04
「このコンパートメントにハリー・ポッターがいるって、汽車じゃその話でもちきりなんだけど。それじゃ、君なのか?」
色白で気だるそうな少年が顔を出した。両脇を身体の大きな子供で固めているせいか、プラチナブロンドの少年の細さが際立っている。色素も薄いしひ弱そうだ。スバルは、ハリーが来てから来客が多いコンパートメントに辟易していた。
ハリーが「そうだよ」と認めると、少年は傍らの二人と自分の名前を言った。
「こいつがゴイルで、こっちがクラッブさ。そして僕がマルフォイだ。ドラコ・マルフォイ」
マルフォイ? 色白の少年の名に、スバルは覚えがあった。マルフォイ家はリッチリストなど紙面でその名を見かける、英国魔法界で有数の資産家だ。そしてゴイル、クラッブ。どれも純血家系のはずだ。
今までスバルは純血主義の魔法使いと話したことはなかったが、代々魔法使いや魔女を輩出する家柄だと聞いていた。魔法界に爵位こそないものの、長く魔法界に名を連ねる貴族のようなものである、と。スバルのようにある日突然魔法界に招かれるマグル生まれがいる一方、先祖代々魔法界に身をおくのだから、ある程度の教養はあると思っていた。しかし、存外そうでもないようだ。
ああでも、お坊っちゃまであることは確からしいとスバルは思った。ちやほやされて育ったんだろう、相手が自分と同じ価値観を持っていると疑わず、ちょっとなおざりにされればすぐに気分を害する。
ハリーに軽くあしらわれて、頬を怒りに上気させ嘲笑おうとするマルフォイ少年。ハリーとロンは憤慨して立ち上がり、売り言葉に買い言葉で返す。
「出ていく気分じゃないな。君たちもそうだろう? 僕たち、自分の食べ物は全部食べちゃったし、ここにはまだあるようだし」
汽車に乗ってから出会う子供たちは感情豊かに、嫌悪を分かりやすく示す様に、スバルが白々とあきれ返る横で。
気品の欠片もない、横暴な子どもだった。貴族というのは間違いか、その品位を差し向ける相手ではないと思ったのか。
マルフォイ少年の片方にたつ少年が、お菓子の山に手を出そうとする。
「あなたたち、本当にマルフォイやゴイル、クラッブ家のご子息なの?」
パンッという空気を震わせる音、それから続いたソプラノに少年たちの動きが止まった。
「私、てっきり育ちがいいのだと思ったけれど……違うのかしら。他人の物に手を出すなんて、満足に教育を受けていないのね。まるでこじきだわ。
もしかして今まで劣悪な環境に? それをあなた方のお父様が引き取ったのね。ああごめんなさい、無神経なことをいってしまったわ。無理解に晒されて辛かったでしょう……でももう平気よ、これからあなたたちはきちんとした教育を受けられるの。ね、手癖の悪さは直した方がいいわ。あなたたちの行動はそのまま家名に反映されるのだから。おうちに泥を塗りたくないでしょう?
さあどうぞ、差し上げるから、もうこれで最後にしてちょうだいね」
それにしてもやっぱり偉大ね、流石マルフォイ家だわ。歌うような声音で言いながら、一度叩いたクラッブだかゴイルだかの手に自身で買った蛙チョコを幾つか握らせ、その上から包むようにしてスバルのきめ細やかな白い両手を添える。そして穏やかに、まるで慈愛に満ちているかのような微笑みを向けた。
スバルの完璧な笑顔と鼓膜を心地よく打つ声にぼうっとした様子だった彼らだが、スバルのいう意味を噛み砕いてようやっと気づいたドラコ・マルフォイが、じわりじわりと青白い頬を血色のよい桃色に染めてゆく。それから、依然微笑のスバルに顔を歪めると、スバルに握られているゴイルだかクラッブだかの手を振りほどき、踵を返した。「なにぼさっとしてるんだ、行くぞ!」
ガタガタと大きな音をたてて去ってゆく三人の背に、スバルはまるで彼らの退去の理由がわかっていないような、のんびりとした口調で「あら、行ってしまわれるの? またホグワーツでお会いましょうね」などと言った。
完全に彼らが見えなくなってから、スバルは未だあっけにとられている二人に向き直る。「さて、そろそろ着替えなきゃ」
「あ、うん……まさか君、これを狙って言ったの?」 スバルが手を払ってから、呆けたようによく回る口を見ていたハリーが、未だ驚きの抜けぬまま呟くように聞いた。
「入学前から喧嘩なんかしたら、ハリー、あなた更に有名になってしまうんじゃあない? ロンだって、きっと立派なご両親に怒られてちゃう」
スバルがウィンクをしてみると、二人は毒気が抜かれたように座り直した。ハリーはその想像をしたのかひどく青ざめて、神妙そうに頷いた。
「確かに」
「でもあいつら、一発殴っておきたかった!」
家族を侮辱されたことを思い出してか、ロンは強く拳を握る。ハリーも頷いたが、去り際のドラコ・マルフォイの顔を思い出すと笑いが込み上げた。
「ロン、きっと彼らと喧嘩する機会は入学してからもたくさんあるわ」
最後に、呪いとかね、と付け足したスバルに、二人は殴り合いの末路を考えて、スバルに感謝した。体格差を思い出すと、吹っ飛ぶ自分達が容易に想像できたのだ。魔法で勝負しよう、頭が悪そうだったし、これなら簡単に勝てそうだ。ハリーは呪文をひとつも習っていなかったが、たくさん呪いを覚えようと決意した。
「マルフォイに会ったことがあるの?」 ロンは初対面には見えなかったハリーとマルフォイを思いだし、ハリーに聞いた。するとハリーは、魔法用具をダイアゴン横丁に買いにいったとき、彼に会ったと言った。その時からいけすかない子だったとハリーは思う。ロンはスバル同様、マルフォイの名前に聞き覚えがあった。暗い顔でその悪い噂を口にしながら、スバルを見た。
