01
靄がかすかになびくホグワーツ。スバルは朝露に濡れる草花を踏みしめる。向かうはふくろう小屋、預かった森梟に手紙を渡すためだった。
手にした手紙は羊皮紙で、綴ったインクは羽ペンで。封は蝋を垂らした。魔法界の手紙を出すのは初めてのことだ。
中は、ホグワーツの生活についての報告だ。例えば晩餐の席は上座からみて一番右であるとか、例えば寮の窓から見える水底の様子とか、例えば胸元を飾るネクタイは銀と緑のストライプだとか。
例えば、組分け帽子が告げた寮の名前とか。
スバル・シノノメはスリザリンの一年生である。
朝食の席はがやがやと、上空を滑るふくろうは飼い主や届け先を目掛けて降り立つ。人々の話し声やふくろうの鳴き声で騒がしい食事を、スバルは好いていなかった。紅茶とサラダとパンケーキ一枚をすませると、寮へ戻ろうと席を立つ。
「あら、スバル。もう終わりなの?」
「ええ、もういっぱい。授業だし準備しなくちゃ。先に戻るわ、皆はごゆっくり」
スバルに声をかけたのは同室の女子生徒だった。
今年スリザリンに配属された一年生のうち、女子生徒たちは固まって移動していた。人数もそう多くなく、まだホグワーツになれていないため、団体行動の方が都合がいいのだろう。仲間意識も強く、彼女たちは輪から外れるスバルを気に掛けるように視線を送るが、スバルは愛想よく微笑んですぐに立ち去った。
大広間から出たスバルを追うひとつの影があった。それは音もなく飛来し、スバルの視界に入ると、近くの手摺に止まる。森梟だ。差し出すされた足にくくりつけられているのは、数日前に送った手紙の返事だった。
森梟は手紙をあけ渡し、ギャウ、と鳴いた。餌を欲しがる声に、スバルはポケットにいれた巾着からふくろうフーズを与え、嘴をかいてやる。満足した様子で来た道を帰すふくろうを見送ると、スバルは見知った人がいることに気付いた。
「おはよう、ハーマイオニー」
朝食を終えて寮に戻るところだったのだろうハーマイオニー・グレンジャーは、廊下に立つスバルをみとめて立ち止まっていた。土曜日の組分けで別れて以降、 六日振りの邂逅だった。
軽い挨拶のまま踵を返すスバルに、「まって!」気づけばハーマイオニーは呼び止めていた。思わず大きく出た声に、ハーマイオニーはしまったと顔をしかめるが、振り返ったスバルは特に気にした風もない。純粋に制止について疑問に思っているようだった。「どうしたの?」
「ふ、ふくろう……! さっきのふくろうって、貴方のペット?」
ハーマイオニーはしどろもどろに、けれどはっきりと聞いた。少し不安と焦りがうかがえる表情だった。
「違うわ」 ハーマイオニーの感情が何に起因されるものかわからず、スバルは否定した。森梟は借り受けてはいるものの、スバルのものではなかった。
「……そう。呼び止めて悪かったわね」
スバルの返答に満足したのか、ハーマイオニーはちょっと安心して頷いた。スバルは今度こそ「じゃあ、また授業で」と言って、その場をあとにした。
スバルの部屋まで戻ったスバルは、ふくろうから受け取った手紙を開く。
『親愛なるスバルさま
まずはホグワーツ入学おめでとう。スリザリンになったんだね。ハッフルパフを卒業した身としては残念に思わなくもないけれど、妻は喜んでいたよ。色々と大変なこともあるかもしれないが、基本的に寮生は身内を大切にしてくれるはずだから、何かあれば先輩や寮監を頼りにすればいい。もちろん、私たちにもできることがあれば力になりたいと思っているよ。いつでも手紙を送ってくれてかまわない。
君のホグワーツが実り多い一年となりますように』
最後にT.Tとかかれたサインまで目を通すと、手紙をトランクにしまい、鞄に今日の授業の教科書や筆記具などを入れた。
準備が終わるころ、静かだった部屋に人の話し声が近づいてくる。朝食を終えた生徒たちが戻ってきたのだ。
