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 小鳥の囀る音で意識が浮上し、慌てて締め切られたカーテンを開けた。まだ外はいつも見るよりはほんのりと暗いが、窓越しから見える色は間違いなく白く、聞き慣れた自動車の排気音の群れが確実に朝を知らせていた。

「……ウッワァ」

 歳を重ねるにつれてつらくなり、散々避けてきたオールをやってしまったらしいと気付けば、カーテンを開けた格好そのままに思わず目から光が失われた。やってしまった。完全にやってしまった。


 そもそもなぜいい歳してオールに走ったかと言えば、図書館に貯蔵されている数多もの本でさえ全く情報として扱えなかった。それであるならばと、創作に手を出してみたのが事の始まりである。

 電子書籍──── いや、書籍化はされていないから素人の趣味の範疇で書かれた創作。とにかくそれは、かなりの数がネットには埋もれていた。

 なにが流行りのきっかけとなったのかは不明であるものの、異世界転生ものは主人公の性別問わず特に人気上位に位置してあるらしく、むしろなにから手をつけるべきか迷ったほどだった。
 まずは書籍化が有望視されているものから手をつけ、そうして読み終われば次の作品へ。文字の海へ飛び込めば後はもうあっという間だった。真っ暗闇だった空は明るくなり、寝付いていた人々は起き始め、一日が始まる時間帯。

 文字とはこんなにも時間を奪うらしい。小学生の頃はあんなに本を読んでも数時間で済んでいたし、時間が無限大にあるのだと思えていたというのに。大人になればなぜか本を一冊、二冊読んだだけでこのざまである。

「……ねっむ……!!」

 世間からしたら若いと言われる年齢。されどオールするとなるとさすがにキツく感じる年齢でもある。なにより目が乾く。にもかかわらず、有力な手がかりがあったかと自分に問いかければ……頷くのは少々苦しいものがあった。

 と、いうのも。

 猫を助けるために自動車に撥ねられたり、子供を助けるために自動車に撥ねられたり、信号無視してきた自動車に撥ねられたりして異世界転生するらしいことは理解した。最後ならともかくとして、前者ふたつはドライバーのその後の人生を考えればとても実行したいとは思わない。なによりマルコさんにそれを頼める勇気はない。

 異世界トリップの方は、トンネルを抜ければそこは──── という要領で、自宅のドアを開けたらそこは……だったり、会社のドアを開けたらそこは……だったり、コンビニから出たらそこは……だったりと様々な理由で書き出されていた。基本的には自宅周辺で起こるらしい。

「……ま、だよね」

 一縷の望みをかけて自室のドアを開けたものの、なんの変哲もない見慣れたフローリングの床がお出迎えしてくれた。
 部屋から出たことをいいことにそのまま一階へ降りて、歯ブラシを咥えながら朝ごはんを作る。目玉焼きがフライパンの上で熟していくのを見ながら、黄泉竈食なるものも知ったことを思い出した。

 黄泉竈食よもつへぐい──── そのままの意味で、黄泉よみの国にあるかまどで作られたものを食べると、黄泉の住人であるとされ、現世へと帰れなくなるという古事記である。最終的には桃を投げつけて黄泉から脱出できたらしいが。要は三途の川と似たようなお話である。

 人は食べなきゃ腹は減るし、食べなきゃ衰弱もする。仕方なかったこととはいえ、もしかしたらマルコさんはそれに当てはまるのではないかと自分を責めたりもした。あいにく投げつけられる相手はいないため、マルコさんには桃を絶対に食べさせようと誓った。仏壇にも供えさせよう。
 
 ちなみにこの世界にいる体が死ねば元の世界に帰るケースも読んだ。それは自動車に撥ねられることと過程が違うだけで行き着く結果は変わらない。マルコさんの背負うリスクがあまりに大きすぎる。

どうひたもふかなどうしたものかな

 歯磨き粉を洗い流して、少し冷めた目玉焼きをフライパンの上に放置したままレタスを洗う。そこでまた別の物も読んだなと眠気でぐらつく視界の中思い出した。
 
 ──── これだけ様々な要因で何かしら別世界にいく設定があるならば逆もまた然り、美少女(美青年)がたまたま主人公の元へ、という設定だって数多くあった。どちらかと言えばこういう作品を手当り次第読んでいったものの、大抵それは“なにもしない”という結果に終わっていた。
 なにもせずとも帰れる。ただ待てばいい。期間は違えどもまるで台本に沿っているかのように、どの作品も待てばみんな帰っていった。

「……はは」

 その結末を改めて思い出すと乾いた笑みが漏れ出る。──── 待てば帰れるよ
 なんて、そんなもの、マルコさんに成果だと胸を張って言えるわけがない。結局のところ私が読んだものは全部創作だ。設定だ。作り物だ。
 書いているひとが “こういうお話があったらいいな” と文字に起こしたものだ。異世界転生が多いのは大筋までがある程度決まっているから初心者でも書きやすいのだろうということは読んでいて検討がつく。

 何かしらの理由で異世界に行き、何かしらの理由でその世界で過ごす。
 あるいは何かしらの理由で異世界から現れ、期間を設けることによって結末まで悩むことなく書ける。

 作者の都合のいい設定を、マルコさんに言えるわけがない。読み手には楽しい創作でも私たちにとっては紛うことなき現実なのだから。その後の責任はマルコさんしか取れないのだから。無責任なことを言って彼の責任を負えるほど私は強い大人ではない。

「……クソ、」

 思わずついた悪態の対象は果たしてどれか。自分でもわからなかった。



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