48.最終決戦
「……いよいよだね」
最後の螺旋階段へと足掛け、ルカが仲間たちを振り返った。その顔には緊張が滲み強張っていたが、それを解すかのようにイリアが背中を軽く叩く。
「ルカ、しゃきっとしてよね!」
「安心しろよ、全員オレが守ってやっから!」
「あはは……頼もしいなぁ、ふたりとも」
「準備は万全か? 引き返すなら今だぞ」
リカルドの言葉にイリアとスパーダが意気揚々と「冗談!」と声を合わせて言い放った。
やる気充分といったふたりとは裏腹に、エルマーナは気怠そうに深く長い息を吐く。
「は〜、これ上り終わったらやっと仕舞いかぁ。正直しんどかってん」
「コーダ、お腹空いたぞー。何か食べ物ないのか、しかし」
「ふふ、サンドイッチなら残ってるわよ」
「ウチも食べる〜! 腹が減ってはなんちゃらって言うしなっ」
小さいケースに入ったサンドイッチをエルマーナとコーダが食べ尽くす。相変わらずのマイペース具合に当てられたせいで緊張感が抜けていく。今から重要な戦いに向かうというのに。
ゆっくり食べてる時間があれば良かったのにねとアンジュが笑い、ルカもミルファも釣られてくすくすと笑みをこぼす。しかし、ルカはやがて神妙な面持ちになっていき押し黙ってしまった。
サンドイッチが欲しかったのかとエルマーナとコーダが様子を窺うが、そうではない。自身の手を見つめ、グッと強く握ったかと思うと、彼は言葉を絞り出した。
「マティウスを殺すんじゃなく、倒すだけに留めたいな」
「……フン、甘い事だ」
「ルカ兄ちゃん、ホンマ優しいなぁ。ウチはどんくらい知りたたいたろか考えとったわ」
「同じアスラの魂として、違う道も選べるって知って欲しいと思ったというか……」
「そう、だね……出来るなら、命の奪い合いなんてしたくないよね」
ルカはハルクスの話を聞いたときに思った。自分は素敵な家族と最高の仲間や友達に出会えた、自分は縁に恵まれたのだと。けれどマティウスにも彼女を大切に思う人が居る。それならば、生きてこの世界を知って貰うこともひとつの道なのではないかと。
ルカの優しさはきっと間違いじゃないとミルファは思った。マティウスの願いはアスラの恨みから来るものだけではなく、苦しみや悲しみもあってのものなのだろう。孤独ではない。今のマティウスの幸せを願う人もいるのだと知って欲しい――彼女はそう願う。
ルカとミルファの言葉に、仲間たちはやれやれと顔を見合わせる。結局全員甘いなとリカルドがフッと自嘲的に笑うが、ようは創世力を使わせなければいいことで、命を奪うことが目的ではないのだ。
油断はしてはいけない。手を抜いてはいけない。その上で命を奪わない選択が出来るかは可能性の低い話ではあるが――あくまでもひとつ選択肢が増えたということで、全員が納得する。
目の前で聳え立つ大きな扉に、ルカが手を触れて仲間たちを振り返ろうとした瞬間、扉越しに声が聞こえて来た。女性ふたりの話し声――マティウスとチトセの声だ。しかし――。
「どうかしたか? ルカ」
「なんだか、中から悲痛な声が……」
「さっさと開けましょうよ!」
重い扉をググッと押し開いた先には、広間があった。その奥に光輝く創世力と小柄な少女がふたり。創世力がまだ輝きを失っていないのを見るに、どうやら間に合ったようだ。
マティウスがミルファを見て美しい顔を喜びに歪ませた。
「ああ、間に合ったようだな。今こそ争いのない世界を見せてやるぞ、リリヴァ」
「マティウスさん……」
前世の名前を呼ぶ彼女を目の当たりにして、身体全体で感じ取った。ハルクスの言っていた通り、マティウスは前世に囚われて現世を生きていないのだと。
マティウスはチトセに向き直り、自身の胸を強く叩いてグッと詰め寄る。
「さあ、チトセ……私を殺せ! そして創世力に世界の破滅を願え!」
自分を愛しているというのなら、力を使うことで証明しろ。そう言われ、チトセは苦痛に顔を歪ませた。
嫌な予感は的中してしまった。マティウスはセンサスに伝わる創世力の使い方を用いてチトセに創世力を使わせようとしているのだ。厳密には、アスラのことをずっと慕い続けるサクヤの魂を持つチトセに。
「……あ……愛して、います……。で、でも、私には……できません……っ、アスラ様を殺すなんて……」
「好きな人を殺せるわけないじゃない! なんでそんなことも分かんないのよ!?」
