03
そうして汽車がロンドンの喧騒から遠く離れ、窓からは田園風景が見えるようになった頃、コンパートメントのドアが開き、車内販売の声が掛かった。初めてのことに楽しそうに商品を見るハリーに続き、スバルも席を立つ。
空腹も感じていたし、節約のお陰でたまに食べる分には問題ない、と買う気になったのだ。
しかし──
「えーと、この、バーティーボッズの……百味ビーンズ? と、そこの杖型?甘草あめと、ドルーブルの風船ガムと、大鍋ケーキ、あと、蛙チョコレート?と、……」
「……え?」
スバルは、ハリーがどんどん買い込んでいくのを唖然として見る。そして最終的にカートにあるものを全て少しずつ買い、お菓子に十一シックルも払ってしまった。その甘いものばかりの様に胸焼けを覚えたスバルは少し顔色を悪くした。
「はい、お嬢さんはどうします? あなたも全部?」
「いえ……、かぼちゃパイと……、蛙チョコレートをお願いします」
思わぬ買い手ににこにこ笑顔の販売員の言葉にスバルはとんでもないと思いつつ、少しずつ買った。
「君、お腹空いてたの?」
「すごい量ね」
「もうペコペコだよ」
振り返ればコンパートメントはお菓子で一杯になっていた。特に、ハリーの隣の席が。目を丸くするロンとスバルを横目に、ハリーは嬉々として封を開けていく。
ハリーはかぼちゃパイを頬張りながら、自分の持参したサンドウィッチに気落ちした様子を見せるロンにお菓子を食べるよう促し、スバルにも勧める。
「二人も食べてよ」
「私、平気よ。私も買ったんだもの」
「いいから」
「それじゃあ……戴くわ。どうもありがとう」
スバルは断ったが、押し付けられてしまっては仕方がない。微笑んで礼を言い、大鍋ケーキを一切れ食べた。
しばらくの間ハリーとロンは夢中になってお菓子を食べ、スバルも眺めつつ少し頂戴していると、ハリーが蛙チョコレートを手にして疑問を口にした。
「まさか本物の蛙じゃないよね?」
「まさか、でもカードを見てごらん」
ロンはカードを集めているといい、ハリーは蛙が逃げるのも気にせずカードの写真に夢中になった。蛙チョコレートのカードは種類が多く、それを収集していて、既にかなりの数を有しているというロンにスバルは少し驚いた。スバルは蛙チョコレートを食べたのは初めてではなかったが、この知育カードはすぐに捨ててしまった。でも、考えてみればマグルの世界でもそういうものを集めている人間も多かったし、カードは案外コレクションするものなのかもしれない。スバルは自身で買った蛙チョコレートを開けて、そのマーリンのカードをハリーに渡しながら思った。
それからハリーとロンが百味ビーンズで盛り上がっている横で、スバルは思い出したようにトランクから取り出した物を、既にお菓子で一杯の机上に置いた。
「もしよかったら、いかが? 大したものではないけれど」
「なんだい、これ」
「鶏と薬草と茸のキッシュ。お昼にと思って持ってきたんだけど、もうお腹いっぱい。
まだ食べられるなら、甘いものばかりだしちょうどよいかも」
言いながら包みを開けて、ロンとハリーに好きなときに食べてね、と勧める。最初は手をつけなかった二人だが、甘いものを食べ進めるうちにキッシュの生地の塩気と薬草のほろ苦さ、仄かなクリーミーさが気に入り、最終的には屑を少し残してなくなってしまった。
ハリーにとっては、誰かと何かを共有することは今まで一度もなかった。分け合えるものも相手もいない日々だった。だからこそ、自分でたくさん買ったお菓子や友人からもらった物を、友人と食べることがとても楽しくて、しかも食べているものは今まで見たこともないようなおかしなものだということも含めて、心踊る夢のような時間だった。
スバルにとっても、何かを分けあうのは本当にまれなことだった。薄ぐらい家の食卓につくのはスバルくらいであったから。スクールでの給食だって、誰かと囲んでいたわけではなかった。これからのホグワーツだってきっとそうだろう。
コンパートメントにノックの音が響き、少年が丸い顔を涙で濡らしながら入ってきた。初対面で泣きべそとはなかなかない経験だなと思うスバルたちに、少年はヒキガエルを見なかったかと尋ねる。ロンとハリーは揃えて首を振るのを見て落胆し、それから一拍おいたスバルに少年は希望をもって見つめる。涙を滲ませる少年からの視線に、スバルは申し訳なさそうな表情をした。
