千里の道も一歩より


 師匠から一本取った日の夜。
 夕餉の鍋を終えて一息付いたころに合わせて、師匠は「藤襲山へ行け」と短く告げた。


「藤襲山…?」
「ここから三日程走った先にある山だ。そこで鬼殺隊に入るための最終選別が行われる」
「…鬼殺隊…」


 この世には鬼が存在するという。

 鬼は、鬼舞辻無惨という原祖の鬼の血によって怪物と化してしまった人間のなれ果て。
 お天道様が隠れた夜にのみ活動し、生きる糧である人間の血肉を求めて生きるもの。そして食った数だげ、その力を増幅させた。
 生命力は凄まじく、切り落とした腕や足も瞬時に再生させてしまう。
 さらに力を付けた鬼の中には異形の物・血鬼術という妖術を扱うものもいるという。


「そして鬼を殺す術を持つのが、鬼殺隊だ」


 古の時代より鬼を狩るためだけに構成された、唯一の組織−鬼殺隊−。
 産屋敷という一族が作った組織には柱と呼ばれる呼吸の使い手と数百人の隊士たちが属し、毎夜鬼を相手に命を削って戦い続けているという。


「お前の生きるべき場所は、鬼殺隊だ」


 生身の人間が圧倒的不利な相手に立ち向かう。
 自分がいつ死ぬかも分からない。今日が無事でも明日も無事とは限らない。
 そんな厳しい環境こそが自分の在るべき場所だと言う師匠の声は確信を持っていた。

 ならばそれが正しい道なのだろう。
 私は師匠の強い眼を見つめ、小さく頷いた。


 ―――――――…


 翌日。
 じきに今年の最終選別が行われるという藤襲山へ早々に経つことになった。

 手荷物として師匠が用意してくれていた稲荷寿司と保存のきく猪の干し肉、そして疲労回復にいい金平糖を風呂敷に包む。
 この2年で伸びた長い髪は邪魔にならないよう遣手ババがくれた簪で1つに結い上げた。


「花香」
「はい?」
「これを持って行け」

 最後に差し出された一本の刀は初めて見るものだ。

 深い闇色の鞘に穢れを知らない白い柄。
 相対する2色が1つの魅力を生み出すその存在感に気圧され、息を飲む。

 小刻みに震える手に乗った刀の重みは、その刀を持つ責任の重さのようだ。


「…記憶のないお前が歩く道は辛く険しいだろう」
「はい」
「だが忘れるな。お前は俺の鍛錬を耐え抜いた。2年間、ずっとだ」
「…はい」
「そんなお前を、俺は信じている」


 負けるな。挫けるな。どんな逆境も、死にたくなるような現実も、前を見ろ。お前には乗り越える力がある。乗り越えた先に、お前の求める答えがきっとある。それを信じて進め。

 怖気づきそうになる弱い心を奮い立たせる言葉は厳しい。
 けれどそんな弱い部分も含めて信じているという激励は師匠の本音のように思えた。


「そしてお前に諸刃の名を渡す」
「…え…」


 『諸刃』という姓は鬼殺隊が出来てから受け継がれている名だという。
 そこに血筋は存在せず、初代の呼吸と型を正しく継いだ者に与えられるのだそうだ。


「頭領の影となり鬼を狩る。それが“諸刃”だ」
「…諸刃…花香」


 新たに与えられた姓に、名前を乗せて唱えてみる。
 するとどうだろう。突然、ドクリと大きく震えた心臓が訴えた。


 − それがお前だ −


「…さぁ、そろそろ行け」


 背中を押され、振り返る。
 真っすぐ見つめる師匠の眼に映る自分は、驚くほど晴れやかに笑っていた。


「行ってまいります」
「嗚呼」


 数歩進み、振り返り。また数歩進んで振り返る。
 名残惜しく続けた動作も、師匠の姿が見えなくなる距離まできて漸く止めた。

 空を仰ぎ、目を閉じる。
 大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐く。
 時間を掛けながらすべての息を吐き出して、両の頬を張った。


「…よしっ」


 これから先、様々な試練が自分を待ち受けているだろう。
 だがどんな試練があろうとも歩みを止めた瞬間に無情な現実に飲み込まれ、己を失うことになると馬鹿な自分でもわかった。


「ならば進め。終わりまで」


 歩み続けよう。
 この足が動くかぎり、そこに陸が続くかぎり、私の道は途絶えることはない。




 

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