04


 『外出届』とは、図書館のものたちに義務付けられた書類の事だ。
 帝國図書館は機密が多く、出入館は綿密に記録されていた。図書館外に出るとき、そして戻ったときに『出入館記録』への記名が必須である。そして、半日を超える外出においては、『外出届』に必要事項を記入し、前日までに提出することが規則となっていた。

 その声に、江戸川は話し掛けた。
「失礼。あの人というのは、司書のことですか?」
 談話室に入るなり近寄ってきた奇術師の身なりの男に、問われた側の男たちは一瞬ぎょっとして体をこわばらせたが。
「……君たちも司書さんについて調べてるの?」 江戸川だとわかると、徳田が訝るように聞いた。
「イエ、調べているというほどでは。しかし今の図書館で、彼女の関することに興味を抱かないものの方が少ないでしょう」
「それもそうだね……」 島崎が頷いて江戸川に目を向ける。「君は何か知ってる?」
「さぁ。今アナタが言った外出届くらいでしょうか。しかしあの規則は司書も適用されるのですね」 徳田の『君たち“も”』という言葉を聞いて確信を得た江戸川が意外そうに言う。
 宮沢も寄っていき、うーんと唸る。「ボクは最近来たから詳しく知らないけど、司書さんが外に出るのって初めて? 徳田さん、わかる?」
「僕も見た限りでは初めてだと思うよ。記録でもそうだった」 徳田がちらりと島崎を見て、島崎も頷いた。
「これだけでもスクープと言えるが、頑なに出不精を貫いていた司書が外に出るんだ。絶対“何か”はあるだろうな」
「……ねぇ、もしかして、ついてく気?」
 国木田に、江戸川の影から身を出した新美が尋ねる。その蒼く澄んだ目は不安に揺れていた。
 対する国木田は、新美が司書と仲のよかったことを思い出していた。止められたり、司書に話されるのは厄介だ。説得しておくか、と警戒されないよう笑顔を浮かべたところで、新美が口を開いた。「だったら、ぼくもついていきたい」

「……ん?」 意外な申し出に、国木田、他の彼らも目を瞬かせた。好都合ではあるが、そう来るとは思わなかった国木田は、「いいのか?」と聞く。
「よくない、けど。スバルさんが外に出るとしたら、きっとお師匠さんの足跡を辿りにいくんだと思うから」 もし、その先で見た真実に、彼女が傷ついて、打ちのめされるのであれば。そう考えるだけでかなしみが湧いて、新美はぎゅうと心の辺りを、手袋の手で握った。
「南吉……」 宮沢がその背を暖めるようにさする。「希望はあるよ、そんなに悲しまないで」
「うん……何もなければ良いけれど。それだけでもせめて、見たいんだ」

 司書にどれだけ聞いたとて、確かなことは教えてくれなかった。休みになった司書のもとへ訪ねて噂の事を聞いてみても、彼女の心を心配しても、その返事は新美に安心をくれない。嘘のつけないあのひとが言った『けり』とは、一体何なのか。感情の読み取れない顔に、しかし決意がにじんでいたように見えたから。暗澹たる想像が、新美の背筋をぞわぞわと寒くする。

「よし、わかった」
 暗い顔の少年二人を前にして、田山が言った。「後をつけよう。でも、バレないように人数は少ない方がいい」
「フム、では一会派、四人くらいが妥当でしょうか」
「そう何人も外出届を出したんじゃ、許可も降りない可能性があるからね……」
 江戸川と島崎も続いたところで、徳田が不愉快そうに「ちょっと」と口を挟んだ。
「完全に全員後をつけることに賛成した流れになってるけど、僕は反対だから。降りるよ」
「また……? 秋声、取材に協力するって言ったじゃないか」
「それはまだ司書さんの個人的な問題だとわかる前だ。……尾行は誉められたことじゃないし、本来なら止めるべきなんだろうけど」 はぁ、といつものようにため息をついて、ちょっと新美を見る。「……心配な気持ちはわかるから。何もなかったらすぐ帰ってくるというなら、この事は報告しない」
「な、おま、秋声! 裏切る気かよ」
 報告という言葉に田山が反発した。
 報告先が司書であるなら彼女は行動先を変えるかもしれないし、そもそも外出届を受理しないよう操作するかもしれない。館長でも同じく、もしかすると彼女の届自体が取り下げられることもあり得る。そうして最悪の場合現状が続くとなれば、司書業にも影響が出るだろう。それは避けたい、と田山は徳田に食い下がるが、徳田はにべもない。