「ごめんなさい、私も見ていないわ」
「いなくなっちゃった。あいつ、僕から逃げてばかりいるんだ!」
「そうなの」
「きっと見つかるよ」
ついには泣き出した少年に、心配そうに眉を下げた。そして泣きじゃくる背をさすり、少年の手にさっき買った蛙チョコレートと、ハンカチを握らせる。
「泣かないで。ねぇ、これ、どうぞ使って。チョコレートも。きっと落ち着くから。
私、探すのを一緒に手伝いましょうか?」
「ううん、もう手伝ってくれている子がいるから……チョコもありがとう。でも、もし見かけたら……」
少年は肩を落として去っていく。ロンはスバルの応対を見て少しポカンと眺めたあと、ヒキガエルなんてと口にしてから、ペットの鼠のスキャバーズを見て、顔をしかめた。
そして、杖を取り出して、黄色にしてやると言う。黄色にしたって鼠は鼠だ、とスバルは思ったが、ハリーはハグリッドが使った魔法しか見たことがなかったため、ロンがどんな魔法を見せてくれるのか期待した。
しかしそこへ、再度コンパートメントの扉がガダリと開かれた。
「誰かヒキガエルを見なかった? ネビルのがいなくなったの」
少し高い声ではきはきと喋るその少女は、格好こそマグルの服装からホグワーツのローブになっているが、見覚えがある。コンパートメントに、最初に顔を出した少女だ。横にヒキガエルの少年を連れている。
ネビルとはこの少年のことで、彼の言った手伝っている子とは彼女のことだったのか。スバルはそう思ってネビルを見ると、スバルが渡したハンカチで拭ったのか、泣きっ面は幾らかましになっていた。
スバルは視線を感じ、少女に目を向ける。先程の訳のわからぬ憤りは鳴りを潜めているのか、彼女は平然としてスバルには目もくれない。
「見なかったってさっき言ったよ」、ロンが固い声で返す。少女の言い方が気に入らない様子だ。しかしそんなことにもお構いなしに、それとも気づいていないのか、栗色の髪を持つ少女はロンの杖に目をつけた。
「あら、魔法をかけるの? それじゃ、見せてもらうわ」
少女はハリーの隣のスペースに座り、じっとロンを見る。彼女の視線にたじろぎつつ、芯がはみ出た杖をスキャバーズに構えた。
「お陽さま、雛菊、溶ろけたバター。デブで間抜けなねずみを黄色に変えよ」
さて、皆がスキャバーズに注目するも、以前変わらぬねずみ色を保ったままである。
無機物の変化だって入学前の子供は難しいのだ、生物の一部を変えることはそう簡単ではない。ましてや、魔法を使う媒体は、まだ上手く使いこなせない未熟な魔法使いの魔力を受け、年季が入った壊れかけの杖だ。成功する可能性は微塵もない。
変化のない鼠色の鼠を見て、少女は口を開いた。スバルは話し半分で聞いたが要約すると、彼女はマグル出身で、勉強熱心で、魔法に長けていて、名前をハーマイオニー・グレンジャーというらしい。
それから、自己紹介を求められたが、ハリーとロンは口を重たそうに閉じていたので、スバルからさきにその鈴の声を穏やかに紡ぐ。最初に少女と話したときのように。
「さっきお会いしたかしら、なのに名前も言わずごめんなさい。
私はスバル・シノノメというの。よろしく」
微笑んだスバルにハーマイオニーは目を合わせることなく、険しそうに顔を歪めたあと、「ええ、こちらこそ」とツンと返してから、ロンとハリーにも名乗るよう目で訴えた。
「ロン・ウィーズリー」
「ハリー・ポッター」
もごもごと口を動かした二人のうち、後者の名前を聞いてハーマイオニーは食いついた。
「ほんとに? 私、もちろんあなたのこと全部知ってるわ。参考書を読んだの」
参考書の種類をあげていくハーマイオニーと、自分が知らぬうちに本にかかれていることに驚いているハリーを横に、スバルは戸口の辺りで手持ち無沙汰に立つ少年に聞いた。
「ねえ、あなたのお名前は? 私、あなたがヒキガエルを探しているって知っていても、あなたの名前を知らないわ」
声は静かなものだったが、寮の話を出して「グリフィンドールが絶対いい」と勢い込むハーマイオニーは喋るのをやめ、ハリーもロンもそちらに目を向ける。不安そうに涙を滲ませながら視線をうろつかせる少年と目があったスバルはにこりと笑って、「教えてくれる? じゃなきゃもし蛙を見つけても、あなたを探すこともできないんだもの」と言った。
