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 彼らにとっては常日頃監督する特務司書の女性よりも、しばしば訪れては酒を持って絡みに来る館長たる男の方が親しみやすかった。館長も司書と同じくアルケミストの才を持つが安定性に欠くらしく、ただし錬金術への理解の深さ、そして文学への知識も持ち合わせた稀有な人材ゆえに、この図書館の館長を務めている。彼の話はなかなかに面白い。研究者としてだけでなく一読者としても文学談義に参加するし、錬金術についても可能な範囲でなら色々と話してくれる。何より人柄も豪放で好ましい。
 反して特務司書となると、こちらは気難しい女性という印象が強かった。まだ若く、年のころは20代前半にも見えるが、詳しいほどはわからない。どれだけ彼らが交流を深めようと雑談を振っても、食事に誘っても、外出ついでに用を尋ねてみても、全くといっていいほど奮わないのだ。顔とて無表情か神妙な面がデフォルトで滅多に崩れはしないし、いつも某かの研究ばかりで休んでいるように見えることはまずなかった。
 そんな彼女が、一部の言によれば、最近はどうも変わったようなのだ。手紙を見て、正しくは手紙に書かれた“何か”によって。

「何にせよ、その“何か”が今オレたちが感じている変調の端緒だったわけだよな」
「変調というには重いような気もするけどね。最初からああだった気もしないでもない」
 現状の彼女の変化については、他の同士達でも意見が割れていた。『変わったような気がする』と『変わっていない気がする』の二分だ。どちらも多くは曖昧な感じが、如何にも彼女と彼らの間の断絶を表している。
 その彼らの中でもっとも古株である徳田の言葉に、田山は少し顔をしかめた。「秋声がそういうならそうなのか……?」
「いいや、絶対に変わったね。確かに目に見える変化は少ないが」 対して国木田は、その目に確固たる自信を宿らせて断言し、島崎にも振る。「島崎もそう思うよな?」
「そうだね……。手紙を見たあの人は、確かに雰囲気を変えたから。その変化をもたらす“何か”、効果を手紙は確実に有していた」
「しかも『悪戯かもしれない』なんて言ったんだろ? 普段言葉数の少ない司書がさ。確実性のない話をしない分、嘘もつかないような人だ」
 国木田の言葉に、今度は徳田が渋面を作る番となった。「それは勿論、わかってるけれど。結局かもしれないなんて不確かなことを言ってるんだ、どちらともとれないじゃないか。僕らが変に気に掛けないように言葉を選んだんだろ」
「だったら『悪戯です』とか、『悪戯でしょう』とか、もっと疑わせないような言い方があるだろ。動揺していたにせよ、むしろだからこそ、『かもしれない』って言葉が気にかかる」
「気にしすぎじゃない……あの人がそこまで考えるかなんてわからないよ」

「秋声はどうも、この件を明らかにしたくないようだね」 徳田の主張は一貫性に欠けていた。島崎はそこを突いて、生気のない目をじっと彼に向ける。
「……あの人だって私生活があるだろ、そこに踏み込むのはあまりよくないと思う」
 徳田の発言を受けて、島崎はへえ、と気の籠らない返事をした。「『私生活』、ね。宛名は私生活向きには思えないけど」
「これを期に司書の仕事以外の面を少しは知れるんだったら面白いんだけど、望み薄か」
「普段は親睦を深める糸口さえないしな」
「いやに頑なだよなぁ……、あの人から錬金術とか諸々を聞けりゃ良い記事が書けそうなものなのに」
「記事にされたくないからとか? それにしたって他の連中にも似たような態度貫いてるよな」 相手が記者と知ると身構える人間は一定数存在するし、実際他者をモデルとして作品を発表したことを鑑みれば関わりたくないと思う人間はいるだろう。しかし彼らも観察眼の秀でたものたちだ、当然彼女の態度は己以外が相手の場合も見てはいたが、そこに大きな差はなかった。

「南吉くんはなついてるみたいだね。そのせいか少し優しい」 他の彼らよりも僅かに関わる機会の多かった徳田は、幼い姿で転生した同士──過去の年齢を考えても徳田からすれば随分な若者だが──の新美南吉相手には、彼女の氷のような目をちょっとばかり和らげることを知っていた。
「あれ何でなんだ、成りが子どもだからか? 宮沢には他と変わらんだろ」 新美は童話作家であり、彼らはその作品を詳しく知らないが、同じく子どもの風采で転生した宮沢賢治とは特別親しかったようには思えず、国木田は首を捻る。
 田山も隣で首肯してぼやく。「大体あの鉄面皮になつくって何があったんだよ……聞いたって楽しそうに『内緒だよ』って言うだけだし。しかもあんな風に可愛くまとわりつかれて、“少しだけ”優しいってさ……」
「ちょっと待て花袋聞き捨てならない。お前まさか」
「花袋、君の描く美少女像って寛容なんだね……どこまでが守備範囲なのか興味が出てきたよ」
「はっ!? 待て待て待て待て違うぞ!?」
「自分の心に嘘をつくのは自然主義作家としては見逃せねぇな」
「質問良い? 最早『美少女』という枠から抜けたわけだけどそれは彼の見た目ゆえ? それとも」
「図書館の風紀は守りたいな、あまり面倒は起こさないでよ」
「秋声まで!!? 可愛いって違う、そうじゃないからなぁ!」


