03


 徳田が巻き込まれることが決定した日の午後。噂をすれば影、何食わぬ顔を見せた館長に、島崎は一も二もなく聞き込みに行った。見事な手腕で国木田が館長を食事に誘い、島崎が見定めるように、「最近は一段と忙しないようだね」と尋ねたところ。
「そうだな、少し問題があってなぁ。まぁ、私事というには収まらないが、そんなようなものだ。一先ずは目処がたったから、時間もまたとれるようになった。
 あまり顔を出せなくてすまないな。変わりはないか?」
 島崎と国木田は素早く目配せをし、国木田が口を開く。「潜書の方は順調に鼬ごっこを繰り返してる。ま、優秀な司書殿のお陰で小康状態を保っているよ」
 館長は国木田の言外の主張を感じて苦笑した。「あいつも無愛想なやつだからなぁ、師に似たんだろう。君たちには苦労を掛けている、いつもありがとう」
「礼には及ばないよ、僕は僕の意思でここにいる。この異常事態を書き留めておきたいと思っているんだからね。
 嗚呼、出版させてくれるんだったら言うことなしなんだけど」
 以前に本の中の世界を題材にした小説を自費出版しようとした折り、書き終わるまでも待たずどこからか嗅ぎ付けた館長によって止められてしまったことをさして、島崎はここぞとばかりに求償したが、館長は首を振った。
「それは許可できん。世に出しては無用の混乱を招く恐れがあるのでな。原因究明に追われている現状、情報の錯綜は我々の首を絞める結果になるかもしれん。すまないがこの図書館内に留めてくれ」
「……わかったよ」 特に期待もしていなかったため、そしてまだ諦める気も毛頭ないため、表面上は一旦引くとして、館長が口にしていた一点に耳を咎めた国木田が尋ねた。
「アルケミストにも師ってのがいるんだな。当然と言えば当然だが、学舎があるわけでもないんだろう」
「そうだな」 館長は頷く。「先達のアルケミストの下について、能力が認められると一人前となる。だがそもそも素質が物を言うし、一人のアルケミストが多くの弟子を抱えることは珍しい。当然人材不足でなぁ、俺のような能力の半端なものでもこうして駆り出されてるわけだ」
 話に聞けば、館長はアルケミストとしてはあまり優秀でないらしい。実際彼が潜書等で力を発揮しているところは見たことがなかったが、彼らからすればそもそもそんな摩訶不思議なことを息をするようにやってのける特務司書の方が異端なわけで。負い目を感じる筋などないのだ。
「アンタの場合はアルケミストの能力以外も買われてるんだ、じゃなきゃそんなに仕事が集まるか? 卑下すんなよ、俺はアンタが館長で割合刺激のある日々を過ごせてる。文学談義も出来るアルケミストなんてアンタ以外知らないぜ?」
「はは、そらそうだろう!」 にやっと茶化した国木田の言葉に、館長の男は照れを隠すように大笑した。

「最近変わりはないかって言ったけれど」 島崎が館長に見えないように手帳を取り出しつつ言った。「ちょっと気になることがあってね」
「んん? なんだ、侵蝕に関することか」 島崎の眼光が取材時のそれに切り替わったと気づいた館長は笑みを消し、島崎に向き直る。
「いや、あの人──特務司書の事だよ」
「……どうかしたか」
 館長と司書の多忙の理由が、館長のいうところの『私事というには収まらない“何か”』だとするなら、当初過った彼らの予想──昨今の文学の侵蝕に関する重大な何かである可能性は低くなったように思えるが、まだ拭いきれない疑惑は残る。そして、 館長が嘘をつかぬとも言いきれない。
 いずれにせよ、明らかにしなければ気がすまない、と質問を切り出したのだが。島崎の特務司書と言う言葉に、館長は、僅かに身をもたげて構えるような姿勢になる。これはやはり、“何か”がある。島崎と国木田は畳み掛ける。
「元々あんまり僕たちに関わるような人ではなかったけれど、休憩しているところを見ないんだ」
「仕事には支障は出てないが、何かあったんじゃないかとね」
 飽くまで心配している体を装って補足すれば、館長の男は一瞬顔を険しくさせた。
「そうか……。俺もまだまだだな」 悔いるように呟いて、二人に礼を言う。「ありがとう、やはり君たちの方が気づけることが多いな。俺からも注意しておこう」
 同じ図書館で寝食を共にする彼らとて意見の分かれるところであった。普段飛び回っている館長が、いくら彼らと立場を異として彼女に比較的近しいとしても、その変調に気づかないのも無理はない。
 だが、話が館長からの注意で終わってしまうのは、彼らの望む結末ではなかった。
「原因は知っているんだな? 訳を聞いてもいいか」
 国木田は如何にも記者然とならないように配慮しつつ聞いた。島崎も追従する。
「うむ……そうだな」 館長は少しだけ渋る様子を見せた。しかし、現状、館長よりも彼らの方が彼女といる時間が長いことを考慮して、重い口を開く。

