01


「電車を選んだのは間違いだったな。
 やっぱり妻の言うことを聞くんだった、ふくろうは目立つ」
 大きなトランクを足元においた男性は、隣に座る少女に苦笑をこぼす。
「気に病まないでください、そこまで長い距離でもないですから。手伝ってくださってどうもありがとうございます」
 少女は丸い鳥かごを片手に、テッドに礼を述べる。

 九月一日。キングズ・クロス駅の九と四分の三番線から出るホグワーツ特急に乗るため、スバルは地下鉄にいた。



 ホグワーツへの返事を携え飛び去ったふくろうは、その数日後には新たな手紙を運んできた。彼の飼い主であるテッドは追伸の通りにスバルを迎え入れ、仕事の合間を縫ってはホグワーツの入学準備など快く手伝った。

 出立の日も見送りを買って出ようとしたテッドだったが、仕事を理由に断る少女との押し問答の末、出社前の時間だけ付き添うというかたちに落ち着いた。
 通勤の手段である姿現しは少女に堪えるだろうと電車に切り替えたところ、土曜日の朝、利用者の多い駅で、荷物──とくにペットは多大な注目を集めてしまった。とうの籠の主はじろじろと不躾な視線や囃し声など意にも介さず、堂々たる寝姿だったが。

 大人しいとは思っていたがここまでマイペースとは。猛禽としては考えものかもしれないが、鳥かごを安全地帯と認識しているようで全く騒ぐこともなく、テッドは逆に感心する。トンクス家のこの森梟は、単身ホグワーツにいくスバルに供として貸し出される運びとなった。
 ふくろうがいると何かと便利というのは彼の妻と娘の言。家には他に娘のフクロウがいるから1羽居なくても困らない。

「ここだ」
 電車を乗り継ぎ、途中地上を挟んで辿り着いたキングズ・クロス駅。スバルは何度か利用したことがあるが、そんな中途半端なプラットホームは見たことがなかった。人通りの多い中を脇目も降らず進んだテッドがスバルに振り返って示したのは、九番線と十番線が隣り合うホームだった。
「普通のホームに見えますね」
 煉瓦の壁に掲げられた鋳鉄の標識はそれぞれ九と十番線と書かれていて、チケットにある四分の三は綺麗さっぱりない。
 両ホームを見渡し、それからテッドをみたスバルは、彼の視線がホームにないと気づく。テッドは両ホームの境、半円状にくり貫かれ行き来できるようになっている壁の柱を見ていたのだ。
「この柵を通るんだよ」
 少女の目に気づいたテッドは、安心させるように笑う。
「私が先に通るからあとに続いて、もし不安だったら、目をつむって走り抜けるんだ。一瞬だから怖くないよ、大丈夫」
 そしてテッドは、迷いのない足取りで壁へと進み、吸い込まれるようにして姿を消した。
 その姿をしっかりと見届けたスバルは、鳥籠を両手に抱え直し、落ち着いた歩みで壁に近づき──瞬きの内に、ホームは入れ替わる。

 先程までアナウンスや雑踏で賑わっていたホームは、立派な紅色の汽車が停車し、近くに何人か人が見えた。仰げば吊り下がった看板には『Platform 9 3/4』とある。
「うーん、早すぎたか……」
 いつのまにかスバルのとなりにたっていたテッドが呻く。彼は自身が学生の時、そして娘がこの間卒業するまでの合わせて十四年の間、幾度もこの蒸気機関車を見る機会があったが、ここまで人がいないホグワーツ特急を見たのは初めてだった。そして案外早くから停車していることも初めて知った。

 出発の時間までは時計の短針が二周近くする必要がある。こんなに早く来てやることもなし、少女にはまだ友人もいないというのに、どうすればいいというのか。成すこと全て空回っているように感じ落ち込むテッドに、スバルは声をかける。
「大丈夫ですよ。教科書を開いて待っていれば時間なんてすぐに過ぎて、あっという間にホグワーツです。
 それに、これだけ人の少ない汽車って、私初めてなんです。普段できない探検、ちょっとくらいしてもご迷惑にはならなそう」
 ね?と無邪気にいう少女。その顔をまじまじと見つめてから、頭に手をやって「……確かに、今なら独り占めだなあ」と呟くように笑った。

「列車の席は自由になっていて早い者勝ちなんだ。とりあえず荷物をコンパートメントに置いておけば、取られることはそうない。まぁ、全くないわけではない……そうだな、マグルが買ったカエルチョコが動き出すくらい、たまーに」
 だから少し注意はした方がいいかな、といって車内に荷物を運びいれようとしたテッドを、「あ、待ってください」とスバルが止めた。
「どうかした?」
「荷物、ここまで運んでくださってありがとうございます。ずっと持たせてしまってすみません、私が持ちます」
「でも、……うん、そうだね。どうぞ」

