06.道化師と兎

 ガラム軍の撤退により、ひとまずこの場はレグヌム軍の勝利となった。もうここに用はない。チトセが拠点まで案内をしてくれるとのことだったので、彼女に続いて来た道を戻って行く。
 ルカとイリアは少し遅れて後ろから付いて来ていた。よく見れば、二人とも表情がさっきまでと違い表情が少し和らいでいるのできっと仲直りが出来たのだろう。

「……スパーダは、すごいね」
「あ? 何だよ突然」
「だって、ルカくんに……その、良くないことだって伝えようとしてたでしょ?」

 震えて涙を堪えるしかなかった自分とは大違いだ。ミルファは自身のあまりの不甲斐なさに少し落ち込んでいる。あの場でイリア以外何か言えた訳ではない。それでも気を落とすのは、何も言葉が浮かばなかったからだった。……純粋に尊敬しているし、羨ましかったのだ。自分に出来ない事をやってのけようとする仲間のことが。
 わたしってだめだなぁと笑う彼女を見て、スパーダはミルファの考えていることが概ね分かった。昔から何か辛いことを見せないようにするときは誤魔化すように愛想笑いをする、無自覚な癖。分かりやすい癖だ。
 何と言うべきか、と思い、間を保たせる為に「あー……」と髪をガシガシと乱しつつスパーダは言葉を探す。

「……まあ、純粋にムカついたのもあるぜ。お前はそういう、誰か個人を不快に思うとか無いからな。なんでこうなったんだろう、自分に何かできることはないのか、とかそっちに考え巡らすだろ」
「う、うん……」
「単純にさ、考え方が違うだけだ。お前はルカ個人に対して怒りは湧かなかった。でもオレは、何押し負けてんだって腹が立った。その違い」

 ルカへ、……自分へ、怒りは確かにあった。嫌悪ではないが、胸がざわざわしたのだ、あの時。前世で親友だった男の、今の仲間であるルカの、闇へ負ける姿に。
 人には性格や得意不得意、適材適所がある。……ミルファは優しい。彼女には人を疑うとかなじるとか、そういったことは似合わない。むしろスパーダはミルファのその優しさを尊敬しているのだ。
 ……だが、何か。もやのようなものが胸に痞えている。彼女の世界が広がりつつあるのは喜ばしいことなのに、とスパーダはその焼けるようなどうしようもない焦燥に気付かないように蓋をした。

「あんま気にし過ぎンな」
「うん……ありがとう、スパーダ」

 髪をくしゃりと撫でられ、ミルファはお礼を言いながら小さく微笑む。
(もっと、しっかりしなくちゃ……)
 ただ嘆いて泣くだけなんて、無力だ。戦うと決めて自ら戦いの盤上に立ったのだからしゃんとしなければ。頑張ろう、と小さく手を握り拳を作る。
 途端、何か焦げた臭いが鼻腔をかすめた。火薬や血、油……醜悪なものたちを押し除けて漂う新しいそれは、草木が焼かれるものだった。
 ──燃えている。正確には、陣営の方から火の手が上がり、森全体へ火が移ろうとしているところのようだ。
 警報音が森に鳴り響き、バタバタとレグヌムの兵士やアルカ信者が拠点へと駆け戻って行く。こんな場所で偶然なぼや騒ぎなど起こる訳がない──であれば、これは。
 全員で顔を見合わせて、戻ろうとアイコンタクトして頷いたあと、ばたばたと急いで拠点へ向かう。

「あれ……?」

 緑の覆い茂る景色が続く中、ふとミルファの目に草木の中の人影が覗く。王都兵の軍服でもガラム兵の軍服でもなかったため、アルカに入信した人かもしれないと考えた。もしもチトセのように奉仕活動をしている最中、奥地まで来てしまい迷ってしまったんだとしたら──。
(ごめんみんな、すぐ追い付くから!)
 見なかったことに出来ない。しっかりしようと思った矢先にこんな行動に出てしまい、自分を馬鹿馬鹿と脳内でぽかぽかと叩く。
 方向転換をしてみんなから離れ、横脇の草むらに割り入る。陣営から離れた場所に居る人影の方へ走って向かったが、一向に追い付かない。ふらふらと歩いているからすぐに追いつけるかと思っていたが、意外に速くて追い付くのが遅くなってしまった。

