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※注意書をお読みの上でお願いします



 事の発端は一通の手紙であった。

 助手は一日の始まりの業務として郵便を確認するのが通例である。
 大体の郵便物は文士同士の館内での手紙や休日の外出から出した手紙、何かと不在の多い館長や定期的に確認を寄越すネコからのもの。他所の図書館からの知らせもままあり、時々不動産広告や近所のスーパーのチラシなども紛れている。助手は宛先からを司書の目を通すもの、通さないものとで振り分けて司書に渡すのだ。

 その日の助手を勤めていた男は、分別の作業中に手を止めた。随分珍しいものを見たからだ。
 それはつるりと白い封筒で、郵便物の中で一際目立つ色だった。珍しくもタールのように黒々とした蝋で封が為されている。記された住所は印刷か、均等で画一的な文字が紙上を薄墨色に満たしている。
 しかし何より目を引いたのは、表面に刻まれた宛名だった。住所と同じインクで書かれたのだろう、白地に読みづらい薄さで以下のように、無機質な四角い文字が並んでいた。

 『帝國図書館のアルケミスト様』

 この珍妙な手紙は、仕分けた島崎の手によって、好奇心と共に司書へと報告された。



 アルケミスト──すなわち錬金術師とは、文字通り錬金術を扱うものだ。この錬金術は、遠い過去に興り、知識人たちによって研究が進むにつれて科学へと変遷し、神秘性が失われた歴史の遺物。空想のように、おとぎ話のように思われているそれは、しかし地下で脈々と受け継がれた学問であった。
 そしてこの学問に携わる錬金術師たちもまた、日陰にて身を隠し、その頭脳を費やす存在であったのだが。昨今の文学史に残る異常事態──何者かによって文学書が黒く塗りつぶされ、人々の記憶からも失われていくという災厄──において功績が認められ、僅かだが存在が顕になった。しかしその功績、術師の成せる業の重大さから、依然として世を忍び、錬金術は世から秘匿された物であらねばならない、と彼らは聞いていた。

 『彼ら』、とは。
 この帝國図書館に存在する人員の大多数を占めるものたちであり、
 アルケミスト兼特務司書である女の助手を勤めるものたちであり、
 文学書の『侵蝕』に憤り、対処の協力を約束したものたちであり、
 かつて文学に心身を捧げ、その力を熟知し扱えるものたちであり、
 その名を遺し、後世の人々に今も尚影響を及ぼすものたちである。

 彼らは他の者たちから俗に『文豪』と呼ばれる。その言葉は単に辞書通りのすぐれた文学者や大作家というだけではなく、その命を燃やし尽くした、という含意が存在する。そう、既に一度、彼らは命を喪っていた。
 では何故、一度死んだものがこの図書館に存在するのか? その理由こそがアルケミストを世から隠蔽されるべきものとする要の部分であった。

 アルケミストはその錬金術にて、様々なことができる。大空を飛ぶとか、遠く離れた地に声を届けるとか、永遠とも思えるような命を保つとか、卑金属を金属に変えるとか。その多くは現在の科学で実現しうる、もしくは科学技術から生み出された方が安価かつ安定性も認められるような、とかく一般で云えば決して魔法ではない、不思議ではないものが多い。
 しかし、錬金術の粋といえる技術になると話は異なる。
 その筆頭が死者の蘇生。古来より神話や伝説に語り継がれ、しかし現在の科学では為し得なかった大業が、アルケミストには為し得たのだ。

 死んだものが公然と生き返る技術が世に知れ渡れば当然混乱が起きる。一生であるはずの人の命は無限へと変わり、その価値はどれ程下がるだろうか。もちろん今に続く国家制度は瓦解するし、人命という資源が尽きなければ争いは増大する。人よりも星の命が瞬く間に消費され尽くすことだって多いにあり得る。


「──つまり、『アルケミスト』っていうのはこれまでもこれからも、喧伝されるべきではないんだろ?」
「そう、館長やネコに聞く限りはね」
「実際、外で見る新聞とか、本屋にだってアルケミストなんていう言葉はまず見ねぇ。錬金術もだ。見たと思えば大概は商いの指南書か、それこそ幻想文学の類い」
「他の図書館──嗚呼、国定図書館じゃない、市民に解放されてる一般的な図書館のことだけど。そっちの古いのを見てみても似たようなものだった」

 麗らかな陽光に、風がわずかに秋を運ぶ頃。帝國図書館は談話室にて、窓外の美しい中庭の様子には目もくれず、話し合う男たちがいた。
 彼らこそが前述の文豪であり、彼らを転生させた女に届いたとある手紙、そこに潜む“何か”を鋭敏な嗅覚でもって嗅ぎ取っていた。

「こんだけ大事になってんのにな。ネコだって政府の役員だろう。そも、しゃべるネコの存在がおかしいが……」
「現状の文学の侵蝕に関する事態と、アルケミストの存在については切り離して考えるべきだよ。どちらも認知度が恐ろしく低いのは、政府が情報操作してるからだろう」
「操作してるったってな、関わる人間が多けりゃ大なり小なり漏洩するだろ。文字としてあがらないばかりでなく、人の口にだって毛ほども出てきやしねぇ」
「まあなぁ、古本屋の旦那とかも、さっぱり存じませんって感じだったな」
「ちょ、ちょっとまった!」