「君たちが知的好奇心で彼女のプライベートを荒らさないと約束すれば良いんだよ」
 今回の件について当初より芳しくなかった徳田の態度は、この想いに起因するのだろう。島崎は彼女との間に何かあったのだろうか、と興味が湧いたが。新美は声高く了承した。
「わかりました!」
 新美が頷いたということは、彼の目が届く限り共にいく彼らも当然従わなければならない。まあ仕方がないか、と国木田も納得した。荒らすつもりは元よりない、知りたいだけだ。
「じゃあ、誰がいくか決めよっか」



 司書の外出の件は、図書館内に瞬く間に広がり、一夜明けて知らないものはいなかった。それだけ彼女の普段の引きこもり具合と、最近の調子の悪さは文士たちの中で関心の持たれる話題であったのだ。
 たまには外に出る方が体に良い、とか気分転換かと好意的に受けとる彼らもいれば、まさか逢い引き?とか、思い詰めていたからまさか……などと噂する彼らもあった。
「全く縁起でもない!」 宮沢は後者の噂に憤慨しながら、出立の準備をする新美に帽子を被せた。「南吉、見失って迷子にならないようにね! いってらっしゃい!」
「うん、いってきます」 頷いてリュックの中身を確認し終えた新美は立ち上がった。

 話し合いとちょっとのすったもんだの結果、後をつけることになったメンバーは、図書館外で集合となっていた。
 目立たないように時間をおいて図書館を出て、近くのカフェで待ち合わせている。新美がカフェに着くと、江戸川が手をあげた。「こちらですよ、南吉くん」
 図書館から出て駅に向かうには、必ずこのカフェの前を通る。二階建て、硝子張りの客席からは通りがよく見えるし、見上げない限りは店の座席の客など意識に上らず、見張るには打ってつけだ。
 四人で追うが、座席は二つに別れて、奥に学生に扮した島崎と田山がいる。青年三人に子供一人の集団は目を引くだろうからだ。
「普段の帽子は勿論ですが、今日の帽子もとてもお似合いですよ」
「ありがとう。乱歩さんのその格好も、かっこいいよ」

 メンバー決めの際、決定打になったのは目立たない格好が出来るかどうかであった。司書を心配する新美は確定として、江戸川と島崎はすんなりと決まり、残り一枠。宮沢の辞退があり、田山の金髪と国木田の桃色髪はにらみ合いの末、田山に決定した。彼らが生きていた頃より世間の髪色は自由に奇抜なものとなったが、やはり桃色の髪の男はそう多くないのだ。
 金髪なら、知能の低い不良学生らしく振る舞えば問題ない。意志薄弱そうな死んだ目の島崎と共にいれば、まるで有り触れたカツアゲの光景の出来上がりである。国木田のプロデュースを受けて人の良さそうな垂れ目をワルくしようと必死に吊り上げる田山は、オタク扮する島崎にはかなり面白く見えていた。
 新美については、襟足を編み込んで帽子に入れることで解決した。まだ秋の最中、狐耳の毛糸帽は少し目立つので、宮沢からキャスケット帽を借りている。顔を見れば銀髪は覗くものの、ちらっと視界に入るくらいであればそこまで注目するような点はない。
 江戸川は流石怪奇小説を手掛けるだけあるというべきか、普段の奇術師としての衣装を脱ぐと、周囲に溶け込むのがかなり上手かった。その長身は目を引くはずなのに、少し目をそらせばそこに彼がいたことを忘れる。そんな魔法のような技術を彼は有していた。
 ちなみに、尾行の格好を練る段において、工夫を凝らすのになかなか楽しんでいたことと、徳田ならそのままでいけるのにという趣旨の発言があったことも付記しておく。

 散々深刻そうに司書について語ってはいたけれど、ちょっとした冒険に挑むようなわくわくは、彼らの心に一様に存在していたのだ。

「スバルさんだ」
 先払い式で買ったドーナツを食べながら窺っていた通りに、知った人影を見つけた新美が呟いて、江戸川が奥の二人に合図を送る。二人組のままで店を出た。まだ陽は高い、一日の始まりのことである。



 司書は早足で電車に乗り込むと、彼らもそれに続いた。一車両離れて硝子戸から観察し、乗りすごさないように注意する。
 何回か乗り継いで、車窓の外に見える景色はどんどん緑生い茂るようになり、外の雲行きも怪しくなってきた。
 思い詰めた女。荒れる空、人里離れた地。陸の孤島。事件の気配が濃厚になっていくことに江戸川は僅かに心踊らせたが、新美は顔を曇らせる。「司書さん、どこに行くんだろう」
 帝國図書館を出てからそろそろ三時間が過ぎようとしていた。車内の人も疎らになり、距離に配慮するようになる頃、司書が駅に降りた。
 電車がホームから出る直前になって、追跡者たちは駅に降り立った。降りる人間が他にいなかったから、司書が急ぎ足で改札を抜けるまで待たねばならなかったのだ。手動ドアを閉めた電車が走り去ると、線路がひとつの無人駅は閑散とした。
 司書が見えなくなる前に、慌てて彼らも追った。

