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 駐車場に車を停めて暫し。どうにも家の中に入る勇気を持てずにいた私はハンドルに額をくっ付けて、大きなため息を吐き出した。

 二十三時を過ぎ、人も晩ご飯をとうに終えてゆっくりとした時間を過ごしている時間帯か、眠る時間帯。家に帰る時間を少しでも遅らせたくてふらりと入ったスーパーで買った、まとめ買いも含めた半額商品たちがガサリと音を立てた。──── そもそも、あんな寝ぼけた奴からのキスくらいで私はなにを弱気になっているの。
 彼とはただ、酒の席で事故のような軽い口付けを交わしただけ。お互いアルコールが入った状態で、少しばかり気に入った異性同士であれば仕方の無いことだ。わかっている。

「……わかって、るけど」

 たかがキスひとつ、そう分かっていてもどうにも気まずくて、そして気にしているのもどうせ私だけなのだろうと思うとまたそれもやるせなかった。
 それでもまさか車中泊なんてやってられるわけもなく。というよりも明日から有給によるしばらくの休みで、嫌でも顔を合わせる羽目になる。そうであれば嫌なことを後伸ばしにするよりは先に済ませた方がいい。生物も入った買い物袋を手に取って玄関を開けた。

──── ……あァー……その、よい、……おかえり」
「…………ただいま」

 玄関を開けた目の前、ちょうどマルコさんも開けようとしていたかの如く、その手は上げられたまま二人して固まることとなった。
 いわく車を停める音で窓を確認すればしっかり車が止まっているのに一向に家に入ってこないものだから、何かあったのではないかと懸念して家から出ようとしていたところだったらしい。

 ひとり子供じみた考えに耽って取り乱していた所も見られていたのでは、と一瞬死にたくなったが、夜で辺りには光源もなく、家の窓から覗いた所で反射して見えてないだろう。……たぶん。
 それに取り乱したと言ってもせいぜいハンドルに頭を押し付けたくらいだ。残業で疲れていたとでも言い訳はつく。

「ごめんね、仕事が立て込んで。晩ご飯は作って食べた?」
「……あァ、冷蔵庫にしまってあるよい」

 なら先に頂いてしまおうと見れば、たしかにラップされたものがしまってあるが、それはどう見ても二人分の食事だった。

「これ、まさかマルコさん食べてないの!?」
「あー……一緒に、食おうかと思ってねィ」

 こんな時間まで、なにも食べずに……? 
 怒ればいいのか嬉しがればいいのか、とにかくさぞお腹が空いただろうと慌ててレンジに入れて温めながら飲み物を用意して、出来合いを買ってこなかった己を恨みつつ、温めが終わるまで軽くつつけるだし巻きでも作ろうかと包丁を軽く洗うため取り出す。

 慣れた自宅で、慣れた料理。そして気にしていたマルコさんのこと。それらが重なって酷く呆けていたせいで包丁を洗っていたスポンジが滑っていたことも、スポンジから指が出て、まるで包丁の刃先を覆うようになったいたことにも気付かず、指を思いきり包丁で切ったことによって我に返った。

 じんわりと滲む赤色にそこまで深く切っていないかな、と安堵した瞬間、かなりの量が流れ出る。それを認識したと同時に広がる熱を持った痛みに包丁をシンクの中に落としてしまった。

「ッ〜〜……!」
「なまえ!? 何してんだよいッ!」

 研いでいないからそこまで切れ味の良いものではないけれど、指の肉を簡単に切り裂くくらいの鋭さはあるみたいだ。思いきり深くいってしまったようで、ボタボタと鮮血がシンクに溢れ出る。とにかく止血しないと、タオルを探して目線を巡らせたとき、視界の端で指先が淡く光ったような気がした。

──── え、」

 否、青い炎が指先を包み込んでいた。マルコさんの手が翳せられた患部から綺麗な青い炎、が。

「……おれ以外には大した効果はねェが、少しくらいなら役に立つよい」

 青い炎をあてられ、時折水で洗い流され、またあてられる。一体その炎はなんだとか、俺の能力ってなんだとか、聞きたいことは山ほどあるのだが、その炎があまりに綺麗で。マルコさんのされるがままになっていた。

 そうして数分を過ぎた頃には血はすっかりと止まり、あとは傷口を保護するだけの状態。手早くガーゼを巻かれ、その日一日水仕事も禁止にされた。いや、そんなことよりも。

「……ま、マルコさん、なに、あれなに……! 火がっ」

 勢いよくマルコさんの指を引っ掴んで上に下にと見るが、至って普通の指である。炎は出ていない。けれど間違いなく、この手が。炎を出したのを見た。それも青い炎を。

 マルコさんは一心不乱に手を見ては首を傾げる私の頭を一度撫で、言いづらそうに口を開閉しては首裏を掻く。マジックショーですか、ととぼけようとしたけれど、種も仕掛けもあるそれとは違い、実際に傷が塞がってしまったのだからボケられない。

「あー……なまえには前話したろい? ……悪魔の実の、能力だよい」

 ──── トリトリの実、モデル不死鳥。
 不死鳥はこの世界にも言い伝えられているあの空想上の鳥である不死鳥フェニックスで間違いないらしく、その実を食したマルコさんは飛行能力を有し、傷を負っても瞬時に回復するという、なんとも主観的な考えで言うのならばチートじみた能力であるらしい。

 驚異的と言える回復力は自身にしか反映されないものの、微々たるものであれば他者にも有効らしく、こうした包丁での切り傷という(マルコさんからしたら)些細な傷くらいなら治せるという。

「…………あ、頭がこんがらがってきた」

 科学的な世界で生きてきた人間に、唐突なファンタジーを見せられて、冷静でいられる人がいるのならぜひお会いしてみたいと、倒れそうになる体を支えながら思った。



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