 目の前で繰り広げられていた報告会の、聞き手に徹していた徳田だったが。あまりにも引っ掛かる発言を耳にして、ついに制止をかけた。人の口、いやそんな。「まさか、君たち、聞き込みなんかしてないよね」
 徳田の問いに、対する彼らはきょとんと呆けた顔をして、互いに見合わせる。
「何言ってるのさ、秋声」 そのうちの一人、島崎が死んだ魚のような目を瞬かせ、ちょいと首をかしげる。「聞き込みなしの取材なんてつまらないよ」
「いや、つまるつまらないじゃないんだけど。まず口外禁止だって言われてるだろ」
「そうだった? ……きちんと守ってるなんて、ずいぶん“いい人”してるんだね」
「君ねぇ……!」
「まあまあ、二人とも」 平然といいのけた島崎と立ち上がりかけた徳田の間に、宥める声が入った。「勿論その存在を相手に知られるようには聞いちゃいないさ。
 島崎も、お前の腕を彼が認めてないわけ無いだろ。そんな拗ねたような口聞くな」
「……はぁ。わかったよ」
 国木田の言葉は文字通りの『口外禁止』には無論反していて、納得したわけではなかった。だが、島崎の人の神経を逆撫でするような物言いは今に始まったことではないし、ことの主題は別であったから取り敢えずは置こう、と徳田は溜め息をつく。

「そうだ。問題は、そうまでして厳重に隠されている『アルケミスト』を、わざわざ宛名にして送られてきた手紙だ」

 とん、と取材メモを人差し指で弾いて、田山が言った。その場の者たちは各々うなずいたり、メモを見返したりと反応する。メモを開いた国木田は、情報を整理しよう、と切り出した。
「件の封筒を見たのは今日からちょうど二週間前、俺たちの中じゃ助手に指名されていた島崎だけだったな?」
「うん。手紙を受け取ったあの人の変化は明白だった」 国木田の指摘を受けて、唯一場の当事者だった島崎は、その時の事を思い浮かべる。

「最初は心当たりはないようで、いつもの無表情だったよ。僕が『それは何の手紙?』って聞いても、『わかりません』って言っていた。ただ、間違いにしたって余りに限定的な宛名だから、自分か館長宛だろうって蝋を剥がした。
 中にあったのも外の封筒と同じ材質かな、見た目では変哲の無さそうな便箋に見えたよ。その便箋一枚の他には何もなくて、便箋には“何か”が書かれていた」
「その“何か”ってのは何なんだ」 田山の質問に、島崎は肩を竦めた。手紙は確かに助手の彼の前で封を開けられたものの、手紙を開けた女は彼と相対していたし、距離だって近かったわけではない。常の業務の中で行われた開封は、その異常をまだ顕にしていなかったから。
「わからないけれど、あの人にとって大きな衝撃を与えうる“何か”があったことは違いない。“何か”を見て、あの人は珍しく狼狽したようだった。息を飲み、手紙を持つ手は痙攣して、目も見開いてた。元々良くもない顔色だったけどさらに悪くなるものなんだね。あれは瞳孔開いてたな」
「それは、なんというか……珍しいな……」 徳田は島崎の言う状態のあの人──この帝國図書館唯一の特務司書を務める女性を想像しようとして、ぎゅっと形のよい眉をいつもより2割増しでくっつけた。彼の知る限り能面のように代わり映えのない表情しか持たない彼女、その認識は他の二人も同様らしく、徳田と同じように眉を寄せている。
「何かわからないってことは手紙の中身は見てないんだな。聞いてもないのか?」
「ううん」 島崎は否定の意を示す。「見たし聞いた」
「え、見たの。許可はとったんだろうね……?」 徳田は嫌な予感がして、恐る恐る聞いたが。
「聞いても見てもわからんってどういうことだ」
「暗号とかか? アルケミストって研究書を暗号化して残すらしいし」
「いや」 徳田の問いは黙殺されたのか、一括りに答えられたのか。島崎は首を降った。「聞いても、『いえ、悪戯の可能性も捨てきれないので』なんて濁った言い方して、頑なに内容については固辞していた。そのあと、どんなものかと見てみたけど。便箋はまっさらで何も書かれていなかった」

「は? 何も書かれていない?」
「うん、両面見たし触っても透かしても文字は見られなかった」 まるで未使用の便箋は封筒と同じようにつるりと光沢を放って、指先で触れてみてもペン先で抉れたような凹凸はなかった、と島崎は続けた。
「……つまり司書は、『何も書いていない手紙』を見て狼狽えたのか?」
「どうかな」 便箋を開いた彼女を正確に思い出そうと記憶を巡らす。「あの人の目は文字を追うようにちょっとだけ横に動いた気もする」
 その場にいたのは島崎だけだったわけで、彼の証言に頼りにするしかない彼らは、うーんと唸った。
「じゃあ、なにか。今の技術じゃ、まさらな紙に特定の相手のみ読み取れる文字を印刷できる、とか」
「インクが乗ったら案外触れてもわかるものじゃない? 確認したら消える文字かもしれないよ」
「どうだろうな。俺からすればまるで空想みたいな話だが、錬金術とやらは魔法みたいに思えるのに科学なんだろ? 可能なのかもしれない」
「現代の印刷技術はまた調べよう。これが錬金術の範疇なら出てこないかもしれないが、館長に聞いてみたらわかるんじゃないか」
「ま、それが一番早いか。館長が図書館に来さえすればな」


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