる力を実感し、スパーダは不敵に笑って見せた。

「……ンな簡単に殺されてやるかっつの」
「いんや、絶対殺す」
「ハン、余裕ブッこいてんじゃねェ――よッ!」

 スパーダの剣が鋭く振るわれる! 軽々しい口調で煽っていたものの、ハスタは先ほどまでと違い避けるだけで精一杯のように見受けられた。
 激しく繰り出される剣閃はハスタを追い詰めていく。確実に削られる体力を自覚した彼は、これ以上易々と攻撃を受けるわけにいかないと思ったのか攻めに転じた。

「ハスタキーック!」
「ッはぁ! 空破絶風撃!」

 ザン! と大きく薙ぐように一振りした一刀。すかさず二刀目が風を纏わせた突きを繰り出す。鎌鼬のように荒れ狂う風の斬撃がハスタを襲うが、数発は槍を振るい薙ぎ去なした。
 弾き、交わし――またぶつかり、お互いに相手の隙を狙う。奏でられていた金属同士の音が一層強く響いた。ハスタの強烈な一突きをスパーダは剣で受け止めているものの、力の差があるのか、徐々に後ろへと押されている。このままでは、押し切られてしまう。

「くっ……!」
「! スパーダ……っ!」

 ミルファは思わず身を乗り出し、祈るように強く強く手を組んだ。負けないでと、勝ってと願いながら。
 その思いが届いたのか――ギィン! と、スパーダがハスタの槍を弾いていた。
 ならば、とハスタは槍の柄を強く握り直し二撃目を繰り出そうとするが、それは叶わなかった。弾いた槍の刀身部分を、スパーダが踏みつけていたからだ。
 飄々としていて感情の在りどころのわからない、あのハスタが目を見開く。完全に意表を突かれたのだと誰にでも分かるほどに。

「いざ、参る――!」

 スパーダが、叫ぶ。洗練された溢れんばかりの闘気が宿り、その場を圧倒する。

「天地空、悉くを制す! 神裂閃光斬ッ!!」

 彼の繰り出す攻撃とデュランダルの美しい刀身が一瞬重なったように見えた。見切れる筈もない――それほどに研ぎ澄まされたような鋭い斬撃が襲う! そして。
 スパーダの剣は、見事にハスタの身体を貫いていた。剣を抜くと、つい先刻まで軽口を叩き身軽に動いていた殺人鬼の身体は、ずるりと力なくその場に倒れ込む。口や身体から流れた大量の血は、ハスタ自身が命を摘み取った兵士の血と混ざり合っていく。
 殺人鬼を見下ろすスパーダは刀身についた赤を振り落とすと、勝負ありと鞘に双剣を納めた。

「……オレの勝ちだ、ハスタ」
「負け……? オレが? し、死ぬのか……? やだな〜〜なんで、こんな奴、に……」

 血に濡れた手を空にかざして、ハスタは口元を歪ませて笑っている。ははは、と大きな口を開けるが、やはりどこか弱々しい。
 ……誰も、何も言わない。かけるような言葉が何もないからだろう。あるとすれば、今までの報いだ、という非情な言葉しかない。
(ハスタ、さん……)
 物語に現れる道化師は、愉快で優しくてみんなを笑顔にするものが多い。けれど、西の戦場で出会ったこの男は道化師のように笑顔を貼り付けているものの、それとは全然違っていた。血を好み、殺戮を好み、人が傷付いていることを好む。それが、ハスタ・エクステルミという人物だ。
 自分が逃げる隙を生むために、ルカを騙し傷付けた。たくさんの人を自分の欲求のために傷付け、多くの血を流させた。そのことを許せないし、許してはいけない。
 ミルファは、痛みを伴う恥辱を味わい、不可解なことをされ、怖いと思うことは何度もあった。それでも憎いと思ったことも嫌いだと思ったこともなかった。ただ、彼を寂しくて空しい人だと思っていたのだとミルファは今更悟る。
 死に逝く彼に対して出来ることは何もない。助けてはいけない相手だ。きっと、何度生まれ変わろうとも相容れない。例え助けようとも、彼の在り方は変わらず血に染まる道へと進むだろう。

「……! え……?」
「――……」

 血の海の中で倒れながら、ハスタはミルファをじいと見詰めている。仲間たちが庇い隠すが、視線はかち合ったまま反らせない。警戒するが、ハスタは力無く両手を広げるだけで何も出来そうになかった。抵抗する気もなさそうに、ただただミルファの赤い目を見続けている。まるで、こっちに来てというように。

「兎ちゃん……ちょっとこっち来てくんない? 最後のお願いだからさぁ」
「……最後の……」
「さすがのオレ様でも分かるさ〜。兄弟に負けたオレは弱かった。弱くて死ぬのは、当然の慣わしだ……」