カタカタと震えながら小刀を握り締めるチトセを見て、イリアが声を上げた。思い通りとならない声に、自身を非難する声に、マティウスは不快そうに顔を歪めて睨み上げると、愛したから愛せというのは過分な要求だと吐き捨てる。
苛立ちを抑えられない彼女は、イリアを指差して問うた。
「ならば、イナンナはなぜ愛していたアスラを殺した? 愛していたというのに殺せたではないか!」
「……そうか。それが君の生まれた意味なんだね」
「なに?」
ルカは言った。マティウスこそ、アスラの後悔だと。愛し、信じていた者たちを信じ切れず全てを滅ぼしたくなるほどに悔いた、アスラの魂の生まれ変わりなのだと。
自分がアスラの主体として生まれ変わった存在だと思っているマティウスは、それを認めるわけにはいかなかった。けれど、それならばなぜ自分はこんなにも世界の滅亡を望むのか。魂に刻まれた負の感情たちのせいだと認めればそれはつまり、ルカの言葉こそが、彼こそがアスラの真実ということになってしまう。
認めてたまるか。そんなもの、偽りだ! 全てを拒絶するかのようにマティウスは咆哮する。
「ならば……リリヴァ、私が愛するお前を殺して力を使うとしよう」
口元に弧を描き、こちらへと手を伸ばすマティウスを前にしながらミルファは思う――悲しい、と。なぜ天空城でマティウスが自分を手籠めにしようとしたのか分かった気がした。マティウスは、創世力を使う手段を複数保持しておきたかったのだ。それほどに、悔恨の魂は彼女を滅びに執着させ、導こうとしている。そんなこと、させてはいけない。だから決して、首を縦には振らない。
「あなたたちは、今世を生きようとしていない。前世に囚われて、今を見てない。誰のことも愛そうとしてない」
「何が言いたい……?」
「マティウスさん。きっと、今を生きているわたしたちは、現在のためにしか力を使えないよ」
己の魂に刻まれた痛ましい恨みだけを信じ、本当の心に蓋をして、前世の固執して生きてきたマティウス。その彼女にこんなことを告げるのは酷だろう。しかし――前世で生きた神は自分そのものではなく、違う一個人だ。例え魂が巡り巡ったとしても、それは別の人物の魂を宿した別人。現世に生まれながら現在を生きていない者にはきっと、創世力は使えない。
「お願い……もう世界の崩壊なんて望むのはやめてください!」
「グゥッ……! そんなものは惑い事だ! チトセ! 早く私を! 私を殺せぇ!」
ミルファの言葉を否定することが出来ず、追い詰められていくマティウス。なりふり構ってなどいられず、チトセに再度命令をする。
チトセは迷いの中に居て、マティウスの言葉に応えられない。愛する人を殺したくない。けれど、その愛する人が初めて自分にしかできないことを求めている。求められたことが嬉しくて溜まらないのに、応えたくない。どうしたらいいかなど、簡単に答えが出ない。矛盾した願い同士のぶつかりは、どうしたって自分を苦しめるものだから。
「っ……、う、ああああああッ!」
「だめっ……! チトセちゃ――」
自棄になったように叫び、縋るように握った小刀を想い人の魂を持つ彼女へと振りかざすチトセ。
阻止するため駆け寄ろうとしたところで影が横切ったかと思うと、カンッ、カン、と音を立てて小刀が床を舞う。
「やめなさい、チトセ」
「ハルクス……!」
影の正体はハルクスだった。息を乱し、脂汗が額に滲んでいることから、無理をして駆け上がって来たのだとわかる。
手首をはたかれたチトセは、究極の選択から逃れられたと思い明らかに安堵し、立っていることすら出来ずその場にへたり込んでしまう。
「なぜ邪魔をする! ハルクス!」
「マティウス様……人は皆、幸せになる権利があるのです。それを貴女はどういう理由であれ壊してはいけない」
「そんなもの、知ったことか!」
空虚な叫びは誰の心にも響くことはない。意志も信念もない彼女を憐れむしか出来ないミルファがマティウスただ見詰めていると、リカルド重く深く息を吐いた――もう諦めるしかないぞ、と言うように。
どういった方法を用いてでも破滅の願いは阻止しなければならない。マティウスの心はもう、言葉だけで説得出来ないほどには深く沈んだ場所に在るのかもしれないとミルファは思う。