「俺がかかずらっているのもその件なんだが、アルケミストが一人、行方不明となってしまってな。その御仁は、俺たちアルケミストの中じゃ割と名の知れた大老で、
 ──どうやら彼女の恩師だったらしい」



「じゃあ、なに。行方知れずの恩師の情報収集に奔走してたってこと?」
「みたいだね」
「ずっと図書館にいたのにか?」
「今じゃあ部屋から一歩も出ずに事をなすのも難しくないらしいぞ。最近の記者は現地取材もいかないんだと」
「なんだよそれ……科学技術の進歩すげぇな……オレは生の声聞きたいけど」
 翌日、同時刻同場所。国木田と島崎が館長を捕まえていた間、潜書やら何やらで話の聞けなかった徳田と田山相手に、新たに得た情報を共有する。
「しかし恩師なぁ。なんつーか、意外だな。初めてじゃないか? 司書の人間関係が知れたの」
 田山の言葉に島崎は頷いて、これを期に色々聞いてみたんだ、と続ける。
「アルケミストは元々狭い界隈らしいんだけど、その恩師とやら、館長の師にあたる人の兄弟子なんだって。で、司書は現在行方不明の恩師に師事した後、館長の師の元に移ったらしい」
「うん? つまり、司書は館長の妹弟子にあたるのか」
「そう。あれだけ歳も離れているし、面識はなかったようだけどね」
「へぇー……」 他のアルケミストを知らないせいもあるだろうが、なるほど確かに狭そうな世界である。
「何にせよ」 あまり調査に乗り気でなかった徳田が言う。「館長さんが一区切りついたっていうんだ。司書さんの変化とやらも落ち着くんじゃない」
「僕はまだ引き下がるつもりはないよ」
「文学の侵蝕に関してではなく、アルケミストの界隈についてだというなら僕らは殆ど関係ない」
「気になるには気になるが、そっちに伝もなにもないしな」
 国木田も肩を竦める。アルケミストの世界は興味をそそられるが、文学侵蝕に関してでないのであれば、暴かなければならない道理はなくなる。館長と司書以外のアルケミストも知らず、事前の調査を鑑みてアルケミスト自体が知られていないのであれば、そこそこに労力が要求される取材であった。
 個人的興味があると言って他のアルケミストの紹介を受けられるでもなし、館長はともかくとして司書は引きこもっては口を開けない。難航しそうな調査だ。
 早くも情熱の失せた顔をして、田山が言った。
「まあ、いつ情報が得られるともわからんから、この調査は他の調査と同様、続行するってことでいいか?」
「異論はないな」
「そうだね」
 国木田と島崎が了承した辺りで徳田も不承不承頷き、ここで一旦話は途切れた。



 だが、彼らの予想はまたも外れる。
 特務司書の多忙はその後も続いた。むしろ増長したようで、文士たちの間で二分されていた意見も収束する。どうやら司書はやはり変わったようだ、と。
 特務司書は同じ図書館内の敷地にある別棟に居を構えていて、根城は中々に設備の整ったものらしい。朝昼晩と豪勢な食事の用意される食堂に顔を出すのは、基本的に勤務中の昼だけであったが。最近ではそれもなくなり、ついに食事をとっている姿さえ見えなくなった。
 別棟の明かりは、宵っ張りの多い図書館よりも早く、毎夜日を跨ぐ前に消えることが多かったが、最近では朝方近くまで灯っているとの情報もある。
 元より陽にあたったことのないような、人形のような血色のない肌を更に薄青くさせた彼女を見て、彼らは多かれ少なかれ心配した。