「僕、……僕、ネビル。ネビル・ロングボトム」
「そう、ネビル。私はスバル、よろしくね。
ヒキガエル、見つけたらあなたに知らせるわ」
「うん……」
顔を赤らめてぐすりと鼻を啜るネビルに、「拭いた方がいいわ、おめめが溶けてしまいそう」と、紙ナプキンを袋ごと手渡した。
鼻をかんだネビルを見て、ハーマイオニーは気まずげに席から立ち、いくらか勢いを失った、けれど相変わらず気の強そうな口調で言う。
「……私、もういくわ。ネビルのヒキガエルを探さなきゃ。ああ、着替えておいた方がいいわよ。もうそろそろつく頃だから」
「教えてくれてありがとう。そうするわ。
それじゃあ、またね。ホグワーツでお会いしましょう」
同じ寮になれるといいわね、と手を振るスバルに振り返るネビルの手を、力強く掴んで去っていくハーマイオニーたちを見届けてから、ロンは溢した。
「君、正気? 僕はあの子がいない寮がいいな」
スバルのあの言葉をロンは真に受けなかったが、冗談でも言うものではないといった風だった。
「君のお兄さんはどの寮なの?」
「グリフィンドール」
ロンは重たげに口を開き、家族全員そうだと憂鬱そうに言う。
ホグワーツにはその紋章をかたどる四つの寮が存在する。グリフィンドール、レイブンクロー、ハッフルパフ、そしてスリザリン。創設者の名を継ぐ寮はそれぞれ著名な卒業生を輩出しており、生徒は自寮を誇りに思う。
ロン本人はグリフィンドールに入りたそうだが、今まで全員グリフィンドールならきっとグリフィンドールだろうな、とスバルは見当をつけた。
魔法族の子どもがホグワーツに通うように、親と同じ寮に入るように、脈々と受け継がれるなら。
「スリザリンになんて入れられたら、それこそ最悪だ」
こんな考え方の人間が、スリザリンに配属される筈がない。
ハリー・ポッターとロン・ウィーズリーはグリフィンドールになるだろう。そして、スバルも決まりきっている。これはスバルにとっては確証で、だからこそなおのこと彼らが何故こんなにも気に病んでいるのかわからなかった。
どんよりと悄気返った二人は、門出がまるで葬式だ。こんな雰囲気ではスバル一人なんでもないような顔をしてもいられない。スバルは口を開いた。
「グリフィンドールが絶対いいだとか、スリザリンはダメだとか、私にはよくわからないけれど……、きっとその寮の卒業生は皆、自寮を誇りに思うんじゃあないかしら。だって自分の青春をそこで過ごしたんだもの、自寮が一番良いって言うわ。ロンの周りにはグリフィンドールの方が多いんでしょう?」
「そうだけど……」
「なら口を揃えてグリフィンドールが一番って言うでしょう。
自分の寮が大好きな仲間たちに囲まれるのは、きっとどの寮だって変わらない」
「それに、」とスバルは続ける。「そうして考えた結果どうしても気に入らない寮であったら、きっとそこには配属されないと思うの。寮に合わないってことだから」
微笑むスバルを見て幾らか元気を取り戻したものの、彼らは結果を見ない限り安心することはないのだろう。
そもそも、ロンが気にしているのはスリザリンにはいってしまうことではなく、スリザリンに配属されることによる家族からの評価だ。散々聞いたスリザリンの悪評がロン自身に降り注ぐことだ。優れた兄ばかりでぱっとしない六男から裏切り者になってしまうこと、唯一下の、泣きべそかいて列車を追って手を振ったかわいい妹の手本にもなれないことを恐れていたのだ。
そしてハリーは、寮を知ったのはここ一ヶ月の間だったが、すでに嫌と言うほどスリザリンに悪印象を抱いている。今まで息するのに精一杯で、考えないようにしてきた両親は同じように魔法使いで、グリフィンドールだった。本当は事故なんかじゃなくもっと不条理に奪われて、奪った犯人は極悪人で、スリザリン。
少年たちを構成するものは、スリザリンを認めない。……でも、もしスリザリンになってしまったら?
スバルは口をつぐんで車窓からの景色を見る。決定するまで不安はつきることなく、スバルにできることはない。
それからハリーが思い付いたようにロンに兄たちの職業を聞き、一月前に起きたグリンゴッツの金庫あらし事件、クィディッチへと話は移り変わった。ロンがクィディッチについて熱弁している中、再度コンパートメントの戸が開いた。