 その後の彼女は、見失う方が難しかった。暗く続く森の中にずっとのびる一本道を、独りで進んでいく。人と言えば彼女と追跡者たちだけで、別れていた二人組も意味を為さないと合流した。
 今までよりいっそう距離をとらねばならなくなった。足音を潜めなければ、自身の踏んだ小枝の折れる音が静かな林の間に響いて、自身の心臓を縮ませることになる。そういう具合だったから彼らは口を結んで、彼女が振り返らないように祈っていたが、彼女はいっこうに変わらぬ足取りで奥へ奥へと誘き寄せられるかのように進み続ける。

 嫌な予感はひしひしと彼らに忍び寄る。
 実は眼前を進む女性の影は司書ではなくて、我々は化かされている、とか。誰からともなくそんなありがちな想像をしたところで。
「──!?」
 司書の影は道からたち消えた。

 四人は視線を交わす。
 この一本道で見失うことなど、まさか本当に?

 しかしその疑問はすぐに解消した。
 そのまま彼らが目を疑いながら道を進むと、突如として赤茶けた煉瓦の塀が姿を現したのだ。森の中にあるそれは、まるで塀の中にあるなにか自体が森を支配しているかのように、鬱蒼と繁る林のなか、木々に阻まれることなく聳え立っていた。
 高い塀の囲う一点、抉るように存在する黒い鉄製の門は、ひとり分通れるほどの隙間を開けて、招くように揺れている。

 きっと司書はこの屋敷に入ったのだろう。
 固唾を飲んだのは誰だったか。互いに無言で、進むか進まざるかを視線で問う。
 だが、愚問だった。司書が何をしに来たかも明確に知らないうちに帰るなど、選択肢にはなりえない。こんな状況、徳田のいう『なにもない』とは到底縁遠いものだ。

 一番小柄な新美が、門扉からそっと中を覗いて、その身を滑り込ませた。人の気配は依然としてなく、恐ろしく静かだったが、仮に人が住んでいて、不法侵入と騒がれると厄介だった。新美の見目なら最悪道に迷ったとかいう言い訳がたちそうだという思惑もあった。
 青年の彼らは門を押さえたり、門の横の表札を見たり、煉瓦を触って叩いたり、と尖兵新美を待つ。

 数分もおかず彼は戻り、中に人などいないことを手で示す。よしきたと頷き、揚々と、怖々と、それぞれ敷地内へと足を踏み入れた。

 門から続く正面の道には、塀越しにも見えていた洋館があった。窓の数からして3階建てだろうか、中々の高さを誇っていた。
 周囲の生け垣や植木は荒れてはおらず、洋館の白い外壁も近寄れば汚れは見えるものの、目立ちはしない。きちんと手入れをされているように見受けられた。

「周りをぐるっと回ってみたけど、スバルさんも、他の誰かもいなかったよ」
「となると、あの人はこの館の中かな……」
 先見隊の新美の報告に、島崎は正面玄関の方を見る。開かれていた門と異なり、その戸はぴったりと閉めきられていた。
「薄気味悪いなぁ。こんなに暗いってのに、中の明かりは全く見えねえ。人はいなさそうだよな」
「外から見た塀の囲いから、敷地はかなりありそうですが。整備もなされているのに、全く人が見えないというのもおかしな話ですね」
 人が住んでいないにしても管理された建物なら、当然番人がいるはずだろうと見当をつけた。もし、少ない人数で回り番を担っていて、たまたま合間で人がいないのだとして、彼らが庭のみならず洋館に入っているところを見つかったら。

「館に入れば言い逃れできなくなりそうだけど、どうするよ」
「……イエ、案外いけるかと」

 江戸川が林の向こうの空を見上げて、田山の言葉に返した。

「一雨、大きいのが来そうですよ」
「雨宿りっていう体で行こうか」

 遠くで雷鳴も轟いて、新美がびくっと身体を震わせた。
 彼らは見合わせ、意思を確認しあって、腹を括る。

 そして、洋館の重苦しい扉は、彼らの手によってゆっくりと、音を軋ませながら、その口を開く。
 閃光が逸って、彼らの姿は洋館へと飲み込まれた。

 ──ばつん、何かの終わる音とともに。


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