 キングズ・クロス駅を目指す間、テッドが持っていたトランク。小柄なスバルの腰ほどまでの高さのあるもので、しかし魔法で細工してあるため、見た目よりも物も入るし、どれだけ入れても少女の細腕でひょいと運べる優れものだ。
 スバルはそのトランクに一年分の荷物を全て入れていたため、実質持つのはトランクと鳥かごひとつという比較的身軽な格好だった。本来であれば持ってもらうほどのものでもないが、気の利くテッドはスバルとあってすぐにトランクを浚っていったのだ。

 テッドからしたら女性、ことさら年若い少女が重そうなものをもっているのだから、代わりに持つのは当然のこと。だがよくよく考えれば、全てが収まった荷物をあまり人に持たれるのは好ましくないだろう。
 親戚といえど、あくまで書類上、しかもつい最近そうと知ったのだ。約四ヶ月ほどの短い付き合いだが、スバルは大人びて物わかりもよかったし、テッドにかける言葉は遠慮と気遣いが見受けられる。要はだいぶ自立している。そんな少女であればよほど、トランクは自分で運びたい筈だった。

 そして、テッドは横目でホグワーツ特急を見上げる。
 初めてこの紅の車体を見た十一歳の時、なんて美しいのだろうと感動した。どこもかしこも知らないものしかないダイアゴン横丁、そこで買い込んだ荷物が積まれたカートを押して通り抜けた壁の向こう側。真っ先に目に飛び込んだのは鮮やかなクリムゾンレッド。疑心暗鬼に握り締めよれたチケットの示す数字がホームに並んでいて、安堵と共に興奮がめぐった。ロンドンのメインターミナルでもあるキングズクロス駅の中、日常のすぐ隣に魔法の世界があったこと、そしてこの黒と赤の蒸気機関車が彼を魔法の学舎へと運ぶこと。知り合いはいなく不安も多かったけれど、周囲を駆けてく同じ年頃の子どもがみな自身と同じ不思議な力が使えることが何より嬉しかった。それまで友人は一人として魔法を信じていなかったし、テッドを魔法の世界につれてきて案内してくれた人たちもみな大人であったから。
 魔法の世界を行き来するこの列車に別れを告げたのは七年生の時。その頃には魔法界はテッドにとっての日常で、情勢は芳しくなかったけれど、彼が身を置く世界となった。蒸気機関車は魔法界への片道切符ではなくなって、学舎からの卒業だった。もう乗ることはないけれど、消えてしまうおとぎ話の魔法ではなかった。それはテッドの世界も同様だった。
 月日が経って結婚し、生まれた娘も同じ学舎へと通い、見送った。たくさんの生徒をのせてホグワーツへと走り、子どもたちは立派になって戻ってくる。親から子へ、先輩から後輩へ、何年も受け継がれ、これからも続くのだ。
 だからこそ、ホグワーツへの入り口に余計な介入は要らない。もう自身の乗る汽車ではないのだと。

 頷いてテッドはトランクを少女に手渡した。
 受け取ったトランクを横において再度礼をいうスバルに、テッドは手を振った。

「わからぬことだらけで心配だろうけど、何も恐れることはないよ。ホグワーツは、魔法界は君を歓迎するから。
 もしなにか困ったことがあれば、いつでも手紙を送って。そのための“彼”だ」

 最後に撫でるように鳥籠に触れ、もりふくろうにも別れを告げる。

「じゃあ、体に気を付けて。
 ……君の過ごすホグワーツに幸多からんことを」

 そう言って、テッドはスバルの目の前から姿くらましした。

 :

 テッドと別れたスバルは、その宣言通りに探検することはせず、さっさと適当なコンパートメントを見つけて腰掛けた。濃色のカーテンをさっと引き、廊下から内側を見られないようにしてから、トランクを開いて教科書を取り出す。手元のそれは、入学許可証に同封された教科書リストに載っていたもの。裏表紙には流麗な筆記体で記名されている。

 入学を決めてから受け取った奨学金は、必要なものを買うには足る額であったものの、決して贅沢ができるものではなかった。ダイアゴン横丁を案内したテッドはその巾着袋の中をみて支援を申し出たが、スバルは丁重に断った。
 全てを新品で揃えれば残る資金は雀の涙に満たないほどだが、切り詰めようと思えばいくらでもできる。教科書は古本屋で、制服は古着屋で。大鍋だって蓮向かいの店で投げ出されているものを少し手入れすれば立派に使えるだろう。杖だけは妥協できないが。
 そう主張したスバルにテッドは、教科書類や制服等を中古で買うなら我が家にあるものを寄付しよう、と譲歩した。穴の空いた大鍋よりも落書きされた教科書よりも、娘が使わなくなったものは丁寧に扱われていたし綺麗だから、と。

 こうして余裕のできたお金で、スバルは新品の制服を買えたし、立派な杖を選ぶ──杖の店主曰く、杖に選ばれる──ことができた。既に譲ってしまっていた教科書は買い足したし、羽ペンや羊皮紙も一年さきは困らないほどに用意できた。
 何やら別れ際、テッドは至らなさを不甲斐なく感じていたようだったが、スバルは充分に義理を感じていたのだ。

