02


「その、……ごめん。人がいるとは思わなかったんだ、どこもいっぱいで」

 透き通ったエボニーの瞳で見つめてくる少女の視線と無言のコンボに、いたたまれなくなりながら、少年は思った。
 ──なんだって僕、謝っているんだろう?



 荷物を運び入れるのに苦心して、手伝ってもらってから幾ばくか。知り合いもいないし、どこを探しても空席など無さそうだった。駅に来るまで、そして特急に乗るまででも大分神経をすり減らしていたし、一緒に荷物を運び入れてくれた人のため、早く身を落ち着けたかった。そんな焦りと疲労の中で見つけたのは、カーテンは掛かっていたが、人がいるとは思えぬくらいに物音ひとつないコンパートメント。やっと座れると思って開けてみれば、窓から射し込む陽光に艶のある髪を反射させ、少女がゆっくりと顔をあげる。

 目があった瞬間、少年の心臓はどくり、と大きく脈打った。少女の動作に伴い黒髪がさらりと零れる。さして珍しくはない色の瞳は大きく、スッと通った鼻筋と、薄く色づく唇。見るからに美少女という感じだ。通っていたエレメンタリースクールを思い出す。従兄弟や周りの取り巻き達が熱をあげていた子よりも断然可愛い。
 でも、初めて会った筈なのに──少女を知っているかのような、初めてじゃあないかのような。こういうの既視感って言うんだっけ……。こんなにきれいな子だったら、忘れそうもないのに。目の奥でチカッと光が瞬いた気がした。

 ただ扉を開いただけなのにと不可解だと思う気持ち半分、このだんまりの少女は実は人形で喋れないんじゃあないかという疑念半分。ぐるぐると少年の頭の中で言葉が回るなか、なにかを言わなくては、とついもごもごと言い訳のような謝罪のようなものを呟いてしまっていた。

 当のスバルはというと、少年の持つ鳥籠の中に佇む、深雪のようなふくろうに目をやりながら、少年にどう対応すべきか考えあぐねていた。先ほど覚えもないのに栗毛の少女を憤慨させたばかりで、そう何度も初対面の相手を敵にしてはたまらない。少年が沈黙に耐えかねて口を開いたのと同時に、ふわりと微笑を張り付けて、慎重に言葉を選びながら口にした。
「あ、ええっと、僕……」
「──この席、一人には結構広くて、ゆったりとしていて快適だけれど、少し寂しいなあとも思っていたの。もしよければ、ホグワーツまで私と一緒にお話ししない?」
「えっ」
「あ、ごめんなさい。あなたの都合も考えずに……!
 同じ学年かなと思ったら、つい。あなただって、一緒にいたいお友だち、いるわよね」
「いやっ、えっと、……じゃあ、座ってもいいかな」
「いいの? 嬉しい」
 あまりの静けさに、少年が出ていく旨を伝えようとしたところに、今まで黙っていたのがまるで夢かのようなクイーンズイングリッシュの氾濫。その桜色の唇から流れ出る耳に心地の良い声に、少年は、喋った!と当然のことに少し驚いたと同時に、ぐるぐると少年の頭の中でとぐろを巻いていた靄がさあっと晴れていく。
 きょとりとしていた顔に花のような笑みを浮かべたのち、少年の言葉にあわてて気遣う少女の申し訳なさそうでいて、不安げな表情に、つい、少年は同伴を口にしてしまっていた。
 学校までの距離がロンドンからどれくらいかはわからないが、きっと会話は続かないんじゃあないか。そしてさっきの瞬きは? 少年は早くも疑心を抱き始めていたが、しかし、よろしくね、とたおやかに微笑む少女を見て、そんなに後悔するものでもないかもしれない、と思った。

「ボーッとするなよ」
「ここでいいのか?」
「僕たちは君のしもべじゃないんだぜ」
「例え君がかのハリー・ポッターだとしても!」
「あっ、ごめん!」
 スバルの耳に二重の音が聞こえ、思わず目を見開く。少年の後ろからひょっこり出てきたのは、全く同じ二つの顔。彼らは二人で酷く重そうなトランクを持ち上げていた。
「まあ、私が呆けたばかりに、従者にさせてしまったのね」
 スバルは少年の荷物が梟だけだった訳を知り、それから申し訳なさそうに謝る少年にフォローをいれた。対する二人はスバルの顔を見てなるほど、と頷いて、それから神妙そうな顔を作って言った。

