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 日が落ちるといくぶんか暑さも和らぎ、気温的にはまだ夜風で凌げるほどだ。とはいえど、リビングの大窓を半分まで開けているものの、風が入らなければ蒸し暑いことに変わりはない。湿気が混ざる風に充てられてじわりと滲む額の汗をそのままに、ソファに凭れかかりながら買っておいたアイスを頬張った。

「湿気が多いな……いつもこんなか?」
「まだ涼しい方よ」

 ぱたぱたと服を仰いで風を取り入れているマルコさんがどさりと隣に座り込む。手には買ったばかりのミント味のアイスが握られていた。
 マルコさんはお風呂上がりというのも相まって余計暑く感じるのだろうが、猛暑日が控えていることを思えば天国のような気温である。今の日本は七月だというのに梅雨さえきていないし、真夏は外に出るのでさえ危険なほどに気温は年々上昇の一途を辿っている。三十度を越える事がもはや当然なくらいには。夏の到来を今から考えれば億劫で仕方ない。着込むのはいくらでも着込めるが、脱ぐのには限度というものがある。年中冬でいいのに。

 まあ、それでも。ひと半分くらいのスペースを開けながらマルコさんとふたりでアイスを食べて、たまに頬を撫でる冷たい夜風に夏を感じるのはいいなと思うくらいには、まあ、絆されていることを感じている。なによりあれだけ私のことを心配して気遣ってくれる男性マルコに心が揺れ動いてしまうのも、互いが異性であるならばさがとして致し方のないことだった。



 ──── だから、なにがきっかけだったのか私にはわからない。アイスを食べて、弾けたようにワノ国のことを思い出して、道中よりも詳しい話しを聞いて。ほんの少しネットで江戸時代のことを調べればやはり、日本を元にして作られたのではないかという結論に至った。そして、もしやこの世界からマルコさんの世界へ行った人がいる可能性に、つまり、マルコさんが戻れる可能性に歓喜して。

 ヤケ酒の代わりに買ったはずのお酒をお祝いと称して開けて、そこからは、……ただ、流された。
 アルコールに良い気分になって、仕事の後輩に嘘とは言えど恋人だと紹介してしまって、私がマルコさんに最初抱いていた──── そう、少しばかり……ほんの少しばかりの気があったことを再認識したのは認めよう。マルコさんを思えばそんな血迷った感情は失礼なだけだし、早々に蓋をして今まで忘れていた、まだ小さな小さな感情。

 けれどそれが、私だけだったならば。

 最初から柔和だったマルコさんだって、言動は私を警戒していた事くらいわかっていた。それは当然のことだったし、なにも私とて異世界人だからと手放しに警戒を解いたわけではなかったのだからお互い様である。
 けれどそれが無くなり、ふとした拍子に私を見るマルコさんの目に優しさが含まれていったり、後輩には牽制するかの如く鋭い目付きでほんの一瞬睨みつけたり、そんな些細な変化はちゃんとわかっていたし、ちゃんと察していた。

 ……互いに、いい歳した大人だった。自意識過剰というわけではなくて、互いが異性で、互いが異性と経験がある以上、仕方のない情の湧き方だった。それがアルコールによってほんの少し弾けただけなのもわかっていた。

 
 ──── だから昨日の寝落ちる前に交わされた、子どものするような軽い口付けに意味がないことくらいわかっている。おおかた、マルコさんの世界に置いてきた恋人だかセフレだかは知らないけれど、とにかく間違えたのだろう。それか単に寝ぼけただけか。後者の方が可能性は大いにありそうである。女に困らないであろう容姿やそれなりに経験していたことが嫌でも伺える言動から、言うなれば癖のようなものなのだろう、と。

「……仕事、行かなくちゃ」

 床で寝てしまって体が全身痛いし、おまけに寝巻きにも着替えずに寝入ってしまって肩が凝り固まっているのがわかる。まだ眠っているマルコさんに毛布を掛け直し、軽くシャワーを浴びてから買っておいた出来合いの朝ごはんをラップしてテーブルの上に置き、横には一応鎮痛剤の用意もした。マルコさんはかなりお酒に強かったし嗜む程度に飲んだだけだから使われることはないだろうが。

 もう一度マルコさんを見て、物音を立てないように静かにドアを閉める。出る間際、寝入るマルコさんを見て口紅で赤くなった唇を触ってしまったことに、意味なんてひとつもない。



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