「あ、あのっ……! 大丈夫ですか? アルカの方ですよね……陣営の方に戻りましょう?」

 敵じゃないということを分かって貰う為、出来るだけ落ち着いて声を掛けたつもりだったのに、走っていて急に止まったので息が乱れてしまう。その対応は、間違いではなかった。──相手が、敵でなかった場合は。
 白のフリルがふんだんに施された服に明るいピンク色の短い髪をした男性が、ゆっくり、ゆっくりと振り返った。そして初めて気付く。武器を──槍を持っているということを。
 軍服を着ていないから敵か味方かはわからなかったとはいえ……油断した。戦いが終わったのだと。一人で離れて、その相手が敵意を持つ者だったら──なんて考えもしなかったのだ。やはり、まだまだ甘かった。ミルファは自分の甘さと愚かさに唇を噛み締める。
 嘆いている場合じゃない! そう自分にそう言い聞かせ、レイピアを抜こうと柄に手をかける──けれどそれは。

「おーっと、初対面のオレに剣を向けようとする無礼な人みーっけ。そんなキミには罰を与えるりゅん」

 目の前に居た筈がいつの間にか気配も無く至近距離まで近付き、ミルファの耳元で低く囁く男の手に腕を掴まれて遮られた。
 血の気が引いていく。いつの間に、どうして、どうやって、どうしよう。色々な思いがぐるぐると駆け巡って正常な判断が出来ない。やっとのことで出た声は、酷く震えており、微かな声量だった。

「罰……って」
「……アレ? キミから何か感じるなぁ……。なんだっけコレ、懐かしいっていうんだっけ?」
「わ、わたし、あなたに会ったことないですけど……」

 失礼だとは判っているが、こんな変わった人と会ってたら忘れることないとミルファは思った。一度会ったら消えることのないインパクトが感じられるからだろう。へら、と口角を上げるが目は笑っていないその笑顔は、道化師の化粧のようで、感情が読めない。
(どうしたら、いいんだろう。一人じゃきっと……ううん、絶対に勝てない)
 なぜならミルファは剣を鞘から抜きはしたもののまだ生身の人間相手にその真の剣先を振るったことがないからだ。その上、こんな息のかかる程の至近距離で武器を握る右腕を抑えられていて逃げられる訳がない。男性はひょろりと細く、軽くミルファの腕を掴んでいるように見えるだろうが、実際はびくともしない程の強さで捕われているのだ。
 桃色髪の男性はじっと彼女を見詰め、何か閃いたように気怠げな目蓋を少し大きく開く。僅かではあるが何か楽しそうにしていて、ミルファは不思議に思い首を傾げた。

「うん、やっぱり殺すのやめた。ちなみに逃げようとしてもムダだからヨロシクです」
「! ……きゃあっ!?」

 殺すという言葉に驚愕し、急いでその人物から距離を取ろうとしたが、無駄だった。腕を掴む力を強められて逃げられない。それどころか体を雑に持ち上げられたかと思うと肩に担がれてしまう。
(な、何がどうなってるの……!?)
 ぐるぐると今の状況を整理してみるが、何も分からない。何故自分が今この男性に担がれているのか……殺すのを辞めたのは何故なのか。軍服を着用していない為ガラム兵ではないと思われるがそれも確かではない。
 とにかくまず降ろして貰って、それから話を──いや、それでは火の森に焼かれて共倒れになる。ああもうどうしたら。うんうんと考えていると急にふらふらと景色が揺れた。男性が足早に──リズミカルに跳ねて歩みを進めている。鼻唄まで歌って、まるでピクニックに来たかのような楽しげな態度に目をぱちくりさせるしかない。こんな場所にピクニックだなんておかしな話ではあるが……。

「ここの奴ら弱すぎだから殺すの飽きたんだよねー。だからリカルド氏で楽しもうと思うんだぷー。オレ天才」

 リカルドというのはこの男の知り合いなのだろう。だが、そんなことよりも。この森の中に居た人を殺していると言った。レグヌム側なのかガラム側なのか分からないが、もし、それよりも最悪な場合──無差別に殺しを行う人間だとしたら。一人じゃなく、自分達のように仲間が居るとしたら。
 皆が危ないかもしれない。早く逃げて、仲間の行かないといけない。ミルファは焦りつつも、下手に暴れると何をされるか分からないため言葉で説得するしかないと思い、降ろしてと懇願した。しかし話を聞いて貰えない。聞こえているのか疑わしい程、ミルファの声にピクリとも反応せず前へ前へと進んでいる。
 人に強く物を言えないミルファは、話を聞いて欲しいがどうしたらいいのかと困り果ててしまう。うう、と項垂れていると、肌を纏わり付く熱と草木などが燃える臭いが近くなって来た。もしかしなくても、拠点が近い。この男はそこへ向かっている。このまま行けば戻れるが、ルカ達やリカルド氏という人達と鉢合わせることになり、危ないのでは。
 ミルファはもう一度、二度、降ろしてくれるよう頼む。すると男は気に触ったのか少しむっと唇を尖らせると、太股を掴む手に力を込めて爪を食い込ませ、ギリッと鈍い痛みを彼女の身体に走らせた。