「全くだ。ハリー・ポッター様、どうぞわたくしめに荷物をお預けくださいってな」
「いやいや、ハリー・ポッター様はわたくしどものことなぞどうぞお気になさらずに」
「責任を持ってお運びいたしますゆえ」
「それじゃあ簡単に騙されて盗難にあってしまいそうだわ」
 しかつめらしく装って頬に手をあてる少女に、二人しておんなじようにニヤッと笑う。
「滅相もない! ハリー・ポッター様のお荷物をお運びすることはウィーズリー家たっての願い!」
「そこいらの盗人と一緒にしないで戴きたい!」
「ああ、二人ともごめんってば! 運んでくれてどうもありがとう」
「勿体なきお言葉」
「光栄至極にございます」
 双子と少女に散々からかわれて少年は音をあげた。それから双子はやいのやいの言いつつ、スバルの向かいに荷物を納めて、慇懃無礼な様子にお辞儀をしてから退散していく。

「あの、ごめんなさいね? 彼らの調子に乗っかってしまって」
 スバルはそう口にしてから、立ち上がってコンパートメントのカーテンを開けた。少年は向かいの席に座りながら、鳥籠を座席の横におく。
「ん、いや……」 少年は少女の行動を意外に思いつつ、名前でからかわれることにも戸惑っていた。そもそも、スクールで悪質な嫌がらせや罵りを受けるのはしょっちゅうだったため反抗する術はあるが、悪意のこもっていない揶揄にはどう対処すればいいのかわからなかった。しかし、最初に感じた少女の印象と違い、自分に気を使っての反応だったのかもしれないと思うと、結局はっきりとした言葉は出なかった。

 カーテンには防音魔法がかけてあるのか、それまでのスバルが己の世界にいっていたからか、カーテンを開けるとそとの喧騒がよく聞こえるようになった。先ほどの双子が母親に話しかけている。少年の話だ。双子の母親は息子たちを注意しつつ優しげに送り出す傍ら、スバルの目の前に座る少年を案じていた。

 ちらりと話題の中心を見ると、少年は所在無さげに俯いていた。耳は赤い。スバルがなにか言おうとしたとき、双子の弟とおぼしき背の高い赤髪の少年が、スバルたちのもとにやって来た。
「………アー、……えっと、ここ、空いてる? 他はどこもいっぱいなんだ」
 戸を開けて、スバルを見てからちょっと黙った。
 ハリーは、まさかこの少年も自分と同じようにあの奇妙な感覚を味わっているのか、と顔を見たが、どうやら違うらしい。のっぽの少年はスバルを見て、顔をその特徴的である燃えるような髪色と同じ色に染め上げていた。
 それから少しの無言のあと、なんとか言葉をひねり出して指差した席はスバルの隣だった。スバルの荷物はコンパクトに収まっており、あまり幅をとっていなかったためだろう。少年の荷物で一杯になった座席を視界に映して、赤毛の少年に微笑んだ。

「ええ、もちろん! どうぞ」

 その笑顔に、さらに顔を赤らめたが、スバルは気にせず、少年の荷物をいれるのを手伝った。火照って少し暑そうな様子の少年を窓側の席に誘導していると、そこに先ほどの双子が顔を覗かせ、自己と弟を紹介する。
「僕たち、フレッドとジョージ・ウィーズリーだ。こいつは弟のロン。君の名前を聞いていなかったな?」
「スバル・シノノメです。私も新入生なの。よろしくお願いします」
 礼儀正しくお辞儀をするスバルに、双子のフレッドとジョージ──まとめて紹介されたこともあり、スバルにはどっちがどっちだか全く判別がつかなかった──は顔を見合わせてから頷いて、スバルと互いに握手を交わした。友人に会いに行くらしい彼らを見送ってから、よろしく、とぎこちなく笑うハリーの真向かい、腰を落ち着けたロンは不思議そうな顔をした。