自分を打ち倒そうとする意志を宿した瞳たちは、今の教祖には苛立たせるものでしかなかった。
「貴様ら如きに、天を統べし魔王の力を受け継いだこの私が止められるか?」
「止められるよ。だって僕は、ひとりじゃない……仲間が居るんだ」
アスラが前世で手に入れられなかった、絆。それが今のルカにはある。大切な仲間たちとの絆のお陰で、今の彼は俯かずに背筋を伸ばして立っていられるのだ。
世界を守ること――それだけは譲れない。決して譲ってはいけないのだ。
平和な未来をみんなで迎えたい。その願いの為にも自分の力をみんなと一緒に奮いたい。ミルファはぎゅっと手に力を込めて、決意を胸に一歩前へ足を進める。
「滅びだけが救いなんてこと、絶対にない。マティウスさんが悲しい思いをしなくていいように……世界を守るために、もう、創世力を巡る戦いを終わらせなくちゃ」
「そういうこった。さァ行くぜ、お前ら!」
「モチよ!」
仲間たちが次々と武器を構えていく。その姿を見て、ルカは負ける気がしないと思った。過信なんかじゃない、ただ、自分たちの思いの強さを信じて。
希望を信じて疑わない光に当てられたようでマティウスはじくじくと己を蝕むかのような感覚に襲われる。不快だ。不愉快でしかない。そうして放たれる地を這うような低く重い叫びで力を最大限に放出した。強大過ぎる力に押し負けそうになるが、精一杯踏ん張って耐える。
「っ……! なんて力なの!」
「てか、なんか見た目変わってるやん……!」
エルマーナの言う通り、マティウスの姿は徐々に変異し、アスラとイナンナを融合させた異形となっていく――。その手にはデュランダルを模した大剣が握られている。そこにはもう人間の面影などありはしなかった。アスラの絶望を可視化させた本当の姿だと思わざるを得ないほどにあまりにも異質で、その場に居る全員が息を飲む。
「天地のみんなのため……僕らは負けない!」
負けじと叫ぶルカが大剣を構え、大きく振りかぶる。それが最後の戦いの合図となった。
剣と剣が押し合い、術や銃弾、様々な攻撃が飛び交い、その身に傷を負っていく。
「お……のれェェェ!」
ルカの剣が、変わり果てた彼女の体を斬りつけていく。痛みはあるようだが、怯むことはないマティウスは真っ向から模した聖剣を振り回している。その剣技はまさに魔王アスラそのものだった。記憶の場や夢で見た、センサスの将である彼の強さを直に体感しているような感覚だ。
「レイジングハントッ……!」
リカルドが死角から弾を撃ち込んでいく。装填する時間すら惜しいと言いたげだが、極めて冷静に戦況を判断しながら。
たったひとりだというのに、未来へと立ちふさがる異形の力は数で勝るこちらを押し通そうとするほどに強い。それでも、誰も諦めようとはしなかった。
「フレイムランス!」
自分が前線に出たとて力負けしてしまうことは明白だ。そう思ったミルファは後方からの援護に徹する。彼女の詠唱により炎の剣が現れ、命が継ぎ接ぎにされたような魔王の異質な身体を捕らえ、その身を焦がしていく。
「ぐぅ……ッ!」
「今ッ……! アサルトバレット!」
やっと怯んだその隙を逃さず、イリアが弾丸をこれでもかと撃ち込む。しかし、弾は確かに身体に沈んでいたというのに、不要な物を押し出すように弾丸を体外へ落としていっていた。カラカラと軽い音を立てて床を転がる弾丸を前に、イリアはリボルバーを引く手を止めない。
「あんたの思い通りなんかにさせない! あたしはあたしの人生を歩むの、そのためにもあんたの野望なんか叶えさせないんだから!」
「イリア姉ちゃん男前やなぁ〜。ウチかてあの子らのためにも、ここで負けるわけにはいかへんっ!」
止まない弾丸の雨をその身に受けながら、マティウスは弾が切れる頃合いを伺っているようだった。彼女の思惑通り、やがて銃は一度に補充できる分の弾を全て出し切った。だが、反撃を許してはいけない。懐に潜り込んだエルマーナは怒涛の殴打を容赦なく叩き込む――! しかし、さきほどから攻撃を真正面で受けてしまっている少女の身体はもうボロボロだった。
ミルファが天術による回復を施そうと思った矢先、アンジュがすでに回復術を唱え終わっており、エルマーナの傷が少しずつ塞がっていく。
「どんなに傷付いても、わたしが治してみせる。わたしにきちんと現世での生き方を教えてくれたみんなを、傷付けさせない!」
