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 もうすぐで梅雨に入るのか、天気予報から流れる今日明日の天気は曇りのち雨。夜中には雨雲が差し掛かり、結構降る日すらあるようだ。
 外干しはできないなあと紅茶を片手に卵焼きをひとくち齧り(合わない組み合わせなのは承知している)、窓から見えるどんよりとした鈍色の厚い雲にため息を吐き出した。

 ゆっくりしよう、とそうマルコさんから提案されたのは昨日のこと。本人が言うのであればとそれに乗っかり朝から起きたはいいものの、当然だがなんの行動も起こしていない。
 マルコさんは私のために紅茶と卵焼きを焼いてくれて、自分はブラックコーヒーを片手に慣れない日本語で書かれている新聞と睨めっこ。

「(うーん……)」
 
 急に仕事が休みになるというのも困りものだ。こんな現状でなければ友人を誘ってご飯に行くなり、それこそソーシャルゲームに一日を費やしたりもするが、あいにくとマルコさんがいる状態でそれをするのは忍びない。

 本当、どうして上司も今になって有給を消化させたんだか。いまさら文句を言っても仕方ないのだけれど。──── と、いうのも。
 昨日私が考えた名案──── 名付けて「マルコさん癒そうdey」──── を実行するには、時間が早すぎるのだ。これは夜、それも晩ご飯を食べ終える時間帯がいい。もちろん出発するのはもう少し早い時間ではあるけれど、どっちにしろ行動を起こすのは日が暮れたあとになる。

 それまでの時間をどう潰そうかと考えて、また何度目かになるかわからないため息を吐き出そうと息を吸ったとき、テーブルに放置してあった携帯が控えめに振動を伝える。
 開いてみるといつ登録したかすら覚えていないお店のクーポン情報メッセージ。そのまま会話ごと消去して携帯を閉じようとしたのだが、ホーム画面にあるカメラアプリを見てしまえば微かないたずら心が芽生えた。

「(どう写るんだろう)」

 起動したのは女子高生たちが自撮りするときにもはや不可欠であろうカメラアプリ。フィルターをかけることでプリクラ並に可愛く写してくれる代物である。おそらく、自撮りするような人間であればほとんど全員がインストールしている。
 うちひとつ、お気に入りの猫になれるフィルターを押して外カメラにした。
 真剣な表情で新聞を読み進めるマルコさんにカメラの焦点を合わせ、その金色の頭に黒い猫の耳、その端正な顔に猫のヒゲがきちんと表示されていることを確認して、音もなくシャッターを切った。

──── えっ?」
「上手く撮れたかい」
「えっ」

 撮れた出来と、そしてバレていたということに二重の驚きを込めてマルコさんに視線を寄越すが、そのマルコさんはこちらに一瞥とてしないまま、その目は相変わらず新聞を追っていた。
 ……なんで気付いたんだろう、このひと。
 シャッター音はしないはずなのに。

「ゔ……。 勝手に撮ってすみません……。でも上手く撮れなかったから許して……」
「お前、この至近距離でブレたのかよい」

 いや、撮る寸前までは鮮明だった、、、、、、、、、、、、
 シャッターを切る前は、端正ではあるものの無愛想にパラメータが振り切っている顔つきを最大限愛くるしくしてくれてるフィルターもきちんと適応されていたし、手ぶれ補正設定も付けていたおかげでまったくぶれていなかった。そもそもどちらも静止している状態でぶれること自体がおかしな話しで。
 がしかし。いざ保存されたものをもう一度眼下に収める。

 まるで白いモヤのようなものがマルコさんの顔に張り付いているかのように、顔がサッパリわからなかった。逆光とするにはあまりにも不自然なほど、綺麗に顔が隠れている。それをしどろもどろになりながら伝えればマルコさんは怪訝そうな顔をしてこちらに目線を移した。
 組んでいた長い足を解いてマグカップを片手に、座る私の背後に回ったかと思えばその私ごと覆うように左手をテーブルにつける。
 ……ぐう……このイケメン男め……。なにも言わずにさきほどの写真を見せた。

「…………ん」
「……こりゃァ、ずいぶん面白く撮れたねィ。ある意味技術あるじゃねェか」

 その眉は不快そうに顰められて皺を色濃く残す。私の目の前にいるマルコさんには当然モヤなどかかっていない。端正な顔があるだけである。何度か写真と見比べながら思わずその顔に触れた。
 実は透けたりするのではないだろうかと、馬鹿なことを思ったから。もちろん杞憂に過ぎなかった。輪郭も、目鼻も、頬も、きちんと触ることができる。感触がある。
 マルコさんは驚いたのか少し目が見開かれたものの、別になにかを言うことはなく、また振り払うこともなくただ私にされるがままだった。
 数秒、あるいは数分か。じっと私を見据えていた瞳がやんわりと薄められる。頬に伸ばした私の手の上から、私の手とは真逆の大きな手が重ねられた。

「満足したか」
「……、その。幽霊じゃないよね、……なんて」
「足をなくした覚えはねェな」
「……足のある幽霊だって、きっといると思う」
「そうかい。だが、おれァ死んだことに気付かねェような男であった覚えもねェよい」

 ……そう、そうね。

 重なった大きな手の力が、ほんの少し強まった。



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