 誰が兄弟だ、とスパーダは即座に否定する。
 ミルファは悩む。……わかっている、行くべきではないと。近付いてはいけないと。油断したルカを騙し討ちしたときと似ている状況――だが、ミルファはただ自分を呼んでいるだけだという気がしてならなかった。おぼつかない体で立ち上がり、ゆっくりと恐る恐るハスタに近付こうとする。

「バカッ……! 待てって!」
「でも……」

 行かせるかとスパーダがミルファの手首をグッと強く掴んだ。ルカの二の舞にならぬように。
 風前の灯火といった様子ではあるが油断ならない。大丈夫だよ、とミルファが言ってもスパーダは納得するはずもなく。それでも、ハスタを切り捨てることが出来ないミルファは引き下がるに引き下がれない。
 ……甘い。甘過ぎる。彼女の作るアップルパイよりも。怖いくせに、苦手なくせに、それでも消えない彼女の慈悲の心に少し苛立ちすら覚えるスパーダ。いっそ、怖いから嫌だと言ってくれればいいのに、と。
 ハスタを捨て置けず気にしておろおろとするミルファを目の前にして、スパーダはやれやれと深く溜息を吐くと少しずつ掴む力を緩めた。仲間たちも仕方ないと肩を竦める。

「……チッ、わーったよ。けど、オレも行く。それでいいな」
「うん……。ごめんなさい……ありがとう」

 納得のいかない様子のスパーダに、ミルファはハスタの声が聞こえる距離まで近付いた。彼女を傷付けることを許さないスパーダはふたりの間に阻むように立ち、再び剣を抜く。
 ハスタは再び目の前に現れたスパーダに「お前は要らないのに」と少し不満気に唇を尖らせたが、それ以上は何もしなかった。手の届く範囲にない槍を手にしようと伸ばすこともしない。何を考えているのか分からない上に、外されることのない視線にミルファは身震いした。首も背中も触れられているような感覚に陥る。
 彼の口が開かれるのをドクドクと緊張しながら待つ。小さく開いた口から、弱々しくもしっかりと言葉が紡がれた。

「名前、何て言うんだい?」
「……ミルファ、です」
「ミルファかぁ。……リリヴァと似てるや」

 まさか名前を聞かれるなどと思ってもいなかったミルファは呆然とするしかない。なぜ突然そんなことを? と訊ねそうになったが、言葉の続きを待つ。
 ハスタはもう一度空を仰ぎ、あーあ、と残念そうに声を溢した。その顔は全くと言っていいほどにそんな気持ちを宿してはいなかったが。

「気に入ってたのにな。リリヴァもキミも。特にリリヴァは苦しむ顔がすっごく綺麗でさァ……」
「……っ」

 遠く遠く、前世を懐かしむように語るハスタ。その内容は暖かさとは程遠い、歪み切った感性と執着。ミルファは理解できないといった思いを胸に抱き、それを口にする。リリヴァの苦しみは自業自得でもあるが、その苦しみが美しいだなんて……あまりにも可哀想で。
 恐怖と悲憤。その感情たちに溺れそうになり、思わず目の前に立つスパーダの背中にぎゅうとしがみついてしまう。

「ミルファ……」
「……。……わたし、には……理解できないです。自分の欲を満たすために人を殺してきたあなたのこと、許すことはできません」

 自分にはこの人の在り方を変えられない。怖くて、深く関わることができない。住む世界が違い過ぎる……けれど、存在を否定したい訳じゃない。理解することも許すことも出来ないが、それでも。ハスタなりに生きた道全てを否定して良いとも思えなくて――。誰か、彼を真に思う人がそばに居たなら、何か変わっていたかもしれない。全て憶測の域を出ないものだけれど。

「……でも、どうか安らかに眠って欲しいと思っています」

 自分に出来るのは、せめて苦しみ続けることないように願うことだけ。前世から続く因果で来世も血を求めることのないように、と。
(きっと、リリヴァさんもそう思ってるはず……)
 ミルファとリリヴァは前世と来世という生まれ変わりの縁であるだけで、同一人物でも一心同体でもない。けれど、彼女の記憶にゲイボルグに対しての恨み辛みはなかった。ただ、自分の未熟さに嘆いているだけだった。だから、きっとそうだと信じたい。勝手にごめんなさい、とリリヴァに心の中で謝りながら。

「――」
「ハスタ、さん?」
「……やっぱ、キミも欲しかったな」
「え……?」

 ハスタが血に濡れた手をミルファへと伸ばそうとするが、腕が上がらないようで力なくのたうつしか出来ない。血の海に浸る手は、もう二度と彼女に届くことはない。

「……あばよ。ザ・グッバイ……」

 それでも、なぜか満足そうにハスタは空を見上げながらゆっくりと目を瞑り、息を引き取った。人騒がせな殺人鬼が世を脅かすことはもうないのだ。

「ホンット、適当だし迷惑な奴だったわ」
「……うん、そうだね」

 ――安らかに眠ってください、とお祈りを済ませて彼の手を取り、そっと祈るように組ませた。
 先を急がなければならないため、ハスタを含めたここに眠る人たちの墓を作ることも出来ない。ならばせめて、と人の通り道から逸れた踊り場の隅にもたれ掛けさせる。ハスタを運び終えたリカルドは、ボソリと呟く。