「……っ! いっ、……!」
「うるさいからちょっと黙るぴょろ」

 痛みに悶え、目にうっすらと涙が滲む。そんな彼女の反応がお気に召したのか、男性は一転至極愉快そうに口元を歪め笑った。
 一歩間違えれば死ぬが、暴れて抜け出した方が良いだろうか。などと考えていると、真っ赤な火の海になっている拠点がミルファの瞳に映る。皆はもうここに戻って居るのだろうか。出来ればここから逃げていて欲しい。こんな中に居るのは危険極まりない。
 熱さも酸素の薄さも関係ないというように男性が火の中へと向かって行く。呼吸がし辛くて口元を抑えながらひとつむせるように咳を溢す。

「あ。リカルド氏はっけ〜ん」

 男性の知り合いであろう名を聞き、ミルファはハッとして顔を上げた。担がれている彼女は今、担いでいる本人とは真逆の方を向いている。どんな人だろうかと後ろを見て見ると、銃を構えて漆黒の長い髪を下の方で一つに結んだローポニーテールが特徴的な黒衣のコートの男とそれに対峙しているルカたちも見える。──恐らくこの人物がリカルドだと推定出来た。
 チトセは居ないようだったが、恐らくアルカ信者は兵力ではないから避難したのだろう。
 ミルファを担ぎながらふらふらと近付いていた男性はぴたりと足を止め、抑揚のない声で対峙している彼等の緊張感をぶち壊して割り入った。

「やあやあ楽しそうだねぇ。オレ抜きで楽しそうにされちゃうと嫉妬の念を憶えちゃうんで全てをぶち壊してオーケーですか?」
「あんた誰……──って、ミルファあんたどこ行ってたのよっ!?」
「ご、ごめんなさい……色々あって……」

 イリアの怒りは最もで、いくら兵でない人間が逸れてしまったかもという人助けからの行動だったとしても軽率が過ぎた挙句こうして捕まっているのだから言い訳も出来ない。そもそもミルファは言い訳をしようという思考がない真っ直ぐな人間なのだけれども。
 キーッと叫ぶように怒るイリアをルカが諫める。無事だったんだから良かったじゃないという彼の言葉に矛先が向いてしまったようではあるが。緊張感のないやり取りをする仲間の目の前に居る黒衣の男性は、ふう、と呆れた様子でため息を漏らした。
 戦場に似つかわしくない和気藹々とした雰囲気が立ち込めようとし始めたその時だった。
 ジャリ、と砂と石の擦れる音をさせてスパーダが数歩前に出たと思うと、灰色の瞳が矢で射抜くようにミルファを担いでいる男をギラリと睨む。

「おい。……ミルファを離せよ」

 スパーダは桃色の髪をした男の在り方から何か異様なものを感じ取り、只者ではないと判断した。……が、そんな事よりも。何故この男がミルファと一緒に居て、何故彼女を抱えているのか、太腿を掴んでいるのか。とにかく気に入らなかった。物凄く癪に触るのだろう、苛立ちが最骨頂に達しようとしている程に機嫌が悪い。何勝手に触ってんだよ、という怒りと、説明の出来ない感情が沸き上がって収まらない。
 急なスパーダの異変に、ルカもイリアも呆然としている。幼馴染であるミルファも何故怒っているのか分からず驚きに目をぱちくりさせるしか出来ない。
(スパーダ、どうしちゃったのかな……?)
 ミルファのその心配の言葉すら口に出し辛い程、彼から発せられる肌を刺すような鋭い態度は凄まじいものだった。

「お前何? このうさぎちゃんは……アレ、ねずみちゃんだっけ?」
「はァ?」
「……あー、どっちでもいっか。とりあえずオレのだから離しませ〜ん! 残念でしたっ」

 なんと人の神経を逆撫でするのが上手いことか。まんまと物凄く頭に来てしまい剣を握る手に痛い程に力を込めた。すると、黒衣の男性は長い髪を揺らして最前線に立つスパーダの前でぐるりと身を翻して桃色髪の男性へと向き直り、静かに口を開く。