彼女はさっきまるでマルフォイ家を肯定するような発言をしたのだ。マグル出身であろう彼女が、純血主義者とは思えなかった。
マルフォイ家は表向き、様々な魔法施設に多額の寄付金をする愛国心溢れる魔法界貴族だ。だからこそロンは、マルフォイ家は称賛するべきではないと暗に伝えたかった。極東の国のマグル出身で、黒髪が美しく、少しおとぼけているが、気配りができるとても心優しい少女。彼らを知って、魔法族が嫌われてしまうのは避けたかった。そして、この少女によく思われていることが気に入らなかったというのもある。そうなの、と返すスバルの表情を見て、ロンは少し安心した。
対するハリーはじっとスバルを見る。その視線に気づいたスバルは、ハリーに尋ねた。
「どうかした? 私、なにか変?」
「いや、ううん、何でもないや」
「……そう?」
スバルはハーマイオニーのとき同様、また何かしてしまったか、と思ったが、相変わらず思い当たるところはなかった。ハリーの顔色はまだ朱みが戻らないがそれは先程からだし、本人は何でもないというのだから、追及するものでもないだろう。スバルは切り換えてトランクからローブを取り出した。
「まだ着替えてないの? 急いで着替えて、もうすぐでつくわよ」
顔を覗かせたのは先程の少女、ハーマイオニー・グレンジャーだった。スバルは彼女に近寄りたくないと思われているようだったし、それでもよく顔を出すということは、ハリーやロンが目をつけられたということだろう。
うんざりとした顔でロンは「今から着替えるから、よろしければ出てってくれない?」と言った。その皮肉った言い方に彼女もつっけんどんに返し、すぐに出ていった。彼女に鼻の泥を指摘されたロンは、出ていくまで睨み付けていた。
「廊下で待ってるね」
「ううん、いいよ。僕たちが出る」
スバルが続いて出ていこうとすると、ハリーが止め、ロンと共にそのままローブをもって外に出る。着替えるといってもローブを羽織るだけだったが。コンパートメント内で準備を終えたスバルは二人を呼び、それから三人で慌てて残ったお菓子をポケットに詰めた。
ハリーとロンはずいぶんと顔色が悪く今にも倒れそうで、スバルはその二人と比べたら落ち着いていたが、それでも普段よりは血の気が失せていた。
汽車が速度を落とすにつれてざわざわと喧騒が大きくなり、コンパートメントから列車の外に出るまで大混雑だった。荷物は置いておけば自室に届けられるそうで、森梟とは暫しの別れである。スバルは身一つだった。この混雑に多くの荷物を持っているのを想像して、現状がましなものだと思うことにした。
外に出ると夜露を含んだ冷気がスバルたちを包み込んだ。ハリーは身震いし、ロンは一層顔を蒼白にしていて、その髪の毛とのコントラストが鮮明になってしまっている。薄暗い中、ぽっと光を灯したランプが生徒たちの遥か頭上を揺れながら近づいてきた。ランプだけではない、ランプは大きな男に掲げてられている。
「イッチ年生! イッチ年生はこっち! ハリー、元気か?」
長くモジャモジャとした髪と髭に顔が埋もれている大男は、スバル……いや、その横にいる少年に笑いかけた。その大きなスコットランド訛りの英語はハリーに向けられている。
「お知り合いなの?」
「うん、ハグリッドはホグワーツで森の番人をしてるんだって。ダイアゴン横丁に連れていってくれたんだ」
しゃべるハリーの息は白く、震えていた。ホグワーツ関係者と共に外出する、ハリーは厳重に保護されているようだ。
ハグリッドの後に、1年生がぞろぞろと続いていく。鬱蒼と草木がしげり、空気は冷え込んでいて、その雰囲気に飲み込まれ誰一人として言葉を発しない中、ぱきりぱきりと歩を進める音と何かの鳴き声が森に響く。
先程多くの上級生がいる中、1年生のみ呼ばれたのだから、他学年は別の道で行ったのだろう。足場が悪いこのルートをあえて使うのは何故だろうか。これまでの子供たちの世界から、魔法界の一員になるという雰囲気を提供するため? スバルがとりとめのない思考を巡らせていると、匂いが変わったことに気づく。──水だ。
前を行くハグリッドの声に続いて、そこかしこから出る歓声。「ほぉら、見えるか? ホグワーツだ」
木々が開け森が終わるころ、どくり、とスバルの胸は高鳴った。周りの興奮した声がどこか遠くに聞こえた。
宵闇を照らす灯りが古城を形作り、それは、湖のさざめく水面にも倒影として浮かび上がる。幾千ものほの暖かい光が、スバルの心を、瞳を、捉えて離さない。
湖を渡るようで、1年生はぞろぞろとハグリッドの誘導の元、船に乗り込む。スバルは意識を完全にホグワーツに向けたまま、小さなボートに腰掛けた。ボートはすぐに定員になり、すべてのボートが埋まると自然とボートはゆっくりと此岸から離れる。波紋に鏡面の古城の明かりはゆらめき、幻想的だ。湖は冷気を垂れ込めるに一役かっているようだったが、スバルには寒さは全く感じなかった。それどころか、周囲の歓声やささやく声も聞こえず、感覚すべてがホグワーツにとらわれる。
スバルはいつのまにか詰めていた呼吸を始める。
私はここで学ぶ。静かに、ここで息をする。ホグワーツに魅入りながらそっと吐き出された息は、僅かに打ち震えていた。