15




 アットホームな会社と言えば聞こえはいいが、つまるところ会社に秘密が秘密として守られることはない。私の最近できたという彼氏の噂を聞きつけたらしく、部長ですらその好奇心を隠さずに嫌なニヤついた顔で見てきた。提出する書類をデスクに持っていけば待ってましたと言わんばかりに雑談を振られる。

「みょうじさん、彼氏できたんだって?」
「……それ、セクハラになりません?」
「硬ぇこと言うなよー、俺はいつみょうじさんが有給消化してくれんのかなって気になってるだけだよ。わりと溜まりすぎてやばい。俺が怒られる」

 こういう所は本当にホワイト企業だと痛感する。いい事なのだが、今回ばかりは疎ましいとすら思えてしまった。
 いやまあ、別にそこまで社畜を極めたいわけではないし、なにもなければ休日はもぎ取るのだけれど、同居人の諸事情トリップを思うとどうにも取り辛い。
 私だってマルコさんと出会った当初は有給もぎ取って、早く世界に帰してあげるべく私にできうることは全てやるという気持ちでいっぱいだったし、今だって帰してあげたいという想いは変わらない。

 けれどこうも早く会社に知れ渡ってしまったという事や、図書館でも一切の手がかりを得られなかった事などが重なり、連休を取った所で私はマルコさんに何をしてあげたらいいのかわからなくなっていた。
 ……べつに昨夜のことが原因で会い辛いというわけでは断じてない。ぜんぜんまったく。一ミリたりとてない。

 もちろんワノ国という新しい情報は手に入れられたし、帰れるかもしれないと歓喜したけれど、ワノ国がマルコさんの世界にあって、それは日本の江戸時代をまるで模したような世界だという二つの事実から得られた小さな希望はしかし可能性というだけで、帰るための手段は結局のところなにも分からずじまいのままなのだ。
 それを考えてしまうとどうにも「そうですねえ、」なんて煮え切らない返事をしてしまう私に、上司がため息をついてもじゃあ明日から消化します、とは言葉が出なかった。

「あれ、なんすか、みょうじにいじめられてんすか部長?」
「おー! そうなんだよ、みょうじさんが有給消化してくれなくてさー。俺いじめられてんの」

 ──── 同期にして、唯一この会社で信頼できる仲間であり、唯一異性の友人でもあるこの男は、そのヘラヘラとした顔のまま私の肩に腕を回して会話にむりやり入ってきた。

「じゃあ俺が説得しときますから、今度ご馳走してくださいよ! 前言ってた店、俺気になるんすよね!」
「おーおー、みょうじさんが消化したら考えてやるよ」

 当本人を無視して目の前で繰り広げられる会話に唇が微かに尖った。わざわざ同僚たるコイツに言われなくたって、近いうちに消化しなくちゃいけないことくらいわかっていたし、なにもそこまで駄々をこねるほど社会人としての常識がない女ではない。

 がしかしなによりも、なんだかコイツに説教じみたことを言われるのが癪で、早々に仕事に戻ろうとしたのだが。
 コーヒー飲みに行こうぜ、なんて建前をぬかしながら半ば強引に給湯室に連れていかれるはめになって、話しかけられてばかりな一日に思わず顔を覆った。







 受け取ったホットコーヒーを一口飲んだ途端、口腔に広がる独特な深い芳香とほろ苦い味にほっと細く息を吐いた。実はそれほどコーヒーは得意じゃない。
 ミルクと砂糖を入れなければとても美味しく飲めたものじゃないし、紅茶の方がずっと大好きなのだけれど、どうしてか彼の淹れるコーヒーだけは不思議と飲めた。もちろんミルクがちゃんと入っているのもあってだが。

 二人が同時にテーブルにコトリとカップを置く。外のざわめきが切り取られているかのような沈黙だった。そしてそれを破ったのは向こうである。

「んーで? 誰よ」
「……なにが」
「決まってんでしょ。お前の彼氏のコト」

 茶色い水面に映る私の表情はまるで何かの痛みに堪えてるようだった。無意識に眉間に皺を寄せ唇を引き締めていて、思わずカップの縁を指でなぞって視界から消す。
 友人に、なるべく嘘はつきたくないと思う。それでもつくしかない現状にギリ、と奥歯を噛み締め、この場を乗り切れる嘘を考えた。馬鹿正直に事情を話すことはできない。

 もし話しでもしたら、きっと彼は詐欺にでも引っかかってるんじゃないかってマルコさんに詰め寄ってしまうだろうから。落ちてくる横髪を右耳にかけながら、ありきたりな言葉を並べる。

「助けたんだって?」
「……そんな大袈裟な。ここはどこだってすごく泣きそうな顔で迷っててね、私も放っておけなくて。そしたらお礼にお茶に誘われて。かっこよかったし、まあお茶だけならって話したら、なんか意気投合しちゃって、それからって感じだよ」

 とはいっても大体合ってる……と、思う。
(異世界で)迷子になっていて、私も(自分の家に来られて)放っておけなかったし、お礼に(料理と)お茶を(家のもので)注いでくれたし。……よし。嘘は特に言ってないな。彼氏であること以外は。
 そう開き直ってもなんだか胸中に渦巻く不安をコーヒーと共に飲み下す。彼氏ではないとバレなきゃいいけれど。彼は、私が男性に対して臆病なことを知っているから。まあけれど当然と言えようか。彼の目は、

「……お前が、ねぇ……へーえ……そんな短期間で彼氏をねぇ……ふーん……?」

 あまりに猜疑に塗れた目で私を貫いていて、おもわず空気を飲み込んでしまいゴクリと喉が鳴った。



prev - 15/56 - next


表紙TOP