「……ハスタ、貴様は奇襲作戦のメンツには入って居なかった筈だ。何故ここに居る?」


 此度企てられていたガラム軍による奇襲作戦。少ない人数で行うその実行者であるメンバーのひとり、リカルド。かなりの手腕の持ち主である彼が桃色の髪の男性へと向き直る。
 ハスタ。それがこの桃色髪の男性の名前だ。
 名前を覚えようとするミルファとは裏腹に、スパーダは名前などどうでも良いと言うようにギッと睨んだままだ。にたりと口元を歪めたハスタがミルファを肩に担いだまま槍をリカルドへと向ける。その動きと共に彼女もぐらりと揺れて落ちかけたが、ハスタはまたよいしょと担ぎ直してしまった。
 いっそ落としてくれたら良かったのに、と担がれたままのミルファは思ったがそう上手くいかない。離れたい、降ろして貰いたい、そんな気持ちがじわじわと心の中を侵食していき焦らせるものだから、周りの音も言葉も耳をすり抜けていく。

「リカルド氏とエンジョイしようかな〜、なんて欲張りを満たす為にやって来ました! ということなので。キミ、なんでしたっけ? あ、餌だ。リカルド氏とのお食事の前に一口……」

 すとん、とハスタの肩から降ろされ、やっと降ろして貰えて地に足をつけてホッとするが、良かったと思ったのも束の間。彼が両肩を掴んで来て驚いてしまいビクリと身体が震えた。
 ルカもイリアもスパーダも、今が奪い返すチャンスだと思い、一歩踏み出そうとしたが体が動かなかった。目の前で起こってることに思考が追いつけない。
 ミルファの白く細い首筋に下から上へべろりと舐め上げる赤い舌が這い、彼女の背筋にゾクリとした感覚が走ったのだ。

「ひッ……っ!?」
「甘いなぁ」

 味わったことのない感覚に怖くなり、ミルファはハスタの肩を強く押して抵抗する。離れたい、嫌だ、やめて、という気持ちが彼女の弱々しい力を後押しするがびくともしない。
 れろ、と滑る舌の感覚が消えたと思ったら、イタダキマスと低く囁く声が聞こえ──鋭い痛みが全身を駆け巡る。
(なに、なに、なに……!?)
 ガブリと、首筋を噛まれたのだ。ググ……と、薄い膜を突き破るかのようにどんどん肌に男の歯が沈んでいく。
 血が出てしまうのではと不安になったが、それよりも喰われるかもしれないという悍しい考えと想像で更なる恐怖心が沸き起こり、痛みとそれでぐらぐらして震えが止まらなくなった。呼吸もまともに出来ず、身体が酸素を取り入れようと無様にもがく。まともに働かない思考の海の中で、彼は物語でよく見た吸血鬼のようだと朧気ながらミルファは感じた。
 ──バンッ!!!
 突然、銃声と火薬の匂いが広がる。リカルドの構えている銃口から煙が漏れ出で、ハスタの額からは血がたらりと溢れていた。
 止めろ、二度目はない。という二つの意味の発砲だ。ハスタはミルファの首筋から口を離し、弾がかすった額に触れた指に付いた血をさも当然のように舐め取り、にんまりと笑った。

「急に撃つなんてヒドイなぁ、リカルド氏〜」

 軽口を叩くハスタを見据えたまま銃口を彼から逸らさないリカルド。流石に危険だと悟っているのか、ハスタはじっと目線を合わせたまま動かずにいる。

「──ミルファッ!!」
「……! ぁ……っ」

 今しかない! そう思いスパーダはミルファの元へと駆ける。自分の名前を呼ぶ声にビクリと身体が震え、悪夢から覚めたような感覚になった。
 そうだ、離れるなら今なんだ。そう思うが、足がすくんで上手く動かずもつれて躓きそうになるミルファをスパーダが腕を掴んで強く引き寄せる。そして、ぎゅううっと苦しくなるほどに抱き締めた。胸に抱かれて思わず涙が出そうになる。同じ男性なのに全然違う。怖さなんて全くない、安心できる幼馴染の力強さに胸が暖かくなっていくのがわかる。

「……行け、ガキども。命が惜しいならばな」

 こちらに目を向けないままリカルドはそう告げた。まさか先程まで対峙していた相手にそんなことを言われると思っていなかった為、一瞬ぽかんとしてしまう一行だったが、ルカが一言すみませんと断り先頭を走り出すその後を全員が続き西の戦場を背にする。スパーダはミルファの手を優しく強く引き、ずっと離さずにいた。

hitsujitohana