 教科書をぼうと眺めながら、閉め切ったコンパートメントで雑踏を遠くに、空き時間がゆっくりと流れていく。
 スバルは既に教科書を読んでいて、内容もすっかり理解していた。テッドの娘から譲り受けた教科書は高学年のも纏まっていて、区別なく読み終わっていたから、今さら開いてもそうそう得ることはない。なにか新しい本でも持ってくればよかったのに、そうはしなかった。
 ──案外、私はこの日を、ホグワーツを楽しみにしていたのかもしれない。スバルは手元の教科書の記名を見ながら、ぼんやりと思った。

 子供たちと彼らを送り出す家族や、友人との久しぶりの再会を喜ぶ喧騒から切り離されていた密室は、そう長くは続かなかった。

「あら?」

 がらり、と確かな意思でもってこじ開けられたコンパートメントの扉と共に、静寂は破られた。密室に押し寄せた音が流れ込み、スバルはほんのちょっとだけ柳眉を寄せた。

「先客がいたのね。あんまり静かだったから、誰もいないのだと思ったわ」

 マグルの洋服を纏ったその身体より巨大なトランクを傍らに、波打つブラウンの髪を豊かに広げ、ぱちりと大きく開いた髪と同色の瞳が、まっすぐと力強く、スバルを射抜いていた。
 利発そうな少女の態度に、スバルは目を瞬かせた。スバルにとって陰りのない視線を向けられることが、遠い過去にあったかもわからないほどに久々だったからだ。幸か不幸かその一瞬の驚きで塗り潰されたスバルの小さな不愉快に、相手は気づいていないようだった。いやそも、表情に出にくいスバルの機微など、端から目を向けていなかった。

「カーテンは開けておいた方がいいわ。中にあなたがいること、廊下からだと見えないでしょう?」
「ええ、ごめんなさい」

 見せないためのカーテンだったが、少女は思い至らない。混雑してきたようだし、開けていた方が余計な接触は避けられるだろうか。口先だけの謝罪をしたスバルに、彼女は戸口にたったまま聞いた。
「あなた、一年生?」
「そういうあなたは?」
 間をおかず、穏やかな口調で返ってきた言葉に、少女──ハーマイオニー・グレンジャーは少し眉をあげた。

 スバルの長い睫毛が縁取る黒檀の瞳からは、感情は読み取れない。目の前の瞳の持ち主は、くせのないつややかな髪をさらりと揺らした。ぴんと伸ばした背筋で浅く座席に腰掛け、切り揃えた爪を持つ白魚のような両手を、黒革の本に乗せている。その背表紙には、ハーマイオニーも横のトランクに詰め込んでいる教科書の題名が箔印されている。
「……あなたと同じだと思うわ、新入生よ」
「本当に? じゃあ、一緒ね」
 緩く微笑を浮かべたスバルに、ハーマイオニーはもう一度眉を動かした。

 戸口は開いたまま、強い視線を向けられる。先程まで何にも邪魔されない一室だったのに、居心地は最悪だ。相対するスバルはちょっと考えてから口を開いた。

「あなたは空いているコンパートメントを探しているの? もしあなたが他に場所がないのなら、荷物持ってこない?」
 そう言うと、彼女は頬をカッと赤らめて、スバルの瞳を見据えて言った。
「お気遣いどうも、結構よ。もういくわ、お一人のところを邪魔して悪かったわね」
「あら、残念。うーん、前の方のコンパートメントは比較的空いていたかも」
「そう」
 ほんのりと赤く染めたまま、少女は素っ気なく頷き、コンパートメントから出ていった。
 その背が列車の後方へと向かって見えなくなってから、スバルは小さく息を吐く。彼女が入ってきてから出ていくまで、スバルは座ったまま動きはしなかった。

 理由はわからないが、彼女がスバルとの会話で何か気に障ることがあったのはスバルも気づいていた。だからこそ、誘っても断るだろうと見越しての発言だった。案の定、さっきまで居座っていたのが嘘のようにすぐに去っていったが、眉を僅かに動かす程度から気色ばむなんて、何がそこまで彼女を駆り立てたのかはわからなかった。スバルが己の言葉を反芻してみても思い当たる節は特にない。まさか初対面の相手がスバルの心情まで読めるとは考えにくいが、もしかしたら少し表情に出ていたのだろうか。
 関係はない、と切り捨てたいところだが、スバルとしてはひそやかに生活したいのだから、誰かに謂れもない悪意を持たれ、何かやっかみを受けるのは避けたかった。外面には自信があったが、もっと磨くべきか。

 スバルが決心した矢先、粛然たる個室の閉ざされた扉が開く。ああ、何か忘れ物でもしただろうか? 彼女が何かを出していた覚えはないけど、落とし物でもしたのか。そうなら今度は真っ赤だろうな。思って、開けた主を緩慢な動作で瞳にうつす。

 ──さっきの少女の助言を聞いていれば良かったかもしれない。
 コンパートメントの入り口で、丸眼鏡を掛けた少年が、少し困ったように眉根を下げていた。


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