「スバル・シノノメ!」 扉が開くやいなや、スバルは鋭く名を呼ばれる。呼んだ本人はベッド脇に立つスバルを見つけると、勢いのままに詰め寄った。パンジー・パーキンソンだ。「貴方また先に戻ったのね!」 糾弾する声がスバルの耳に痛い。
「声をかけたのだけれど……駄目だった?」
甲高いトーンを煩わしく思いながらスバルが言えば、パンジーはとんでもないとばかりに声を張り上げた。「もちろんよ、危ないでしょ!」
危ない? はて、何か危機があっただろうか。訝るスバルに、パンジーはいいつのるように続けた。
「グリフィンドールに襲われるわ、あいつらスリザリンってわかったら見境なしに攻撃してくるんだから。ひとりのときに何かあったらどうするの?」
スバルが理解していないと見て、ヒートアップしていくパンジーを、ミリセント・ブルストロードが止めにかかった。「そのへんにしたら? シノノメが引いてる」
「嫌だミリー、あなたシノノメの肩を持つの?」 ぐいぐいと詰め寄るパンジーがミリセントに向かったことで、スバルは一息つく。
「別に、ひとりがいいっていうなら放っておいてもいいでしょ。あれだけ優秀なら何かあっても大丈夫なんじゃないの」
ミリセントはちらりとスバルを見て、肩をすくめた。「変なことしでかしてスリザリンから点を引かれない限り好きにさせれば」
「冷たいこと言うのね!」
「お節介が過ぎるんだよ」
パンジーの食って掛かる対象がスバルからミリセントに変わった。同時に入ってきていたサリー-アン・パークスは困惑している。スバルにすがる目線は二人の争いを止めるように訴えかけていた。
口論の一端はスバルが担っているのだし、止めるのが道理か。スバルは面倒と思いつつ二人に声をかけた。
「ごめんなさい、パンジー。心配してくれてありがとう。できる限りひとりでうろつかないようにするわ、なにか困れば誰かに助けてもらうから大丈夫。
それにミリーも、私を思ってくれたのよね。減点されないようにするから心配しないで。ありがとう」
穏やかに諌めたスバルに二人は一瞬毒気を抜かれる。パンジーが口を開いたとき、扉がノックされた。
「どうぞ」 スバルが促せば、顔を覗かせたのはダフネ・グリーングラスだった。
「いっこうに来ないと思ったら、ここが談話室だったの?」
「あらダフネ、ベッドがあるの見えない?」
そう言いつつ慌てて準備にかかるパンジーを見て、溜め息をついたダフネは、立ったままのスバルに目をやった。スバルは彼女に荷物の入った鞄を持ち上げて見せると、頷いて部屋を出るダフネのあとに続く。
「スバル! あなた先にいっちゃダメだからね! ダフネ、下で止めといてよ」
「あなたたちが来るまでにお話が終わってなければね」
追いかけてくる声にダフネはおざなりに返事をし、「いきましょ」とスバルに声をかけた。教室へも皆で揃って移動するため、準備が終わり次第、談話室に集合することになっていた。
スバルとダフネが談話室につくと、ちょうど談笑していた先輩のひとりがスバルに声をかけた。
「おはよう。今日は魔法薬学の授業なのよね?」
「はい、スネイプ寮監が担当されると聞いて楽しみにしていました」
「先生は私たちにとても親身になって教えてくださるから、いい授業を受けられると思うわ」 にこやかにそう言って、監督生のジェマ・ファーレイは続ける。「既に一回先生から点をもらっているスバルだもの、スネイプ先生からいい評価をいただけるでしょうね」
「あらジェマ、情報が古いわ。三回よ」
割って入るように言ったのは、準備を終えて談話室に来たパンジーだ。
「すごい、期待の星ね」
「でしょ? ──わっ、何するの!」
驚いてスバルをみるジェマに、パンジーは誇らしそうにし、その横っ腹を小突くようにしてダフネがたしなめる。
「あなたが胸を張ることじゃないでしょう、パンジー。遅いわ」