「アイツを忘れる事は出来んだろうな」

 リカルドとハスタは同じ傭兵部隊に居たこともある仲だ。特段仲が良かったわけでも関わりが深かったわけでもないようだが、一癖も二癖もあるこの男が頭の中から簡単には消えてくれないとリカルドは薄く笑った。
 さあ。と、このまま塔の外側に留まっている訳にも行かないので先へと目を向ける。急がなければ。階段を駆け上がり扉からまた塔内部へと入ったが、中には誰も、魔物すら居なかった。兵力は全て下に集中しているのだろう。

「……つ、ッ」
「スパーダ、大丈……、っ……? え……??」

 突如、痛みに呻いたスパーダに駆け寄ろうとするミルファだが、その途端、するんと身体が軽くなった。どういうことなのか分からず、痛みから取り残された反動のようにふらりと身体がぐらつく。そんなミルファの身体をアンジュがそっと支える。自分でもよくわからない感覚を伝えると、念のために身体を確認しておこうと言われたのでコクリと頷く。

「さ、男性の皆さんは見張りをお願いしますね」
「仕方ないから、あたしが治療してあげる。感謝しなさいよ? スパーダ」
「ハッ、そりゃどーも」

 扉から少し進んだ螺旋階段の付近で、おずおずと服をはだけさせる。ルカとリカルド、イリアと、治癒術を受けるスパーダが見張ってくれている。また魔物が突然現れては危険だからだ。
 覗くんじゃないわよ! 誰が覗くかよ! というやり取りを耳にしつつアンジュに診て貰うと、彼女が息を飲むのがわかった。どうかしたのか聞いてみると、その問いの答えなのか独り言なのか、繋がっているようで繋がっていない言葉が返って来る。

「……驚いたわ、呪いが消えてる」

 その言葉は全員を驚かせるのに十分過ぎた。消えるはずがないと思っていたものが突然消えたのだから。
 エルマーナが真っ先にぴょんとミルファに飛び付いて喜びを表し、コーダもそれに続いた。ふたりに揉みくちゃにされてミルファはありがとうと言いながら目を回している。少し離れた場所にいるスパーダ達も、四者四様、喜びと安心を溢していた。
 これから痛みに襲われることも、仲間を心配させることもない。それは安心だが、疑問も残る。リリヴァにかけられた黒き侵食はゲイボルグが消えても呪いが消えることはなかったというのに。あの魔槍は死後にも続く呪いをかけたのだから、それが今世でも蘇った今、背中にあった黒い亀裂は生涯消えないとさえ思えたのだが――。
 いそいそと服を直し整えるミルファに、アンジュは憶測だけれどと前置きをして考察を語る。呪いが消えたのは、最後のスパーダの渾身の一撃がゲイボルグの魂を斬り裂いた為だろうと。

「ええっ、そんなことあり得るん?」
「だから言ったでしょう? 憶測だって。話を戻すけど、ゲイボルグの魂だけでなく、ハスタさんの執着も消えたからだと思うの」
「しかし、死んだからかー?」
「いいえ、きっと違う。ハスタさんの方は……ミルファ、あなたのお陰じゃないかしら」
「わ、わたし……?」

 戸惑いながら疑問の声を上げたミルファに、アンジュは頷いて憶測の続きを話してくれた。

「そう。あなたが最期にあの人と向き合って、本当の彼と接したから」
「本当の、ハスタさん……」
「その証拠が、満足そうにしていた彼の顔じゃないかな? 殺しや血以外で何か満たされるものがあって、それで執着に縛られることもなくなった……。だから、呪いが消えた」

 本当にアンジュの言う通りなら、ハスタは前世の柵から解放されたことになる。例え、ほんの少しだったとしても。彼が血にまみれた人生を望んでいたならお節介でしかないが、それでもいいとミルファは思った。
 もし本当にこの憶測が事実だったなら、ロマンチックよねとアンジュは笑う。しかし、そんな都合のいいことあるだろうか? とみんな首を捻ったが、アンジュは言う――真実はもう誰にも分からないと。確かめようがないのだから、幸せな考え方をしても良いんじゃないかな、そう言って神に問いかけるように手を組み祈りを捧げる。

「神様もお許しになって下さるわ、きっとね」
「うん……そうだといいな」

 アンジュの考えに、ミルファは小さく微笑む。
 彼がただの殺人鬼としてその一生を終えたわけではないのなら、人間らしい一面もあったのだと思えたら――それは、聖女の言う通り、幸せなことだと考えたのだ。

hitsujitohana