「スバル・シノノメだって? 不思議な響きの名前だね。君、どこか別のところからきたの?」
「日本じゃない?」
「日本? ……ああ、トヨハシ・テングのところ!」
 スバルは目を瞬かせた。なるほど、ロンは代々魔法族の家系に生まれたようだ。彼の言うトヨハシ・テングとは魔法界の大人気スポーツ、クィディッチの日本チームの名前らしい。
「随分遠くから来たんだなぁ」
「確かに少しアジア系の顔立ちだね」
 感心したように言うロンと、頷くハリー。ハリーは、少女の顔立ちになんとなく感じた違和感の正体はこれかもしれないと思った。

「そういえば君はマグルと暮らしてるって聞いたよ。どんな感じなの?」
 ハリーが日本を知っている様子に、思い出したようにロンが言った。
 興味津々といったロンの横で、スバルも興味を示した。ハリー・ポッター。スバルもその名前を知らないわけではなかった。過去、魔法界に垂れ込めていた暗雲を、一夜にして晴らした“英雄”だとか。

 そんな彼が、マグルと暮らしていただって?

 少なくとも、スバルが知り得る人間は今も昔も、自分達が理解できないことは徹底的に排除したがるものだ。国でも宗教でも人種でも、魔法界であっても、人間の共通した変わらぬ性だと。
 彼の親がいないことをスバルは知っていた。『例のあの人』に殺されたらしい。そんな英雄という輝かしい重荷を背負った子どもが、事情を理解できない非魔法族と共に暮らせるとはスバルには到底思えなかった。ましてや、マグルの孤児院などでは無理だろう。スバルのその予測は正しかった。「ああ、ひどいもんさ……いや、勿論、マグルが全員そうって訳じゃあないんだけど。そうでしょ?」

 二人はスバルをマグル生まれと断定したようだった。そして、ハリーとは反対に、“そうじゃない”ところに生まれたとも。何せこの立ち振舞いと言葉遣いだ。遥か遠い国から、名だたる魔法魔術学校に送り出してもらえるのだから。
 片や両親が何者だったのかもつい最近まで知らされず、片や所持品は魔法の杖から毛糸の靴下に至るまでお下がりだ。二人はスバルの身の上を穏やかな気持ちで聞けないだろう、と思った。両親から一心に愛され、一級品に囲まれお金に困ることもない“恵まれた”生活を送っているのだろうというのが、二人の知らずうちに一致した見解だった。
 ロンは元々気になっていたこともあるが、スバルの生活をあまり聞きたくないこともあって、ハリーの傷痕に水を向けた。「君、本当にあのハリー・ポッターなんだね。僕、フレッドとジョージがまた嘘をついてるとばかり……ねぇ、じゃあ傷痕ってあるの?」
「ああ、これ。ほら」、ハリーも安堵しつつ応える。

 二人に思われていることを推測した上で、スバルは訂正しなかった。いちいち説明するにはスバルの出生は入り組んでいるし、初対面の子どもに話すことではない。だからロンがハリーを話題の中心にしたことはスバルにとっても幸いだった。

 ハリーとロンは互いについて興味津々で、お互いホグワーツ入学にあたって抱いている不安を吐き出すように打ち明けている。ロンの家族構成や愚痴、ハリーの心配事を聞いては、スバルは合間に適当な相槌をうつ。
「きっと僕、クラスでビリだよ」
「そんなことはないさ。マグル出身の子もいるし、そういう子だってうまくやってるよ」
 スバルもハリーの話に興味を持っていたが、聞いていくうちに違和を感じた。どうやら彼は身内に保護され、そこで散々な扱いを受けていた上、魔法界の存在を認知したのはついこの間の誕生日であったらしい。
 貰った本に“英雄”ハリー・ポッターの名前を見たとき、彼が同い年であることも知った。もしかしたら、同じ学校に通うことになるかもしれない。英雄と祭り上げられる子どもは、きっと鼻持ちならない人なのだろうと勝手に想像もしていた。
 しかし本人を前にして、 このハリー・ポッターという少年は本当にマグルのなかで暮らしてきたのだな、とスバルは感じた。英雄と謳われ担がれる人間が、まさかクラスでビリになることを心配しているとは思うまい。自身の功績を全く鼻にかけず、むしろ困ったように眉を下げるハリー。

 彼は自分が何者なのかをついこの間まで知らず、魔法界の存在さえ知らず、今まで息苦しい日々を送っていたマグル出身の少年だった。


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