 田山が彼らからのあらぬ誤解を必死に解き終わるころ、依然疑心を孕んだ視線を受けつつも、咳払いをひとつして仕切り直す。
「えーと? 話は大分脱線したが、纏めると。
 まず存在が認知されていないはずの『帝國図書館のアルケミスト』へ届いた手紙は、我らが特務司書によって開封。彼女は“何か”を見て、変調を来した。その“何か”は手紙には残っていない。他に何かあるか?」
「……変調については見解に個人差がある」
 徳田の仏頂面に苦笑しいしい、田山は頷く。「だな、オレもそこんところは懐疑派だ。元々関わりは薄いし、最近じゃ特にそうだからなぁ。目の前でみた藤村ならともかく、独歩は何でそんな確信めいてるんだ」
 田山は首を傾げて、国木田に疑問を呈した。彼とて己と大差ない距離感を司書との間に築いているはずで、だからこそこうも意見が違うことが不思議であった。国木田は田山の言葉を拾って指摘する。
「そこだよ。最近じゃ特に会わない、ってとこ。あの人は確かに無愛想を極めちゃいるけどな、よくよく俺たちの事見てる。特務司書としての責務だかなんだか知らないが、俺らが潜書以外のただ寛いでるときだって一旦は視界に収めて、時によっちゃ聞き耳もたててるな」
「げ、マジかよそれ。何で話しかけてこないんだ……」 国木田の情報は田山にとって初耳で、その状況を想像して──何を聞かれていたのかを考えて、顔をひきつらせた。
「単純に親しくないからじゃないの。元より話すの苦手そうな人だし」 特に田山のように自分をはっきり主張するような人とは、と徳田は思いつつも口にはしない。沈黙が金ということは身を持って知っている、主に兄弟子に関して。
「あの人みたいなひと、最近だと“コミュ障”っていうらしいよ。コミュニケーション障害」
「障害だぁ? 知らん間に色々と病気もできたもんだな」
「昔じゃかかれば最期の労咳だって今じゃ予防接種で防げる世の中になったのに、ずいぶん病が増えたんだな……」 事も無げに自身の死因を口にした国木田に田山は肝を潰したように目を見開いて、筆を取り出した島崎は徳田によって封じられた。「まぁ実際に“コミュ障”なんて口にしてるのはもっと軽度な、障害として定義されるものとは異なる俗語的意味合いが強いみたいだけど」
 徳田の拘束から抜け出した島崎が付け足したところで、話はもとに戻る。

「とにかく、そんな司書が今じゃ勤務外には滅法見かけない。元々いつも何かしらやってる人だったがここんとこ輪に掛けてそうだ。部屋に籠って『植物室』への出入りも減った」
 『植物室』とは、図書館の敷地内にある、司書所有の温室の通称である。何やら錬金術の研究のために稼働しているそれは、司書が掛けた錬金術の術式によって温度や湿度調整が行われ、常に様々な植物が咲き乱れている場所だった。管理は司書のみが携わっているものの開放されており、彼らも何度か足を運び、植物室にいる司書に出くわしたことがある。
「うーん。確かに、変わったのかもな」 国木田の主張に、日頃司書に特別意識を向けていなかった田山は唸る。「籠るってのはいつもの事だが。出掛けたところをまるでみたことがない」
「僕だって見たことないよ。館長さんがたまには外出ろって嗜めてるくらいだ」
 特務司書の就任当初からいる徳田が言うのだから、相当なのだろう。島崎もメモをめくって言う。
「気になったから見てみたけど、外出届にも出入館記録にもあの人の名前が載ったことはない。例外的措置で出入りしてるのかとも思ったけど、司書に関しての記述は特になかった。これに関しては司書か館長かネコに聞いてみたいね」
 司書からの返答は基本的に望めないばかりに、重なっていく館長への質問。しかしいくら答えをくれる相手とはいえ、その本人がいないのでは話にならない。館長は今日も不在であった。

「館長なぁ。この前来たのいつだ? 来たら一杯やることが多かったのに、最近は顔見せだけで帰るよな」
「直近で来たのは五日前。その前は八日前だ。で、直ぐ帰るようになったのは……」 ぺらぺらと記録を改め、国木田はその日付を見やって。国木田を見る三対の瞳に、開示した。
「──ちょうど二週間前。司書が手紙を受け取ったときと合致する」

「つまり、手紙の“何か”について館長さんに報告した?」
「“何か”は司書さんだけでなく、『帝國図書館のアルケミスト』──即ち司書と館長、どちらにとっても重大な“何か”だった」
「それについての対応、もしくは情報収集に彼らは追われている、と。辻褄が合うな」
 やっと纏まり掛けた情報に、しかし田山は大儀そうにうめいた。
「となると、館長からも話は聞けないかもなぁ」
「もしこの“何か”が、文学侵蝕に関することで。僕たちに隠し立てするようだったら、事によってはきちんと暴かなければならないよ」
 それまでは知的好奇心を秘めていただけの瞳をめらりと揺らがせて、島崎はあくまで淡々と言い放った。「スクープの気配だろ?」 不敵に笑った国木田も、そこにあるのは疑心と、真実への貪欲な探求心。

「秋声、付き合ってくれるよね」 島崎の言葉に、徳田は息を飲んで。
「はぁ、……わかったよ」 情報をここまで並べられたら今さら引き返せもしない、と覚悟を決めたのだった。


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