「よく言った、セレーナ」
アンジュという雇い主の決意に応えるように、リカルドが重い弾をマティウスの腕に沈ませる。そして生まれた隙を聖女の光の術が貫く! 至って冷静なふたりのコンビネーションは旅の中での戦いを思わせ、仲間たちを安心させてくれる。
攻撃を一身に受けるマティウスの動きは少しずつ鈍くなっていた。そのことに自分でも気が付いているのだろう。彼女の堂々たる自信や傲慢さは徐々に引き剝がされている。
「ッこ、のォオオ!!」
「ガキのお守りもこれで最後だからな。俺なりにやってやるさ、コイツらの未来のためにもな」
「へっ、なにカッコつけてんだよリカルド! ――エアスラスト!」
スパーダの風の天術が炸裂し、風の刃が縦横無尽に荒れ狂う。
彼が援護に回るなど珍しいが、自分が今どう動くべきかをきちんと判断できるほどに成長した結果といえる。よく、突っ走り過ぎだと言われてしまうが、それでもスパーダの特攻力があるからこそ、仲間たちも下を向かず前へ進んで来られたんだと改めて感じさせられた。
「オレには守るって使命とか約束とかあるからな。こんなとこで邪魔されるわけにゃいかねェんだよ!」
「……絶対負けない! 僕らは、この世界に生きるみんなのためにも負けられないんだ!」
ルカとスパーダの意志に、連携に、マティウスは苦虫を噛み潰したような顔をした。忌々しいと言いたげに。
「お前たちのような害虫風情に……なにができるッ!」
勝たなければ、という両者の思いがぶつかり合い、互いの身を削る。もはや立っているのもやっとなほどだった。
一瞬の隙が負けに繋がる。集中力を欠くわけにはいかないこの戦いで、マティウスの焦りや苛立ちがそれを生み出し始めている。
(身体が痛い……。でも、負けられない!)
膝を付きそうになるミルファだが、ほとんど意地で立っていた。放ち続けた天術により精神力はかなり削がれてしまっている。満身創痍の仲間たちに範囲回復術を施すと、ついに膝が崩れてしまった。
「う……っ」
「ミルファ!」
「大丈夫、まだ……いけるよ……っ!」
地に刺したレイピアを軸にして立ち上がったそのとき、勝負を焦ったマティウスが全力を込めた一撃を放とうと天術の力を大剣に宿し、大きく薙ぐように振り払う。生じた大きな隙を、ルカとスパーダが突くために駆ける!
「ここで決める……!」
「ああ、行くぜ!」
マティウスを挟むように左右に分かれた彼らは、容赦なくその体に斬撃を浴びせていく。苦しみ、膝を付いた彼女との勝敗はもう決していた――はずだった。
魔王の悔恨……その執念は、想像の範疇を超えていたのだ。
「ウオオオオァァ!!」
人間のものとは思えない咆哮が体を怯ませる。そのほんの一瞬。マティウスは、ルカではなくスパーダを視界に捉えていた。
もう動けないほどに傷を負ったはずのマティウスの決死の一撃が今まさに、振り下ろされようとしている。血を各所から吹き出しながらも動くその姿はまさに鬼神――否、もはや悪魔のようで――スパーダはその気迫に押し殺されそうになる。迎え撃ってやりたいのに、相殺したいのに、動けないこの一瞬はとても長く感じられた。
「……ッ!」
「スパーダ!!」
ルカや仲間たちの叫びが響いたかと思うと、ミルファは自身の目の前の光景がゆっくり、ゆっくりと動いていくような奇妙な感覚に襲われる。
今まで彼と過ごしてきた思い出――話したこと、触れ合ったこと、嬉しかったこと――他愛ないことから大きなことまで全てが走馬灯のように駆け巡った。そうして、頭の中が、ひとつのことで埋まる。
――このままじゃ、スパーダが、死んでしまう。
「……スパーダ……っ!」
いやだ、いやだ、いやだ。約束したのに、指切りだってしたのに。全部終わったら、スパーダの話を聞くって。
どうしたらいいか、なんて浮かばなかった。ただ、体が勝手に動いていた。
いつも彼が掛けてくれた言葉を、昨夜、星空の下での会話を思い出す。スパーダはいつも、守ると言ってくれた。誓いを立てるかのように、何度も、いつも。だから。
(わたしも誓ったもの。わたしが、スパーダのこと、守るって)
目の前に飛び出したミルファは、一瞬安堵したように頬をいつものように綻ばせる。少年が少女の名を呼ぶ間もなく、放たれた一振りは無情にも少女の身体を斬り裂いた。