地獄の鍛錬


 
 雪山で私を拾った男は諸刃もろは残照ざんしょうと名乗った。
 そして名前もないと言った私に花香という名を与えてくれた。


『この世界はお前が想像する以上に厳しく、常に死と隣り合わせにある』

『そんな中でもお前は群を抜いて弱い。この山にいる狐よりも貧弱だ。そんなお前が生きていけるよう鍛えるが、……覚悟しておけよ』


 低い声で宣言された言葉通り、翌日から始まった鍛錬は地獄のようなものだった。


「ぬぉぉおぉぉおぉあぁあ!!」


 朝は雪山登山に始まり、頂上まで登ったあとは全力疾走で山を降りる。
 下山中に飛んでくる師匠お手製の罠に叩き潰されるのは当たり前。酷い時には雪崩という自然の脅威に巻き込まれて死にかけることもある。
 この前なんて上半身が埋もれて下半身は雪の外に出てしまったもんだから、中々抜け出せなくて本気で窒息した。


「お゛ぼお゛ぼぼ…」


 山から降りたあとは滝修行。
 滝に一時打たれたあと、腰に岩が付いた縄をくくり付けて滝壺に潜る。肺を鍛える訓練らしい。
 限界一歩手前で岩をつけたまま泳いで上がるまでが1つの鍛錬なのだが、毎回溺れて死にかける。
 翌日に氷になって発見されるなんて洒落にならんからコッチも必死だ。


「にせん…はっぴゃく…っ…きゅうじゅ…し!」


 滝修行のあとは基本的な筋力強化と刀の素振り。各五千回。
 筋力強化なんてちょっと手を抜こうものなら直ぐに岩を乗せられる。「手を抜けるくらいラクなんだろう?」と言って漬物石サイズの岩を容赦なく乗せられる。今も腕立てする私の背中には漬物石が乗っている。もちろん手を抜いてなんかいない。


「腹に力を入れろ、この馬鹿タレ!」
「グふぅっ!」


 刀の素振りの時は、その形を丹念に直される。
 基礎となる型に変な癖がつかないように、という配慮らしい。


「腕の力に頼るなと何度言えば分かる馬鹿タレ!」
「ぶへッ!」


 …と、こんな感じで叩かれまくる。
 腹や腕、腰や顔にも容赦なく平手打ちが飛んでくる。師匠にしてみたら私が女だとか関係ないんだろうが、顔だけは少し優しくして欲しい。切実に。


「今日は猪鍋が食いたい」
「猪…ですか」
「猪だ」
「…せめて兎にしませんか?」
「猪だ」
「……はい」


 夕飯の前には食料探し。
 その日の獲物は「師匠の食べたい物」によって決まる。そこに私の意見など通用しない。師匠が「猪」と言ったら「猪」なのだ。

 …なんとしてでも食事抜きは回避せねば。


「お前は開きすぎだ」


 夕飯も終わり日が暮れたあと。
 最後の鍛錬は呼吸法と感覚を“閉じる”練習である。

 師匠が言うに今の私は、味覚以外の感覚を全て解放している状態にあるらしい。それがこの前の脳内俯瞰図であり、察知能力に繋がっているのだという。
 一瞬で全ての情報を得る利点がある反面、情報量の多さに神経と精神がやられてしまう危険性がある。それ故に常に開いてしまっている4つの感覚を閉じる練習が必要なのだ。

 だかしかし、何ぶんこれが難しい。
 「閉じろ」と言われて「はい!パッタン!」なんて簡単には出来ない。
 視覚は瞼を閉じればいいものの、音が、匂いが、肌に触れる空気が閉じた視覚を補おうと鋭くなってしまうのだから厄介極まりなかったりする。


「閉じる…閉じる…閉じる……ぐぅ…」
 ――ゴチーンッ!!
「あだぁ!?」
「誰が寝ろと言った馬鹿タレが!」


 そしてちょっとでも眠気に負ければ容赦なく拳骨が降ってくるから油断は禁物である。

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