「お待たせして悪かったわね! スバルが謙虚なんだもの、代わりに自慢してあげるのよ」
「その理屈はよくわからないわ」
じゃれつく二人はホグワーツに入る前から交流があり、幼馴染みだという。まだ不馴れな一年生の中で仲の良さが目立つが、指摘されると二人して否定するところもまた気が合うようだった。
「もういかないと。ジェマさん、お先に失礼します」
「ええ。みんな、ピーブズやフィルチ、グリフィンドールに気を付けてね」
寮を抜けて向かうのは地下牢の教室だ。スリザリン寮から比較的近いその教室を目指す道中、パンジーはスバルに話しかけた。
「ジェマもいってたじゃない、気を付けなくちゃならないものがたくさんあるの」
「それ、まだやるの」
ミリセントが呆れていった。ダフネもうろんげな視線をやる。
「あなたたちだってわかるでしょ? スバル、ただでさえ目立つのに、この一週間で既に三回も先生から点を貰ったわ! 他の寮のやつら、とくにグリフィンドールは気にくわない筈よ」
ホグワーツに来てからまだ一週間だというのに、寮杯を既に意識しているパンジーは、好スタートをきったスバルたちスリザリンは他寮から狙われ攻撃されると思い込んでいた。スバルがひとりでいれば粉砕呪文でも掛けられると信じているようだ。
対する他の一年生は、まだスリザリン寮の意識は強くなく、警戒に余念のないパンジーの過激さについていけていなかった。
パンジーとの付き合いが長いダフネは、腐れ縁の思い込みの強さを知っていたから、言い合っても終わらないと話題を変える。「スバルが目立つってのには異論ないわ」
「そんなことないと思うけど」 自身の話題が続くことに飽き飽きとしながら、スバルはやんわり否定する。が、スバルの言葉にミリセントが鼻を鳴らした。「あんたそれ本気で言ってる?」
「『妖精の魔法』で聞かれた呪文全部答えて1点、『薬草学』でモーリュの効能と用途に育て方を答えて1点、そんでもってマクゴナガルの変身術ではマッチ棒を彫り物つきの縫い針に変えて1点だっけ?」
「『魔法史』と『天文学』の羊皮紙がきれいで見やすいってことも忘れないで」
「もう何でもできるじゃない」
「あと、あなたの見た目よね。とっても目立つわ。『
「え、私知らない」
指折り数えるように言うミリセントに続き、やいのやいのと好き勝手言い始めた少女たちにあてられて、スバルはこれだから嫌なんだと心中毒づく。スバルにとって喧騒と詮索は何より好ましくないことだった。
「授業で点をとれたのは偶々だし、先生方も最初だから甘くつけてくださったんでしょう。羊皮紙だって、サリーは寝てたから乱れたんじゃない? 特別きれいってほどでもない」
「それこそ、そんなことないと思うけど!」 一つ一つ丁寧に否定していくスバルに、後ろめたい事実を指摘され、ダフネに白い目を向けられたサリーが、慌ててさっきのスバルの言葉を返す。「まぁでも、何でもなんてことはないでしょ」 そういったのはパンジーだった。
「飛行術がからきしだったりして。あなたの細腕、杖以上に重いものは持てないって感じだし」
パンジーはちらりと鞄を握る手を辿って、袖に隠れる腕に目をやった。黒いローブから覗くそれは対称的に白く、地下廊下を照らすランプの明かりを受けて、ちらちらと輝いている。スバルに近いミリセントが比較的体格がいいこともあり、一見すると病弱にも見える。
見定めるような視線を受けて、スバルはにっこり笑った。「あら、私の鞄持ってくださるの?」
「じゃあ私のもお願いしようかしら」
「おあいにくさま、淑女ならふさわしい紳士がいるわよ」
しれっと便乗したダフネをあしらって、パンジーがそこに、と言って指差す先には、スリザリンの男子生徒たち。
「ど、どうしたんだ?」 一斉に振り返った少女たちはおっかなびっくり何事か尋ねる男子に、きゃらきゃら笑って「何でもなーい」と教室へと駆けていった。