16




 別に私の年齢を考えればおかしくもない話だと思うし、食パン咥えてたら曲がり角でごっつんこして恋に落ちたとか、親方! 空から……! 的な展開よりはよほど信憑性もあると思う。そんな無茶なことは言ってない。にもかかわらず、どうやらその目は全く信じていなさそうで、冷や汗が垂れた。

「ほら、私だってもうそろそろいい歳だし、怖い怖いだなんて言ってられないでしょう? 親からも最近孫を抱かせろって言われてたし」

 矢継ぎ早に言い募った言い訳じみたそれは余計に猜疑心を煽るだけとなったらしい。
 彼との付き合いは五年を過ぎてもう半年にもなる。当然私の家族のことも知っているし、私の父親なんて私を溺愛して未だに独り身でいいだなんて言っていることも、母親が穏やかなひとで私を急かしたりしないことだって知っている。……やらかした、と思った。よくある文句を考えなしに口に出して、私の親が従来鷹揚であったことなんて頭になかった。

 思わず揺れた体につられ、小さくネックレスが音を鳴らす。意味もなくそれを触りながら恐る恐る顔を上げて伺い見ると、なぜか笑っていた。

「っ、え、」
「ふ、……ッ、はは! おま、なんで泣きそうな顔になってんのよ。俺そんないじめてた?」

 いじめ……られては、ない、と思うけれど。あやすように撫でられる手と、さきほどまでの疑ってかかるその表情から一変した笑顔に困惑はする。

「俺はみょうじが誰とどんな出会い方をしても、今みょうじが幸せならそれでいいよ。やっと好きな人と出会えたんならさ」
「う……ん」
「いやあ、ついにみょうじも彼氏持つようになったんだなぁー……本当、感慨深いよ。幸せなら、よかった」

 私の幸せを本当に喜んでくれているのだとわかる彼の笑顔に──── う、うう、……り、良心が痛い……ッ!
 思わず抑えた胸に当然オロオロとし出して、それにもまた良心が傷んで、ひとり泣きそうになった。
 もういっそこんな理由で彼氏なんて本当はいませんって言えたらどれだけ楽だろう……! マルコさんの事情をおいそれと本人の勝手なしに話すほど分別ついていない人間ではないから言うつもりはないがそれでも、心の痛みはとてつもなかった。

 しかしタイミングがいいのか悪いのか。上司から急ぎの仕事を頼まれ、女性社員たちから逃げるために使った嘘の口実が本当になった事を恨めばいいのか、コイツからひとまずは逃げられると喜べばいいのか分からずに、ひょっこり顔だけ出して仕事を増やしてくれやがった上司にも、十中八九残業になるだろう事にも思い切りため息を吐き出した。









「っ、ぅ、ぁ〜〜〜っ」
「久しぶりに聞いたな……そのえぐい首の骨の音……折れるぞいつか」

 定時を数時間過ぎた夜。経費削減にと残業の間は必要最低限にされている照明の下、パソコンの明かりだけがやけに光っていて、それが更に目の疲れを増幅させる。急ぎの仕事とだけあって今日中に相手方に添付しておかねばならず、これにはさすがのふたりも手伝ってくれた。まあさすがにこの量を私一人に押し付けられたら退職届すら辞さなかったけれど。
 凝り固まった肩と首を解すと毎回のように飛んでくる憂虞を私もまたいつものように聞き流した。

「月曜でこれはしんっどいわ……」

 本当に、向こうは気楽に変更してーなんて言えるもんだ……こっちの苦労も知らないで本当に……。

「いやあ、お疲れ。悪かったな。けど向こうの要望に応えたらあとはもう仕事っつー仕事もないから。区切りもついたし、みょうじさんも有給取るなら今のうちだけど?」
「……あ〜〜……」

 頭から完全に抜けていたそれを思い出し、つい顔が引き攣った。とはいっても働き方改革で休まない場合においては罰則が発生するようになったから、なあなあで流すわけにもいかず、本格的にマルコさんと2人きりになることに心の準備をしなければならないらしい。まあ罰則がなければ上司とてこんなに必死に消化してくれなんて頼まない。

「あ〜〜! その事っすけどね、みょうじいつでも取ってくれるそうっすよ!」
「は?」
「お! そうかそうか! それなら──── ……」

 なぜか再び当人を省いて始まる話し合い。やれ引き継ぐ案件はないか、新人教育はどうのとか、私が今抜けても大事なきように確認を取っているかのようで、さすがにピクリと引き攣った頬が痙攣を起こした。だって、まるでそれは……

「あ、の? そもそも申請書すら出してませんから、今日明日でどうにかなることじゃ」
「あー、必要ないない。前日だし、俺が勝手に受理しとくから」
「……ぜんじつ……?」

 上司の笑顔と共に、溜まりに溜まって二週間を過ぎる有給消化を言い渡された。



prev - 16/56 - next


表紙TOP