 しかし彼らがいくら司書に声を掛けたとて、彼女は氷のような目をして「ご心配をお掛けして申し訳ありません」と殊勝な口ぶりで、「文学の侵蝕には関係のないことです。仕事の方には影響はないよう努めますので」と結んだ。
 その言葉通り、仕事には障りはなかった。誰かが心神耗弱になることも稀で、戦績だって潜書のペースだって変わらず上々。それなりに消耗はするものの文士たちには定休2日が認められていたし、彼ら自体は概ね穏やかな生活だ。だが、だからこそひとり悲壮な状態の特務司書は悪目立ちもする。
 森が不摂生を指摘しても、充分な食事も休息もとっていると主張して、実際に倒れることはなく。親しいとされていた新美の進言も甲斐をなさない。ただ日に日に、その感情に欠ける顔を思い詰めさせ唇を噛み締めるのも見られるようになると、ついに彼らの一人、中原の堪忍袋の緒が切れた。

「てめえの辛気くせぇ顔見てっと酒が不味くなんだよ! ちったぁどうにかしろこの青鯖女!!」

 一悶着あって、特務司書は館長から一週間の休暇を言い付けられた。島崎が手紙を見てから、およそ一ヶ月後の出来事だった。



「スバルさん、大丈夫かなぁ」
 本日も賑わう談話室にて。悲しそうに新美が呟いた。
 特務司書が休みということは、即ち補修を担う人物がいないということで、彼らも休日である。その連休三日目。
「そうだね、早く元気になると良いんだけど」 宮沢も頷いて、心配そうに眉を下げる。
「そうですね、押し絵もかくやという顔色でしたし」 江戸川も何かトリックの種になるかと手に取った本を手ですさびながら同意した。
 休暇が言い渡されてからの特務司書は、中原に吼えられた顔色を見せず、というよりもそもそも顔を見せなくなった。引きこもる範囲が完全に図書館の敷地から自室に変わり、彼女の動作確認は遠くカーテンの隙間から漏れる部屋の明かりのみが頼りである。夜には消えていたのでたぶん辛うじて生きてはいるだろうとの事。「司書さんの部屋には台所もお風呂もついてるみたいだから、問題ないだろうけど」
「改善はあまり期待できませんね。休暇開けても同じままの恐れも」
 江戸川の言葉に、ううん、と新美が否定する。「昨日スバルさんのところに行ってみたんだ」
「おや、何か進展でもありましたか」 休暇前までの散々を思い起こして、期待もできなさそうだと江戸川は思ったが。
「スバルさん、休みをもらったことと、皆のこと気にしてて。『この休みのうちにけりをつけますので』って言ったんだよ」
「けり?」
「うん……」 新美が沈んだ声で言う。「けりって何だと思う?」

「えっと、司書さんはお師匠さんがいなくなっちゃって、探していたんだよね」
 そもそも司書が何をしているかは本人の口から聞いたことはなく、同士が調べた末に聞き及んだ情報しか彼らは持っていなかった。
「調査をやめるってことかな?」
「どうでしょうか。行方が知れなくなってまだひと月、調査を打ち止めにするには早い気もしますね。一旦やめるという程度なら、『けり』は相応しくないと思います。尾を掴めたってことかもしれませんよ」
「その師匠ってひと、」 新美がぽつっと呟く。「スバルさんにとって、きっととっても大切なひとなんだ。無事だと良いけれど……」
 新美の泣きそうな顔に、宮沢と江戸川は顔を見合わせた。
 話によれば、館長の師匠の兄弟子にあたるということで、館長も大老と称していたのだから、相当な歳だと窺える。そんな男が行方を眩ましたとして、真実無事である確率はとても高いとは思えない。
 あまり知らぬ司書であったが、研究ばかりの彼女がああも躍起になる姿は初めてだったし、師匠というなら司書にとっては親のような存在であったのかもしれない。何より交遊関係のごく狭そうな、人付き合いを不得手とする女性だったし、親しい一人が占める割合はかなり高いと見える。その内を喪うのは、いくら感情に乏しい司書とて辛かろうと想像できた。
 宮沢が新美を元気付けようと口を開いたところで。彼らの耳に、ちょうど談話室に入ってきた男たちの声が飛び込んできた。

「あの人が外出届を出したみたいだよ」


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